深淵の獣
「……ルナ」
「……誰なんだ?」
突然現れたルナに困惑するリトを置いて、俺はただただジッと彼女のことを見つめていた。
いつも見ていた安心させてくれる笑顔を浮かべる彼女だけど、俺は今の状況においては必死にどうにかしなければならないと頭を働かせる。
(どうしてルナがここに……彼女を傷つけさせるわけには行かない!)
俺たちを拘束する二人が高い能力を持った相手というのは分かっているので、もしも彼らの矛先がルナに向いたらと思うと動かずには居られなかった。
俺は背後で動きを止めた女の隙を窺うように、ここだと思ってその拘束から逃れるために前に踏み込んだ。
「……あれ?」
しかし、俺の予想に反して簡単に拘束から逃れることが出来た。
リトを助けたいのは山々だが、まずはルナの安全を確保するため、彼女を背に庇うようにした。
「大丈夫よゼノ、私は大丈夫」
「……ルナ?」
後ろに居るルナが絡みついてきた。
腕だけでなく足も俺の体に絡めるように、その豊かな胸の感触さえも押し付けるように彼女は背後から抱き着いたのだ。
「……撤退だ……逃げるぞ!」
「分かってるわ!!」
「……え?」
男はリトを置き去りにし、女もすぐにこの場から跳躍して夜の闇に消えた。
背中に感じていた刃物の切っ先、その尖った感触が柔らかなモノになってしまったなと呑気なことを思いつつも、俺は一旦ルナに離れてもらってリトの傍に向かった。
「大丈夫か?」
「あぁ……ただ、ちょっと痛むかもな」
殴られたところが赤く腫れていたが、予め怪我をした時の為に買っておいた薬草が家にあるとのことで心配はないらしい。
「そちらの彼は大丈夫そう?」
「あぁ……ってなんでルナがここに!?」
「あ~……うん、ちょっと散歩をしていたらね」
「散歩って……」
あんな奴らが居るかもしれないこの路地を散歩だって?
いやまあ確かにああいうのが現れることは滅多にないので、別にそのことに対して危ないだろうと文句を言える立場でもない……でも、俺としてはとにかくルナの身に何もなかったことが安心出来た。
「ルナ」
「あ……」
つい彼女の元に駆け出してその華奢な体を抱きしめた。
驚いた様子のルナだったけど、彼女はクスッと笑って俺を両手で抱きしめて耳元でこう囁いた。
「あなたが無事で良かったわ。それに……咄嗟ではあったけど守ろうとしてくれたその背中がかっこよかった」
「……俺には何もできないよ。体を張るくらいしか」
「それでもよ。それでもあなたは素敵だった」
こういう時、何も力がないからこそ騎士たちのような存在が羨ましくなる。
武器を手にしても重さに振り回されるだけだし、簡単な魔法さえも魔力がないから使えない……力が欲しいって考えてしまう。
ただ、今は自分のことはどうでも良い。
まずはルナのこともそうだし、あのような二人組が居たことについては報告しないといけないだろう。
「あの二人については安心して」
「え?」
「私が魔法を使えるのは知っているでしょ? だからお城の方に連絡は行っているから大丈夫よ」
「そうなの……か?」
「えぇ、だから安心して今日は帰りましょう」
そう言ってルナは俺の手を引くのだが、当然の疑問をリトは口にした。
「なあゼノ。いかにもお前と親しそうにしているその女性は誰なんだ?」
「……あ~」
その後、少しだけリトにルナのことを紹介した。
ただ……いくらルナが魔法で城に連絡したとはいえ、俺の方もどうなったか明日ルーナの元に行く前に確かめることにしよう。
でも本当に誰も傷つくようなことがなくて良かった。
「……そのまま城に連れて行け。話は通してある」
「ルナ?」
「ううん、何でもない。色々と気になることはあると思うけど、まずはあなたを宿に送り届けないとね♪」
▽▼
二人は逃げ続けていた……それこそ、王都から出てからもずっとその平野を息が切れるのもお構いなしに走り続けていた。
「な、なんなのよあの化け物は!?」
「分からん……だが、あの言いようのない威圧感は説明が出来ん」
二人が思い出すのは白銀の女だ。
月明かりに照らされたその姿は天女のように美しく、男も女も状況を忘れて見惚れるほどに美しかった。
しかし、その瞳に携えられた深淵を彼らは見たのだ。
「……寒気がなくならない……何よこれ」
中でも特に女の反応は顕著だった。
直接声を聞いたわけではないのに、その男から離れろと脳に直接声が聞こえたかのようだった……だからこそ、拘束から抜け出した男に何もアクションを取ることが出来なかった。
「すぐにイザストリアに戻る」
「そうね。こんなの予想外――あれ?」
そこで女はおやっと首を傾げた。
ずっと男と並走していたはずなのに自分の体が地面を滑ったのだ。
「……あれ?」
起き上がろうとして起き上がれない、その状況に女は困惑する。
何が起きているんだと自分の体を見た瞬間、女は血の気が引いた。
「あ……あぁ……あああああああああああああっ!!」
甲高い悲鳴が響き渡った。
女が目を向けたのは自分の腰……そこから先がなくなっていた。
何かに噛み千切られるように腰から下が失われており、ダラダラと大量の血液が流れて行く。
「助け……」
助けて、そう相方の男に声を掛けようとした時に彼女は見た。
相方の男の首から下を何かが駆け抜けたかと思えば、男は首から下を全て失って地面に転がったのである。
「……これは……なんだ……なんなんだこれは!?」
しかし、首だけになっても男は死ななかった。
そしてもう一つ気付いたのは腰から下がないのに痛みを一切感じない……それはあまりにも不自然だ。
バサバサっと、何かが舞い降りた。
数は二体で二人を見下ろす巨大な影……それはドラゴンだった。
「ドラゴン……」
「……これが」
そのうちの一体が体を動かし、女の胸元に嚙みついた。
バリバリと骨が砕け、ムシャムシャと血肉が裂け……そうして男と同じように首だけになっても女は痛みを感じずに生きている。
「これは……夢?」
これは恐ろしい悪夢だと思わずには居られなかった。
男と女は乱暴にドラゴンたちに咥えられ、そのまま向かう先は王都の城であり玉座だった。
「そなたたちが侵入者か」
「っ……」
「……アンタは」
玉座に座る男、ドラゴニスの王たるリヒターは彼らを見下ろす。
「首だけを残して命を繋ぎ止める……か。つくづくルーナ殿の魔法は凄まじい」
「な、何が起きているんだ!?」
「私たちをどうするっての!?」
「王都に潜入し、ましてや国の抱える調竜師に手を出したことは許されん。未遂に終わったとしても、背後関係を全て吐かせるまでだ」
リヒターは更に言葉を続けた。
「諦めるが良い、そなたたちはこの国においてもっとも偉大なるドラゴンの怒りを買ったのだ。そなたたちの体は元には戻らん、頭だけを残して意識が繋がれているのは魔法のおかげである――その魔法が解けた時、そなたたちは死ぬ」
それは正に執行された後の死刑宣告だった。
頭だけを残して生き永らえる……そんな魔法を知らない二人は困惑したが、心を覆うのはどうしようもない絶望と諦めだ。
「人間とドラゴンでは感性が違う。国の為に非情になることを余は既に恐れることはないが、それでもルーナ殿には勝てぬ――脳さえ残っていれば良いだろう、後は任せるとその言葉通りにしたルーナ殿にはな」
そうして、ゼノが知らないところで全ては解決された。
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