第109話 人の心が織りなすモノ
「うそでしょう……?」
実技訓練場は、地獄と化していた。
飛び交う罵声。騎士たちが制止を呼びかけるも、止むことはない。暴力的なまでの怒りが、燃え盛る炎のように広がっていく。
「早くあの女に裁きを!」
「死刑にしろ! 大罪人を許すな!」
耳を劈く怒号に、私は思わず口を覆った。
まるで処刑場だ。罪人を前に、今か今かと処刑を待つ民衆の姿を幻視する。
怒りの矛先は、ブリジット嬢へ向けられていた。
大衆心理とは恐ろしいものだ。一度火がつくと、一気に過激化する。
今の状況が、まさにそれだ。過激な言葉が飛び交い、地獄の様相を呈している。
「魔道具を持ち込む卑怯者!」
「私たちを殺す気だったのか!」
「身分しか取り柄がないくせに! こんな者を生かしておけば、我が国の恥だ!」
「早く刑にかけろ! 生かしておくな!」
多くの人が、彼女の死を求めて声を上げる。今すぐ処刑しろと叫ぶ。未だ、捜査すらされていない状況なのに。
これ以上は危険だ。いずれ実力行使に走る者が出るだろう。止めるのであれば、今しかない。
「ねえ、ルーファス。熱狂的な観客がいるのだもの、そろそろ役者が必要だと思わない?」
突然の言葉に、彼は驚いたように目を丸める。それも一瞬のことで、すぐに口の端を上げた。
「同感だ。観客だけでは舞台が始まらない。会場が温まった以上、役者が顔を見せるべきだね。
古今東西、多くの舞台が愛されてきたが、君が望む物語は何かな?」
流し目でこちらを見る彼に、私はにっこりと笑みを見せる。私が望むのはただ一つだ。
「正義を掴むために戦う、法廷劇はいかが?」
「いいね、実に好みだ!」
恋物語なんてありきたりなものよりずっといい! そう言って一頻り笑うと、彼は美しい笑みで手を差し出した。
「お手をどうぞ? 主演を務める君を、舞台へ連れていこう」
「ふふ、よろしくね相棒さん」
主人公には強力な味方がいないと! そう笑う私に、彼は美しい笑みを見せる。
「任せてくれ。最高の相棒を演じてみせよう」
差し出された手に、私の手を乗せる。互いに微笑みあって、一歩前へ踏み出した。
向かうは私たちが立つべき舞台。実技訓練場の中心部だ。
歩き出した私たちに、一人、また一人と口を閉ざしていく。視線が集まるのを感じ、優雅に見えるよう指先まで意識を払った。
中心部に到達し、ゆっくりと足を止める。ルーファスも隣で足を止め、互いにアイコンタクトを交わした。
さあ、精一杯演じてみせようか。
「我が国を抱く大空、国王陛下にご挨拶申し上げます」
静まり返った場内に、私の声が響く。どうやら、学園長が背を押してくれたらしい。私の声が、風の魔力で運ばれていく。
私のカーテシーに合わせ、ルーファスも一礼する。その姿に、会場から感嘆の声が漏れた。
「その挨拶を聞くのも、久しいものだ。デビュタント以来か。
して、わざわざそう挨拶するということは、聖女として余の前に立ったわけではないのだな?」
「然様にございます。聖女としてではなく、民の一人として御前に参りました」
そう告げると、陛下は顔を上げるよう命じた。それに従い、ゆっくりと姿勢を正す。視線の先には、鋭い瞳で見下ろす王の姿があった。
「我が民の声とあらば、聞かぬわけにはいくまい。申してみよ」
「寛大なるお言葉、心より感謝申し上げます」
微笑みを浮かべる私に、陛下は楽しげな笑みを見せる。
事実、楽しんでおられるのだろう。何をする気なのかと、先を期待する瞳とぶつかった。
「私見にございますが、此度の一件は重大な事件であると考えております」
「そうだな。事件の重大性ゆえに、民はどうにも冷静さを欠いているらしい。貴族ばかりの席でこれだ。余の声も聞けなくなるほどの事件とは、嘆かわしいことよ」
盛大なため息を吐く陛下に、周囲に緊張が走る。自身の振る舞いを揶揄されていると分かったのだろう。
酷い事件の後とはいえ、やり過ぎだ。指摘されてようやく気づいたらしい。バツが悪いといった表情を浮かべている。
「多くの人々を巻き込む、酷い事件となりました。その罪は白日の下に晒されるべきと考えます」
私の言葉に陛下が口角を上げる。意図が読めたのだろうか。即座に続きを促してきた。
「もっともだ。では、なんとする?」
「これほどの事件、徹底した調査が求められるべきものです。ゆえに、法廷での裁きを望みます」
実技訓練場に騒めきが広がる。法廷という単語が鍵となったのだろう。
