第99話 脳裏を過ぎるのは


 「失礼します」

 「おや、聖女様。どうなさいましたか? 本日も書庫におられるものとばかり」


 精が出ますな。そう言って微笑むのは、大神官だ。初めてお会いしたときと変わらぬ、穏やかな笑みを浮かべている。


 学園は冬期休暇に入った。私は領地への帰省を諦め、教会へと身を寄せている。調べなければならないことがあったからだ。

 本来であれば、16歳の誕生日を祝ってもらうはずだったが。致し方ないだろう。


 連日書庫にこもっていたが、進捗は芳しくない。目ぼしい書物が無かったのだ。

 時間ばかりが過ぎていく中、思い切って方法を変えることにした。

 

 書物が駄目なら、人に尋ねればいい。私より長く生きる大神官なら、何かしらヒントを貰える可能性もあるだろう。


 そう考えて、大神官の執務室へとやって来たのだが。予定を尋ねるのを失念していた。忙しいようなら、出直さなければ。


 「突然お邪魔し、申し訳ございません」

 「いえいえ。急ぐ用はございませんから。良ければ、お茶でもいかかでしょうか?」


 ルーファスとオーウェンも座りなさい。二人にそう促すと、大神官は腰を上げた。

 どうやら、お茶の用意をしてくれるようだ。鼻歌を口ずさみながら、お茶菓子を並べていく。随分と歓迎してくれるらしい。


 「さて、これでいいでしょう。長いお話になりそうだ。お茶でも飲みながら話すとしましょう」

 「気づいておられたのですか?」


 全てを見通すかのような言葉に、私は驚きの声を上げる。まだ用件は伝えていなかったのに。

 そんな思いで目を丸める私に、大神官は髭を撫でて笑った。


 「はっはっは。歳を取ると、ある程度のことは察しがつくものです。若者が年寄りを訪ねるなど、それなりの事情があってのことでしょう」


 お茶の誘いなら、急いで来ることもありますまい。そう言うと、大神官はお茶菓子に手を伸ばした。


 この方は案外甘い物好きだ。お茶より先に、お菓子へ手を伸ばしている。少年の様な姿は、相変わらずのようだ。


 「さて、今回はどういったご用件でしょうか?」


 お菓子を飲み込み、大神官が話を切り出す。

 予定を変更してまで調べていたのだ。少しでも手掛かりが得られればと、口を開いた。


 「私が聞きたいのは、東方にあるジェノーネ帝国のことです」


 その言葉に、大神官は目を細める。それがどういった反応なのかは分からない。

 けれど、引き下がることもできなかった。


 「以前学園長に伺ったところ、あまり詳しくないご様子でした。通常の書庫では情報を得られないのでしょう。

 そのため、この休暇中は教会へ身を寄せることにしました。書庫を確認したかったのです」

 「なるほど。学園長であれば、おおよその書物にはあたれるでしょう。国が所有しているものについても、一般人よりは閲覧できるはずです。

 その学園長ですら、容易に見ることができない書庫。そこに情報があると考えたのですね?」

 「おっしゃるとおりです。教会の書庫は、関係者以外立ち入ることはできません。それこそ、従者であるルーファスたちが入室できないように」


 そう。教会の情報管理は極めて厳格だ。祈信術が門外不出であることがいい例だろうか。情報が漏れないよう、徹底した管理がされている。


 仮に、帝国のことが教会の書物にしか記載されていないのであれば。学園長が詳しくないのも説明がつく。


 「しかし、目的は達成できなかったと」

 「ええ。教会の書庫を探しましたが、見つかりませんでした。簡単な記載はありますが、エクセツィオーレに比べるとあまりに少ない」


 隣国であるというのに、なぜここまで情報がないのか。その理由は不明だが、現時点で無いものは仕方がない。

 それならば、他の手を考えるしかなかった。


 「無いものねだりをしても仕方がありません。そこで、大神官を訪ねたのです。私よりも遥かに見識に富むあなたであれば、何かご存知のことがあろうかと」

 「……なるほど、そういうことでしたか。聖女様にそこまで頼られては、この老いぼれも腰を上げねばなりませんな」


 そう言って、大神官は朗らかに笑った。

 しかし、その表情はすぐに陰ることとなる。何か気掛かりがあるのだろうか。


