第3話【ねぇ、君は知ってる?】
見慣れた改札を電子音と一緒にくぐり抜ける。
土曜日の昼間ということもあってか、そこそこの人の往来があり、駅構内はがやがやとした
駅を出ると、つい先日とは打って変わって雲一つない快晴が広がっており、普段はスマホの画面ばかり眺めている僕だが、この時ばかりは夏を感じろ!と言わんばかりの日差しを前に太陽を睨みつけて抗議する。
ひと息ついたところでブルブルとポケットが震え、僕はスマホを取り出す。
スマホの通知画面には「委員長」と表示されており、僕はLINEを起動してメッセージを開いて内容を確認する。
委員長:ファミレスについたので、奥宮で席を取っています!
真城:もうすぐ着くと思うので、先に何か注文していてもいいですよ。
委員長:わかりました、気をつけて来てください!
真城:了解です!
僕は相手の既読が付くのを見てから、画面を消す。
あまり待たせるわけにもいかない。それにファミレスのなかは少し肌寒いくらいの冷房が効いていることだろうが、いまの僕にはちょうどいい。そうと決まれば、と僕は少しだけペースを上げて歩き出した。
※
「いらっしゃいませー! 何名様でしょうか?」
「あの、奥宮で席を取っているんですが…」
「…はい、奥宮様ですね。こちらへどうぞー」
女性店員は記名台に目を通すと、手慣れた接客で僕を丁寧に席へと促していく。その手早さといい、接客といい。そして想像よりも効きすぎていなかった冷房も、何もかもが完璧だ。…帰ったらこの店のレビューを書こう。
まもなく窓側の席へと案内され、僕は目が合った委員長に軽く手を挙げて挨拶を交わす。
「お水です。…注文がきまりましたら、そちらのベルを押してください」
「はい、ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞー」
店員に小さく
シンプルな白のTシャツに目を引く緑色のハイウエストのスカート。髪ショートカットだが、いつもよりふわふわと綿菓子のように見える。
「待たせたてごめんね、委員長」
「ううん、大丈夫だよ。全然待ってないから。外暑かったし、真城くんも何か頼んだら?」
「そうだね」
ソフトドリンクの頁までめくり、少し考えてからオレンジジュースに決める。
委員長をちらりと一瞥し、「注文した?」と尋ねると「したよー」と返事がきたので僕はメニュー表を元の場所に戻して呼び鈴を鳴らす。まもなく現れた店員に注文の品を告げた。
「ちなみに委員長はなに頼んだの?」
「…抹茶パフェ」
「またギルティなもの選んだね」
「でしょ? あんまりファミレスとか来る機会がないし、そもそも出かけることも少ないし、だから今日はチャンスだと思ってね」
今日の抹茶パフェに賭ける意気込みを吐露する委員長。
「あんまり出かけたりしないの? 意外とインドア派なんだ」
「意外、かなぁ…? あっ…!」
声が漏れたと同時に委員長の口角が少しあがり、ニンマリとしたその表情はいかにも悪だくみを思いついた無邪気な子どものようで。
僕は無意識に警戒しつつも、興味が勝り、恐る恐る尋ねてみる。
「…なんでニヤニヤしてるの、委員長」
「本を読んだりするのは好きだよ、真城シロせんせ…?」
「あっ…!」
とんだ失態だ。すっかり忘れてしまっていた。──彼女が真城シロというデビューして一年弱の高校生作家を周知しているほどの読書家だということを。
「どうしたんですか、先生?」
「委員長…! その呼び方やめて…⁉」
「…わかった。じゃあ、その委員長っていう呼び方もやめない…? ここ学校の外だし…」
そう提案してきた委員長はそう言うと、すでにテーブルへと運ばれていたミルクティーをずずーっと啜った。
「確かにそうだね。ごめんね、無意識とはいえ無頓着だったかも」
「違くて! そのせっかく同じ趣味を持つ男子だからさ、もっと仲良くなりたいと思って!」
僕は純粋無垢な彼女の言葉が眩しく感じて、反射的に視線を逸らしてしまう。
小説は好きだ、たぶん。作家を志したのも、小説が好きだったからだ。けれど作家になってから正直見たくないほど小説が嫌いになる出来事も葛藤もあった。今もそういう気持ちに苛まれることは多々ある。だから胸を張って小説が好きです、と彼女に言える自信を今の僕は持ち合わせていない。
勇気を振り絞ったのだろう彼女は僕の返事を肩が緊張したままの状態で待っている。
そう、彼女は勇気を出して…というか僕が作家かもしれないという一点に賭けて話しかけくれ、加えてふだんは遊ばない人が、学校生活でも関わりの薄い男子とLINE交換やら約束を取り付けてくれて、今日に至るのだ。
そんな頑張りを僕の個人的な感情で無下にするのは、違う。
僕は空気を短く吸って彼女の名とともに吐き出す。
「改めましてよろしくね、奥宮さん」
「おぉ、なんか新鮮だ。じゃあ、わたしも……真城シロ先生」
「まさかの僕だけ現状維持なの?」
「あはは、冗談だよ冗談! わたしは変わらず真城くんって呼ばせてもらうよ」
少しだけ名前呼びに期待したが互いに苗字のため、これはフェア。むしろ、他所でも学校での呼び名そのままに委員長と呼んでいたことのほうがフェアでない気がする。
と、ここまで若干…というよりかなり道草を食っているので、そろそろ今日集まった趣旨を聞かせてもらわないといけない。
一拍間をおいて、僕は口を開く。
「それでさ、奥宮さん」
「んっ、なに?」
「いや、今日はどういう集まりなの?」
あっ! と今しがた思い出したかのように、大きい目を何度かぱちくりとさせた奥宮さん。
反応を見るに、素で忘れていたようだ。
「ちょっと、久しぶりのファミレスで舞い上がっちゃってたかも」
「なら、仕方ないね」
「…ありがと。あと二回、わたしのお願いを聞いてくれるんだよね?」
「あぁ、うん。一応そうだね」
一個目はこのファミレスに来ることだった。
なんでも相手の言うことを三回聞く、という絶大な力を手に入れた人間の一つ目の願い事がファミレスに行く約束とは。魔法のランプの住人もさぞかし驚くことだろう。
「でね、二つ目のお願いなんだけど…」
彼女はキュッと唇を結んで、覚悟を決めたように奥宮さんの双眸が僕を見据える。
「──わたしを物語にして」
反射的に僕は「…えっ?」と素っ頓狂な声を上げてしまっていた。そこそこの声量が出ていたことに気がつき、慌てて口元を覆うが、隣の席に座る老夫婦とばっちり目が合った。やや驚いており、僕はごめんなさいと何度もぺこぺこと頭を下げた。
どうか、お二人の寿命を縮めていませんように。
そんなことを祈りながら、僕は奥宮さんへと身体を向ける。
いっぽうの奥宮さんと言えば、またまた勇気を振り絞ったから「言い切ったぞ!」という達成感とどんな回答が来るのだろうという不安が入り混じった表情を浮かべている。
さっきよりも顔も身体も力んでおり、恐らく「奥宮という人物を物語にしてほしい」という彼女の言葉ことこそが本題なのだろう。
その返事を委ねられたのは当然僕なのだが。
…全ッ然わからない。どういう意味だ?
