第8話

 私達は死者がこのようなけがされかたをされてはならないことを本能として知っている。だからこそ私も、仰木遥おおぎはるかも胃から込上げる吐き気を押さえる事が出来なかった……。おそらくそれは、見た目のグロテスクさだけではなく、死体をもて遊ぶことへの極度の抵抗感なのだろう。言わば本能の拒否反応である。


――許せない。


 そんな正義感めいた気持ちが被害者の顔見知りである仰木遥にはもちろんあったろう。しかしその時、同じような気持ちが私の中で湧き上がったかと言われれば、それは私にも良くわからない。例えばそれは単純に不可思議な事件への興味本意。もしくは怖いもの見たさの野次馬根性だったのかも知れない。しかしこの時の仰木遥との会話をきっかけにして私はこの事件に深入りしていくことになるのだ。




 再び暗闇へと踏み込んだ私達は、先程とは異なりまず入口の広い土間で目を慣らしてから奥の部屋へと進んで行く。すると、まず土間の横には古民家特有のだだっ広い座敷があり、その奥にもいくつかの座敷がふすまで隔てられて横に並んでいる。そして、最初に私が廊下だと思い込んで歩いていた場所は片側が木製の雨戸で閉ざされた広縁ひろえんであることが分かった。その他ににも、一度目は極度の緊張の為にきちんと把握出来ていなかったが、昼間だというのにここまでこの空間が真っ暗なのは全ての雨戸が締め切ってある為であったことも分かった。そして一番奥の遺体のある部屋へと続くその広縁は何故か泥水でも塗りつけたかのように黒く汚れていた。


「ねぇ、この廊下ちょっと汚れてますね。」


 仰木遥はその泥を踏んで、私と同じ様にそれに気がついたらしい。彼女はしきりに汚れてしまった足を気にしている。そして実は私も先程から濡れてしまった靴下がなんとも不快でならない。


「おそらく犯人が土足で踏み込んだんだろう。」


「あぁ、そうですね。その人が涼介くんの死体をお墓から掘り起こして、そのまま土足で踏み込んだのなら……。」


「亡くなったお子さんは涼介くんっていうのかい?」


「ええ。二週間前に川で溺れしまって。直ぐに川下かわしもふちで見つかったらしいんですけど……その時は既に息を引き取っていたそうなんです。」


「なるほど。その子供の遺体がねぇ……。で、君はあの黒いをその涼介くんだと思うんだね。」


「はい。でも、あの傷み具合なんではっきりとは言えませけど、背格好が似てました。それに……棺に収めた時に着ていた白い着物も。」


 よく見ている。まったくこの仰木遥という女子は、よくあの状況でこんな冷静な観察が出来たものだと私は呆れた。そう言えば、さっきみずからグロ耐性がどうのとか言っていたが、どうやらそれは嘘では無かったらしい。ならば私はこの明るいだけが取り柄だと思っていた田舎娘いなかむすめに対して、少し見方を改めなければならない。

 

「まさか、そこまで観察していたとはびっくりだ。よくぞそこまで。十秒と保たなかった私は君には頭が上がらないよ。それに……さっき言いそびれてしまったが……私は泣き出した君にかこつけてあの場所から逃げ出そうとした。申し訳ない。こんなタイミングでアレだけど、謝罪だけはしておきたくてね。」


 少々不躾しょうしょうぶしつけではあったが、私はここで彼女に詫の言葉を述べなければならなかった。再びあの部屋へと足を踏み入れるその前に自分としてのケジメはつけておきたかったのだ。


「そんな……謝らないでくださいよ。こちらのほうこそこんな変な事件に無関係のあなたを巻き込んでしまってごめんなさい。それに……。やっぱり安城あんじょうさんがいてくれてちょっと心強かったですし。今もこうやって一緒に来てくれた訳ですから。」


 みっともない姿を見せてしまった私の事を気遣ってか、彼女はそんな言葉を私にかけてくれた。そして私は、その言葉を文字通りに受け止めることにして、今度は感謝の意を込めてもう一度彼女に深く頭を下げる。目の前の彼女はそんな私の姿を見てニコリと微笑んだ。




 さて、そんな会話をしつつも、薄暗い広縁に立つ私達には、先程から奥の部屋からの話し声が聞こえていた。あの極端に無反応な村人達が被害者の遺体を目の前にして何やら少し揉めている様子なのだ。内容ははっきりとは分からないが、とりあえず私にはそのように聞こえた。


「ばぁちゃん。だから早う切っとけって言ったんじゃ。」


 それはおそらく達夫の声。ばぁちゃんというのは彼の母親のことだろう。あの意味深な言葉を言ったおばあさんに違いない。そしてもう一人の女性は話の流れから言って達夫の妻。その三人が私達が聞いているのを知ってか知らずか遺体のことで何やら言葉を交わしいるのだ。


「そうは言っても、動きよるんじゃ切るわけにもいかんじゃろう。」


「バカなこと言うなばぁちゃん。死体が動くわけなかろう。あんなの迷信にすぎん。」


「そうですよ。お母さんだってさとしさんが慌てて走っていく所を見たでしょう。」


「そうじゃ。夫の聡が……。あいつが犯人に決まっとる。そうじゃなかったら逃げる必要なんてありゃせん。」


 そんな会話が奥の部屋から微かに漏れ聞こえた。その内容に私と仰木遥は思わず顔を見合わせる。被害者である香苗かなえの夫が、この猟奇的な事件を引き起こしたと彼らは言っているのだ。確かにこの場所に本来いるべきである被害者の夫の姿は無い。だが……、もし彼らが夫が逃げる姿を見たというのなら、何故それを私達に黙っていたのだろうか。他所者の私はまだしも、この集落に村おこしなどで深く関わっていた仰木遥にまで黙っている必要は無いはずである。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る