第97話 操り人形は躍る(??side)


 「こうしてあなたとお茶を飲むのは久しぶりね、ブリジット嬢」

 「はい。お招きくださりありがとうございます、王妃殿下」


 ここはとある貴賓室。王妃がよく利用する部屋だ。陛下は王妃が暮らす区画には一切立ち寄らないため、この周辺は専ら王妃専用となっている。


 二人はテーブルを囲み、和やかな雰囲気でお茶を楽しんでいた。机の上に置かれたケーキスタンドには、色とりどりのデザートが並んでいる。

 給仕が終わった私は、一人壁際に控えていた。


 「もう11月。学園にも慣れたかしら」

 「はい。学内には大分慣れました。妃教育の時間は減ってしまいましたが……」

 「あら、それはかまわないわよ。学業も大切なことよ」


 学生の時間を大切にね。王妃はコードウェル嬢に微笑みかける。その姿に、コードウェル嬢も嬉しそうに笑った。


 このまま和やかに話が進めば良かったのだが。そう上手く進むわけがない。

 よりにもよって、この茶会の主催はだ。そんなことのために、時間を使う女性ではない。


 「そういえば、先日の収穫祭は覚えていて?」

 「はい、今年も素晴らしい祭りとなりましたね」


 王妃の問いかけに、コードウェル嬢が答える。市場も大層賑わったとか、と語る彼女に、王妃は薄く笑った。


 「ええ。とてもいいお祭りだったわ。何より、アクランド嬢の説教は素晴らしかった。聖女に相応しい奇跡も起こしてくれたし、民は大興奮だったわね」

 「そ、うですね。素晴らしい式典でした」


 コードウェル嬢が、一瞬言葉を詰まらせる。

 無理もないか。彼女はアクランド嬢のことを心底疎んでいる。

 にもかかわらず、婚約者の母が、憎き相手を褒めているのだ。面白くないと思うのも当然か。


 「アクランド嬢の評判はうなぎ登りね。民の間では驚くような記事が出回っていたのだけれど……ご存知かしら?」

 「驚くような記事、ですか?」


 ブリジット嬢は怪訝そうな声で問いかける。どうやら、彼女はあの記事を知らないらしい。平民向けの新聞ゆえ、普段読まないものではあるだろう。


 それにしても、ひと月は騒ぎになっていた話題だ。情報収集が甘すぎる。

 普通、彼女の侍女や周囲の人間から話を聞くだろうに。人望のなさが、この結果を招いたようだ。


 「そう。見出しからして驚きよ? 『ジェームズ殿下、聖女シャーロット嬢に求愛か。障害多き恋の行方は?』ってね」

 「な、なんです? それは」


 驚いたように目を見開く彼女に、王妃は美しく微笑む。動揺する彼女へ優しく語りかけた。


 「ジェームズったらアクランド嬢のところへ押しかけたらしいの。彼女と話がしたい、ってね。それを多くの生徒が目撃していて、話が外に漏れたようなのよ。

 結果として、ジェームズがアクランド嬢を好いていると話題になったのよね」

 「なぜそんなことが!」


 私という婚約者がおりますのに! そう声を荒げる彼女に、王妃は口角を上げる。その瞳は、恐ろしく冷たかった。


 「あら? それならば私も聞きたいのだけれど。なぜ、あなたはその場にいなかったのかしら」


 あなたがいれば、記事にならなかったのではなくて? その問いかけに、コードウェル嬢が息をのむ。

 婚約者を置いてどこへ行っていたのかと、冷たい眼差しが責め立てる。


 「どうやら、ジェームズは一人でアクランド嬢のところへ赴いたそうよ? あの子があなたに断りもせず、そんなことをするとは思えないわ。

 なぜ、あの子は一人だったのかしら。あなたが誘いを断ったのではなくて?」


 王妃の言うとおり、ジェームズ殿下がコードウェル嬢を置いていくとは思えない。殿下はコードウェル嬢を愛しておられる。疑いを持たれぬよう、事前に声をかけたはずだ。


 殿下を知る者からすれば、コードウェル嬢が断った結果としか思えない。断られてしまえば、殿下は引き下がるだろう。愛する婚約者に、無理強いをする人ではないのだから。


 「おそらく、私が授業を休んだ日の話ではないかと。体調を崩した私を慮ってくれたのでは……」

 「……そう。あなたはあくまでも、あの子の誘いを断っていないと言うのね?」


 あの子なら、あなたが体調崩せば日付をずらすでしょうけど。そう呟く王妃に、コードウェル嬢が肩を揺らす。


 どうやら図星のようだ。やり取りの詳細は不明だが、誘いを断ったのは事実らしい。


