第1章

第2話 幕開け

 迷いの森、それは霊峰ビレイ山の麓に広がる広大な樹海の事を指す。その森に踏み入ると方向感覚が狂いコンパスも不可思議な動きを見せて、結果人々は森を彷徨う事になる。

 しかし数時間後には、必ずといってよい程に元の場所へと戻って来てしまう。だが稀に1日以上戻って来ない者も現れる。

 数日後に戻って来た者たちは皆、口を揃えて言うのだ。

『怪物に助けてもらった』と。


 だけれど、人々はそれを笑い飛ばした。何故ならば1日以上戻って来ないのは全員子供だったからだ。子供だから帰って来られるまで時間が掛かるのも納得できるし、不安な心が何かを怪物に見せてしまったのだろうと。


 そう、子供らが見たのは確かに怪物では無かったのだ。


▽▼▽


 苦節30年ウォザディーはついに魔法の深淵を覗き、その真理を完全に自分のものとした。


「うぉぉぉぉ! やったぞ! 俺は遂に魔法を極めたぞ!」

 ウォザディーの雄叫びは板張りのおんぼろな家に響き渡り壁を揺らした。薄暗い森の木々を柱代わりに板を張り巡らし壁として、屋根の上には葉っぱの付いた枝を敷き詰めてある趣のある家だ。

 しかし、外見とは裏腹にこの家は頑丈で、例え魔物が爪を振り下ろしたとしても傷一つ付かないだろう。それも偏にウォザディーが強化と現状維持の魔法を家に掛けているからである。


『ガタン』

 家の奥の方から物音が聞こえた。

「何だ! 今まで一度も野生生物が侵入してきた事はなかったのだがな」

 ウォザディーは怪訝な顔をしながらも、音のした部屋に向かって行く。部屋の前で扉越しに中の様子を伺うと、微かに何か生き物のいる気配がした。

 ウォザディーは慎重に扉を開くと、他の部屋へ逃さない様に素早く中に入り後ろ手に扉を閉める。

 ウォザディーの視線の先にそれは居た。


「キャアァァァァ!」

「やれやれ、迷い子かぁ。随分ぶりに抜けて来たな」

 部屋の隅で体を震わせ絶叫している少女を見て、溜息を吐いたウォザディーだった。


 子供の中にはどういう訳かウォザディーの結界をすり抜けて森の深部、即ち魔物の生息地へと足を踏み入れてしまう者がいる。

 大分昔にその様な子供が魔物に襲われて大怪我をした事があった。幸いウォザディーがその気配に気が付き、助け出して治療を施してから森の外へと送り返した。

 しかし、その後もウォザディーがどんなに結界を強化しようとも、迷い込む子供がゼロになる事は無かった。諦めたウォザディーは迷い込んだ子供達をこの掘っ建て小屋に転送するように結界をいじっていた。

 ただ、子供が転送されてくるのは10年以上ぶりであったのだ。


「さあ、外まで送ってやるからこっちへ来い」

「嫌ぁぁぁ! こないでぇぇぇ!」

 ウォザディーがいつもの事と事務的に話しかけたが、少女は恐怖に錯乱する。

「別に取って食いはしないから、落ち着いてくれないか」

「食べる?! 嫌ぁぁぁ! 私なんて骨と皮だから食べたって美味しくないんだからぁ!」

 パニックに陥っている少女とは、まともな会話が成り立たなかった。確かに少女は痩せている。けれども、仮にもしふくよかだったとしてもウォザディーはカニバリズムでは断じてない。


「普通、人は人を食べないだろう? だから、先ずは話をしよう」

「私は価値ある事なんて何も知りませんよ。あっ、無価値な私はやはり食べられてしまうのね」

 ウォザディーがどんなに歩み寄ろうとしても、彼女の中でウォザディーは余程獰猛で恐ろしい人物と認定されてしまったのか平行線状態だ。


 困り果てたウォザディーは指を『パチン』と鳴らす。

 見えはしないのだが食料庫からこげ茶色の粉が少しと白い顆粒も少し、そして水も減っている。更に、食器棚からはカップが一つ消え、倉庫からは丸テーブルが姿を消してしまっていた。


「取り敢えずそれでも飲んで落ち着け」

「?」

 ウォザディーは出来得る限り優しい声色で話し掛ける。少女の目の前には小さなテーブルが出現していて、マグカップが一つ置かれ湯気を上げている。あまりの出来事に少女は目を白黒させていたのであった。


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