「そう言いだすということは、アクランド嬢が訴え出るのだな?」
「はい。此度の一件は、我らの決闘時に起きたこと。ならば、私たち以上の適任はおりますまい」
ちらりと隣へ視線を向けると、ルーファスが微笑んで頷いた。それに私も一つ頷き、前へ視線を戻す。
「私、シャーロット・ベハティ・アクランドと、」
「私、ルーファスが伏して願い申し上げる」
願うはただ一つ。私は息を吸い、最後の言葉を口にする。
「ブリジット・セシリア・コードウェル嬢に、法廷への出頭を求めます!」
陛下の口元が弧を描く。場内は歓喜に沸いた。罪が白日の下へ晒される期待、というのはごく少数の意見だろう。
おそらく、この歓声は裁判という
彼らにとって、悪人が裁かれる裁判は、ある種の娯楽でもある。真実の発見、それを目的にする者は少ないだろう。
複雑な思いはあるが、今はそれでいい。私刑を止めるのが第一だ。このままブリジット嬢へ危害が加えられるくらいなら、法廷に連れ出した方が余程いい。
本来であれば、粛々と裁きが下ればそれで良かったのだが。ここまで大事に発展した以上、やむを得ない。
彼女の振る舞いが、多くの人を危険に晒したのは事実だ。一歩間違えれば死者が出ていた。身から出た錆として、諦めてもらおう。
「いいだろう! お前たちの嘆願を聞き入れよう! 厳正なる裁きにより、本件に決着をつけるものとする」
陛下の言葉に、聴衆が歓声を上げた。実技訓練場は、異様なまでの興奮に包まれる。延々と鳴り響く歓声に、私は一人目を伏せた。
人の命は尊い。されど、人はときとして、悪魔のような恐ろしさを発揮する。
処刑場と見紛うかのような光景が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
「ああ、よく来たね。入りなさい」
「失礼いたします、学園長」
出迎えてくれた学園長に礼を言う。ここは地下研究室。イグニールの遺体が安置されている部屋だ。
今の時刻は22時過ぎ。本来であれば休む時間だが、今日ばかりはそうも言っていられない。
先の事件につき、今から会議が行われるのだ。それに合わせ、ルーファスとオーウェンを連れてこの部屋を訪ねた。
中に入ると、真剣な表情で顔を突き合わせている人影があった。本来いるはずのない姿まであり、ため息が漏れてしまう。
「おお、やっと来たか。早く座るといい」
「……陛下、学園に残っていてよろしいので?」
からりと笑う陛下に、私は眉を下げる。
事件があったばかりだというのに、なぜこの方がここにいるのか。周囲は止めなかったのかと頭を抱えるも、疲れきったコードウェル公爵が教えてくれた。
「君の言うことはもっともだが……考えるだけ無駄だと言っておこう。
一応、陛下の馬車は王城へ走らせてある。王妃殿下に気づかれることはないだろう」
お二人が城内で関わることはないからな。ぐったりとした様子で呟く公爵に、同情の念が禁じ得ない。先の事件だけでも頭が痛いだろうに、苦労が絶えないようだ。
「シャーリー、お疲れ様。寒くないかい? ここは冷えるから、これを羽織っておきなさい」
「ありがとうございます、お父様」
駆け寄ってきた父に、上着をかけられる。温かな気遣いに頬を緩ませると、父もふんわりと笑った。
しかし、その表情には疲労が滲んでいる。事件の調査に駆り出され、お疲れのようだ。元から濃いクマが、いつも以上に濃く見える。
「お父様こそお疲れのご様子。お休みにならなくてよろしいのですか?」
「愛娘が頑張っているのに、休んでなんかいられないよ。それに、事件が解決するまでのことさ」
心配してくれてありがとう。優しく髪を梳かれ、私は目を細める。温かな手にほっと息を吐くと、視界の端にニヤニヤと笑う陛下の姿が映った。
「ふむ。本来の
「私とあなたの失敗理由は異なると思いますがね……」
もう少しレティシア様とお話しされては? そう告げる公爵に、陛下は不満そうに鼻を鳴らす。
「それができればやっている。いや、元はといえば、余の発言が問題だったわけだが……拗れに拗れて、修復が難しくてな」
頬を掻く陛下に、公爵は深いため息を吐いた。
どうやら、陛下はシアとの仲を改善したいらしい。彼女がそれを望むかは知らないが、地道にやっていくしかないだろう。下手に部外者が口を挟むわけにもいくまい。
何より、王族関係の問題はお腹一杯だ。シアに頼まれない限りは放置しよう。
そう心に決めて、テーブルにつく。