…奥宮さんに物語のモデルにしてほしいと頼まれたことはあったっけ?
心当たりはない。それに彼女自身も言葉足らずな部分があるだろう。だが、そこを含めて察してあげるのが高校生作家の腕の見せどころではないだろうか。自分で自分をよいしょするのはむず痒いが、業界の若手ホープとしての意地とプライドにかけて、ここは華麗に立ち回りたい。
顎に手を添え、思考を巡らせてみる。
僕は奥宮さんの発した文章をぐるぐると反芻させ、味がしなくなるほど咀嚼してみるけれど。
オーバーヒートの思考の末、頭上に三つの疑問符を浮かべた男子高校生だけが残った。
「オクミヤサン、ドーイウコト?」
「…っ! その‼」
言いたかったことが伝わらずもどかしかったのか、彼女はテーブルに両手をついて立ち上がり、興奮するように声を上げる。
その突発的な言動にファミレス内の喧騒は凪のように止み、僕らの席に何十という注目が集まる。
もともと目立つのが苦手な僕は、きっと今の奥宮さんの立場なら顔面が沸騰するくらい赤くなっていただろう。ただそれは彼女も同じなようで、小さく「すみません」と呟いて座り込み、小さな身体をさらに縮こませている。
なんとなくいたたまれなくて、僕は自分の口をつけていないコップを差し出す。
「お水でもどうぞ…」
「ど、どういたしまして」
遠慮がちな言葉とは裏腹にお冷を豪快に飲み干した彼女は、手をうちわ代わりに顔をパタパタと扇ぎだした。
ふだんの学校生活では見られない奥宮さんの姿に僕は申し訳ないと思いながら、噴き出して笑ってしまう。
「なんで笑うの!」
「いや、ごめん。学校のときの印象が違くてさ」
「そうかな?」
「うん、奥宮さんはもっとこう、しっかり者で明るいイメージがあったからさ。あんなに取り乱すとこみたことなくて」
「それはわたしのこと知らないだけで、ふだんは全然そんなことないよ」
それはまったくもってその通りだ。
一度だけ学校でのグループ発表で同じことになったことがあり、そのときは確か日本史の授業で、地元の歴史を紹介する内容だった。
班のまとめ役として、司会進行役を買って出てくれたおかげもあり、準備から発表までスムーズに行うことができた。彼女はやっぱりしっかり者だと思う。
「それで…」
僕は奥宮さんに話を切り出す。
話題を察してか、奥宮さんは姿勢を正して座り直した。僕もつられて背筋を伸ばす。
「わたしを物語にしてってどういう…」
「さすがに意味がわからなかったよね。ごめんね、いざ言おうとしたら緊張してさ」
「そんなふうに見えなかったけど」
あはは、と奥宮さんは目を細めて小さく笑う。
「意外と緊張しいだよ、わたし。それに男子とこうやって休日に遊ぶことは滅多にないし」
もともと人付き合いが多くない僕と違って、奥宮さんはクラス内でも人気者だ。休み時間になると彼女の席に常にだれかが訪ねていて、昼休みも仲良しグループとお弁当を囲っている。
そんな彼女に言い寄る男子も少ないだろうが、言われてみれば浮いた話を耳にしたことはない。本人が男性が苦手ならば、ここにいる僕は例外か、もしくは男として眼中にないことになる。考える間もなく後者だろうけど。
お待たせしましたと注文していた抹茶パフェが運ばれてきた。
なかなかのボリューム感だが、奥宮さんは目を輝かせて一口頬張る。
「んまぁい~!」
「甘党?」
「うん! 甘いものは別腹だね」
手を小さく上下に揺らし、体全体で喜びを表現する奥宮さん。
しばらくそんな幸せそうな様子を見ながら、だからこそ疑問に思ってしまう。
「それで、話が脱線したから戻すんだけどさ──」
「わたしを物語にしてってやつね。…ねぇ、真城くんはさ、夏の少女のウワサって聞いたことある?」
その瞳はどこか寂しそうに、僕には映った。
夏の少女は小説のなか 都月 みやこ @Amaoto0315
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