第3話

   ☆


 地球から十二・五光年。

 そこがワープ実験船の到着場所である、おひつじ座ティーガーデン星を巡る第四惑星、現地名――アリウスであった。

 地球とさほど変わらない大きさのその惑星を、おれは二人のテストパイロット――ガリン・カネバ航宙士とムデス・ハムザ機関士とともに、宇宙船の外部カメラを通して初めて目にした。

 白くかかった雲を通して見える海と大陸は写真で見たとおり、非常に地球に似ていて、よその惑星に来たとは思えないほど美しかった。

 ガリンは手にしたコンパクトカメラのファインダーを青い瞳でのぞきながらシャッターを切り、地球育ちのムデスは故郷と比較するかのようにじっとアリウス星を凝視している。

 通信が入っていることを示すチャイムが鳴り、画面にアイコンが点滅。緊張した面持ちで、おれは通話をオンにする。

「こちらアリウス天文交通局、応答されたし」

 スピーカーから聞こえてきたのはアリウス共通語だ。それを聞いたことで、より一層アリウスへ来たことが実感された。

「こちら地球宇宙開発機構・実験船ホープ号。船長の縣浩仁郎あがたこうじろうです」

 さんざん学習してきたアリウス語でおれは返答する。

「ワープ実験の成功、おめでとうございます。これよりホープ号を誘導しますので、軌道上のステーションに接合してください」

「了解」

 何度も繰り返したシミュレーション通りの手順で間違うはずもない。実験船はワープによる故障もなく正常に作動していた。なんらトラブルもなく、ほぼ自動で指定されたステーションへと進んでいった。



「みなさん、ようこそ、おいでくださいました。宇宙船がワープアウトしたところを中継で見ていました。感動しましたよ」

 軌道ステーションの与圧区画に入ったおれたち三人を大げさな身振りで出迎えてくれたのは、現地駐在員のベンジャミンであった。ぴしっとスーツを着こなしていて、一瞬、ここは本当にアリウスなのかと疑うほどだった。アリウスの宇宙船でここアリウスに来ている地球人は、こんにちの時点ですでに二千人を超えている。ベンジャミンもその一人で珍しい存在ではない。ただし、アリウスに駐在しているのは政府機関で働く人間ばかりであるが。

「ささ、記者会見場へ行きましょう」

 スーツ姿のベンジャミンに比べ、おれたちは宇宙服のままだ。宇宙開発機構のユニフォームに着替えなくていいのか、と問うたおれに、そのままのほうが臨場感があっていいんです、との返事。

 地球人よりも大柄なアリウス人に合わせて作られた軌道ステーション内の広すぎる通路を通って、おれたちはベンジャミンの案内で転送カプセルに向かった。人工重力は地上環境と同じに設定されており、体が浮き上がることはない。なのに塵ひとつ落ちておらず清潔だ。通路の壁に書かれたアリウス語の文字がなければ、地球の施設かと勘違いしてしまいそうだった。

 軌道ステーションは地上と宇宙をつなぐ施設である。民間の宇宙船の乗組員なら、通常の入管審査を経て転送カプセルを利用するが、おれたちは特別扱いで、誰もいない通路を通って転送カプセルへと歩いていく。

「こちらへどうぞ」

 徹底的に省力化された無人の宇宙連絡システム、転送カプセル。大小さまざまなサイズのそれらがいくつか並ぶエリアに入ると、数人ほどが乗り込める卵形のそこへ、ベンジャミンとともに収まった。

 シミュレーションで体験しているとはいえ、実際に乗るのは初めてで、おれたちはやや緊張した面持ちで転送を待った。

 だがなんの違和感もなく、わずか数分で地上の宇宙局のカプセルに転送され、建物内へと降り立って拍子抜けした。

 地球の技術力も日進月歩とはいえ、アリウスとの差はきわめて大きい。控えめに見て数百年ともいわれている。地球はその差を縮めようと必死にその技術を吸収しているところであった。今回のワープ実験もアリウスの技術供与によって実現した。

