二つ谷

第1話

 その日、私は朝早くから中国山地の山深い小さな町、産川町うぶかわちょうの役場を訪れていた。


 国交省の職員である私は、職種がら日本全国津々浦々の様々な地域を訪れることが多いのだが、この町を訪れた私の第一印象は、「産業といえば林業と農業だけの、自然だけが豊かなさびれた自治体」と言った程度で、私にとってその町は特に何の変哲もないありふれた普通の田舎町だった。

 しかしながらこの廃れていくばかりの自治体も、先日大々的に発表された一大国家事業『リニア高速鉄道』という巨大土木事業によって、これからしばらくはその恩恵を享受することになるのである。今は何も知らない住民達も、すぐにそれに気がつくことになるだろう。もはやこの町は林業と農業だけの町では無い。一夜にしてこの自治体は林業と農業そしてリニアの町になったのである。


 そして私、安城あんじょうてるはこの度、このリニア新幹線中国ルート予定地の文化的及び信仰的な観点からの現地調査の為に、国土交通省から派遣されてこの町へとやって来たのである。



 町の担当職員との事務的な話を早々と終えた私は、夏の陽ざしが照りつける産川町役場の玄関先で、ただ灰色で四角いだけの古ぼけた建物を見上げた。


「かなり年季が入ってるなぁ……。」


 私は思わずそうつぶやいていた。しかし、この建物も近いうちに立派な建物へと建て替えられるに違いない。これからはこの自治体にも多額の資金が投入されるだろう。大型公共事業とはそういったものなのだ。


 

 建物の裏から真っ白な軽自動車を回して来てくれたのは、この産川町役場の若い女性職員だった。軽自動車とはいえ、なんとも手際良く正面玄関の横にバックで駐車を決めた彼女が、これからリニアルートの候補地を順番に車で案内してくれるらしい。だが、そうは言っても面積の九割が山林のこの産川町では候補地のほとんどが車の入ることのできない山林である。そのため我々は役所からさほど時間のかからないふただに地区へとまずは向かう事となった。


「それじゃ、この近辺もリニア鉄道の候補地に入っるんですか?」


 運転席でハンドルを握る若い職員は、先程まで役場で相手をしてくれていた土木課の職員とはまた別の部署、地域振興課の職員だそうだ。そんな彼女はこの度のリニア計画を先程上司に聞かされて初めて知ったらしい。


「いやいや、まだまだ候補地を絞ってる段階だからね。でもこれ絶対に他の人には言っちゃ駄目ですよ。噂になっちゃうと不動産屋やら反対派やら、直ぐにややこしいのがたくさん寄って来るんだから。」


 まぁそうは言っても、こんな話は立案段階から様々な思惑が絡み合って、とっくに内容は外部に漏れているだろうし、私の他言無用という言葉もあくまで建前なのである。しかし隣の彼女にとっては、そのような裏事情などさほどの興味もい無い様子である。


「ちゃんとわかってますって。安心してください。」


 そんな彼女の冗談めかしたなんとも軽い返事に私は少し辟易へきえきする。おそらく、役所でも下っ端の彼女にとっては、リニア計画などある意味その程度の重さなのだ。聞けば彼女は役所の仕事を始めてから今年でもう六年目だという。高卒で働き出したと言うから、私より年は若くても職歴から言えば大学院を出てから働き始めた私よりも一年先輩である。しかし彼女の明るさや見た目の幼さがそれを感じさせることは無い。必要以上に茶色い髪色や少しヤンキーっぽさも感じられる安っぽいメイクが、良くも悪くも地方の垢抜けない少女といった感じだが、その性格はなんとも人懐っこく愛嬌がある。私は、車が走り出して十分じゅっぷんと経っていないというのに、既にそんな彼女を気に入り始めていた。


