第6話

 一時限目の授業、「国語総合」が終わって、次は「コミュニケーション英語」だ。わずか十分の休み時間。

 その十分を惜しむかのように、おれはあわただしく入堂いりどうの席に向かった。

「なぁ、ちょっといいかい?」

 フレンドリーに話しかけた。いきなり話しかけて入堂に驚かれるが、かまわなかった。

「きのうのことなんだけど――」

「学校ではその話はしないでって、決めたでしょう」

 小声で、しかしぴしゃりと言う入堂だった。周囲を気にしているのがありありとわかった。

「いや、そうだったけど、きのうのあれは……」

「ごめんなさい。でも……あれがわたしのいまの気持ちなのよ」

「まぁ、それはわかるよ……。でも、だからこそ、このままじゃいけないって思ったんだ。もう少し、互いに本心を打ち明けられるようになっていたなら、ゆうべみたいなことにはならなかったと思うんだ……」

「ちょっと、あんた、なんなのよ!」

 いきなり会話に割り込んできたのは入堂の友人、鴨島かもしまだった。どうやら、おれが入堂を困らせているように見えているらしい。友人を守るため立ちふさがる騎士のごとく、きつい口調でおれを睨んできた。軽いウェーブのかかった長い髪が雄ライオンのたてがみのように、おれを威嚇しているかのように見えた。

「いきなりやってきて、ひどくない?」

 そして入堂に、「だいじょうぶ?」などと気遣って肩を抱く。入堂と仲がいい鴨島がそんな態度にでるのはわかる。

 でもおれとしても、ちょっと悠長にかまえすぎていたという反省もある。親父のために一肌脱ごうなどとまでは、おこがましくていえないが、せめて入堂とは気軽に話せる関係にはなっているべきじゃないか。しかし……。

 デリケートな問題でもある。入堂は、母親に気遣っておれと連絡先を交換したが、これまでほとんどやりとりがなかったのは、本心ではまったくおれと話すつもりもないという表れもであったのだ。

「ああ、わかった。退散するよ」

 おれはすごすごと引き下がることにした。

 自分の席についてうなだれていると、牛岡がやってきたのがわかった。目をあげると、

「どうしたんだ、いったい……」

 牛岡も驚いているようだった。おれが大胆な行動に出たように見えたのだろう。

「そういやおまえ、何日か前、放課後に入堂からなにか言われてたよな……」

 そのときなにを言われたのか、などと直接は訊かなかったが、なにを想像しているのかはなんとなくわかった。

(だがおまえの推理はたぶんはずれてる)

「なんか……あがたはeスポーツ部どころじゃなさそうだな。まぁ、せいぜい高校生らしい青春をすごそうぜ」

 気にするな、といった感じの軽い調子の牛岡だった。

(青春って……おっさんくさいこと言ってんじゃねぇよ……)

 おれは苦笑した。その後、結局、入堂にメッセージも送らなければ会話することもなく放課後になってしまった。



〈今から会って話さない?〉

 スマホに入堂からのメッセージが入ったのは、eスポーツ部の部室でゲームに興じている最中だった。

 場所と時間が指定されていた。近鉄大和やまと西大寺さいだいじ駅構内に十七時半。

 徹底的に学校では話さないつもりらしい。誰が聞いているかもわからないからなのだろう。というより、おれと話をしていること自体、はばかられるようだった。

 しかしこの時間だと……いまから急いでも間に合わない。といって、無視を決め込むわけにもいかないだろう。

 おれはプレステのコントローラーを置くと、「すみません、先に帰ります」とパイプ椅子から腰をあげる。画面のなかで、制御を失った自機が敵の攻撃を受けて爆散した。

「どうしたんだ?」

 沖下部長が驚いている。部員はみんなゲームが好きで、ゲームを途中で放り出すのを意外に感じるのだ。

「急用です」

 おれは短くそれだけ言い、カバンを下げて部室をあとにする。部室に残った牛岡が部員になにかを言うかもしれないが、気にしていられない。

 校門を出て徒歩十二分で近鉄奈良線・新大宮駅に着いた。大和西大寺駅はその隣の駅だ――乗換駅なので、当然、人は多い。うちの高校の生徒だって多く乗り換えに利用する。しかし多すぎるがゆえに、逆に二人で会っていても目立たないともいえる。

 新大宮駅西行きホームでなかなか来ない各駅停車の電車を、通過していく急行や特急を見送りながらじりじりと待っている間に、遅れることを入堂に告げ、ようやく大和西大寺駅に着いたのはもう六時前だった。