 地上の転送カプセルから出たおれたちは、同じ建物内の記者会見場へと移動した。わざわざ記者を集めて会見を開くのは非効率的ではあったが、地球で見ている人々のための会見だったから、ここは地球式で行うことになったのだった。

 ここまでベンジャミン以外の人間を見ていない。多少不安を覚えながらも、ほんの数分ほどで、用意してもらっていた会見場に入ると、いきなりいくつものカメラを向けられた。フラッシュの光のなか、地球からの現地特派員らのほかに、数人ではあったが現地のアリウス人も地球式にならって会見場に混じっていたのが見えた。

 おれたち三人は、休憩なしでの扱いに不満そうな顔ひとつせず、記者たちに笑顔を向けて、壇上に準備されていた会見席に順についた。

 誰もが注目する記者会見だ。ただ、この模様は地球には生放送はできない。メディアを宇宙船で運ぶ他に、映像を伝える手段はないのだ。大昔の郵便のようなものだった。

 しばしの写真撮影の時間が落ち着くと、壇上の袖に控えていた進行役の地球人が口を開いた。

「お疲れのところ恐れ入ります。さきほど、地球人類初のワープ実験を成功させた、三人のパイロットを紹介します。縣浩仁郎船長、ガリン・カネバ航宙士、ムデス・ハムザ機関士です」

 拍手が送られる。おれたち三人は手を振って笑顔で応えた。

 さっそく記者たちから質問が飛ぶ。ワープの際はどんな感じだったか、試験飛行に不安はなかったか、乗り心地はどうか、今後の地球側の技術的課題や飛行士としての目標など……。和やかな雰囲気のなか、三人がそれぞれ質問に答えていくと、ひとりのアリウス人が挙手し、質問を発した。

 身長二メートル半もあるほっそりとした体形の青白い肌を持つ彼らアリウス人は、目鼻立ちは地球人に近かったが地球人と違って表情が読みにくく、顔の造形で個体の区別もできなかった。

「三人の宇宙飛行士の危険をものともしない冒険心を見ました。今後、もし、もっと危険が伴う、史上初のミッションがあるとしたら、それに参加しようと思いますか?」

 縣浩仁郎は答えた。

「はい、社会のためであり、なにより自分のために、そういうミッションがあれば、ぜひ参加してみたいです」

 他の二人も異口同音に、前向きな意見を述べた。

 それに対し、アリウス人は、

「ありがとうございました」

 と、返した。

 しかしその質問が現実のものになるとは、このとき、おれたち三人の宇宙飛行士は想像すらしていなかった。



   ☆



 これまで全然関心を持たなかったクラスメートの一人だった。入学からまだ二ヶ月で、互いをよく知っていないということもあるだろうが、おそらくそれが一年になろうとしても、知ろうというつもりがなかったなら、やっぱり知らないままでいるような気もする女子。

 けれども……。

 もはや意識しないでいる、ということはできなくなった。

 入堂静奈いりどうせいなというフルネームも、ようやく知ったという段階なのに、強制的に無関心でいることが許されないというのは、なんとも奇妙な感覚だった。

 一応、スマホの番号は交換していたから、「話は父から聞いた」というショートメッセージは送っておいた。しかしそれ以上はなにを伝えればいいのかわからず、翌日を迎えてしまった。

 父親の再婚相手である、おれのクラスメートの母親がどんな女性ひとなのかは、父親からは聞けなかった。そんなことを根掘り葉掘り尋ねる気にはなれなかった。なぜ訊けなかったのかは、おれにもわからない。将来、家族となる――その意味が自分のなかで整理できていないからなのかもしれない。あまりに唐突で、仕事場からいつもまっすぐに帰宅していた父親にいつの間にそんな関係の相手ができたのかすごく謎であるが、それはともかく、それがおれの人生において大きく影響を及ぼすなんて、陳腐な言い方だがまさに青天の霹靂であり、アニメやラノベの主人公のように能天気には振る舞えなかった。