「今日はちょっとした下見だから。本格的な計画はこれからだよ。多分今日だけじゃなくてここには何度か来ることになるだろうね。」


「じゃぁ、次も私がこの町を案内しますね。私、この町が大好きなんですよ。景色の綺麗な場所とかたくさん知ってますから今度はそこも案内させて下さい。」


「それは楽しみだ。まぁ、今回の調査は例えば御神木ごしんぼくとかおやしろがあるとか、どこの土地にも地元住民が昔から大切している何かがあるでしょう?そういう文化的信仰的なことも含めての調査なんです。だから、今あなたの言った綺麗な風景や景観なんかも私の調査の対象に入るんですよ。」


 そんな私の仕事内容は、実際に簡単には理解してもらいにくい仕事ではある。しかし私がそう言って笑った時、彼女の顔が前よりも少し明るくなった様な気がした。やはりこのような大型の公共事業が突然舞い込んで来れば、誰しも「住んでいる土地が大きく変わってしまうかも知れない」という不安に駆られるものだ。先程それを知ったばかりの明るい彼女でさえ、それは例外ではないのだろう。もしかしたら綺麗な景色を見せたいと言ったのもそんなちょっとした不安がきっかけになったのかも知れない。


「でも、国家的なプロジェクトのなのに、そんな事まで気にかけるなんて意外ですね。」


「そりゃあ、上の先輩方や先人達には苦い経験がたくさんあるからね。昔はおかみの力でゴリ押しもできたんだろうけど、このご時世では地元住民との対話というのがとても重要なんだよ。万が一ボタンのかけ違いなんてのが起きちゃうと下手すりゃ工期が十年以上伸びてもおかしくないんだ。」


「そんなもんですか。私達みたいに田舎の役場努めじゃぁそんな話も滅多に聞きませんもの。今はちょうど最近出来たゴルフ場の芝生の維持に使う農薬で少し揉めてるくらいで……。」


「ゴルフ場ですか……では、それも調査結果に入れときましょうか?」


 なんとなく彼女に気に入られたくなった私は、少しおどけてそう言ってみる。しかしまぁ、私が彼女にどんな感情を抱いているかは別にして、自治体職員とのこういった砕けた会話も将来の布石ふせきとして考えれば、後々のちのち役に立つかも知れない大事な仕事なのである。


「ほんとお願いしたいぐらいです。だってゴルフ場のオーナーさんがちょっとアレで、この前も苦情を伝えに行ったら物凄く怖い顔をしてくるんです。」


「えっ……。それはちょっと……。やっぱり遠慮しとこうかな。」


「ちょっと嫌がらないでくださいよ。本当、むちゃくちゃ怖いんですから。」


 話の内容とは裏腹に、明るい彼女の笑い声が小さな軽自動車の車内いっぱいに響く。私もそれにつられて自然と口元が緩んだ。


 そして、少し肩の力が抜けてきた彼女との、そんな他愛もない会話もそろそろ尽きてきた頃。彼女はおもむろに車のハンドルを右へときった。車は幅の広い幹線道路から、車一台ならなんとかなりそうな山道へと入っていく。私なら少々尻込みしてしまいそうな細い道を、彼女は慣れた手付きでスイスイと登って行く。


 鬱蒼うっそうと茂る木々の間を、右へ左へと大きくうねりながら進む車に私が身を任せていると、程なくして目の前の視界がパッと開けた。


「これは……。」


 私は、目の前に広がる風景に思わず言葉を失った。それは日本国中を探せば、直ぐにでもみつかってしまいそうな風景……。しかしそんな風景に出会う度に私は毎度言葉を失ってしまう。

 

 それは人々が神々と共に暮らしてきた時代より連綿と受け継がれてきた日本の原風景とでも言うべき風景。しかし、現代社会において言い方を変えてしまえば、そこは日本全国のどこにでも見つけることの出来る寂れた山間部の限界集落と呼ばれる場所。


「ここが二つ谷地区です。私、ここからの景色がすっごく好きなんですよね。」


 若い彼女の名前は仰木おおぎはるか。彼女は峠の一番見晴らしの良さそうな場所に車を止めて、さも得意気にそう言った。

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