第12話 顔の見えないムジクラ

 柿原 彩奈かきはら あやなは走っていた。

 

 顔の見えないムジクラに追われているからだ。

 

 彩奈は、藤音 美之ふじおと みゆきのヘルパーとして雇われていた女だ。

 

「なんでっ!」

 

 彼女の問いかけは、誰にでも、何にでもない。そして誰に対しても、何に対しても同じ問いかけをするだろう。

 

「なんで!!!」

 

 こんな風に、追いかけられて惨めに逃げ回るつもりなんて、なかったんだから。 

 

 音楽の才能どころか、楽譜を読むことすらままならない彼女にとって、この世界はとても窮屈だった。

 

 両親も音楽の知識が無く、生まれた時から貧乏で、成長するに従い、自分に与えられる選択肢の少なさと狭さを実感してきた。

 

 学生時代からの親友である藤音 止来ふじおと どらいだけが、彼女の支えだった。

 

 愛らしい桃色の髪を高い位置で纏め、優しい薄緑の目で彩奈に微笑みかけてくれる、彼女止来だけが。

 

 止来から、弟の介護をしないかと持ちかけられた時、人生の転機だと思った。

 

 契約通り、多額の日給が支払われ、その金で遅くなったが大学に行くはずだった。

 

「なんでよぉ……!」

 

 最後に美之を消せば、報酬として足りない分の学費を出してもらえると……言われていたのに。

 

 隠す気もなく道端に落ちていたポルノ雑誌を踏んでしまい、彩奈は盛大に転ぶ。

 

 中学の頃、体を売れば楽に沢山稼げるのにとボヤいた彩奈に、そんな方法選ばないで、と言ってくれたのが止来だった。

 

 高校生になれば止来は、彩奈と一緒に給料の良いバイトをいくつかかけ持ちして、一緒に働いてくれた。

 

 彩奈が親に追い出されて1人で公園に居たら、止来は家出をして一緒に夜を過ごしてくれた。

 

「止来っ! どらっ、止来っ!」

 

 顔の見えないムジクラが迫ってきて、彩奈は為す術もなく、命を奪われた。

 

 最期のその時まで、最愛の親友の名前を呼びながら。

 

 惨めに1人散っていくのは、美之から全てを奪おうとした報い……だろうか。


 ムジクラの正体が分からない以上、真相を知る術は無いが……。

 

 ——————————

 

「よしっ、始末完了っと」

 

 ムジクラに変身していた20代の青年は、が事切れていることを確認して変身を解いた。

 

 鎖骨より少し下辺りまである白髪をハーフアップに、更に他よりも長くなっている2束を2本の細い三つ編みにした色男だ。

 

 真っ赤な目と、左目の1センチほど下にあるホクロが更に色気を引き立てている。

 

 本人も自覚が有るのだろう、肩と鎖骨が露出する形の黒い服を着ている。

 

「あ〜、疲れた。あんなに逃げ回らなくても良いのに……」

 

 グイッと伸びをした青年は、思い出したように当たりを見渡す。

 

「おっ、いい所に。お姉さん!」

 

 人の良い笑顔で青年が声をかけたのは、お世辞にもなんて呼べないような、高齢の女性だ。

 

「どうしたんだい?」

 

 色男から、お世辞でもお姉さんと呼ばれて悪い気はしないのだろう。女性はガラガラの声に明るさを混ぜて青年の声に応える。

 

「道をお聞きしたくて。

 

 一海かずみ市に行きたいんですよね」

 

 丁寧に、しかし壁を感じさせない明るい口調で青年。

 

「なんの用だい? 観光ならやめといた方が良いよ。あんな所」

 

 女性は顔を歪めた。当然だろう。一海市に関して良い噂なんて滅多に……いや、絶対に聞くことが無い。

 

「あはは、観光だったら良いんですけどね。

 

 を探しに行くんです。

 

 アイツ、俺に黙って一海市あっちに引っ越したらしくて」

 

「なるほどね……。

 

 行き方は教えてあげるけど、本当に気をつけるんだよ。

 

 治安が悪いなんてそんな生易しいモンじゃないから、あそこは」


 ——女性から、行き方の説明を受けた青年は笑顔で手を振り、道を進んでいく。

 

「ふふっ。待っててね……結一ゆういち。すぐ、そっちに行くから」

 

 結一——友利ともりの下の名前だ。

 

 謎の男は、着々と一海市へと近付いていた。

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2024年12月20日 18:00
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2024年12月22日 18:00

遺伝子ピアノ。ホームレスを拾った女子高生が音楽の力で運命を変えていく物語 空花 星潔-そらはな せいけつ- @soutomesizuku

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