 その結果、コードウェル嬢が休んでいるときに、アクランド嬢へ会いに行ったのだろう。

 誘いを断られていたのなら、コードウェル嬢が回復するのを待つ必要はない。早く用件を終わらせようと考えても、可笑しくなかった。


 「王妃様、それは」

 「もういいわ。この話はこれで終わりにしましょう」


 そう言って、王妃がティーカップを傾ける。彼女が好きな茶葉を使用しているからか、ほんの少し表情が和らいだ。


 「さて、ブリジット嬢。あなたに言っておかなければならないことがあるわ」


 ティーカップを口から離し、王妃は口を開く。その表情は真剣そのもので、有無を言わさぬ迫力があった。

 コードウェル嬢はこくりと唾を飲み込み、王妃へ視線を向ける。


 「現状、アクランド嬢の評価は極めて高い。民からも、ジェームズの妃にと願われるほど愛されているわ。

 それに引き換え、あなたはどうかしら? 学内の噂を耳にしたけれど、褒められた状況ではないようね?」


 容赦のない指摘に、コードウェル嬢が唇を噛む。何も言い返せず、俯いてしまった。

 そのような姿を見せれば、一層王妃に見下されるというのに。


 コードウェル嬢の欠点は、圧倒的な社交経験のなさだ。結果として、対人関係に大きな支障をきたしている。


 学内での立ち回りだけではない。その時々で、どのような対応をすべきか。それが一切身についていないのだ。


 これがアクランド嬢であれば。少なくとも、このような悪手は打たないだろう。

 そもそもの話、彼女なら感情を表に出しはしない。それすらできない時点で、コードウェル嬢はアクランド嬢に大きく劣っている。社交の場に出る身としては、致命的な欠陥だ。


 「あなたをジェームズの婚約者に選んだのは、失敗だったかしら。ウィルソン公爵家から選んだ方が、まだ良かったかもしれないわね」

 「そ、そんな……!」


 コードウェル嬢が、愕然としたような声を上げる。私を選んでくださったのに。そう呟く彼女に、王妃はあっさりと言葉を返した。


 「そうよ? ソフィア嬢とあなたなら、あなたの方が良いと考えた。

 今となっては、その利点も活かせないわけだけれど。聖女という素晴らしい女性が出てしまったしね」

 「それは、どういう……。いえ、王妃殿下。それならばなぜ、私をお選びに? 私の方がソフィア嬢より優れていたのでは?」


 本当は、声を荒げたいのだろう。

 しかし、前にいるのは王妃だ。癇癪を起こすわけにはいかない。それくらいは理解しているのか、彼女は震える声を抑え付け、懸命に問いかける。


 王妃はちらりと彼女を見ると、隠すことなくため息を吐いた。

 その声に、彼女はびくりと怯えを見せる。本当に、取り繕うことのできない人だ。


 「あなたを選んだ理由、それすら理解していないとは思わなかったわ。

 まあいいでしょう。いい機会ですもの、説明してあげるわ」


 そう言って、王妃はじっと彼女を見つめる。正確に表現するのなら、彼女の髪を見つめていた。


 「あなたを選んだのは、その青があるからよ。王家の象徴である青色。それを髪に宿していたから」

 「あ、お……? 私の髪が青いから、お選びくださったと……?」

 「そうよ。王家にとって、青が重要な色なのは誰でも知っていること。まさか、妃教育を受けているあなたが、知らないとは言わないわよね?」


 王妃の問いに、コードウェル嬢は口を開かなかった。驚きのあまり開けなかったらしい。


 正直、驚きたいのはこちらの方なのだが。なぜ、彼女は王家の青を理解していないのか。この国で生きていれば、誰でも理解できること。幼子でもあるまいに、些か不自然だ。


 「……青を持っていることが理由なら、ソフィア嬢でもよろしかったのでは? 彼女の瞳もまた、美しい青色です」


 動揺のまま言葉を失うかと思ったが。一応、問いを返すくらいの余力はあったらしい。彼女の言葉に、王妃は美しい笑みを浮かべた。


 その姿に、私は目を伏せる。これから繰り広げられる惨状を察して。


 「そのとおりね。でも、彼女には問題があったの」

 「問題、ですか?」

 「ええ。ソフィア嬢は、エクセツィオーレの血が濃いでしょう? 外見からもよく分かる。ジェームズの妃としては少々不都合があったのよ。

 もちろん、他国から姫を娶ることもあり得るし、一概に悪いわけではないけれど。王家の青を宿していたのは、幸いにも彼女だけではなかった。だから、ソフィア嬢を選ばなかったのよ」