八人掛けの席に、大人4人子ども3人で並んだ。私を挟むようにルーファスたちが座っている。向かいの列は、右から父、学園長、陛下、公爵と並んだ。
「では会議をはじめよう。まずは、現時点で分かった内容についてだ」
陛下の言葉を皮切りに、会議が始まった。最初に口を開いたのは学園長だ。
「取り調べ内容を手短に説明しよう。レーナ・ハリスを取り調べた結果は次のとおりだ。
第一に、彼女が一連の魔獣騒ぎにおける犯人だと判明した。
第二に、王妃との関係も判明した。幼少期、己を拾ってくれた彼女への恩返しだとな。
ここまでは君たちも森で聞いていたことだろう」
学園長の言葉に首肯する。彼はそれを確認すると、次の内容に入った。
「第三に、その他の不可解な事件についても犯行を自白した。
一つは、タンザナイト寮で起きたお茶会についてだ。アクランド嬢のケーキに、刃を仕込んだと供述している」
「……なるほど。寮監である彼女なら、いくらでも細工はできそうですね」
彼女なら寮内を自由に歩き回ることができる。熱心に事件の調査をしていたのは、己が疑われないようにするカモフラージュでもあったのか。
「また、王都で起きた事件についても口を割った。文官と薬屋の店主を殺害したと認めている」
「では、9月上旬に王妃殿下が購入したのは、毒薬だったと」
王都の宿屋で発見された文官の遺体。外傷のなかったそれは、自殺か他殺かの判断が困難だった。部屋も荒らされておらず、怪我一つない。残されていたのは黒ずんだ盃だけだ。
後日、新しい目撃証言が出たこともあり、他殺の可能性が高いと判断していたが。しっかり繋がったようだ。
「そのとおりだ。毒薬を店主から受け取り、文官に手渡したらしい。どうやら文官は脅されていたようだ」
「脅されていた?」
学園長の声に、私は眉を顰める。彼は重い息を吐くと、内容を語ってくれた。
「文官は、王妃に命じられてベント子爵領の嘆願書を握りつぶしていたらしい。家族の命が惜しければ、と脅されたようだ。
そして、ベント子爵領の一件が明らかになるや否や、自害を命じたという。
王妃の伝言は実にシンプルだ。『あなたが生きていれば、死体が積み重なることになる』とね」
「な……!」
あまりの言葉に絶句する。利用するだけして、処分したのか。それも、家族という大切なものを盾にして。
彼は、どれほど無念だったことだろう。家族を人質に、一国の王妃に命じられたのだ。逃げることなど不可能だ。
文官を辞したところで、追手を放たれるのは目に見えている。自身が家族と生き残るためには、手を染めるしかなかったのか。
「……目撃証言にあった、酒場で文官に接触した人間。それがハリス先生だったのですね?
私が陛下から事件について伺ったのは、連休明けでした。連休中に毒物を引渡したなら納得です。授業が無い以上、外出は容易だったでしょう」
「ああ。学園の生徒ならいざ知らず、教員の外出を咎める理由はないからね。全く、してやられたものだ」
学園長が苦々しく語る。
教員の動向を逐一取り締まるなど、不可能だ。そもそも、そんな罪を犯すなど、誰も考えやしない。今回の一件は、そこを利用されたのだろう。
「……ハリス先生の自白により、何とか王妃殿下を法廷へ引きずり出せそうですね」
「やはり、それが狙いだったか。コードウェル嬢の裁判は、間違いなく人目を惹く。
王妃を糾弾する良い機会だ。自身が裁かれるなど、微塵も思っていないだろう。油断している隙に片付けるとするか」
私の言葉に、陛下が口角を上げる。こちらの狙いを、正しく察していたらしい。
「ええ、王妃殿下には何としても法廷に出てもらわねばなりませんから。
もちろん、あの場を収めるために提案したのも事実ですが。いくらブリジット嬢に罪があろうと、それは正当な場で裁かれるべきもの。私刑を認めるわけにはいきません」
「なるほど、道理だ。一応聞いておこうか。
万が一、コードウェル嬢に死罪が下ったら。君はそれを許容するか?」
陛下の言葉に、室内は静寂に包まれた。
それは、誰もが考えていたことだろう。騙されたとはいえ、彼女の犯した罪は大きい。結果として、多くの人を危険に晒したのだ。一歩間違えれば、死者が出ていただろう。
加えて、彼女は私の命を狙っていた。決闘の件ではない。今学期を通してのことだ。
それらを考慮すれば、重い判決が下る可能性はあるだろう。今回の事件に加え、聖女殺害を企てたのだ。厳しい判決になりかねない。