 「ときに聖女様、帝国についてお調べになっているのは、以前ご連絡いただいた件が関係しているのでしょうか」

 「はい。手紙に記したイグニールの件です。学園長に遺体を見せてもらい、帝国に伝わる呪術が関係すると判明しました。

 もっと言えば、ベント子爵領の一件。あれも、同様の手口によるものと考えております。

 もちろん、帝国が犯した事件だとは考えていませんが」


 王都など主要部ならともかく、学園を襲う理由がありません。そう語る私に、大神官は深く頷いた。


 「聖女様の予想は、おおよそ正しいでしょう。

 とはいえ、私自身も彼の国については詳しくないのです。理由は分かりませんが、驚くほどに情報統制がされているようで」

 「情報統制、ですか」

 「さようです。聖女様は、帝国の交易品を見たことがありますか?」


 その問いに、首を横へ振る。懇意にしている商会で、帝国の品物を見たことはない。


 「残念ながら。そもそも、東方と取引がある商会は極めて限られていると聞いています」

 「そのとおりです。大々的に取引しているのは、我が国ではローナイト商会でしょうか」

 「ローナイト商会……たしか、ルーファスの同室者がそこの出だったわね?」


 入学直前に、スピネル寮のサロンでお茶をしていたときのことだ。

 ルーファスは無事に友人を作れるのかと心配したことがあった。平民出身の特待生というだけで目立つのに、この性格。友人付き合いに支障が出るのではという話になったのだ。


 その際、同室の者について教えてくれた。相手はローナイト商会の出で、平民同士気が楽だと。


 「よく覚えていたね。とはいえ、本人は三男で、商会には全く関わっていないようだ。魔力持ちということもあり、勉強しろと親にせっつかれたらしい」

 「平民の魔力持ちは珍しいからな。金銭不安が無いのであれば、勉学を優先させるのは当然だろう」


 ルーファスの言葉に、オーウェンが頷く。

 平民では希少な能力だ。しっかり扱えるようになれば、より家に貢献できる。親御さんが勉学を優先させるのも自然な流れだ。


 「なるほど。同学年にローナイト商会の者がおられるのですか。それなら話は早い。

 帝国は、商売ですら限られた相手としか交流しません。販路が少ない以上、物品を目にすることも難しい。

 情報統制と相まって、謎に包まれた国となっているのです」


 基本的に、交易は我が国からの輸出が主なようですから。そう続ける大神官に、私は思考を巡らせる。


 帝国が輸入を目的とするならば、なおさら帝国の物品を見る機会はないだろう。輸出したいと考えていないのだから当然だ。


 しかし、そこまで交流がないとは。まるで日本の鎖国のようだ。そう考えながら、私は口を開く。

 帝国が情報統制する理由は一体どこにあるのか。


 「情報統制の理由が分かりませんね。そもそも、帝国と我が国の関係は何と表現すべきでしょうか? 敵対しているという話は聞きませんが」

 「おっしゃるとおり、敵対国ではありません。停戦状態にあるわけでもなければ、過去戦争に発展した記録もない。政治史のみを見れば、単なる没交渉というべきでしょう。

 ジェノーネ帝国は大国です。我が国と比べ、国土は大きく、歴史も長い。我が国を小国と捉え、相手にしていないのかもしれません」


 我が国は建国して千年を越えたが、あちらには到底及ばない。情報がないため、詳細は不明だが。長い歴史を積み重ねてきたのは確からしい。

 彼の国から見れば、我が国は取るに足らない小国ということか。


 「ときに大神官、一つお聞きしても?」

 「もちろんだよ、ルーファス」


 何かな? そう問いかける大神官に彼が口を開く。その質問は、極めて重要な問いだった。


 「大神官のお話には、若干の含みがあるように思えます。政治史のみと限定したのはなぜでしょうか」


 その問いに、室内の空気が変わる。自然と私の表情も引き締められた。


 「さすがはルーファス。相変わらず賢い子だ。君の言うとおり、私の発言は含みがあるだろう。

 今語ったのは、あくまでも政治面の話に限られる。これが、宗教的に見ると少々変わってくる」

 「宗教的、ですか?」


 ルーファスは眉を寄せて聞き返す。大神官は一つ頷くと、重い口を開いた。


 「あの国は、多神教なのだよ」

