第2話【なぜ、その名前を!?】

 こうして僕の情けない返事を経て、委員長とお昼をともにすることになったその矢先。


 距離感がいまいち掴めなくて、委員長と横並びで歩いていいものかと悩んだ挙句、彼女の背後からついていく形になったが。こうなると背中越しに話しかけることもはばかられ、でも黙って後を追う様子はストーカーじみている気がしてならない。


 こういう慣れない出来事に直面すると、ついつい周りがどう思っているのか、どんな反応をしているか知りたくなってしまう。


 でも、分かる。周りを見ずとも自分でも嫌なほどに痛感する。


 この絵面は主に僕が──訂正、僕だけが気持ち悪い。


 変な誤解を与えなければいいけど、と元凶げんきょうである僕は内心そんなことを思う。


 いっぽう、僕の内に秘めたる事情を委員長が知るはずもなく、彼女は廊下を進んでいく。


 前方から歩いてきた二人組の女子生徒とのすれ違いざまにひそひそ声が聞こえてくる。


「ねぇ、奥宮さんが男子と一緒にいるところレアじゃない?」

「ほんとほんと、ていうかあれさー…」


 穏便に、何事もなく終わってほしいが。 


「なんか、カルガモの親子って感じ」


 なんと感受性豊かな高校生。 


 どうやら委員長と僕のペアはカルガモの親子に映るらしい。さしずめ委員長が親鳥、僕が雛鳥と言ったところか。僕自身、異論はない。


「真城くん、こっちだよ。バレないように来て」

「ん、おっけい」


 催促さいそくされ、僕は踊り場で待つ委員長のもとへ階段を上る。


「この先って屋上じゃないっけ?」

「正解だよ」

「でもさ鍵が掛かってて、入れないよね」


 委員長は腰辺りで組んでいた手をほどき、屋上と記されたネームタグ付きの鍵を得意げな顔でちらちらと見せつけてくる。


「おぉ、委員長の特権ってやつですか」

「そんなとこかな」


 委員長が鍵をひねると、扉が大げさな音とともに開錠される。


 学校に通い始めて二年目だが屋上とは初対面だ。入学してから今日まで屋上の解放を求める生徒たちがこぞって職員室を訪ねては、しょんぼりと背中を丸めながら去っていく様子が何度も目撃されているらしい。


 そういった経緯もあり、僕も含め、全国の学生たちにとっては卒業までに訪れたい学校スポットのトップに君臨するのではないだろうか。現に僕はわくわくが止まらない。


 一歩、外に出る。


「途中で雨が降らないといいけどなぁ」


 と、委員長が手のひらを天にかざしながら言う。


 水分をたっぷりと含んだ空気。天気がよかったら気持ちいいんだろうな、と想像が膨らむほど残念な曇り空が広がっている。


 ところどころ錆びついた鉄格子てつごうしが張り巡らされただけの簡素な作りの屋上。一目見ただけで安全性に疑問は残るし、学校側が頑固として屋上の常時解放に対して、首を縦に振らなかったかがよく分かる。


 ただ、防水塗料を散布したグリーンの床は隅々まで清掃が行き届いているようで。


「床、綺麗にしてんだね」

「わたしがここで天体観測に使っていい代わりに、定期的に掃除をしてくれって」

「そうなんだ。っていうか天体観測してるの。天体観測って、あの?」

「他になにがあるか思い浮かばないけど、たぶんそれだよ」


 変な言い方だねー、と僕の奇妙な言い回しにけたけたと笑う委員長。


 笑いすぎでしょと咳払いを挟む僕に、委員長は両の手を合わせて「ごめんね」と口を動かす。


「真城くん、こっちで食べよう」


 手招きにつられ、壁を背に僕は委員長の横に座る。


「委員長の弁当は、お母さん特製?」

「そうだよ~。真城くん家のはお母さん?」

「うん、まぁ両親は仕事で忙しいからほとんど冷凍食品だけどね」

「うちもそんな感じ」


 お弁当の包みを解きながら、そんな何気ない会話に花を咲かせる。


「でも、冷凍って美味しいんだよね」

「僕はグラタンのやつが好きだったなぁ」

「あれさ、食べ終わるとさ、カップの底に占いみたいなの書いてなかった?」

「あー、あったかもそれ」

「小学生の遠足のときは、グラタン食べ終わって友だちと見せ合ってたなぁ、懐かしい~」


 と言いつつ、摘まんだトマトを口に放る委員長。ちなみに委員長はタルタル入りの白身フライが好きらしい。


 思いのほか盛り上がった雑談もほどほどに、昼休みは中盤にさしかかっていたころ。

 

 先に食べ終えた僕がお茶を飲もうとペットボトルの蓋を開けて口をつける直前に、僕はふと浮かんできた素朴な疑問を彼女にぶつけてみる。


「委員長さ、どうして僕をお昼に誘ったりしたの? 今までグループワークとかじゃないと話す場面なかったしさ」


 深い意味はなかった。二人きりで話す機会などめったにないし、最初で最後かもしれないから。


「──真城シロ」


 深い意味しかなかった。


 背骨を抜かれたように全身が脱力していくような、沈んでいくような感覚に襲われる。手にしていたはずの飲料水を落っことしてしまい、中身がどぼどぼとこぼれ出るが、そんなのは些細なことに過ぎない。