 広いコンコースに上がった。改札内は売店が多く、面積の半分はショッピングモールになっていた。

 そのショッピングモールの奥、カフェとドラッグストアに挟まれたところにある入り口を抜けた展望デッキに、入堂はいた。電車を見下ろせるポイントとして鉄道ファンや男児には喜ばれる施設だった。朝は九時半から夜八時まで開放されている。

 息せき切って自動ドアを抜けると、入堂は横に長い展望デッキの端の方で簡易ベンチにも腰掛けず、ひっきりなしに通り過ぎていく電車をガラス窓から見下ろしていた。

 展望デッキには他に誰もおらず、おれは入堂のそばへと歩みより、声をかけた。

「遅れて悪かった。しかしあの時間でここへ呼び出すなんてムチャだ」

「ごめんね、わざわざ呼び出したりして」

「ここで話す? それともカフェにでも行く?」

 全面ガラス張りとはいえ上は青いテントが張ってあるだけで屋外と変わらないから、電車の音が意外と大きい。構内のベーカリーカフェに移動してもよかった。

「いい。お金もないし……」

「……わかった。じゃ、ここで話そう」

 入堂はうなずいた。が、なかなか話を切り出そうとしなかった。

 並んで線路を眺めていると、特急電車の白と黄色のツートンカラーの車体が右側にカーブしている京都線から入ってきて眼下を通り過ぎていった。

 しばらくして、やっと口を開いた。

「わたしね……。べつに縣さんを嫌っているわけじゃないの。そこは間違えないでほしい」

「…………」

「それに、お母さんが結婚することに反対しているわけじゃないの……」

 でもね……と、入堂は振り向いた。

「いきなり家族だなんて、無理だと思うんだ」

 そうでしょ? と同意を求めるような口調だった。 

「縣さんの家は広いってお母さんからは聞いたけど、そうはいってもいっしょに生活するわけなんだから、いろいろ……あるじゃないの」

 察しろ、と言っているようだった。

「まぁ、いろいろ……あるだろうな」

 おれは首肯する。

 生活スタイルがそれぞれ違っているのだから、そこはなにかと齟齬がありそうだった。それが元でトラブルが起きて家庭内が不穏になってしまうかもしれない。それはおおげさでも、なんらかのルールを決める必要はでてくるだろう。

「それは……たぶん、結婚というのは、そういうもんなんじゃないのかな? これまで違う人生を歩んできた者どうしがいっしょに生活するんだから、どこかに落としどころを設けていくんじゃないかな。多少なりとも我慢が必要な場面もあるだろう。でも……」

「お互い好き同士が結婚するんなら、それを乗り越えていける覚悟もあるだろうけど、わたしはそんなふうには振る舞えない。妹だって混乱している。最近はすっかり元気をなくしていて……」

「まだ八歳だったっけ? お母さんがよその人に取られてしまうんじゃないかって不安なんだろうな、きっと」

「だったら、わかるでしょ?」

「じゃあ、おれからもおやじを説得すればいいのかな? 考え直せって。聞く耳を持つかどうかわからんけど」

「本心でそう思ってる?」

「なんだよ……」

「わたしが言ったから、そうしようとしてるんなら、ちょっとイヤだな」

「なんだい、それ」

「わたしは縣さんの意見が聞きたい」

 以前にも訊かれたが、おれはまだ即答できず、視線を真下の線路に移してしまう。赤と白の近鉄カラーの電車が西へ向かって遠ざかっていく。行き先の表示は尼崎あまがさきだ。

「そうだな……」

 とつぶやき、おれは家族が増える――入堂が家族となることをどう思っているのかと自らに問うた。

「おれの母親は、十年前に失踪したんだ。理由は知らない。でもそのときにはもういまの家は建てていて、たぶん、おやじは愛媛に住んでる母親の両親を呼び寄せるつもりだったらしい。でもすべてがおじゃんになっちゃって、あの家はおれたちだけだと広すぎるんだよな。それでも引っ越さなかったのは、いずれ再婚を考えていたからじゃないかな、と思うんだ。それはともかく、だから広いあの家に住む人が増えることは悪くないと思っている」

