第4話 ■─灰は桜に。捨てた推し。─■
「いや無理だろぉ……」
少年との飲み会から逃げた路地裏。春の夜、ゴミバケツの中に、灰になっては回収待ちのあたしがいた。
◆─2─◇
居酒屋から出て近くのスーパーやコンビニを探し回ったものの、茜さんは見つけられなかった。
自販機で水を買い、一口。冷水で喉を潤してからまた歩き出す。
『少年はなんで小説書いてるんだい?』
いつかの問いの答えはまだ見つけられていない。僕にとって最初の読者は茜さんだけど、では茜さんの為に書いていたかと問われれば、僕はまた口をつむぐだろう。
ふと入った路地裏。空を見上げるとぽつぽつと星が見えた。僕は歩きながら考える。
「変わらないな」
こうやって夜道を徘徊するのも、小説を書く理由を考えているのも、小説を書いてる自分も、茜さんのことが好きな自分も、言葉も、冴えない顔も昔と大して変わらない。
──思えば、ずっと『ずっと』を繰り返していた。
と。ゴミの散乱する路地裏の途中で、やけに細長いダンボールと猫が戯れていた。
「…………」
ゆっくりと歩いて猫の密会に近づいてみる。……と、すぐに野良猫は逃げてしまい、捨て猫も隠れてしまった。別にいい。目的のダンボールを覗いてみる。中には──
「に、にゃあ」
十年前の僕がいた。
……あぁ、そうか。
捨てていた推しがいたのだ。
『面白いじゃん』
茜さんの言葉を聞いたその日。スキップで帰っては新しい小説を書き始めた自分。茜さんに恋をして、煩い心臓の
そんな彼が、僕のことをキラキラした瞳で見つめている。否、見張っている。じっ、と。未来のお前はどうなのかと、問う。
せめて。昔の自分の前では、カッコつけないと──。
「僕は──「少年」
声の主の方へ振り向くと、そこにはゴミバケツが置いてある。……気づけば段ボールに入っていたのは僕ではなく、捨て猫だった。
いつの間にか抱えていた捨て猫をゆっくりと段ボールに降ろして、ゴミバケツの蓋を開ける。
「浮気かい?」
体育座りをした茜さんが入っていた。
「なにしてるんですか、こんなとこで」
「…………」
珍しく茜さんが黙り込む。
「とにかく家に戻りましょう。服、汚れてますよ」
茜さんの手を取ると、彼女はきゅっとこちらの手を強く握り返してきた。
「あたしはね、臆病者だ」
彼女は俯いたたま言葉を続ける。
「高校の時はさ。人間関係とか将来が怖くて小説の世界に逃げてた。誰かの世界に入り込めば、現実から目を逸らせるから。
未だ俯いたままの彼女の頬には一筋の涙が見えた。その表情は初めて見たものだった。
「未だに君のことを名前で呼べないのがその証拠だよ。──それでも。それでも君ぁ、赤坂 茜っていう名前の女のことを、好きだっていうのかい?」
顔を上げる彼女。
僕は手を離さない。
チカチカと点滅するネオンサインも、転がる空き缶も、こちらを見つめる捨て猫も、そんな路地裏の光景は霞んで見えて、ただ彼女だけにピントが合っている。
「はい。好きです。だから改めて、付き合ってください」
「…………酔って、る?」
「シラフです」
◇/3/◆
あたし達は並んで帰路を歩く。学生時代はあたしの方が背が高かったけど、いつの間にか抜かされていた。
「人の人生は桜みたい……か」
少年は時々難しいことを言う。
「生き方もなにも、僕たちは昔とそう変わらないと思うんです。それは散っては咲いての繰り返しで、時々訪れる花盛りに一喜一憂して、燃え尽きて灰になることもある」
コンビニで買った缶ビールを一口呷り、あたしは頷いた。なんとも小説家である彼らしい言葉だ。
「あたしゃずっと灰のままな気がするよ」
「そんなことないです!」
突然、少年があたしの手を取った。あたしは驚いて缶ビールを落としてしまう。……彼の手の力は強く、そして熱かった。警察に手錠をかけられた犯人の気分だった。
「茜さんが灰なら、僕がきっと、咲かせてみせます」
そんなことを真面目顔でいわれると、とても、ひどく、困る。
「爺さんになるまで一緒に居てほしいってことかい?」
「そ、それは……違います」
暗くてもよく分かる。彼の顔は赤い。
「あたしは一緒に居たいよ。秀道くん」
「は──へ、ぇっ!」
例えこの瞬間に神様がバツを付けようと、あたしはそれを大きな花丸で塗り潰してやろうと思った。
あたしの花盛りは、きっと今から始まるのだと。──強く、思った。
◾灰は桜に。捨てた推し。/了
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