 真城シロ。それは真城健斗の作家活動で用いているペンネーム。


 親を除けば、誰も知らない国家機密に匹敵するほどのプライベート情報なはず。


 それなのに、どうして彼女がその名前を…⁉

 

 考えれば考えるほど、思考回路が回転すればするほど、ますます原因が分からない。


 こめかみを押さえつけて唸る僕を見て、なぜか委員長は口元を隠しながら少し笑っているようで。


「…数学のプリント」

「えっ?」

「先生に提出したプリントに真城シロって書いてあって」

「えっ…?」

「わたしがその場で訂正しておきました」


 委員長はその場で文字を書くような仕草をしてみせる。


 そういえば、職員室でカトセンに言われていた。提出したプリントを自分の名前で記載してなかったから委員長が訂正してくれた、と。


 これで国家機密級の極秘情報を宿題のプリントで漏らすバカなことが証明された僕は、転がったペットボトルを拾い上げた委員長から受け取り、ちらりと委員長を一瞥。


 ここは穏便に、下手したてに出てお願いを聞いてもらおう。


「あの…委員長」


 次の瞬間、にたり、と意味ありげに微笑む委員長に、僕は本能的に「やられた」と思う。


「なんですか、真城シロさん。…真城シロさん?」


 二回言った。絶対わざとだ。


「どうか、どうかこのことは他のみんなには内密にしてください、お願いします、なんでもしますから」


 僕は心臓に刺さった自分の作家名をゆっくりと抜きながら、こうべを垂れる。もちろん出血はしていないけど、噴き出す汗が止まらない。


 頭上からはわざとらしく考えるフリをする「どうしようかなー」という委員長の声。


 その時、僕の脳内に一筋に光が射す。


 そもそもプリントにペンネームが記載されていたという事実しかないのであって、実際に僕が作家かどうかは確証がないはず。真城シロという作家が大好きなファンという設定を組み込めば、この場をうまく切り抜けられるかもしれない。


 油断できるのも今のうちだぞ、委員長。


 僕は反撃開始とばかりに勢いよく顔を上げる。委員長は目を丸くして、びくっと驚くように体を反らす。


「実は、っそう…! 僕、真城先生のファンでさ! それで間違って名前を書いちゃって」

「先生…? 真城シロさんは漫画家なの」

「そう、最近知った漫画家で──」

「作家さんだよね? あと名前の横に原稿の締め切り日、書いてたよ?」

「…ほんと、なんでも言うこと聞きますので、奴隷だと思ってこき使ってください」

「ふふ、じゃあ遠慮なくこき使います」


 翻した反旗は一瞬にして打ち砕かれ、それどころか委員長は真城シロという作家がいることはすでに周知されていた。しかも締め切り日も記載済み。昨日の夜、担当編集者からの連絡を夢うつつで対応していたのを、僕は今になって思い出す。


 すべては僕の自業自得。


 それにしても、まさか自分のペンネームを知っている人物が身近にいるとは考えもしなかった。本来ならすごく喜ばしいことなのに、自分自身で背負った奴隷という名の十字架があまりに重すぎる。バカ、自分のバカ…!


 残りの高校生活は奴隷として過ごていくことになるだろう。


 さらば、華の高校生活。さらば、僕の人権よ。


「じゃあ真城くん、君にはわたしのお願いを三つ聞いてもらいます!」


 委員長がスキップして、くるりと僕のほうにターン。そして、指を三本立てて見せる。


 僕も脳内の奴隷のイメージを想起させ、膝立ちのポーズを取ってみたが、どちらかと言えばこれは騎士っぽい。


「なんなりとお申し付けください、おじょ…」

「あれ? 意外とノリノリだったりする? 今おじょ…って言わなかった?」


 口調は執事っぽい。語尾に危うく「お嬢様」とつきそうだったがセーフ。委員長には指摘を受けたけどバレていないのでこれもセーフ判定。


 気のせい? と委員長は疑いの目を向けてきたので僕は逃げるように、口を開く。


「…で、委員長のお願いってなに?」

「わたしとファミレスに行ってくだひゃ、さい…!」

「んぇ?」


 キーンコーンカーンコーン──。


 ここで昼休みの終わりと五限目の始まりを告げる予鈴が鳴る。


 噛んで顔を少し赤らめる委員長と、想定外のお願いに戸惑う僕。


 なんとも言い難い、先に動き出したほうが負けるような微妙な空気がこの曇天と相まって流れていき。


「駅前のファミレスに土曜の昼に集合で…!」

「LINE…! 交換してもいい?」

「「あっ、うん」」


 ド被り。なんならリアクションも同じ…ってこっちのほうが数倍気まずくないか…⁉


 スマホを操作する彼女をちらりと横目で流し、僕はLINEを開きながら思う。


 …LINE交換は一つ目のお願いにカウントされないんだ。

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