第3話 バッドエンドのその先で、冥界の女神に説教される《後編》

 乙女ゲーム『ラグナロク・ラヴァーズ』は北欧神話テイストの世界で、主人公ヒロインのノエルは貴族の庶子だ。

 ノエルはプランタン子爵である父親からの援助で平民にしては裕福な生活をしていたが、ノエルが14歳の時に転機が訪れる。

 子爵の正妻が亡くなったのだ。

 それをきっかけに、子爵は愛人であるノエルの母を後妻にし、ノエルを実の娘として正式にプランタン家に迎えた。

 その時、正妻との間に子がいなかった事情からプランタン家の後継として養子になっていた義弟のラウルと顔を合わせることになるのだが、ラウルから見れば正妻を蔑ろにしていた子爵の行いは許せるものではなく、ちょっとした衝突が発生してノエルと義弟ラウルは険悪な仲になった。

 ノエルはこの時、前世の記憶と乙女ゲームらぐらぶの内容を思い出したようだ。

 ゲームの冒頭では、ノエルがプランタン子爵の娘になった事で貴族学校に編入しないといけなくなり、子爵令嬢としての教育を急ピッチで詰め込まれて四苦八苦する様子が描かれた。

 本来の筋書きゲームのノエルは、努力の甲斐あって勉強やマナーなども完璧にこなすようになっていき、編入試験で健闘したノエルを義弟ラウルが見直す形で二人のギクシャクしていた関係が少し改善される。

 筈だったが、ノエルの中身や性能が違えば結果が変わるのは自明の理。

 編入試験はノエルなりに奮闘したようだが、結果は及第点ギリギリだったので本来の筋書きゲームのようにノエルの頑張りは義弟ラウルに認められず、ギクシャクした関係は継続。

 ノエルは義弟ラウルとは微妙な距離感のまま貴族学校へ編入した。

 ちなみに、攻略対象は隠しキャラを含めて七人。

 王道の王子キャラである文武両道で完璧な第一王子を筆頭に、出来る兄がいるせいで劣等感たっぷりな第二王子、脳筋熱血俺様、知的眼鏡先輩、潔癖で訳ありな教師、隠しキャラの謎の青年スルト。義弟のラウルも年下腹黒義弟というキャラ付けで攻略対象の一人だったが、初動がマズかったので攻略失敗。

 切り替えの早いノエルは義弟ラウルとの関係修復は早い段階で諦め、他の攻略対象は上手く落とせた事から『私はこの世界の主人公ヒロインだから多少失敗しても大丈夫』と、根拠のない自信を持ってしまった。

 なので、と謗られようとも、ノエルは逆ハーエンドを目指して何重にも猫を被りまくって貴族子息達を誑し込んでいった。

 その噂は、学年が一つ下の義弟の耳にも入ってきていたので、ノエルに対する好感度は底を突きマイナスになり嫌悪された。

 初動で躓いてしまっているのを忘れ、それでいて楽天的なノエルは隠しキャラだが取り扱い注意なスルトにまで安易に手を伸ばしてしまった。

 結果、ノエルはスルト夫妻の逆鱗に触れ、現在に至る──。





「異世界転生か。なるほど。そういう概念があるのだな」


 ノエルの状況について少しだけ納得したものの、合間合間にどこか見覚えのある人物の姿を見た気がした女神ヘルは内心『まさかな』と思いながらも沙汰を下す。


「こうなった経緯は分かった。乙女ゲームとやらの設定と何故かリンクしてしまっているこの世界の事も。──だが、外側だけヒロインになっても、中身が伴っていなければヒロインとは言えないのではないか?」


 ノエルの記憶にあるゲームのヒロインと、現実の相違を女神ヘルは指摘する。ノエルはキョトンとした顔で女神ヘルを見上げた。


「ヒロインは私なのに?」

「お前がヒロインであるとするのなら、ゲームの筋書きを知るお前が主体となって動いている時点で、ヒロインとはことなる存在であろう?」


 正論を突きつけられたノエルは絶句する。


「そもそもお前は、ゲームのノエルのように行動したのか? お前の記憶にあるノエル・プランタンは結構な努力家だった。だが、実際のお前は本来のノエルのように自己研鑽などせず、色恋ごとにかまけるだけだったように見えるぞ?」


 女神ヘルは、語りながらすいと左手の指先を動かし、水鏡を呼び出した。

 水鏡の向こうの女神ウルズは、世界樹イグドラシルの火消しで大忙しな様子だったが、女神ヘルが空間を繋いだ気配を察したのか、女神ウルズは火消しをしつつ片手を水鏡の方へ伸ばしたので、女神ヘルは手中の虹色の水晶玉を水鏡の向こうに突っ込んで女神ウルズの掌の上に乗せた。


「助かった。礼は後日落ち着いた頃に」

『また今度ねー』


 水晶玉を受け取り懐にしまった女神ウルズは、未だ燻る炎の方へ意識を向けたままバイバイと手を振ったので、女神ヘルはそれに応えるように軽く手を振り返して水鏡から手を引き出し、煙を払うようにその手で水鏡を消した。


「乙女ゲームだもの。恋愛優先するのは当たり前じゃない」


 ノエルがぼそりと呟き、それを女神ヘルの耳が捉えた。ノエルのお花畑ぶりに呆れながら、「恋愛脳、恐るべしだな」とこぼした女神ヘルはノエルの方へ向き直る。


「お前の軽はずみな行動で、世界が滅亡した。そういう意味では。だが、お前の妄想に付き合わされた者達が哀れだ。巻き込まれた無辜の者達も」


 ゲームの主人公ヒロインに転生した事に全能感を覚え、深く考えずに行動してきたノエルに、女神ヘルは容赦なく現実を突きつける。


「お前は世界を滅亡させた咎でニヴルヘル行きが確定だ。通常であれば、フヴェルゲルミルの泉に棲むニーズヘッグや取り巻きの蛇たちに喰われて終わるが、お前はその中でも極刑に当たる消滅出来ない呪いを与えよう」


