第4話

 建物の中へ一歩足を踏み入れて私は辺りを見渡す。おそらくは広い土間の様な場所なのだろうが、目の前は全くの闇。私にはその空間の広さすら推し量る事が出来ない。それもそのはずである。カンカン照りだった屋外からいきなり室内に入った私はまだ薄暗い室内に目が追いついていなのだ。

 しかしながら、玄関の外で不安そうに見つめる彼女をそこに置いたままで、私は男性に押し込まれる様にその暗闇の先へと踏み込んで行く。ただしその闇の深さから私にもその先がかなり奥の方まで続いていることだけはなんとなく分かった。

 ただ……。そんな闇の深さよりも私を不安にさせるのは室内に入った瞬間からの鼻をつく異臭である。いや、その臭いがとにかく尋常じんじょうではないのだ。考えたくはないが、もしかしてこれは腐臭というやつでは無いだろうか。そんな最悪の事態が私の脳裏をよぎる。この異様な雰囲気において、私が想像することはただ一つ。ここの住人が亡くなったままに放置されていることであった。わざわざこんな山中の集落で腐乱死体とご対面などとは全く洒落にならないが、この瞬間に私は確信した。


 この暗闇の先には私が一番見たくない物がある……。


 残念なことに薄暗い室内に目が慣れるまで、さほどの時間はかからなかった。出来ることならあのまま何も見えなければどれだけ幸せだったろうか。だが、その男性は怖気づく私を建物の奥へ奥へと案内する。そして私はといえば必死に視線を天井へと向けて、おそらく足元に倒れているであろう死体をその目に入れないように、ただそれだけを意識して奥へと進んで行く。


 次第に強くなっていく臭いに、私は胃からこみ上げる物を感じながらも、なんとか必死に理性を保ち、とうとうに足を踏み入れた。


 その部屋では二人の女性が待っていた。歳の頃で言えば私の母親と祖母くらいであろう。おそらくは農作業を中断して慌ててこの場所に駆けつけたのではないだろうか。頭にかぶったままのほっかぶりや、手につけたゴム手袋を彼女達はまだ外してはいなかった。

 そして先程からチラチラとは視界に入りながらも見まい見まいとしていた足元のに、私は意を決して視線を向けた。

 そこには、やっぱり一人の女性が倒れていた。おびただしい血液が畳の上に飛び散って見るも無惨な状況ではあったが、私はそれが腐乱死体ではなかったことにホッと胸を撫で下ろした。

 下半身に掛けられた毛布は多分二人の女性が後から被せたに違いない。女性はきちんと衣服も着用していたし目立った外傷もない。多分掛けられた毛布の下に傷口があるのだろうが……


「警察に電話はされましたか?」


 こんなやばそうな事件ならさっさと警察に引き渡すに限る。そう思った私はまずそれを二人に尋ねた。もちろん現場に居合わせた彼女達だって同じように思ったはずである。私は当然のようにそう思っていたのだが……。二人からは何故か少し温度差のある返事が返ってきた。


「おや、男の人じゃの……。さっき遥ちゃんの声がしたけ、慌てて毛布をかけよったんじゃが。」


 なんとも能天気な返事に、私はもう一度同じ質問を繰り返した。


「あの、警察に電話……。」


 しかし、女性二人は顔を見合わすばかりでほうけたように何も答えようとはしない。おそらく二人共ショックで頭が追いつかないのだろう。私はそう解釈をして、すぐに自分の電話機をジャケットの内ポケットから取り出した。しかしながらこの場所は携帯の電波が弱く、私は何度か通話を試みたものの、なかなか警察には繋がらない。


「すみません。このお家の電話ってどこにあるかわかりませんか?」


 私は、まったく気の利かない女性二人を諦めて、今度は部屋の外に立っていた達夫という男性にそう尋ねるのだが……「しかしのぅ……これは警察に電話してええのんじゃろか……。」と、そんな調子で彼の返事さえも何故か要領を得ないのだ。


「何言ってるんです。こんな大量の血を流して人が倒れて居るんですよ。こういう時はまず警察と救急に電話するもんなんです。だから早く電話機を!」


 私は、とうとう苛立ちを隠せなくなって声を張り上げてしまった。まったくここの人達はいつまでこの死体をこの場所において置くつもりなのだろうか。結局私は、役に立たない年寄達を放っておいてこの見知らぬ家で一人電話機を必死に探すはめになったのである。事件現場を荒らすなどと言う言葉が頭をかすめたが、今はそんなことも言ってはいられない。


 しかし、そんな時。玄関で待ちきれなくなった彼女、仰木遥おおぎはるかが達夫の言葉を破って現場へとやって来てしまったのである。


香苗かなえさん!どうして……」


 悲鳴にも似た彼女の声が家中に響いた。それを隣の部屋で聞いた私は慌てて電話機を探す手を止めて彼女の下へと駆け寄った。

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