第3話 ■─灰者は此処に。推しと推し。─■

/二〇十二年。


「あの、それっ」


 その出会いは、どんな比喩すら足らぬ程の衝撃だった。

 春の土壇場。出会いと別れの吹き荒れる蒼の季節のその最中、春風に揺れるぼさぼさ髪は今でも鮮明に覚えてる。


「これ、君の小説?」


 昨晩拾った小説の作者だという彼は冴えない顔をしていた。でも目を離せない。視界のピントは彼にだけ合っている。


 この瞬間、一目惚れをしたと口にできたらどんなに愉快なのだろう。


 もちろんそんな勇気は無いので、


「面白いじゃん」


 君ではなく小説キミに愛を告げたのだ。


◇/2/◆


 少年との再会から半年以上が経った。随分とお話をカットしたけど、その半年のほとんどが酒を飲んで暴れるあたしとそれに振り回されつつ小説を書く彼の四コマ漫画みたいな光景ばっかでつまんないので、カットだ。


 あたしも臆病者で、お酒という名のガソリンが無いと何もできない。


「二日酔いだぁ……っ、少年……みぶ…………み、ず」

「大丈夫ですか?」

「だいじょばない…………」


 もっと。もっとだ。

 彼は夢を追っている。毎晩パソコンとにらめっこして、勝ったり負けたりしている。もっと攻めないと、きっと振り向いてもらえない。十年前の二の舞になるだけだ。


◇/3/◆


「ねぇ~え~っ、キスしよーよ」

「嫌です」

「なんでぇ」

「酒を口移ししてくるからです」

「えぇ~? だってお酒飲みゃハッピーになれるでしょ? んでキスしたらハッピーになれるでしょ? じゃあ酒飲んでキスしたらウルトラハッピーってことじゃア~ん!」

「…………」

「ほらぁ、口開けろ~」


◇/4/◆


 なんか昨晩勢いで口移しキスしてたけど、ていうか彼も初めてじゃなさそうだったけど、あれ、れ、あれっ……。


「ファーストキスの味……覚えてないぃ…………うぶぇ」


◇/5/◆


 今日は少年が決めた禁酒・デー。


「地声の配信観てたなら中の人があたしだって分かったんじゃないの?」


 一リットルの麦茶をラッパ飲みする。

 酒が恋しい。


「中学生の時以来ですし……もしかしてとは思いましたけど、確信まではできません」

「そう? んー。それにしても君ぁ、あたしに二回惚れたわけだ」

「む……」


 少年の顔はお酒を飲んでいる時より赤くなってた。可愛い。


「つまり君ぁあたしのこと大好きなんだ」


 追い討ち。


「そっ、れは違います」


 明後日の方に逃げる視線。手に取ったメモが逆さまだぞ少年。


「何がぁ」

「違うから違いますッ!」

「小説家とは思えん反論だね」


◇/6/◆

/二〇十三年。


「僕は、茜さんのことが、」


 春風の温い雷雨の朝。桜の木の下での、学生時代最後の会話。

 少年の勢いに心身共によろめきそうになるが、なんとか持ちこたえて続きを待つ。


「あき、あか茜さんのこと、ずっと……ずっ、尊敬してました!」

「…………へ?」

「え?」


 答えを手にしたテストのようなものだと思っていた。百パーセントの答えを身構える作業だと思っていた。


「…………君、噛みすぎぃ」


 阿呆な顔をこれ以上見せないようにいつもの作り笑いをする。こうすればあたしのだらしのない乙女顔を隠すことができるのだ。


「あたしも最後に、いいかな」


 恋のアディショナルタイム。ほんとにほんとの最後のチャンスだ。

 一年溜め込んだ言葉を、吐き出すんだ。

 さぁ、さぁ──!


「少年のことさぁ、ずっと、」




『■■さんまた観に来てくれたんだー! ありがとね~っ! 愛してるぜッ』




『あたしちょっとトイレ休憩行ってくるー。みんな他の子の配信行くなよ~?』




「ぅぇっゲぁ、──ハぁ」


 胸の異物を吐き出そうとするけど、口から出てくるのは朝食だけ。


「なにやってんだろうね……あたし」


◆─7─◇


 捨て猫茜さんを拾ってから一年。


「あ、おかえりぃ、副業お疲れぇ」


 仕事から帰ると部屋に茜さんがいる生活にもそろそろ慣れてきた。


「副業なのは小説家の方ですよ」

「なぁにぃ? それでもてっぺん目指す小説家かァ~?」

「今日何本開けたんですか」

「…………。ごまかしのチュ!」


 口を口で塞がれた。さも当然のように舌も入れてくる。唇は柔らかく、舌は熱い。なによりお酒臭い。


「六本ですね」

「アタリぃ」


 えへえへと笑う茜さんに釣られて僕も笑ってしまう。本当は飲み過ぎについて注意するべきなのだが、彼女の笑顔には敵わない。


「小説の進捗はどう?」

「あと5ページ推敲したら終わりです」

「そっか。……ね、執筆が終わったらあたし達の関係ってどうなるの?」

「それは──」


 ずっとはぐらかしてきた問題だ。茜さんは小説のインスピレーションの為に僕の彼女になってくれただけ。本当の恋人ではない。

 ……正直。そんなのは些細な問題だ。僕は彼女のことを心の底から愛している。恋人にしたいと思っている。もう一歩近づくか否かの違いだ。──だから、決めた。


「茜さん。少説ができたら、二人で飲みに行きましょう」

「お~っ! 少年から誘ってくれるなんて珍しいじゃん」

「一年かけた作品ですから。あと、一つ大事な話があるので」

「ハナシ?」

「その時に、話します」


 僕は茜さんに告白する。


「そっかぁ。じゃ、約束ね」


◇/8/◆


「確定告白じゃん」


 翌朝。年甲斐もなく自分のベッドの上で足をバタつかせるあたし。


「キスも……えっちも一応したし……義務みたいなもん……かな。それでも、な」


 あの雨の日にあたしが言えなかったこと。リベンジを果たす絶好の機会だ。


 けど。


「あたし、少年に見合う彼女なのか……?」


 彼は色んなものを追っている。小説家も、あたしも。それに比べてあたしは何も無い。ていうかこんなことで悩んでる自分のことが嫌いだ。


「迎え酒じゃ……」


 なんだか自分にムカついてきたので、傍にあった缶ビールに手を伸ばす。

 ──もう、空っぽだった。




「……うし。あたしも告るッ!」




◾灰者は此処に。 推しと推し。/了

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