第2話 ■─散っては灰に。拾う推し。─■

『紙本ライトノベル新作売上第一位!』

『紙本ライトノベル新作売上歴代二位!』

『原作小説累計発行部数六十万部突破!』


 僕の花盛り。


「また君の小説?」


 それはほんのあっという間のこと。


「うん、面白くない」


 新作のプロットをダメ出しされた帰り道。春の夜、咲きかけの桜の下には、散って灰になった僕がいた。


◆─2─◇


 茜さんと別れて十年が経った。オリンピックもとっくに終わり、世間はワールドカップに盛り上がっている二〇二二年の春。思い返せば、この十年小説漬けの日々だった。


 鹿児島に引っ越した茜さんとはもう会えないと思っていた。ここ横浜だし。さらに言えば僕たちに接点なんてない。学校も学年も違う近所のお姉さん。放課後に小説を読んでもらうだけの関係。


 けど、もし僕が人気小説を書き上げ、作品が世に出れば、遠く離れた場所から『面白い』と言ってもらえるかもしれない。


 だから書き続けた。


 高校生になる頃には小説投稿サイトが盛んになっていて、僕も投稿を始めた。もちろん最初は読者が増えなかったけど、タグを増やしたりタイトルを長くするうちに人気が出るようになった。


『あ、伸びてる……』


 気づかないうちに書いて読んでもらうのではなく、読者を稼ぐために書いていた。

 小説家としてデビューする頃に初恋の思い出も忘れていて、ただひたすらに連載の新しいヒロインのことばかり考えていた。


『で、次の女の子ヒロインはどんな感じ?』

『えと、常に夜の街を徘徊しているミステリアス系小説家……みたいな。口癖は──』




「なんで小説書いてんだろ」




 そんなつまらない自分の記憶を遡る内に我が家に着いた。マンションの八階の一番右端が僕の部屋だ。


 マンション下のごみ捨て場前を通ると、やけに細長いダンボールと猫が戯れていた。


「捨て猫と野良猫か」


 中々珍しい場面だ。そうだな、捨て猫がおっさんの転生先で野良猫が実は美少女の猫娘……仕事病だ。死にたくなってきた。

 この沈んだ顔つきを治そうと猫の密会に近づいてみる。……と、すぐに野良猫は逃げてしまい、捨て猫も隠れてしまった。なんだか悔しいのでダンボールを覗いてみる。


「開かん」


 捨て猫って普通拾われたい願望を持っていると思うのだが、なぜだかダンボールが開かない。人間嫌いの捨て猫なのだろうか。

 力付くで開けてみる。するとそこには、


「に、にゃあ」


 人が、いた。

 さらにその声は、


「は、はざっ、狭間レド……?」


 推しの声だった。

 さらにさらにその人物は──


「少年……?」


◆─3─◇


「久しぶりだねぇ、少年」


 僕の初恋であり推しであり捨て猫であった経歴を持つこの人物は、机をひとつ挟んであぐらをかいて座っている。キャミソールワンピース一枚という衝撃の格好なので僕は視線を落とすしかない。


「茜さんはいつから横浜こっちに帰ってきてたんですか?」

「んー……三年くらい前かなぁ。にしても同じマンションなんて。三年も住んでて気づかないたぁね」


 いつも引きこもってるからな。僕。


「ですね。灯台もと暗しというか……」


 もはや灯台が暗かった。


「よもや灯台暮らしっつってね!」


 がはは、と茜さんは豪快な笑い方をする。


「変わらないんですね」

「そうかね」

「なにか飲みます?」

「ビール。次ビール。次の次もビール」

「酔って捨て猫ごっこしてたのもう忘れたんですか?」

「吾が輩は猫である」


 猫の構え。


「なりきってる……」

「名前はまだないが同情するなら酒をくれ」


 名も道徳も無い猫がいた。


「帰ってください」

「名前も無いのに家があると思ってるのかにゃっ!」


 無敵である。


「拾わなきゃよかった……」


◆─4─◇


 翌日。茜さんの家。


「本当にレドだったんですね……」


 流石に配信の機材等は残っていなかったが、ゲームの大会優勝時のトロフィーやチャンネル登録者が百万人を越えた時に貰える金の盾が狭間 レド名義で飾ってあった。


「点検とかで業者さんが来た時とか大変なんだよ~。片付けないと身バレしちゃうし」


 茜さんの部屋はシンプルだった。仕事用と思われるデスクにはパソコンが二台。他にはベッド、家具諸々。写真も飾ってなければ趣味と思われるモノも無い。


「折角来たしお酒飲む? 安酒だけど」

「あの、一つ聞いていいですか?」

「んぁ?」


 知らぬ間に拳に力が入っていた。


「どうして引退したんですか?」


 相変わらずキャミソールワンピ一枚姿の茜さんだが、その姿とは関係なく僕は彼女に目を合わせられない。


「……ふむ」


 茜さんは考える素振りを見せるが、それも五秒ほどの事で、


「イヤになったからかな」

「イヤ、と言いますと」

「だってさ。視聴者のみんなはあたしの事を好きって言ってくれるけど、それはレドのあたしであって本当のあたしじゃない。あたしはみんなにとって最高のレドを演じるただの機械なわけだ」


