おっちゃん
「泥棒!」
それは城に向かう朝に聞こえた声だった。
泥棒だと声が響き渡った直後、俺は何故か鮮明にその声の出所に目が向き、同時に慌ただしく走って近づいてくる音も同時に耳に入った。
(……なんだ? この感覚)
足音だけではない、息遣いさえも耳に届く。
視線の先からは市場の中を走り抜けてくる男が見え、彼は正面に立つ俺を見てその顔を歪めた。
(……悪意を感じる。奴の視線から)
奴がたぶん泥棒と言われている張本人だ。
手に小さな袋を持って走っているし、その後ろを数人の騎士が追いかけているのでほぼ間違いはなさそうだ。
俺よりも大柄の男……ただ、全然怖くはなかった。
「おら退きやがれえええええええ!!」
大きな声と共に、拳を振りかぶって男は迫る。
その男をジッと見つめていると……まるで世界の動きが遅くなったかのように、男の動きがゆったりと俺には目には映る。
俺はその動きに合わせるように上体を低くし、拳を交わして思いっきり真下から顎に目掛けて拳を振り抜いた。
「がふっ!?」
自分で思うよりも綺麗にパンチが決まった。
たった一発で目の前の男は地に沈み、後に追いかけていた騎士に拘束されて事件は解決した。
俺は騎士を含め小袋を盗まれた人にも感謝をされた直後だった。
「何もなかったみたいね?」
「っ!?」
周りの人からも賞賛されていた時、背後から抱き着いてくる人が居た。
まあ声と雰囲気で全て分かったのだが、それはもちろん人間体のルナで彼女は耳元で囁く。
「もしもあなたの体に傷の一つでも付いていたら大変なことになっていたわ。まあ私のモノを取り込んでいる以上、万が一はないでしょうけれど」
どうやら俺に近づく悪意に反応して来てくれたみたいだ。
たぶんドラゴンの世界で人に変身した後、魔法でここまで駆け付けてくれたんだろうことは容易に想像出来た。
それだけ彼女に想われていることは嬉しかったけれど、もしも俺に何かあったらどうなっていたか……ないとは思うが、ここいら一帯が火の海になったりはしないと思いたい。
「おはようルナ」
「えぇ。おはようゼノ」
いつも思うが、彼女のような人離れした美人が現れるとまた違った騒ぎになる。
しかし今日の彼女は顔を隠すフード付きの服を着ているので、神聖な雰囲気はさすがに隠せていないがあまり視線を集めていないことからこの姿は正解だろう。
「……って、サッと流したけど良いのか?」
「良いのよ。私のすることに誰も文句は言えないわ。そもそも誰かに迷惑をかけているわけでもないから」
「確かにな」
「さてと、それじゃあ今日は久しぶりにあそこに行かない? こうして色々と知られてから行かなくなったし」
「あ~……そうだな」
確かにあの泉で出会う必要もなくなったからなぁ。
あそこは俺とルナにとって思い出の場所なので、今日はあそこで過ごすことにしようかな。
「あ、そうだ。なあルナ、ちょっと良いか?」
「どうしたの?」
俺はルナに会ってほしい人が居た。
まあ誰かと言うとおっちゃんになるんだが、俺の親代わりみたいな部分はあるので少しでも良いから会ってほしかった。
それをルナに伝えると彼女は快く頷いてくれたので、元々歩いていた道を戻り始めた。
「あ、ちょうど良かったな」
「みたいね」
宿の前で掃除をしているおっちゃんを見つけた。
おっちゃんは戻ってきた俺を見て首を傾げているが、隣のルナを見て更に困惑の色を強くした。
「おっちゃん!」
「ゼノ、お前仕事に行ったんじゃ……」
「そうなんだけどさ。ちょっと会わせたい人が居たからよ」
そう言うとルナは一歩前に出た。
美しい所作でフードを外したことで、彼女の隠されていた美貌が姿を現した。
「……おいおい、これはどういう?」
「初めまして。長い間、彼がここでお世話になっていると聞いたわ。なるほど、確かに優しい心の持ち主のようね?」
ルナの言葉にいよいよおっちゃんは助けを求めるように俺を見た。
確かに普通の言葉ではなく、そんな風に言ったらおっちゃんでなくても混乱はするだろうと苦笑した。
ルナの肩を抱き、彼女と並ぶようにして俺はこう伝えた。
「彼女はルナ、俺が結婚することになった女性なんだ。出会ったのは随分と前だけど色々あって仲良くなって、それで互いに互いを大切だと思える間柄になった」
「……ふふっ」
嬉しそうに身を寄せてきたルナに微笑み、俺は言葉を続ける。
「その……おっちゃんは俺にとって親代わりみたいな存在なんだ。こっちに来てからずっと世話になってるし、だからいの一番でないのが申し訳ないけど、俺の大切な人を良い機会だから会わせたかった」
「ゼノ……お前」
しばらく呆然としていたおっちゃんだが、段々と瞼に涙が溜まっていき、その大きな腕で目元を隠すようにして泣き出してしまった。
まさか泣かれるとは思っておらず、俺は慌てたがルナは変わらず微笑んでいた。
その微笑みはまるで慈愛に満ちた母のようで、ドラゴンの女王であり母でもあるルナに似合う表情だった。
「そうか……昨日聞いちゃいたが、こんなに綺麗な人をなぁ。凄いじゃないか」
がははと笑っておっちゃんは近づいて俺の肩の背中を叩いた。
ルナに目を向けたおっちゃんは、俺の頭に手を置きながらこんなことを口にした。
「ルナさんだったか。俺は別にこいつの親父ってわけじゃねえ……だがよ、ある意味で息子みたいなもんだと考えていた。こいつはとても良い奴ってのは俺が保証する。だからルナさん、どうかこいつを支えてやってくれよ」
おっちゃんにそう言われ、ルナはおっちゃんの手を取った。
基本的に彼女は俺以外の異性に触れることはなかったが、優しい眼差しのままルナは頷く。
「もちろんだわ。どちらかといえば私の方が支えられる側だと思うけれど、でもお互いにかけがえのない存在として支え合うことも誓うわ」
……これ、眺めている俺はどこかこそばゆい感覚だ。
でもそれ以上に嬉しくて、おっちゃんがボロボロと涙を流していなかったら俺の方が泣きだしていたかもしれない。
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