第4話 ■─灰は桜に。捨てた推し。─■

「いや無理だろぉ……」


 少年との飲み会から逃げた路地裏。春の夜、ゴミバケツの中に、灰になっては回収待ちのあたしがいた。


◆─2─◇


 居酒屋から出て近くのスーパーやコンビニを探し回ったものの、茜さんは見つけられなかった。

 自販機で水を買い、一口。冷水で喉を潤してからまた歩き出す。


『少年はなんで小説書いてるんだい?』


 いつかの問いの答えはまだ見つけられていない。僕にとって最初の読者は茜さんだけど、では茜さんの為に書いていたかと問われれば、僕はまた口をつむぐだろう。


 ふと入った路地裏。空を見上げるとぽつぽつと星が見えた。僕は歩きながら考える。


「変わらないな」


 こうやって夜道を徘徊するのも、小説を書く理由を考えているのも、小説を書いてる自分も、茜さんのことが好きな自分も、言葉も、冴えない顔も昔と大して変わらない。


 ──思えば、ずっと『ずっと』を繰り返していた。


 と。ゴミの散乱する路地裏の途中で、やけに細長いダンボールと猫が戯れていた。


「…………」


 ゆっくりと歩いて猫の密会に近づいてみる。……と、すぐに野良猫は逃げてしまい、捨て猫も隠れてしまった。別にいい。目的のダンボールを覗いてみる。中には──




「に、にゃあ」




 




 ……あぁ、そうか。

 捨てていた推しがいたのだ。


『面白いじゃん』


 茜さんの言葉を聞いたその日。スキップで帰っては新しい小説を書き始めた自分。茜さんに恋をして、煩い心臓の鼓動オトで夜眠れなかった自分。小説家茜さんを輝かしい目で追っていた自分。とうに捨てたと思っていた、自分の推しと彼女の推し。──最初の、推し。


 そんな彼が、僕のことをキラキラした瞳で見つめている。否、見張っている。じっ、と。未来のお前はどうなのかと、問う。


 せめて。昔の自分の前では、カッコつけないと──。


「僕は──「少年」


 声の主の方へ振り向くと、そこにはゴミバケツが置いてある。……気づけば段ボールに入っていたのは僕ではなく、捨て猫だった。

 いつの間にか抱えていた捨て猫をゆっくりと段ボールに降ろして、ゴミバケツの蓋を開ける。


「浮気かい?」


 体育座りをした茜さんが入っていた。


「なにしてるんですか、こんなとこで」

「…………」


 珍しく茜さんが黙り込む。


「とにかく家に戻りましょう。服、汚れてますよ」


 茜さんの手を取ると、彼女はきゅっとこちらの手を強く握り返してきた。


「あたしはね、臆病者だ」


 彼女は俯いたたま言葉を続ける。


「高校の時はさ。人間関係とか将来が怖くて小説の世界に逃げてた。誰かの世界に入り込めば、現実から目を逸らせるから。

 ブイになったのもチヤホヤされたいけど人とは付き合いたくないから始めたことだ。それも自分の勝手な都合でやめちゃって……あたしはとことん面倒臭い女だ。嫌なことを酒で忘れることしかできない女なんだ」


 未だ俯いたままの彼女の頬には一筋の涙が見えた。その表情は初めて見たものだった。


のがその証拠だよ。──それでも。それでも君ぁ、赤坂 茜っていう名前の女のことを、好きだっていうのかい?」


 顔を上げる彼女。

 僕は手を離さない。

 チカチカと点滅するネオンサインも、転がる空き缶も、こちらを見つめる捨て猫も、そんな路地裏の光景は霞んで見えて、ただ彼女だけにピントが合っている。


「はい。好きです。だから改めて、付き合ってください」

「…………酔って、る?」

「シラフです」


◇/3/◆


 あたし達は並んで帰路を歩く。学生時代はあたしの方が背が高かったけど、いつの間にか抜かされていた。


「人の人生は桜みたい……か」


 少年は時々難しいことを言う。


「生き方もなにも、僕たちは昔とそう変わらないと思うんです。それは散っては咲いての繰り返しで、時々訪れる花盛りに一喜一憂して、燃え尽きて灰になることもある」


 コンビニで買った缶ビールを一口呷り、あたしは頷いた。なんとも小説家である彼らしい言葉だ。


「あたしゃずっと灰のままな気がするよ」

「そんなことないです!」


 突然、少年があたしの手を取った。あたしは驚いて缶ビールを落としてしまう。……彼の手の力は強く、そして熱かった。警察に手錠をかけられた犯人の気分だった。


「茜さんが灰なら、僕がきっと、咲かせてみせます」


 そんなことを真面目顔でいわれると、とても、ひどく、困る。


「爺さんになるまで一緒に居てほしいってことかい?」

「そ、それは……違います」


 暗くてもよく分かる。彼の顔は赤い。


「あたしは一緒に居たいよ。

「は──へ、ぇっ!」


 例えこの瞬間に神様がバツを付けようと、あたしはそれを大きな花丸で塗り潰してやろうと思った。

 あたしの花盛りは、きっと今から始まるのだと。──強く、思った。




◾灰は桜に。捨てた推し。/了

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