第3話 バッドエンドのその先で、冥界の女神に説教される《前編》

 世界樹ユグドラシルを支える巨大な3本の根の1つのその先に、霧が立ち込める氷の国ニヴルヘイムがあり──その北の果てに冥府ヘルヘイムはあった。

 何もかもが凍てつく暗く極寒の世界ヘルヘイムは、戦死者の館ヴァルハラへ行くことが出来ない一般的な死を迎えた者が目指す場所である。

 かの地へ行くには、ニヴルヘイムの中央に湧き出ずるフヴェルゲルミルの泉から枝分かれしたギョッル川に架かる黄金の橋ギャッラルブルーを渡らなければならず、そのギャッラルブルーを渡るには橋の監視役である巨人族のモーズグズに名前と用向きを伝え許可を得る必要があった。

 のだが、その日は名前と用向きを聞かずともヘルヘイムを目指す者全てが死者だった事から、モーズグズは死者との問答をせずに無許可で通していた。


(こんな数、私には捌ききれん……)


 監視という体を維持していながら半ば職務放棄していたモーズグズは、内心穏やかではなかった。

 何故なら、死者の列は橋の向こう側からこちらへと伸び、生者の世界へと繋がる暗く深い谷まで続いているからだ。

 それは途切れる気配が無く、こうしている間にも列は伸びる一方だったし、その長蛇の列を目にすれば誰でも嫌気が差してしまう。

 そして、お手上げ状態だったのはモーズグズだけでなく、もう一匹。

 橋を渡った先に口を広げる洞窟、グニパヘリルをテリトリーにしている冥府の番犬ガルムだ。

 ガルムの役目は冥府へ無闇に近づく者たちを追い払い、冥府から逃げ出そうとする死者を見張る事。

 通常であれば、ヘルヘイムに近付こうとする死者に唸り声を上げて威嚇すれば事足りるというのに、ギャッラルブルーを渡ってくる死者の数が圧倒的すぎて、多勢に無勢の状態だった。


「ガルルルル……」


 多数の羊を統率する牧羊犬のように、死者の行動をコントロールするのがガルムの理想だったが、生憎数が多すぎた。

 特に、戦死者の館ヴァルハラ行きが確実だった者の扱いが厄介で、好戦的な者はガルムを見るなり「冥府の番犬ガルム殿だな? お手合わせ願う!」と、力比べを挑んで来るのでいつも以上に消耗した。

 ガルムはこのままでは身がもたぬと思い至り、途中から脱走者を監視する方向へとシフトする。

 そうしている間に、混乱に乗じて脱走しようとする者を見つけたガルムは、うさを晴らすべく容赦なく脱走者の足首に噛み付いて、引き摺るようにしてヘルヘイムへと繋がる出口へと連行する。

 途中、ガルムの主人でありヘルヘイムのあるじである女神ヘルのぼやきが聞こえた。





「あー鬱陶しい! 何故なにゆえ、こんなにも死者が溢れているのだ!」


 女神ヘルは苛立ちながらも、罪がある者は永久凍土の冷獄ニヴルヘルにつながる大きな穴へ向けて小さなボールを投げるようにポイと放り、罪の無い者はヘルヘイムの住人として自分の館エリューズニルを囲むうず高い門の向こうへ投げていた。

 押し寄せる死者達の魂をばばばっと裁定し選別しなければ、いつまでも終わらないからだ。

 心を無にして一連の作業をしていた女神ヘルは、病や老衰などの緩やかな死とは無縁な筈の顔見知りの男と対峙してしまい、思わず声を上げてしまった。


「お前、何故なぜここにいる!」

「たまたま昼寝していたんだが、起きたら周りが炎の海だった。寝ている間に煙を随分と吸っていたようで動けなくてな。その後の記憶が無いからそのまま炎に飲まれてしまったのかもしれぬ」


 ラグナレクで勇猛果敢に戦って散る運命の筈だったその男は、死んだ実感が無いのかヘラヘラ笑いながら回答する。

 その緊張感のなさに呆れる女神ヘルの脳裏を、男の証言通りの今際の際の視覚映像が過ぎった。

 美味いビールと食事でお腹を満たし、ほろ酔いで昼寝へと洒落込んでいた男は、春先だというのに肌や喉を焼く灼熱と息苦しさを感じて目覚め。

 赤と黒の紅蓮に染まる視界を見るや、本能的に逃げなければといても身体が重く、そのまま意識を失い息絶えてしまった。

 目の前の男が戦死者の館ヴァルハラではなく冥府ヘルヘイムへ来てしまった経緯を把握した女神ヘルは、その緊張感のなさからつい「馬鹿者ー!」と怒鳴ってしまう。

 それはほとんど八つ当たりのようなものだったが、話す時間も余裕もなかった事から、女神ヘルは問答無用で男の首根っこを掴み、ヘルヘイムの住人として迎え入れるべく自分の館エリューズニルを目掛けて投げた。

 男の姿が放物線を描いてうず高い門を越えるのを見届けた女神ヘルは、額に滲む汗を袖で拭い、延々と続く死者の列を見渡した。

 注意深く見れば、ラグナレクで散る運命だった戦神や名の知れた勇者の姿がチラホラあった。

 裁定待ちの死者の列が乱れて脱線した処では強者つわものばかりが集まるコミニティーが発生し、寒さを紛らわす為か、はたまた暇つぶしなのか力比べが始まっている。

 ある意味長閑のどかで呑気で、緊張感のかけらのない光景に毒気を抜かれてしまいそうにながらも、死者はまだまだ増え続ける気配があったので、これでは埒があかぬと感じた女神ヘルはエリューズニルに向かって声を上げた。


「誰か手伝え!」





「忙しそうだね、ヘル」


 作業を再開してすぐに、長い間館の居候をしている青年の声がしたので女神ヘルは振り返り──後悔した。暗い所から明るい所へ移動した時のように眩しい光の直撃を受けてしまったからだ。

 女神ヘルは「うっ」とうめきながら咄嗟に片腕で目を覆う。


「見てわからぬか!」


 声の主は存在自体が光というか、その身体から光を発していたので、声は聞こえても姿が見えない。


「うん、死者がいっぱいだ」

「貴様は眩しすぎるから出力を下げろ」

「はいはい」


 女神ヘルの要求で自身の発する光を少し抑えた青年の名は、バルドル。光の神だ。黄金の髪と瞳の、輝くほどの美貌を持った青年の横には、彼の妻ナンナが寄り添うように佇んでいる。


「“はい”は一回で充分だ。それよりも手伝え。こ奴らを早急に選別し、罪のある者はニヴルヘルへ送らねばならぬ」

「骨が折れそうだね」

「折れるな」

「バルドルジョークだよ」

「そんなジョークはいらんからさっさと働け!」


 女神ヘルはのんびりとした性格の光の神の尻を叩くと、作業を再開する。



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