第4話

 入堂いりどうとはその日まったく会話をしなかった。学校では誰からも勘繰られないよう用心深くしてのことだった。おれからは、ほぼ思っていることをなんにも伝えていなかったに等しく、入堂にしてみれば歯がゆい思いをしているだろう。とはいっても、おれだってなんて言っていいかわからない。

 ずっと父親と二人だけの家族だった。そこへ新しく家族が増える。しかも三人もいっぺんに。混乱するな、というほうが無理だ。

 といって「それはイヤだ」と拒否するのも大人げないし、そこまで道理のわからない子供ではない。

 だがおそらく入堂は、おれの本音が聞きたいに違いない。親を応援したいとか、家族が増えるのはいいことだとか、そんな通りいっぺんの優等生的な答えじゃなく――。じゃあ、おれの本音はどうなのかというと、いまは驚き以外にないのだった……。

 意識的に入堂を無視するような形になって、でもおれはそれを是正できず、もやもやとした思いを腹の底に残した状態で放課後を迎えた。



 eスポーツ部の部室は、校舎とは別棟の部室棟にあった。二階建てのプレハブで、教室の半分ほどの小さな部屋に分割された各部屋は主に各文化部が使用している。部員数的に手狭であったり、活動内容によっては大きなスペースが必要の場合は(たとえば演劇部)、もっと広い空き教室を使用しているが、ほとんどがこの建屋に本陣をかまえていた。

 二階の端っこ、鉄道研究部の隣がeスポーツ部の部室であった。男子六名女子二名の部員八名の小ぢんまりとしたクラブだ。ちなみに部員が五名以下となると、正式なクラブではなく同好会に格下げされ、部室も与えられず活動予算もほぼゼロとなる。クラブ活動に昇格したければ部員を集めるしかない。どこのクラブも部員の取り合いをしている現状にあって、eスポーツ部は奇跡的にクラブ活動を維持できていた。三年生が引退して迎えた今年度、あと一人部員が減ると存続の危機に立たされていたというところに、おれと牛岡の二人が入部し、かろうじて部活としてのポジションを失わずにいられたのは、eスポーツ部の今年最大の活動成果だったかもしれない。

 テレビゲームが好きなおれにしてみれば、なんでこんな楽しいクラブに入る人間が少ないのかと疑問なのだが、多くの生徒にとってみれば、テレビゲームは小中学生で卒業してしまうものらしい。その後はスマホゲームにとって代わられ、遊びというより暇つぶしのアイテムに成り下がってしまっていたのだ。なんとも嘆かわしい。

 そんな状況にあってeスポーツ部の部員たちはテレビゲームを愛し、楽しんでいた。あくまで楽しむというのに徹して。

 そんなとき、これまでの国語教師から新任の保健体育教師にクラブ顧問がバトンタッチされた。

 おれが牛岡とともに部室で他の部員たちとゲームをしながら待っていると、おもむろに顧問の教諭が到着した。

 新旧顧問が二人そろって部室に現れたとき、そういえば体育館で全校生徒を集めた始業式のときに紹介された何人かの新任教員のなかにこの顔がいたな、と思い出した。そのときはスーツを着ていたが、いまは保健体育の教員らしく上下のジャージである。

「急な話であるけれども、僕がこのたび、このeスポーツの顧問を引き受けることになった栄田えいだです。これから盛り上げていって、eスポーツ部を発展させていこう」

 と、暑苦しいほど元気に宣言した。若い顔は、いかにも新卒で教師になったばかりです、といった感じで先生というより兄のようである――おれに実兄はいないが。

 おれたち八人の部員たちは、誰もがぽかんとした顔つきだった。

「ということで、栄田先生、着任したばかりでなにかと慣れないこともあるでしょうが、生徒たちといっしょにがんばってくださいね」

 国語教師はおざなりな台詞を吐いた。便宜上、顧問についていただけの「名ばかり顧問」であり、eスポーツはおろか、テレビゲームについてもさほど興味がなかったため、やれやれこれでやっと解放される、といった心象が顔からにじみ出ているのが誰の目にも明らかで、すがすがしいほどの交代式であった。

 じゃあ、あとはよろしく、と部室を出て行く前任顧問。

「はい、まかせてください。お疲れさまでした」

 見送る栄田がこちらを振り返って、

「さぁ! みんな、楽しんでがんばろうぜ」

 そう言って張り切るが、おれを含め部員はみんな静かだ。中断したゲームが画面のなかでデモムービーを繰り広げているばかりで静まり返る。

「あのう……」

 と、遠慮がちに挙手をして口を開いたのは、今年部長に就任した三年生・沖下だった。シューティングゲームを得意としていて、業務用アーケードゲーム機と同じ操作機器デバイスにこだわっている男である。部長といっても、名目上その任をおいているだけで、実質仕事があるわけではない。せいぜい新しく導入するゲームについてみなの意見をまとめるぐらいだ。

