第5話

 私が慌てて駆けつけた時。彼女は、変わり果てた姿の女性を目の前にして、フルフルとその細い体を小刻みに震わせて、なんとか立っているのがやっとといった状態であった。知人のこんな凄惨な姿を見れば、いかに元気いっぱいな彼女であってもやはりショックが大きかったのだろう。私は今にも崩れ落ちてしまいそうな彼女の横に駆け寄ると、慌ててその肩を支えた。


はるかさん。入ってきたら駄目だって達夫さんに言われたでしょ。」


 私は彼女の肩を支えながら、さとすような口調でそう言った。おそらく達夫さんは血まみれのこの凄惨な現場を彼女には見せられないと思ったのだろう。しかし、それでも彼女にとっては知人の生死がかかっている状況なのだ。親でもないこの男性がさすがにそれを強制することは出来ない。


「そんなこと言われても、私、香苗さんのことが心配で……。」


 結局、そう言って彼女がここまで来てしまったことは、さすがに止めようの無い事であったのだろう。しかしながら、達夫さんの忠告を無視してこの場所にやって来たことは彼女自身の選択である。つまり事ここに至れば彼女にはいくら辛い現実があったとしても受け入れてもらうしか無いのである。


「まぁ、残念ですが見ての通りですよ。」


「これって、香苗さん……死んじゃってるんですよね………。」


「もちろん亡くなってるでしょうね。これだけ大量に血を失えば……。今、ちょうど私が警察に電話をしようとしてたところです。」


 そこでやっと現状を理解出来たのだろう。なんとか気を張って頑張っていた彼女は、とうとうその場に泣き崩れてしまった。


 あまりにも突然起きてしまった現実を受け止め切れなかったのだろう。無理もない。彼女はこの二つ谷の村おこしを担当していたと言うから、この土地に新たに移り住んで来たこの女性への思い入れも相当深かったに違いないのだ。

 しかし、出会って半日と経っていない彼女のことを、知ったような言葉で慰めてやることなど私にはまだ出来るわけもなく……。けれども、私の心情としてはなんとかして彼女のことを慰めてやりたかった。そんな私が唯一出来ることといえば、彼女が崩れ落ちた際に支えそこなった左手を、そのまま彼女の肩に添えたままにして、ただじっと彼女が落ち着くのを待つことだけだった。


 そして、彼女が落ち着くまでの……おそらく数分間がじっと静かに過ぎていった。しかしその間も三人の年寄達はと言うと、何故かひたすら黙ったまま動こうとはせず当てにはならない。結局は私しかこの現場で動ける人間はいないのである。私はそんな現状に置かれた自分がなんともと滑稽でただただ呆れるばかりであった。しかし、そんな時。つい今さっきまで崩れ落ち泣いていた彼女が、突然奇妙なことを言い出したのだ。


「あ、あの……今、香苗さんのお腹が……動いた様な……。」


「え?お腹がどうかしましたか?」


 その時私は咄嗟のことに彼女の言葉の意味よく理解出来ずにいた。しかし私の声に応えてもう一度彼女が同じ意味の言葉を言った時、当然私はその言葉を疑った。


「遥さん。しっかりしてください。そんなの気のせいに決まってるじゃないですか。こんなに失血して生きていられる人間なんていませんよ。」


 ショックを受けすぎて、彼女は現実を受け入れることが出来ないんだと私は思った。先程まで泣き崩れていた彼女は今、その両目を見開いてひたすら動くはずのない死体にその視線を注いでいる。

 

「だってほら。今もピクピクって、香苗さんのお腹が少し動いた様な……。これってもしかして香苗さんはまだ生きてるんじゃ?」


 あまりにも真剣な眼差し。そして言葉。


――あぁ駄目だ。この娘はショックのあまり正気を失っている。

 

 私がそう思ったのは至極当然のことだったろう。


 とは言うものの、結局私は彼女の真剣な言葉につられてまさかとは思いながらも、足元の死体にその目を移してみた。が、案の定死体の腹部など動くはずがない。


 しかし……


 私はこの時、この足元に横たわる女性の死体のとある異常さに気がついてしまったのだ。


 いや、そのことに私は最初から気がついていたはずだった。ただあまりにも状況が異常で切羽詰まっていた為に、私はそれへの回答を後回しにしていただけなのだ。


 そう。私が触れずにいたその異常さとは、この女性の死体の腹部が異常に膨れ上がっているということであった。

 もちろんそれは妊婦だとかそういうレベルの話ではない。毛布越しにも分かる程にいびつに膨れ上がったその腹部。それはまさに遺体の腹部にまるで別の生き物が覆い被さっているかのような……。


 そして、次の瞬間。私はその腹部が突然ビクンと動くのを見た。


「まさか……。」


 私は、自分の目を疑う。しかしその横で彼女は確信を得たかのように叫んだ。


「やっぱり生きてる。ねぇおばあちゃん。香苗さん本当は生きてるんでしょ。」

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