第3話 怪物さん

 『ぐぎゅるぅぅぅ〜〜!』

 マグカップから漂う甘いココアの匂いが広がり、少女の鼻腔を刺激するとお腹の虫が騒ぎ出す。彼女のみすぼらしい服装から考えても裕福な暮らしをしていないのは一目瞭然だ。腹の主張からしても日々の糧が満足に与えられていないのかもしれないとウォザディーは考えた。


「いっ、頂きます……」

 恥ずかしさで顔を真っ赤にした少女は小さな声でそれだけ言うと、恐る恐るマグカップに手を伸ばす。何度か軽く触れてそれが持てる熱さであると確かめられると、両手で持ち上げて口元に運んだ。

『ふーふー』

 息を吹きかけながらゆっくりとマグカップを傾けてココアを少し口に含む。熱さが大丈夫だったのだろう、彼女はそのままコクリと小さく喉を鳴らして飲み込んだ。


「わあ! 美味しい!」

 少女は思わず声を上げてしまう。

「それは良かった。熱いから慌てずに飲めよ」

「もしかして、貴方は“迷いの森の怪物さん”ですか」

 ココアの甘く優しい味わいと、変に同情してウォザディーが特に優しく話しかけた事が相まって、少女は目の前の者が巷で噂されている怪物さんに違いないと思った。


「怪物? 随分な言われようだな。これでも昔は美男子で通っていたんだぞ」

「ふふふ、怪物さんたらおかしな事を言うのね」

 ウォザディーは不服な表情を浮かべる。

「確かにここに篭って30年経って多少は老けたかもしれないが、流石に怪物と言われる程は崩れていないと思うのだがな」

「ふふふ、どう見ても怪物さんだよ。ちょっと待ってね」

 少女は背負っている年季の入ったリュックを下ろすとガサゴソと中を漁りだす。


「はい」

「…………」

 少女が取り出した手鏡をウォザディーに向けてくれる。

 それを見て彼は絶句してしまった。鏡に映った彼の姿は髪はボサボサで髭も伸び放題、子供の頃に読んでいた絵本に出て来る“山の怪物”のような風貌をしていたのだから。

「成る程な。この容姿では怪物と呼ばれるのにも納得だ」

「そうでしょ。やっぱり迷いの森の怪物さんなのね」

 少女は目をキラキラ輝かせている。


「まてまて。さっきから迷いの森と言っているが、ここはガンデュオ大陸で一番美しいと言われるルイシネ樹海だぞ」

「えー、違うよ。ここは迷いの森の中なのでしょ?」

 はっきり否定しておきながら問い掛けて来る少女に驚いたが、結界の件を思い出したウォザディーは納得した。

 少女は結界をすり抜けてしまい、仕込まれていた転送の魔法によってこの家に飛ばされて来た為に、現在位置を把握していないのだろう。

「そうか、俺の結界があるから『迷いの森』なんて名で呼ばれるようになってしまったんだな……」


「良く分からないけど、元気出してね怪物さん」

 由緒正しい名を渾名で上書きしてしまった申し訳なさで、ウォザディーは霊峰の麓の樹海に対して罪悪感を抱く。そんな彼を少女は慰めようとした。


「流石に国の名は変わってなどいないよな」

「どうかな。私の住んでる国はティディサア王国よ」

 少女の口にした国名はウォザディーにも耳馴染みのある生まれ育った祖国で間違いなかった。


「殿下は、王太子殿下は息災か?」

 ウォザディーは王太子に大恩があった。それを昔にこの森へと魔物を封じ込める事で返したのだが、その後の事は知らない。彼は魔法の研究に没頭していたし、外部の者は一部の子供を除いてこの森の中へは入ってこれないのだから。


「王太子? ええっとね。今の王様はね、30年前にあった大きな内乱を鎮めるのに尽力した王太子が25年前に即位したって習ったからね、もしかすると王様の事?」

 少女は丁度つい先日に勉強した話を披露する。


「ああ、きっとそうなのだろう。国王になったのか。まあ当然か」

「王様は大丈夫よ。でも、王様の妹が大変らしいよ。30代後半になっても嫁ぎ先すら決まらないの。街の皆は自由奔放で大層我儘な姫君だろうと言っているわ」

 余分な事も知ったが、ウォザディーは王太子もとい国王が壮健である事を知れて心より嬉しくなったのであった。

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