「がんばるって、つまりは……?」

「公式戦に出場て、勝利を目指すに決まってるじゃないか」

 なにをわかりきったことを、と栄田の目は言っていた。

 おれたちは互いの顔を見あわせる。先輩たちの目は明らかに困惑していた。

「公式戦……?」

 と、女子部員の先輩がつぶやいた。

 eスポーツに公式戦があることは知っているが、認識があやふやで実に心もとない。というか、誰も実態を知らなかった。日本のどこでどんな大会がいつ開催されているのか、そんな情報をリサーチしたこともない。日本よりも外国のほうが盛んであり、プロとして活動する選手もいるというのは聞き及んではいたが、そんな遠い世界、自分たちには一切関係がないとばかりに、ただ単にテレビゲームで遊ぶだけのクラブ活動であった。公式戦があったとしても、それに参加するという発想もなかった。

 そんな絵に描いたような戸惑いの空気を読んだ栄田新任顧問は両手を腰に添え、意外そうに言った。

「なんだ、きみら、なにも知らないのか?」

「先生は知ってるんですか?」

 その答えに期待をかけるように沖下は訊いた。

 が、栄田の口からは、部員たちの予想した答えは出てこなかった。

「いや……なにも知らん」

 やはりな。知っていそうな気配がまるっきりなかった。

 しかし、なにも知らんが、と栄田は重ねる。

「eスポーツの将来性と可能性は大きいと思っている。世界がぼくたちを呼んでいるぜ」

 おれたちはいっせいに盛大なため息をついた。壮大すぎる目標を語るのは空想と同義であった。同時に、どこか安心する雰囲気が、張り詰めた空気と入れ替わっていくようであった。

 顧問といってもeスポーツについては無知であった。ならば、公式戦へ出場するために練習する、なんて話にはすぐにはならないだろう。

 そんなシラけたおれたちの気持ちを察したか、顧問は檄を飛ばした。

「おまえらが知らないんだったら、なんでeスポーツ部なんて名前で活動してるんだよ。――よし、じゃあ、まず調べるところから始めようじゃないか! 高校生の出場できる公式戦にどんなのがあるか、八人もいるんだから、みんなで調べりゃすぐにわかるだろ。さぁ、かかれ」

 おれたちはまたも互いに顔を見合わせる。困惑した。

「どうした、みんなスマホでネットを見てるだろ。調べ物も、ちゃんとしたクラブ活動だぞ」

 そう言われて、みんなごそごそと動き出す。

 おれもスマホを取り出して、検索した。

 そして……。

 部室にいつからあるか誰も知らない備品であるホワイトボードに、かすれかけたマーカーで部長が各自調べたことを書き出していった。こうして、現在のeスポーツの発展具合が徐々に明らかになっていったのだが……。

 それはおれたちの想像を超えた、エキサイティングかつ絶望的に遠い頂点であった。



「一度みんなで顔合わせしたほうがいいと思う」

 と、夕食時に父親は言った。

 入堂の母親は、父親と同じ職場に勤めていて、そこで知り合ったのだと聞いた。毎日のように顔を合わせていて、それなら親しくなるのも道理で、話し合いもスムーズに進んでいくだろう。

「あまり肩肘のはらない、ファミレスとかでどうだ?」

 父親の提案に、ダイニングテーブルで解凍したピザを食べつつ、おれは、うん、とうなずく。

 顔合わせはいつかはしなくてはならないことだ。もう同居も秒読み段階に来ているのに、新しく家族になる同士が顔さえ知らない、というわけにはいかないだろう。親とは対照的に、おれは入堂静奈せいなとまだ打ち解けて話ができる関係をちっとも築けていない。学校には家族になることを秘密にしておきたいから、親しく話すのもためらわれて、どこかよそよそしくなってしまう。

 教室ではいっそのことこのままでもいいか、と思うこともあったが、互いに打ち解け合わない状態でいいとは思っていない。けれどもそのきっかけが難しい。いきなり親しくすると周囲からどう見られるかと、それが気になった。おれたちの関係は秘密でいたいので、誰からも不自然に思われたくなかった。入堂もたぶんおれと同じ気持ちだろうからか、おれに話しかけてこなかった。スマホでは互いに連絡できていたが、メッセージのやりとりもまだほとんどやっていない。

 だからこの父親の提案はありがたかった。

「よし、じゃあ、明日の夜にしよう」

「早いな」

「都合が悪いか?」

「いや……そんなことない」

「ならオッケーだ。明日、仕事から帰ったら、すぐ出発するぞ」

「あ、ああ……」

 急な話であるが、おれはそれでいいと答えた。



 そして翌日――。

 学校ではこの日もまったく入堂とは会話もしないまま、放課後を迎えた。

 顔を出しても出さなくてもどちらでもいいようなeスポーツ部だったものだから、おれはさして深く気にすることなくクラブ活動を休んでそのまま帰宅した。正直、部員と楽しくゲームに興じる気分でもなかった。