 その言葉に、コードウェル嬢は目を見開いた。自分が選ばれた理由を、ようやく理解したのか。

 彼女が選ばれたのは、何も彼女が優れていたからではない。もっと、単純な理由だ。


 「つまり、私が選ばれた理由は、青を宿していただけ、ということですか……?」

 「そうよ? ソフィア嬢を選べなかったから、結果としてあなたになったというのが正しいわね」


 そう。正直なところ、ブリジット嬢を選んだとは言い難いのだ。言ってしまえば、消去法だった。


 王家の青を持っている公爵家の令嬢。その内、ソフィア嬢は他国の血が濃く出ていたために、ジェームズ殿下の相手としては選び辛かった。

 ただでさえ王家の青を持たぬ殿下だ。反対勢力に足を取られそうな相手は選べない。


 だからこそ、コードウェル嬢に白羽の矢が立った。それだけの話だ。


 「ソフィア嬢の肌が白ければ、違う結果になっていたでしょうけれど。まあ、それは仕方ないわね」


 彼女にどうこうできる問題ではないもの。そう告げる王妃を、コードウェル嬢は愕然とした表情で見る。まるで足元が崩れ落ちたかのような、絶望的な表情をしていた。


 「まあ、それでもあなたが選ばれたのは事実よ。だからこそ、幼少の頃より時間をかけて教育してきたの。

 それでも、聖女には敵わないみたいね」


 王妃の言葉に、コードウェル嬢の顔が青褪める。自身の立場がどういうものなのか、察したようだ。


 「聖女の評判はすこぶる良い。見目の愛らしさに、優秀さ。時属性魔術を扱える稀有な才能。

 そして何より、多くの者を惹きつける人柄がある。何をとっても、あなたは負けているわ」


 追い打ちをかけるように、王妃は言葉を続けた。コードウェル嬢にとって、これほど苦しいことはないだろう。婚約者の母親から、お前は駄目だと言われているのだから。


 しかし、王妃の話はそこで終わらない。厳しい表情から一転、花のような笑みを浮かべた。

 美しい笑みには、どこか慈愛のようなものが浮かんでいるようにも見える。絶望の淵にあるコードウェル嬢にとっては、救いの手に見えるだろう。


 それが、地獄への導きとも知らずに。


 「でもね、私はあなたの努力は認めているわ。今まで、本当によく頑張ってくれた。幼い頃から妃教育に取り組み、慈善活動にも精を出していた。そんなあなたを、私はずっと見てきた」

