第11話

 サブロウ様?


 老婆が口から発したその言葉の耳慣れない響きに私は一瞬戸惑った。しかし、すぐに私は仰木遥からこの村に向かう途中に聞かされた怪談話を思い出す。それはこの村に伝わる生まれた赤ん坊と生死を共にするという不思議なサブロウ石の伝承である。


 そして次の瞬間。私の背筋に得も言われぬ悪寒が走った。


 目の前で今も呼吸をするように動く幼児の腐乱死体。そんな自らの目を疑うような怪奇な現象と、この土地に伝わるサブロウ石の伝承を重ね合わせた時。私はとうとう、受け入れ難い一つの結論を導き出したのだ。それは、この事件が人間の手によって引き起こされた猟奇的殺人事件などではなく、霊的もしくは信仰的な神秘現象によって引き起こされた怪奇現象であるということだった。


 おそらくこの村の住人である達夫や老婆達は、既にそれを理解していたに違いない。だからこそ不自然に隠そうとしたり、口ごもる様な素振りを私達に見せていたのだ。彼らが警察や救急に連絡をするのを躊躇していたのも当然であった。しかし……果たしてこの常軌を逸した現実に私達はどの様に対処したら良いのだろうか。それを知るには、おそらくこの土地の伝承に一番詳しそうな目の前の老婦人に話を聞くしかないのである。


「お、おばあさん、この子は……涼介君という名前じゃなかったのですか?」


 私は心の動揺を抑えながらも、たどたどしく目の前の老婆にそう尋ねる。この子供が本当に老婆の言うサブロウ様という存在なのか確認したかったのだ。


「いや、生きていた時は涼介じゃったが、今はもうサブロウ様じゃ。」


 返ってきたたったそれだけの言葉が、私にはなんとももどかしかった。もう少し説明をしてくれても良いではないか……そう思わないこともない。しかし老婆の言葉は端的にこの目の前の子供が人ならざる存在『サブロウ』であることを告げている。

 ただ……今、それを知ったところで私は彼女から何をどう聞き出せば良いのだろうか。そして私自信、いったい彼女から何を聞きたいのかも分からない。結局のところ、私と老婆の間では現状把握さえままならない空虚な会話がいくつか交わされただけであった。


 そして、大きな足音を立てながら達夫がこの部屋へと戻って来たのはそんな時だった。おそらく私達の話が聞こえていたのだろう。彼はいきなり無遠慮に私達の会話へ割って入ると、部屋から出て行った時の様に苛立った口調で老婆へと怒鳴りつけた。


「人が生き返るなんてことがあってたまるか。ばあちゃんはサブロウだとか言っちょるがわしは認めんからな。」


「達夫、もうこうなってはどうにもならんど。」


 二人ともこの状況に対して、何らかの共通の知識があるのだろう。恐らくはそれは村に伝わる伝承というものであることは間違いない。しかし老婆の言葉は今のところ状況がもう後戻り出来ない場所へと足を踏み入れていることを示している。


「どうにもなるかならんか、やってみにゃわからんじゃろが。」


 再び達夫が声を荒らげた。そして達夫は今さっき外から持ってきたであろう、ナタとまな板を畳の上に無造作に放り出す。


 その途端。仰木遥がそれを見て慌てて声を上げた。


「た、達夫さん。そのナタで……もしかしてこの子を……。」

 

「ああ。ばあちゃんが言うようにどうにもならんかったら、最後はこの子のあたまをかち割らないけんじゃろ。けどそれは最後の手段じゃ。その前にまだ出来ることが残っとる。」


「でも、それじゃそのナタで何をしようと……。」


 少し怯えた表情の仰木遥は、もしかしたら目の前の子供をまだ人間だと思っているのかもしれない。しかしもうそれは人ならざるもの『サブロウ様』なのである。達夫は彼女の言葉を無視して二つの遺体の前にしゃがみ込む。そして手に取ったナタの先で、おもむろにその遺体を触り始めたのだ。そんな状況を私達一同は何も出来無いまま固唾をのんで見守っている。


「よく見てみい。この子と母親の間を紐のような何かが繋いでるじゃろうが。」


 不意に達夫は、無惨に広がっている母親の臓物の中から何やら細長い器官の様なものを手にとって私達に見せた。そのグロテスクな有様に私は思わず目をそむけたが、視界の端に捉えたそれは細長い腸などの消化器官のようにも思えた。そして、それが彼の言うように母と子の腹から腹へと繋がっているではないか。それはまさに胎児と母親を繋ぐのように……。

 腹を割かれた母親と、呼吸さえしていなければただの腐り果てた幼児の遺体。どこをどう見ても死を連想させるこの二つの遺体の中で、私には何故か二人を繋ぐ紐のような《何か》だけが異常に生命力に満ち溢れたものに見えてならなかった。


「多分……へその緒じゃ。もしかしたら母親と臍の緒を繋げてもう一度生まれようとしよるんかもしれん。」


 ぽつりと言った達夫の言葉がやけに私の心に刺さる。この二人はこんな有様になってまで母子という関係を続けようというのか……。


「そんな……。臍の緒って……。」


 思わず私の口から出てしまった言葉は、虚しく宙に浮いたまま結局だれに拾われる事もない。ただ重苦しい空気だけがその場を支配する。


 そして、しばらくして再び達夫が誰に聞かせるわけでもなく、それはまるで吐き捨てるように……。


「そんなもんわしらが知るわけなかろうが。ばあちゃんだって昔話で知っちょるだけじゃ。」そう呟いた。

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