 そんな情緒不安定な精神状態だったためか、昨夜はなかなか寝つけず、なんだか現実から遠い、どことも知れない宇宙の果てみたいな世界にいて、なにかよくわからないことをやっている夢を見てしまって気分がすぐれない。

 自宅近くの近鉄富雄とみお駅から電車で十分ほど揺られ、新大宮駅から歩いてさらに十分かけて校門に到着した。少しばかり重い気分で登校すると、先に教室に入っていた牛岡が、席につこうとするおれに話しかけてきた。てっきり入堂とのことを訊かれるのかと思ったが、

「おい、縣、昨日、聞いたんだが――」

 と、神妙な表情で予想外のことを言うのだった。

「eスポーツ部の顧問が変わるんだってよ」

「えっ……?」

「なんか、新任の体育教師って話なんだが……どうやら本気らしいんだ……」

「本気って……」

「ガチのクラブ活動に軌道修正するらしい……」

 おれの今月の星占いはどうなっているのだろう。こんなにも唐突なことが次々とやってきて環境が激変してしまうなんて……。

「ガチってのは……大会に出場するってことなのか?」

 私立の高校にはよくあることだが、ステータスを上げて多くの受験者数ならびに入学者数を確保するため、大学への進学率を高めるのと同時にクラブ活動にも積極的に力を入れて知名度を上げようとするのだ。公立校と違って生徒数の多寡は学校経営にも関わってくる問題であり、ぶっちゃけ、それこそが私立高校の存在意味でもあるといえる。人気がなければ消滅するとなれば切実だ。実際、公立校は統合が進んでいる。

 したがって、知名度を上げられるチャンスがあるとなれば、それを利用するのは自然な判断といえる。頂点を目指してこそ充実したスクールライフであるとかなんとか理屈をつけて。確かに、大会に出場して勝利の栄冠に酔うのは素敵だ。汗を流して努力する青春は美しい。野球部は今年も甲子園出場を逃しているが、十数年前の栄光である県大会優勝の金色の盾は校内の正面玄関に「やればできる」と鼓舞するがごとく堂々と飾られてある。

 その流れに真っ向から逆らうほど気持ちは強くないが、そんな熱量の高い人間ばかりではないだろう、とおれは思うのだ。大学受験だけで精一杯で、それ以外にそこまでエネルギーを使わずとも、だらだらと時間を浪費するクラブ活動があってもいいんじゃないか。それこそラノベでおなじみの「なにをやっているのかわからないお友だちクラブ」があっても。

 しかしeスポーツのガチというのは……。

 正直なところ、そういう名前のクラブであっても、おれ自身、eスポーツについてはとことん知らない。たぶん他の部員も。なんだか次元の異なる別の世界の話のようで、それはまるで、同じ「走る」であっても、子供の鬼ごっことオリンピックの百メートル走ぐらいに異質なもののように思えた。

「で、今日から引き継ぎをするということで、放課後部室にやってくる。だから縣も今日は休まずに来いよ。ところで――」

 それから牛岡はちらりと周囲を見て、入堂を見つけ、

「どうなったんだよ?」

 小声で、だがズバリと訊いてきた。

 正直に答えるわけにはいかなかった。入堂とは、周囲には秘密にしておくと約束した。といって、ありもしない嘘――告白されたとか――をでっち上げるのも気が引けたし、高校に入学してせっかくできた友人に虚偽報告をしてわだかまりができるのも避けたかった。

「いや、ちょっと微妙なんだよな……」

 消え入りそうな声で、おれはかろうじてそう答えた。いつかはバレるかもしれないという不安が心をかすめていた。

「なんだよ、つきあっちゃえばいいじゃんか」

「いや……そういうんじゃないんだ……」

「なんだか歯切れが悪いな。まぁ、いいか……」

 言いたくないのだろうと牛岡は思ってくれたらしい。そこでその話題は途切れて、おれはほっと胸をなでおろした。

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