 「……あー、それは……」


 大神官の発言に、私は思わず声を漏らす。

 なるほど、それは難しい関係と言えるだろう。何とも言えぬ表情を浮かべる私に、ルーファスは首を傾げた。


 「多神、教……? どういうことだ? 君は分かるのか?」

 「おおよそはね。その顔を見る限り、オーウェンもよく分からないといったところかしら」

 「お恥ずかしながら……多神教というのがよく分かりません」


 一体どういう意味です? そう尋ねるオーウェンに、私は一つ頷く。

 彼らの反応は無理からぬことだ。この国で祀られるのは、女神様のみ。一神教の国であり、それが建国以来深く信じられてきた。

 一千年以上続く価値観の上で育った彼らに、多神教と言ってもピンと来ないだろう。


 私が理解できるのは、前世の記憶があるためだ。八百万の神々が信じられていた日本。その国で生きて来たからこその話である。


 「多神教とは、その名の通り多数の神々を信仰することよ。祀るべき神が多くいると考えればいいわ」

 「神がたくさんいる……?」

 「それはなんというか、不思議です、ね……?」


 二人の言葉から、混乱しているのがよく分かる。

 無理もないだろう。この辺りは何を常識にしてきたかで変わる。優劣の問題ではない。どのような文化で生きてきたかの話だ。


 「今二人が感じているのと同じように、あちらから見ても私たちの信仰は理解し難いものでしょう。

 そういった意味では、難しい関係と言えるでしょうね。信仰の違いというのは、ときに大きな問題に発展する。

 ……距離を置いている今が理想的だと思えるような、そんな日が来るとも限らないわ」


 帝国については分からないことが多く、実際に争いへ発展するかは不透明だが。センシティブな話題であるのは事実だ。取り扱いには注意せざるを得ないだろう。


 「聖女様のおっしゃるとおりです。ボタンの掛け違い一つで、争いになり兼ねない。

 だからこそ、情報が制限されているのは都合のいいことでもある。争いの火種を作るより、余程穏当な在り方といえるでしょう。相互理解ができるならそれに越したことはありませんが……」

 「世の中に絶対はない。距離を縮めた結果、酷い顛末を迎えることもあるでしょうね」

 「ええ。政治面はともかく、我が国と彼の国で価値観が異なるのは事実です。

 それもあり、微妙な関係という他ありません。信仰が異なる以上、我が教会も彼の国とは繋がりがないのです。

 エクセツィオーレとの大きな違いはこの点でしょう。あの国は我が国と信仰を同じくする者も多いですから」


 息を吐く大神官に、私は黙したまま頷く。このような関係ならば、教会も帝国を知る術はないだろう。

 情報を取れなかったのは痛手だが、何も手に入らなかったわけではない。最低限の事情は知れた。


 後は、最も知りたい箇所についてだが。これも難しいかもしれない。


 「大神官。帝国には死体を操る術があるそうですが、ご存知でしょうか」


 そう。私が最も聞きたかったのはこの件だ。

 今まで起きた魔獣の襲撃。その全てに関連していると思われる術のこと。それを知ることができれば、帝国については置いておけば良い。


 元より、帝国による策略とは考え難いのだ。事件解決に必要な情報さえ集まれば十分だろう。


 「ふむ。確かにそのような術があると聞いたことがあります。死者の眠りを妨げるというのは、私としては許し難いことですが……

 いえ、これ以上は言いますまい。あくまでも、ごく個人的な感想です」


 深い息を吐き、大神官は顔を伏せる。感覚や文化が違うものを、一概に責めてはならないという自戒だろうか。

 暫しの間口を噤むと、静かに顔を上げた。


 「死者を操る術。帝国で使われる呪術の一種でしたか。それ自体は、聞いたことがあります」

 「本当ですか? 一体、どういった術なのでしょう」


 私の問いに、大神官は腕を組む。古い記憶を思い出すかのように、ゆっくりと語り始めた。


 「正直なところ、詳細は分かりません。その点は御承知おきください。

 まずは、力を持つ者しか使えないということ。これは我が国の魔術と同じですね。魔力持ちでなければ、魔術は使えません。あちらも同様に、力を持つ者以外は呪術の行使ができないそうです」