私は一つ息を吐き、重い口を開けた。
「大前提として、彼女は加害者であり被害者です。それを考慮した判決が出ることを望みます。愚かだと言えばそれまでですが、彼女は操り人形も同然ですから」
王妃とハリス先生。その両者に都合よく使われたのが彼女だ。裁く際に、そこを考慮に入れなければ可笑しい。
とはいえ、だ。
「それら全てを考慮に入れても、死罪が適当だと判断されたなら……私に否はありません。助命嘆願も致しません」
死罪を積極的に肯定するつもりはない。
しかし、正しい裁きによって下った判決なら、それに異を唱えることはしない。
余程偏った判決なら別だが、他の罪と比較して妥当な範疇なら致し方ない。
「ほう、君は存外手厳しいようだな」
「正しき裁きを求めた以上、仕方のないことです。一人の感情で判決を覆すべきではありませんから」
そう答える私に、陛下が両の腕を組む。こちらを探るように見つめる彼に、私も視線を合わせた。
「では、率直な意見を聞こうか。正しいかどうかはともかく、君は彼女の死を望むか?」
「いいえ、陛下。望んでおりませんよ」
私の答えに、陛下は目を丸める。公爵も同様だ。
そんなに私が彼女の死を願っているように思うのか。何とも複雑な気持ちである。
「……君に限って、情けをかけたとは思えないが……」
「公爵が私をどう見ているのか、一度しっかりお聞きしたいものですね?」
にっこりと笑みを見せる私に、公爵は慌てて咳払いをする。私たちの様子を楽しげに眺めつつ、陛下が続きを促した。
「では、その理由は?」
「簡単な話です。癪だからですよ」
はっきり断言する私に、陛下は隠すことなく笑みを見せる。ここで笑うあたり、本当にイイ性格をしている方だ。ルーファスは内面も父親譲りなのか。
「詳しく聞こうか」
「昔から、彼女は話していたそうですね。私がジェームズ殿下の愛欲しさに彼女を陥れる、と」
「ああ、そんな話もあったな」
陛下は思い出したように相槌を打つ。公爵も頷いていた。それを見ながら、私は話を続ける。
「その結果、冤罪で彼女は
正直、彼女の話は理解できないことばかりだ。心から信じているわけではないけれど。
「彼女が死罪になったら、彼女の言ったとおりになる。冤罪ではありませんし、細部は異なりますが……
彼女の話を現実にするのは、癪なんです」
これまでも、彼女の話に振り回されてきた。そのせいで、沢山の迷惑を被ったのだ。彼女が語る未来なんて、叶えたくはない。
「そもそも、この世界がゲームだと考える彼女にとって、死が本当に罰となるかは怪しいでしょう」
恐怖は覚えるだろう。死を言い渡されて、恐れない者はそういない。
だが、結局彼女は何も反省しないのではないか。もっと言えば、単に間違えたと思うのではないだろうか。ゲームでミスをした、その程度の感覚になりかねない。
彼女の死は、いわばゲーム機の電源を落とすようなものではないか。突然プツリと切れ、画面が真っ黒になるような。
恐怖はあるだろうが、本当の意味で悔いるかは微妙なところである。
そして何より、
「私は、彼女の知るヒロインとやらではありません。彼女が知る物語通りに生きたいとは思えない。
だからこそ、生きていて欲しいですね。生き残った彼女に、言ってやりたいのです。
そう言って口を閉ざす私に反し、陛下とルーファスが声をかみ殺しながら笑う。この親子、本当に似ているなと内心で苦笑した。
そんな二人をよそに、公爵はゆっくり口を開く。
「そうだな。あの子には、目を覚ましてもらいたいものだ」
ぽつりと呟いた言葉は、どこか寂しさが滲んでいる。静まり返った室内に気づいていないのか、彼はぼんやりと言葉を続けた。
「今でも夢を見ているのではと思う。
5歳でジェームズ殿下にお会いした際、あの子は変わってしまった。心優しく、真面目な子だったのに。
倒れてから目を覚ました娘は、別人だった」
もしかしたら、彼女はそのときに前世の記憶を思い出したのだろうか。それが原因で、人が変わったように見えたのか。
公爵は、どう思ったのだろう。突然別人のようになった娘を見て、何を感じたのか。
「アクランド嬢の言うとおり、目を覚ましてくれるといい。悪い夢を見ていたと、そう言えたなら……」
公爵の言葉がプツリと切れる。言葉にできない無念が、宙に残された。
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