 「っ、王妃様……」


 震える声で、コードウェル嬢が王妃を呼ぶ。その声は、どこか濡れていた。涙を堪えているのかもしれない。自身を認めてくれる発言に、救われたのか。


 「だからこそ、あなたには頑張ってもらいたいの。今まで、懸命に努力してきたでしょう? それを無駄にしないように、あなたが自力で乗り越えなくては。

 ジェームズとの幸せを、ここで諦めるつもりはないのでしょう?」

 「もちろんです! 殿下のことを、心からお慕いしております!」


 即座にそう答える彼女に、王妃はにっこりと笑う。そして、涙を堪える彼女に美しい微笑みを向けた。


 「ならば、まずは次の学期末試験で結果を出しなさい。あなたこそジェームズに相応しいと言えるだけの成果を。あと一ヶ月あるのだから、今からでも間に合うでしょう。

 自分の幸せのため、ジェームズとの未来のために。頑張れるわね?」

 「はいっ! 必ずや!」


 力強く宣言する彼女に、王妃は満足気に頷いた。「なら、お茶会はお開きにしましょう。勉学の邪魔はできないもの」と語り、軽く手を叩く。

 これで、本日の席は終了のようだ。


 美しい礼を見せて去っていくコードウェル嬢を、王妃はにこやかな笑みで見送る。


 扉が閉ざされ、足音一つ聞こえなくなった頃。室内に高い声が響き渡った。


 「あっはははははははははは! まさか、これほど上手くいくなんて! ああ、笑いすぎてお腹を痛めてしまいそう!」


 室内を揺らす嘲笑に、私は心の中でため息をつく。

 ああ、こうなるだろうと思っていた。コードウェル嬢では、王妃には到底適うまいと。


 「ふふふふふ! ああ、本当に、何て面白いのかしら! 本当に遊び甲斐のあるお人形だこと! ねえ、あなたもそう思わない?」


 こちらへ視線を向ける王妃に、私は一礼する。

 元より、私に否定する権利はない。返す言葉など決まっていた。


 「王妃殿下のおっしゃるとおりです」

 「ふふふ! あの子、本当に人形としては面白いのよね。まあ、もう用無しなのだけれど」


 そう言って彼女はティーカップを傾ける。喉を潤すと、再び機嫌良さそうに語り始めた。


 「それにしても、あの子本当にあなたに気づかず終わったわね。見知らぬ顔でもないでしょうに、変装一つで気づかないなんて。

 ボンネットに大ぶりのレースがついているからかしら? 顔が見えづらくはなっているわよね」

 「おっしゃるとおりかと。後は、メイド服を着ているせいで興味もなかったのでは。彼女は少々、人より目が悪いようです」

 「ああ、それはそうね」


 視野が狭いったらないわ。そう言って、王妃はカップをソーサーへ戻した。目の前のスコーンを手に取ると、お気に入りのジャムを塗る。


 「さて、これであの子も思い通りに動いてくれることでしょう。ふふ、馬鹿な子よね。あの子を認める日なんて、一生来ないのに」


 努力が全て無駄になるなんて、可哀想だこと! 一頻り笑い終わると、彼女はスコーンを口に運んだ。思い通りに動かせたからか。今日はいつもより機嫌が良い。


 「ああ、次の学期末試験が楽しみね。どれほど努力しようと、アクランド嬢に勝てるわけがないけれど。あの子、自分の能力を理解していないのかしら?」

 「自己評価がとても高いようです」

 「客観視できないとは、致命的ね。まあ、仮に奇跡が起きたところで、全て無駄になるのだけれど」


 ナプキンで口元を拭うと、彼女は美しく微笑んだ。


 「以前命じたとおり、あの子にはご退場いただかないといけないの。この一年間でね。

 私の筋書き通りに、踊ってもらわなくちゃ。お人形はお人形らしく、ね」


 処分する前にたくさん遊んであげないと! そう語る彼女は、恐ろしいほどに美しい笑みを浮かべている。罪悪感など微塵もない、純粋な笑みだ。


 「さて。あなたのすべきことは分かっているわね?」

 「もちろんです。必ずや、あなたの指示通り、ブリジット嬢を処分して見せましょう」


 私の返事に、彼女は気を良くしたようだ。にっこりと笑みを浮かべ、こちらを見ている。大輪の花がほころぶような姿だ。


 「いいこね。ああ、早くあの子が壊れるところを見たいわ。それが、アクランド嬢を手に入れる合図になるのだもの!

 お人形遊びはこの一年で終わりにしないとね。私のお気に入りに嫌われたくないわ。私を母なる大地と呼んでくれた聖女を、とびきり可愛がるの!」


 彼女は何が好きかしら! そう言うと、王妃はアクランド嬢に思いを馳せる。


 王妃にとって、アクランド嬢は願いを叶える切り札。コードウェル嬢とは格が違う。王妃なりに大切に思っているようだ。

 それが、アクランド嬢にとって幸福かは別の話だが。


 王妃の脳裏には、既にコードウェル嬢の存在はない。王妃が再び彼女へ意識を向けるのは、堕ちていく様を見るときだけだ。


 ああ、本当に。どこまでも純粋で、どこまでも残酷な人。お人形の処分は躊躇わないくせに、最後まで楽しく遊びたいらしい。


 少し前までは、処分できれば良かっただけなのに。あまりにも遊び甲斐があるからか、不用品から玩具に格上げされたようだ。コードウェル嬢にとって、何と悲劇なことか。


 そして、狙われたアクランド嬢も。王妃は一度執着したら諦めないタイプだ。実の息子ですら駒としか思わない彼女が、アクランド嬢はお気に入りと語る。


 どう考えても、執着している。お気に入りの宝石を集めるかのように、あれが欲しいと口にするのだ。


 私は一人、瞼を閉じる。

 コードウェル嬢にも、アクランド嬢にも。思うところはないし、恨みもない。

 それでも私は、王妃のために尽力するだろう。


 私も所詮、王妃の操り人形。


 彼女のために動き、彼女によって捨てられる運命だ。


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