 女神ヘルはノエルの額に指先を伸ばし、束縛ナウシズのルーンを描いた。

 ノエルの額に描かれたシンプルな二本の線のルーン文字が輝き、額の奥へ吸収されるかのように消えるのを見届けると、女神ヘルは続けた。


「呪いは、お前を永遠に苛む。ニーズヘッグに食われても、胃の中で消化されずに排出される。生前と違い、傷の再生は緩やかでジクジクと地味に痛みが長続きするだろう。──消滅した方がマシだと思うような日が続くだろうが、平穏は永遠に訪れることはない。ノエル・プランタン、お前はそれほどの罪を犯したのだ」


 女神ヘルの裁定に血の気をなくすノエルだったが、それに構う事なく女神ヘルは不意に空を見上げ──空の向こうの何かを捉えた女神ヘルは告げた。


「迎えが来たようだな」

 

 その刹那、赤黒い炎の塊のようなものが空から落ちてきた。

 ドーン! という音のあとに、衝撃が来る。

 小隕石のようなそれは落下地点に小さなクレーターを作り、周辺に土煙を巻き上げたが、女神ヘルの周りには不可視のシールドが張ってあるので頭上からばさばさと降ってくる土を弾いていた。

 一方、その衝撃に耐えられなかったノエルは後方へ軽く飛ばされて尻餅をついてしまい、全身土まみれになっていた。

 空から落ちてきたそれは地中から噴き出す溶岩のような炎の柱を上げると、ぶすぶすと音を立てながら2メートル越の人の形に変化する。

 そのシルエットに見覚えがあったノエルは「ヒッ」と小さく悲鳴をあげ、ガクガク震えながら後ろ手で後退ろうとするも、上手く逃げられなかった。

 ──なぜなら、背後に壁など無かったはずなのに、ノエルの行動を阻む何かがそこに出現していたからだ。

 ノエルはパニックになりながらも別の方向へ逃れようとする。が、彼女の両肩に何かが置かれる感触があった事から、それを見た。

 ノエルの肩には細く繊細な指先があった。


「お前がここに来るのを首を長くして待っていたぞ」


 どこか歓喜に満ちたアルトの声。耳元で囁かれたその声に聞き覚えがあったノエルは、ゾッとなりながら声の主を見た。

 ここへ──ヘルヘイムへ来る前にノエルを殺す為だけに追ってきた炎の巨人の片割れの、燭台の焔のような色の瞳が至近距離にある。


「!」


 瞬間、逃さぬと言わんばかりにノエルの両肩に置かれた手に力がグッと入った。肩の肉に食い込むように爪を立てられたノエルが痛みに顔を歪めている間に、正面に影がかかった。

 見上げなくとも、そこに誰がいるかわかったノエルは声にならない悲鳴を上げて暴れた。小柄なノエルは、巨人族ゆえに身体が大きく腕力のあるシンモラが全体重を乗せた楔のような重い拘束のせいで思うように動くことができない。


「お前がいた世界の地獄を参考にさせてもらう事にした。まず最初にムスペルヘイムで炎熱地獄を体験してもらう。此奴こやつら、お前にトドメをさせなかったのがよほど悔しかったらしい」


 呆れたような女神ヘルの言葉に、ノエルの前に立ちはだかる漆黒の肌に漆黒の髪と瞳の黒ずくめの青年・炎の巨人スルトが凄絶な笑顔を浮かべた。


「不滅の呪い付きのお前を殺すことは叶わぬが、壊れない玩具があるのだ。気の済むまで嬲ることは出来よう?」


 安易な消滅で楽になどさせない。

 スルトとシンモラに挟まれるような形で腕を掴まれたノエルは、そんな副音声を聞いた気がした。

 スルト夫妻に引きずられていくノエルを見送った女神ヘルは、一仕事終えたのでふぅと息をくと、うずたかいの門を開き館の敷地内へ入る。

 そのままプライベートな区画へ移動した女神ヘルは、目的の部屋の扉の前で足を止めノックした。


「どうぞ」


 部屋の主の了承を得て中へ入った女神ヘルは、簡素な二人掛けのダイニングテーブルのチェアに腰掛け、美味そうにエールを飲んで寛いでいた男の前に無言で歩み寄った。

 女神ヘルの目の前に居るのは、死者の選別の混乱が始まったばかりの頃にヘルヘイムへ辿り着いた顔見知りの男。

 その男の名は、ヘルモーズ。彼はオーディンの息子で俊敏のヘルモーズと呼ばれている。


。私に言うべきことがありますよね?」


 女神ヘルがそう訊ねた瞬間、髭面で武骨な男の外見が金髪碧眼の美丈夫な青年のそれに──女神ヘルの父・ロキのものに変化した。


「よく気付いたな」

「巧妙に隠され偽装されていましたが、あの娘の過去の記憶を覗きました故」


 くつくつと笑うロキに対し、呆れたような表情の女神ヘル。


「世界がこうなるのは元々わかっていたのだ。多少早まっても大して変わらんだろう? それにあの娘は逸材だった。お花畑なくせに、変な方向にバイタリティはあったからな」


 嬉々とした瞳で面白おかしく語るロキの言葉に頷く代わりに、深々と溜息を吐くしかできない女神ヘルだった。

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