 燃料がなければ車を動かせないように、力がなければ呪術は使えないようだ。この辺りは、魔術と同じだ。


 「また、死体を操る術については、より術者が限定されると聞いています。一般に広まるような術ではないようです」

 「帝国ですら、広く普及していないと?」

 「ええ。死体を操るという行為の性質ゆえでしょうか。一定の代償があるようです」

 「代償、ですか?」


 不穏な言葉に、私は眉を顰める。魔術であれば魔力を消費するが、そういったものではないのだろう。


 「死者を生者かのように錯覚させるほどの術。その際に用いられるのは術者の魂だとか」

 「術者の魂……」


 声が自然と固くなった。魂を使用するとは、具体的に何を意味するのか。正直、嫌な予感しかない。


 「理解しやすい語に置き換えるなら、寿命でしょうか。術者の寿命を利用し、死体を動かすのだそうです」


 その説明に絶句する。あまりの衝撃に言葉が出てこなかった。

 死体を動かす以上、そう簡単にできることではないだろうが。わざわざ、自身の寿命を代償にしてまで、死体を動かしたというのか。


 「……最悪の展開ね」


 奥歯を強く噛み締める。

 本当に、最悪の展開だ。ブリジット嬢の様子から、あまり猶予はないと考えていたけれど。それどころの話ではない。


 急がなければ、この事件は迷宮入りしかねないということだ。術者死亡で証拠隠滅など笑えない。裁くためには、生きているうちに捕らえなければ。


 「術者の寿命というのは、どの程度削れるものなのですか?」


 ルーファスの問いに、大神官は眉を下げる。さすがの彼も、そこまでは知らないようだ。


 「正確なことは分からん。私も、又聞きに過ぎんからな。

 だが、決して軽いものではないはずだ。禁術になっていても可笑しくない術。発動するに足る代償が必要だろう」


 寿命が削れる量については把握ができない。少なくないことはたしかだろうが、詳細は不明だ。


 しかし、一つだけ予想できることがある。


 術者に残された時間が、そう多くないということだ。

 ベント子爵領の事件が起きたのは、7年以上前の話。既に寿命を大きく削られている可能性が高い。


 「オーウェン」

 「はい、聖女様。至急王城へ連絡いたします」


 オーウェンはすぐに部屋を辞し、足早に去っていく。遠ざかる足音を聞きながら、私は小さく息を吐いた。


 本当に面倒な事ばかりだとぼやきたくなる。言っても詮無いことではあるが、ため息くらいは許して欲しい。


 ティーカップへ手を伸ばし、口をつける。紅茶は既に冷めていた。それだけ話に集中していたのだろう。


 むしろ、冷めていて良かったかもしれない。怒涛の情報に疲れた頭が、強制的に起こされるのを感じる。


 「そういえば、もう一つお聞きしたいのですが」

 「もちろん。いくらでもお聞きください」


 ティーカップを離し、大神官へ視線を向ける。彼は朗らかに微笑んで頷いた。

 それに微笑み返すと、今までの話で気になったことを口にする。


 「大神官はあの術について、どなたからお聞きになったのですか?」

 「ああ。実は、相手のことはよく分からないのです」

 「分からない?」


 困ったように眉を下げる大神官に、私は首を傾げる。彼の回答を聞き、風の噂程度かと思ったのだが。どうやらそうでもないらしい。


 「以前慰問へ向かった際、現地の子どもと話す機会がありましてな。歳は8歳程度でしょうか。黒髪の落ち着いた少年でした。

 周囲の大人をよく手伝い、雑務を助けてくれましてね。せっかくだからと、治療の合間に話をしたのですよ。

 そのときに、あの術について話を聞いたのです」

 「その少年は、よく術のことを知っていましたね」

 「親戚が帝国出身の方だと言っていました。国交を断絶しているわけでもありませんし、あり得ないことではないでしょう。ローナイト商会を筆頭に、一部の民はやり取りがありますからね。

 ……教義的には許されませんが、婚外子だったのではないかと」


 ため息を吐く大神官に、私はドキリと胸を鳴らす。隣にルーファスがいるからだ。大神官は彼の正体を知らないが、正直心臓に悪い。


 「少年はとても痩せておりましてね。手も足も枝のように細かった。

 教義上、我が国は不貞を認めません。それゆえに、隠された子どもだったのでしょう。生かしはしても、真っ当に育てるつもりはなかったのかもしれません」


 あの年頃の子どもであれば、もっと安全な場所にいるべきだというのに。そう語る大神官に、私は目を細める。安全な場所とは、一体どういうことか。


 いや、もっと早く確認すべきだったのかもしれない。

 慰問に行った先で、大神官自ら治療を行うとは考え難い。まだ若い頃の話か、それほど逼迫した事態だったのか。


 脳裏に過ったのは、ある事件だ。


 「大神官。その話は、26年ほど前に遡るのでしょうか」

 「ああ……もうそれほど時間が経ちましたか。御想像のとおり、スタンピードが起きたときの話です。本当に、酷い有様だった」


 随分と月日が経ったものだ。そう語る大神官に、私はゴクリと喉を鳴らす。


 嫌な符合だ。そう思わずにはいられない。もちろん、単なる偶然という可能性はあるけれど。

 ちらりと横を見ると、ルーファスも唇を噛んでいた。


 スタンピード。我が国の歴史に刻まれた、痛ましい事件。未だ民の心に暗い影を落とす、悲しい記憶。


 その戦地となったのは、我が国の東部、ケンドール辺境伯領だ。


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