第3話 フィオレンティーナと小さな嘘
「おばあちゃん、なんかすごい音したんだけど大丈夫!?」
甲高い声に呆けていた俺は唐突に現実へと引き戻される。右手を握りこむとピリッとした痛みが今の光景は夢ではない事を再度告げてくれる。
声のほうを見ると目の前で腰を抜かした婆さんと同じ格好をした若い女が走ってくる。年のころは俺のこの体と同じくらいか、それより少し若く見える。ほっかむりの隙間から見える髪色は赤い。
「って女王様!? どうしてこんなところに!? そのお姿はいったい……」
女は俺と婆さんを交互に見ている。2人も続けて見間違うとなるとよほど似ているらしい。ドッペルゲンガー?
「あれ? あそこにあった樫の木は?」
ばつの悪さに俺は顔をそむける。まさか、わたくしがビームで消し飛ばしましてよ。というわけにもいくまい。というか信じないだろ。手からビームがでるとか。その前にビームとはなんぞや。という説明から始まりそうな気さえする。出した本人にもわからないものを説明なんてできるものか。顔が真っ赤になってしまう。
「フィオ!」
婆さんが叫んだ。
「フィオレンティーナ! 女王様は混乱なされている。休ませておやり!」
「えっあっうん」
フィオレンティーナと呼ばれた女は、スカートで手をぬぐい
手を向けてくる。俺はその手を握った。硬い手だ。指先はガサガサとしている。働き者の手をしている。白く陶器のような俺の手と比べて大きく見えた。
「女王様、こちらへ……」
うなずいて俺は彼女のに引かれて歩を進める。
「……お久しぶりです女王様……いえ、マリアライト様」
マリアライト。それが俺にそっくりだという女王の名。ここで俺の本名を口にしようものなら正気を疑われそうで、彼女の話に耳を傾ける。裸足でサンダルを履き、泥道を歩いてきたせいで指先が泥にまみれていた。爪の間に泥が入っているのが見えた。顔を上げフィオレンティーナの背中を見る。細い体だ。俺を引く手も細い。
「最後にお会いしたのはまだ先王がご存命のころでしたね。あなたもまだただのマリアライトだったころ」
「……今日はどうしたのですか? お忙しいでしょうに、いきなり、そのようなお姿でこの村に帰ってくるなんて」
俺のそっくりさんは何やら渦巻く背景がありそうである。フィオレンティーナの問いに対して返す言葉一つない。なにも、何も言えることがない。
酔っぱらってはしゃいで外に出たら異世界で、調子に乗ってたら手からビームが出たとかどう説明すれば、きがふれたと思われずに済むのかわからない。張本人のマリアライト様なら答えられるだろうか。いや無理だろう。知らない事になど誰も答えられない。
彼女の背中越しに家が見えてきた。レンガ造りで、煙突からは煙が出ている。今朝感じた甘い匂いがした。何も口にしていなかったからか腹がなった。
「すぐご用意しますね。あの頃はよく二人で食べたのを思い出します」
聞こえたらしい。声の雰囲気は明るかった。
「さあ、つきましたよ。懐かしいのではありませんか?」
「えっええ……そうですわね……」
とっさに口をついたのは嘘だった。嘘をつくつもりはなかった。だが、振り返って俺を見るフィオレンティーナの顔が喜びに満ちていた。その顔を曇らせたくないと思った時、すでに言葉になっていた。胃の底に小さな後悔が突き刺さる。ブラック企業で働いてきて毎日積み重ねた後悔が溢れそうになる。目頭が熱くなり、空いている右手で目元をぬぐった。
「だ、大丈夫ですか!? マリアライト! どこか痛めたのですか!?」
直接彼女の顔を見る事は出来なかったが慌てているのだろうなという事はわかる。元来明るく、朗らかなのだろう。フィオレンティーナは。そして、マリアライトとは友人だったのだ。先ほどついた嘘がより俺を刺す。
「……いいえ、違う……なんでもない……」
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