 何も答えられない。


「……そんな顔しなくても、あたしも分かってるよ、少年。んなこと当たり前のことだし、他のアイドルも同じことで苦しんでると思う。けどさぁ、」


 固まった空気に耐えられなくなったのか、茜さんはパックのお酒にストローを刺して、一気に飲み始める。

 パックがくしゃっと潰れる頃には、茜さんの頬は少し紅潮していた。


「人間は論理の生き物じゃない。暴論をぶちまくケダモノだ。辛いもんはどこまでも辛いよ」

「…………すいません、こんなこと」

「いいのいいの。ファンなら気になるでしょ。ネットで変に炎上とかさせないだけ、ウチのリスナーはみんないい子だ。……ちなみにどの配信が好き?」

「で、泥酔雑談枠っす……」

「んじゃあ酒飲もうぜっ!」


◆─5─◇


「じゃーんっ! あたしの小説部屋~!」


 寝室を紹介すると連れられて来た部屋には、ど真ん中に構える白ベッドとそれを囲む本棚。魔女の部屋といった感じ。


「凄いですね……何冊あるんですか?」

「百から先は数えてないね。幼稚園の頃から集めてっから。あと童話の絵本とかもあるよ。『花咲かじいさん』とか」


 紙芝居から海外小説、最近のライトノベルまで幅広く並べられた本の列の中には僕の小説もあった。


「これ……」


 思わず取り出してみる。初版だ。


「君の小説だね」


 小説を手にしたまま振り返ると、ベッドの上でパックの酒に口をつけた茜さんがこちらを見つめていた。


「読んでたんですね」

「そりゃあもちろん。ファン一号だぞ」

「…………。僕の小説は、どうですか?」

「そりゃあもちろん──」


 茜さんはにっと笑って、




「クソおもんねぇや」




◆─6─◇


「タイトルがアホみたいになげぇわ新巻の度にヒロインが出てくるわ主人公は鈍感陰キャイケメンとかいうテンプレ中のテンプレだわ天ぷらにして揚げてやろうかァ!?」

「ぐう」


 の音が出た。


「だ、だってそうしないと読者がついてくれないんですよっ!」

「読者の為に小説書いてんの?」

「そりゃそ……あれ」


 なにか喉に詰まる異物を感じた。


「少年はなんで小説書いてるんだい?」

「それは……っ」


 言い返せなかった。


「……ほら、リビング戻ろ。作戦会議だ」

「なんのですか」

「決まってるだろ。あんな天ぷら小説じゃなく少年にしか書けない小説の為の会議だ」


◆─7─◇


「全部が全部クソなわけじゃないよ。去年に出してた新作は昔の君の作風が混じってて面白かった」

「でも売れてません」

「む……。少年に足りないのは少しのリアルと濃い目のラブだ。売れないのは君の書きたい世界と需要に応えたいというバランスが取れてないからじゃないかな」


 創作者にとって客観的な意見ほど有り難いモノはない。年間何百冊という小説を読んでいる茜さんの言葉なら尚更だ。一升瓶が両手になければもっと頷けるのだが。


「ま、リアルリアルってブイやってたあたしが言えることじゃないけどね。アイドルってのは人一倍嘘をつく職業だし」


 聞き覚えのある言葉だった。


「一応言っときますけどファンの人は茜さんの地声知ってますよ」

「へ」

「切り抜きでも泥酔して地声で発狂してキーボード叩き割る動画が視聴数一位ですし」

「…………ヤケ酒だぁッ!」


◆─8─◇


 ヤケ酒に付き合った翌日。二日酔いの頭痛で目を覚まし、コップ一杯の冷水を呷る。


「…………っ」


 デスクチェアに座り、キーボードに手を伸ばしてはゆっくりと文字を打っていく。パチ、パチ、と早朝の小鳥の囀りに合わせるように響くタイピング音。


「これだ……」


 ターン、と。最後にエンターキーを押して、僕は背を伸ばした。


 新作のタイトルは──


◆─9─◇


「捨て推し……つまり君の話か」

「はい。アルコールでイカれた頭で一晩中考えて、今一番面白いのって異世界でも学園でもなく、この現実世界なんじゃって」

「ふぅん……ってこたぁあたしがヒロインになるわけじゃない?」


 胸のどこかがぎくりと軋む。

 僕は聞いてないフリをした。


「それは……違い、ます」


 明らかに声が震えていた。

 僕は知らないフリをした。


「ふぅむ。んじゃあたしと付き合お」

「そうですか……ですっ、はぁい?」

「あたしもオニゴロシを抱きながら君についてよぉーく考えて気づいた。君に足りないのは刺激なのだとっ。だからあたしが君の借ヒロインになったろう!」

「酔ってます?」

「シラフだよ」

「…………」

「…………」


 沈黙。返答の是非。ざわめく胸は蘇った酔いのせいか、甦った恋のせいか、僕には判断ができなかった。


「よろしくっ、お願いします」


 その返事が正しかったのかは僕にも彼女にも分からない。この世界の答案用紙は神様が手にしていて、気まぐれにマルとバツをつけていくのだから。それに畏怖するのが人生なのだから。──でも僕は。


 僕の顔を見て微笑む茜さんの顔を見ると、やっぱり全てがどうでもよくなるのだった。




◾散っては灰に。拾う推し。/了

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