〖短編〗捨て推し

YURitoIKA

第1話 ■─桜の下に。私の推し。─■

 その出会いは、どんな比喩すら足らぬ程の衝撃だった。

 春の土壇場。出会いと別れの吹き荒れる蒼の季節。春風に揺れる大きなサイドテールと髪の黒は今でも脳に焼き付いている。


「これ、君の小説?」


 そう言って彼女は冊子の表紙をこちらに見せつける。ワードで作った愛想の無い文字の列と、客観的にみればイタくて仕方がないタイトルは僕の小説だった。警察手帳を突きつけられた犯人の気分だった。


 僕は黙って頷いた。彼女はまた口を開く。次に発せられる言葉は『気持ち悪い』だとか『暇人』だとか、そういった僕を貶すものだと思った。けれど彼女は──


「面白いじゃん」


 にっと笑って、そう言った。


 桜の木の下。公園のベンチ。青い空。散っては舞う花弁。そんな春の景色は霞んで見えて、ただ彼女だけにピントが合っていた。


◆─2─◇


 茜さんとの出会いから半年以上が経った。随分とお話をカットしたがその半年のほとんどが彼女に小馬鹿にされる僕の四コマ漫画のような光景ばかりなので、僕の人生権限でカットだ。思い出すとただでさえ変な顔がもっと変になるので、カットだ。


 僕は小説を書き上げる度に茜さんに読んでもらった。


 茜さんは毎回『面白い』と言ってくれる。こんな自己満足の塊みたいな僕の作品をいつだって評価してくれる。嘲笑うのではなく、にっこりと、作者にとってこれ以上無いほど欲しい言葉を口にして笑うのだ。


 ……今日も茜さんの家で僕の小説を読んでもらっている。


「うん、いいね。おもろい」


 無防備にスカートでベッドに寝転がり、僕の小説をぺらぺらと捲っている。目のやり場が無いので僕は正座で延々と自分の拳を睨むしかない。


「小説はね、書いた人の世界が見えるからおもろいんだ」

「僕の世界はどうですか」

「面白いよ。皮肉と世界への偏見と憎しみに溢れていて」

「それ、褒めてます?」

「ばっかだねぇ。人類なんて神様から見たらにわかの溜まり場なんだからさ、心なんて枷を与えた以上偏見と憎しみで溢れていて当然だよ。寧ろ溺れてないだけ優秀だ」


 茜さんは時々難しいことを言う。


「だから好きなの。少年は口数が少ないけど、その分を小説にぶちまけてる気がする。この小説は少年の世界で、あたしは少年の世界が好き」


 にこにこ顔でそんなことを言われると、なんていうか、ひどく、困る。


「んー? 少年の世界が好きってことはぁ、つまりあたしゃ少年のことが好きなのかな」

「は──へ、ぇっ!」


 正座が解け、顔が溶け、だらしない声を上げる。僕の様子を見て、茜さんはけらけらと笑う。


「おいおいおいぃ。君は小説家だろう? いいかい、人間はみんな嘘つきで、小説家はさらに人一倍嘘つきじゃなきゃいけないんだ。嘘に慣れないと、ってけないぞ」


 黙って頷くが、僕のむすっとした顔がまた可笑しいのか、茜さんはげらげらと笑った。何か言い返したかったが、何故か口を開けなかった。

 それは単に彼女に見惚れていたからだと気づいたのは、数時間後の話だった。


◆─3─◇


 それからさらに半年後。桜の木の下での出会いから一年。あの時は快晴なのに雷が落ちたような覚えがあるけれど、今日に関しては本当に雷雨がやってきていた。

 妙に目立つ赤色の傘がターンしたと思えば、彼女の顔が見える。その表情は初めて見たもので、なんだか胸がざわついた。


「あたし引っ越すんだ」

「鹿児島。親の都合でさ」

「ほんっと、三年生っていう大事な時期なのにさ、参っちゃうよね」


「それで」「それから、」「それにっ」


「だからもう、会えないかも」


 なんて返事をしたのだろう。僕はどんな顔をしていたのだろう。どんな目でどんな口でなにをして──


「君の小説も、読めな「茜さん!」

「……っ」


 僕が彼女に声を荒げたのは初めてで、それはきっと怒りとかいう感情ではなくて、もっと窮屈で今にも破裂しそうな心のバグで──


「僕は、茜さんのことが」




『ずっとずっと好きでした』




『イカヅチさん赤スパありがとう! ウチも大好きだよっ! 元気でね!』


 パソコンのキーボードから手を離し、次に伸ばした手の先には缶ビール。

 ──だった。




「……結局、あの時なんて言ったんだっけ」




◾桜の下に。私の推し。/了

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