第10話 指先の温度

「あけおめー!」

 

 ただいまと言うべきか、玄関先で少し悩んだが、最終的に口から出てきた単語に任せることにした。

 

 新年も治安の悪い一海かずみ市では、ある種怪人よりも厄介な酔っ払いが闊歩かっぽしている。

 

 家に着いたのは0:30くらいだろうか。

 

 怪人自体はすぐに倒せたのだが、酔っ払いに絡まれてしまったので帰りが少し遅くなった。

 

 とはいえ、友利ともり美之みゆきもいつも通り「おかえり」と言うだけだと思っていた。

 

 が——ドタバタと激しい足音と共に、美之が玄関まで迎えに来た。

 

「おかえり! 之音ゆきと!」

 

 表情の美之は、喜色で染っていた。

 

「治ったんだ……?」

 

 左手を差し出す美之。よく見れば、薬指の第一関節が動いている。

 

 再度彼の顔を見上げれば、今まで見たことがないくらいの笑顔を浮かべていた。

 

「之音……ありがとう!」

 

 ——美之の喜びようと、かなった願いのレベルに之音はギャップを感じていた。

 

 左手薬指の第1関節なんて、動いても音楽はできない。

 

 それでも、美之は嬉しいらしい。

 

 おもちゃを貰った子供のような顔でずっと指を動かしている。

 

 そんなに、嬉しいものなんだろうか……。よく分からないが、美之が喜んでいるので之音も嬉しかった。

 

 遅れて、顔を出す友利。

 

「年は越しちゃったけど、蕎麦、茹でて良いかな? 食べられなさそうだったら明日の朝ごはんにでも」

 

 友利はマイペースに尋ねる。

 

「食べる! お腹空いた〜!」

 

 ——————————

 

 えび、かぼちゃ、さつまいも、いかの天ぷらが用意されている。

 

 去年の終わり、友利に何が食べたいか聞かれた之音が、候補として挙げた具材が、4つとも綺麗に揚がっていた。

 

 美之に配慮して、麺が伸びないようにザル蕎麦だ。

 

「豪華……」

 

 苦笑する之音に、友利はキョトンと首を傾げた。

 

「食べ盛りなんだから、嬉しいでしょ?」

 

 友利が当たり前のように言うから、之音と美之は顔を見合せて笑った。

 

「友利さん、おばあちゃんみたい」

 

「俺はともかく、之音までそんな扱いですか」

 

 深夜まで起きていたせいなのか、なんなのか。

 

 今は箸が転がっても面白い。

 

 ひとしきり笑った後に食べた蕎麦と天ぷらは、冷たいのに、暖かかった。

 

 ——————————

 

 お正月はテレビを観ながらコタツで過ごすのが、近年の主流だろうか。

 

 凧揚げなんてできる場所は今日日そう簡単に見つけられないし、親戚で集まる予定でも無ければ、気付けば正月が開けていたりするだろう。

 

 之音達も、そこそこに怪人を倒しながら緩い正月を過ごせれば良いと思っていた。

 

 なんなら、三が日くらい怪人の事を忘れたって良いかもしれない。

 

 しかし……1度帰宅すると言ったきり、美之が戻ってこない。

 

 連絡もつかない。

 

 之音はテレビどころではない。

 

 友利も、案外と美之の事を気にしているらしい。ソワソワと時計を何度も見ている。

 

「友利さん」

 

「あぁ。そうだね」

 

 短い言葉でも分かり合えた。

 

 2人は急いで出かける支度を整えると、美之の家へと急ぐ。

 

 念のため、家の場所を聞いていてよかった。

 

 少し迷いながらも、美之の住んでいるアパートにたどり着いた。

 

 美之の部屋を探していると、楽器の音が聴こえた。

 

「誰かがムジクラの力を使ったみたいだ!」

 

 焦った様子で友利が言って、音がした方へと駆ける。

 

 藤音ふじおとの表札がかかったドアの鍵は開いていた。

 

 勢い良くドアを開ける。

 

 中で、誰かがうずくまるように倒れていた。

 

「美之くん!」

 

「ゆき……と……」

 

 之音は、もぞもぞと動いて顔を上げようとした美之を助け起こす。

 

 ボロボロの顔で美之は笑い、左手を之音の方へ伸ばした。

 

 反射的に、手を掴む。冷えた体温とは対照的に、その手は暖かかった。

 

「護ったよ、今度は……ちゃん……と……」

 

 それだけ言って美之は意識を失った。

 

「……さっきの音、多分……藤音君を襲った人達が逃げた時の音だ」

 

「なんで美之くんを?」

 

「さぁ、それは分からない。……ひとまず、救急車を呼ぼう」

 

 友利が119に電話をかけ、程なくして救急車がやってきた。

 

 救急車を見ない日の方が少ない一海市ではあるが、新年早々から友人が乗るのはさすがに初めて見る。

 

 慣れた様子で美之を運ぶ救急隊員達。

 

 之音はただ、それを見つめていた。

 

 護ったよ、と。美之の声が頭から離れなかった。

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