 今夜は夜七時から近くの国道沿いのファミレスで、初めての食事会だ。スーツを着て出かける用意をしている父親に、

「おまえ、なんて格好してんだよ。もっとマシな服を着てこい」

 と、言われた。おれは長袖Tシャツに黒のチノパンで、高校の制服から着替えたのは、本当の普段着だった。ファミレスに行くのにおしゃれをするという発想がなかった。

「え? いや、でもよ……」

 おれは戸惑う。あらたまった席、というのを経験していないから、どんな服を選べばいいかとっさに思いつかなかった。

 考えた挙げ句、高校の制服のスラックスに、水色のチェック柄のシャツを合わせた。というか、ほかに適当と思える服を一着も持っていなかった。礼服は作っていたが、それ以外は必要なシーンがまったくなかったから、そろえておこうという考えがそもそもなかった。

 そう訴えると父親は、

「まぁ、しょうがないか――」

 と、あきらめたような表情を浮かべた。

「おまえには服を買うだけの小遣いをやってなかったからな」

 その台詞に対し、もしもおカネを持っていたとしても服なんか買わないだろうな、などとおれは言葉には出さない。服ではなくゲームを買っているような予感しかなかった。

 クルマに乗って家を出た。普段、父親が通勤に使うクルマだ。家族が少ないためコンパクトカーだが、今後、人数が増えるとミニバンが必要になるかもしれなかった。

 午後七時前といってもこの季節は日が長いから、まだまだ外は明るい。二十分ほど走って、ファミレスに到着した。

 予約していた席に案内されると、時間の十五分も前であるのに、てっきりおれたちのほうが先だと思っていたら、すでに入堂一家は先に来ていた。

 それだけでも負い目を感じてしまうのに、入堂母子おやこの装いを見て、おれは打ち負かされてしまった。ファッションに関して壊滅的に無知であるのが恥ずかしくなってしまった。

 黒の短いトップスに淡い紫のワンピースの胸元にネックレスが光る入堂の母親はともかく、入堂静奈もノースリーブのワンピースもカジュアルな雰囲気を残しつつ、そして八歳だという妹も手を抜くことがない。食事のしやすい、けれども上品な洋服を選んでいた。

(そうだよな……。考えてみれば、これはあらたまった席だといえるんだから、多少は気合の入った服装で来るよな……)

「どうも、今夜はお付き合いくださり、ありがとうございます」

 入堂の母親が立ち上がり、礼をすると、入堂と妹もそれにならった。

「今夜はお互い無礼講でいきましょう。こどもたちにはリラックスしてもらわないとね」

 父親が微笑んでそう言った。家ではついぞ見たことのない、大人っぽい態度で入堂家の向かい側の席につくと、おれも座った。

 入堂母親の向かい側に父親。

 必然的に、おれは入堂姉妹と向かい会う。

 料理を注文しましょう、と父親は言った。先に来ていた入堂親子はもう決めていたようで、おれと父親はメニューを渡される。ここで時間をかけたくないと、目についたものを頼んだ。

「浩仁郎くん、だったわね」

 料理の注文をとりにきた店員が行ってしまうと、入堂の母親が言ってきた。おれの父親より若いが、どこか疲れているのを笑顔で隠し切れていないようだった。母子家庭で子供が二人、その苦労はかなりのものなのだろう。今日の装いだって、無理をしているのかもしれない。

 はい、とおれがうなずくと、

「静奈と同じ高校に通ってて、同じクラスだとか……」

 話題としては、まさしく「もってこい」なのだろう。

 見ると、入堂静奈が緊張に顔がこわばっているのがわかった。妹――香音かのんという名前も今日初めて知った――は、先生に叱られたような顔で伏し目がちに押し黙っている。この二人が、母親の再婚を聞かされたとき、どう思ったのかは想像するしかないが、そうとうな衝撃だったのは間違いないだろう。おれもそうだったから。

「そうです、偶然に……」

「誕生日はいつかしら?」

「十一月三十日です」

「静奈は九月一日だから、静奈のほうがちょっとお姉さんになるのね……」

 そういう個人情報も、おれはまったく知らなかった。考えてみれば、今後、家族となるのなら、そういうことも知るところとなる。知られたくはないことも。おれはそこに気づいた。

「でも、だからといって、お姉ちゃんとは、呼びにくいよなぁ……」

 父親が苦笑いする。

 どうやって呼び合うかなんて考えていなかった。というか、学校でさえも名前を呼んだ記憶がなかった。あえて呼ぶとしたら「入堂さん」だろう。でも家族でそれはない。

「待って!」

 黙っていた入堂静奈が突然口を開いた。

「わたし、いきなりいっしょには暮らせないわ。おかあさん、考え直そうよ!」

 空気が凍りついた。

 おれも父親も、そして入堂の母親も、それは思ってもいない一言であった。静奈の強い意志表示だった。

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