「でも、それが誰でもいい、というわけじゃないでしょ?」

「最初は誰でも他人だよ。だから親しくなって、相手を知っていくんじゃないか。今度のUSJ行きにしたって、それが目的だろ」

「わたしはUSJには行かない。友だちと約束があるから」

「そうなんだ……。香音ちゃんはお姉ちゃんが来なかったら寂しがるんじゃないかな」

「香音はお母さんがいるから、だいじょうぶよ」

「そんなもん?」

 おれには小さな妹がいないから、よくわからない。でも姉である入堂が言うなら、そうなんだろう。

入堂きみが来ないってんなら、おやじはがっかりするだろうな」

 おれはつぶやいた。家族ぐるみの付き合いが目的だから、一人でも欠けるとその意味がなくなりはしないだろうが、半減する。とはいっても入堂の意見も尊重したい。親の都合で友だちづきあいができなくなる、というのはおれだって嫌だ。

「ま、今回のUSJが最初で最後なわけじゃなし、またそんな機会もあるだろう」

 相互乗り入れしている阪神電車の車両が駅へと入っていく。三宮さんのみや方面からはるばるやって来たシルバーの車体が太陽の光を反射する。帰宅ラッシュが始まる午後六時を回り、電車の本数が多い。

「ね、縣さん……。わたしが家族になるのって、正直、どんな気持ち?」

 おれの息が一瞬止まった。その答えによってなにかが決まるような気がして、おれは慎重に言葉を選んだ。

「それは……とてもいいことだと思うよ」

 とってつけたような言葉だと言われた。

 それから入堂は、さっと身をひるがえすと、「それじゃ、ね」と言って帰っていった。

 おれも帰るよ、と後を追ったが、同じ電車に乗っている間、学園前駅で入堂が降りるまで、しゃべることはなかった。

「なにやってんだろうな……」

 次の富雄駅で電車を降りて、おれはひとりごちた。

 そして日曜日のUSJまで入堂と学校内で会話することはなかった。

 その日曜日、入堂は言っていたように、友人との先約があるということでUSJには来なかった。おれと父親、入堂母と妹という四人で楽しむことになった。

「今日は、静奈が来れなくて、ごめんなさいね」

 申し訳なさそうにする入堂母だったが、父親は、

「気にしないでください。またべつの機会をつくりますよ」

 と笑った。

 過去に何度か来たことがあったが、いつ来ても混雑する人気テーマパークだ。

 天気のよい日曜日ということで、この日もかなり混雑したが、入堂妹はママを独占できて、しかもUSJに来れて楽しいようだった。アトラクションはだからおれが乗りたいものよりも、香音ちゃんの乗りたいものを優先した。そこは年長者らしく振舞った。今回のUSJは、あくまで交流が目的だから、香音ちゃんに楽しんでもらわなければ意味がない。

 子供向けの「ユニバーサル・ワンダーランド」や「ミニオン・パーク」、そして超人気の「スーパー・ニンテンドー・ワールド」を中心に遊ぶことになった。アトラクションをいくつかこなしていくうちに、香音ちゃんはだんだんとおれと父親にも慣れてきてるようだった。おれと手をつなぐこともしてくれるようになった。

 ただ、どこもかしこも長い行列で辟易して、午後も遅くなってくると、さすがに香音ちゃんも疲れてきたようだった。

 退場時の電車の混雑を避けるためもあって、四時ごろにはUSJの外に出た。

 いっしょに晩ごはんどうですか、と言う父親だったが、

「香音も疲れているようですし、静奈の晩ごはんも作ってやらないといけないですし」

 入堂母はそう言ったが、おれは、友だちと遊んでいるのなら、勝手に晩ごはんをすませているかもしれないな、と思った。

 ふと、「入堂は本当に今日、友だちと約束があったのだろうか」と訝った。なんとなく気がすすまなかったから約束があったと言ったのかもしれない。ただ、そうだとしてもかまわなかった。べつに疑って確かめようなどとは思わない。

 おれは入堂にメッセージを送った。

〈USJは混雑していたけれど楽しめたよ。妹の香音ちゃんも楽しそうだったので、よかったと思う。もしまた今度、いっしょに遊びに行くときがあったら、そのときは行けるといいね〉

 すぐに返事が着た。

〈今日は、母と妹につきあってくれてありがとう。もし次にいっしょに遊びに行くことがあったら、そのときはできるだけ参加するようにするよ〉

 喜んで遊びに行く、とは書いていないところから、どこかまだ吹っ切れない気持ちがあるのかな……と、そんな思いをいだいた。

 だがそれでいておれを嫌っているわけではない、というのだから、そこがまた不可解でもあった。

 帰りの電車のなかで香音ちゃんは眠ってしまっていたが、生駒いこま駅を過ぎるころには目が覚めて、おれたちが富雄駅で降りたときにはバイバイと手を振ってくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る