第92話 交わされた取引


 勘弁してくれ。星が輝く空の下、目前には眩暈がしそうな光景が広がっている。

 なぜこうなった。小さく呟いた声は、誰にも拾われることなく闇に溶けていった。




 公爵たちとの話し合いが終わり、学園へ戻った頃。

 寮の玄関ホールに、慌てふためくヘレンの姿があった。すぐ近くには、彼女を宥めるメアリーの姿もある。


 ルーファスと顔を見合わせ、首を傾げた。一体どうしたのだろうか。挨拶がてら二人へ声をかけると、ヘレンが突然謝罪を口にした。


 「申し訳ございません、シャーロット様。その、本日の授業内容をまとめた紙がどこかにいってしまって……」


 本当に申し訳ございません! 勢いよく頭を下げる彼女に、私は目を瞬く。


 元はといえば、彼女が好意でやってくれたことだ。無くしたからといって謝る必要はない。

 本来、自分でやるべき話だ。後で写させてもらえればそれでいい。そう告げて、何とか顔を上げてもらった。


 しかし、彼女の表情は一向に晴れない。

 というのも、彼女は礼をしたくて板書を買って出たのだ。ベント子爵領での一件に、何もせずにはいられなかったとか。


 そんな中、肝心の物を紛失したとあれば、落ち込むのも無理はない。

 落ち込む彼女の力になれないかと、探し物に付き合うのは自然な流れだった。


 「ヘレン、どこかに置いてきてしまった可能性はないかしら。寮に戻る前、どこかへ立ち寄っていない?」


 そう問いかける私に、彼女はハッと顔を上げる。どうやら、思い当たる場所があるようだ。


 「それならば図書館です! ついさっきまで図書館にいましたから。ちゃんと片付けたつもりでしたが、見落としたのかもしれません」


 板書を写すだけでなく、彼女は文献を見て必要な情報をまとめてくれたらしい。


 まさかそこまでしてくれたとは。彼女の気遣いを知り、何としても見つけなければと気合いを入れた。


 「では、図書館に向かいましょう。私たち二人だと心もとないし、メアリーもついてきてくれる?」

 「もちろんです! ご一緒します」


 こんな状態のヘレン嬢、放っておけませんもの。そう告げるメアリーは、穏やかな笑みを浮かべている。


 黙って様子を見ていたルーファスも、着いて行こうかと提案してくれた。デイジーも同様にこちらへ視線を向けている。

 

 そんな彼らに、私は首を横へ振った。

 気持ちはありがたいが、二人とも今戻ったばかりだ。まずは疲れを癒して欲しい。


 何より、大勢で探すのはヘレンにとっても良くないだろう。

 もし置き忘れただけならば、かえって可哀想だ。手伝う人数が多いほどに、申し訳ないと頭を下げる姿が目に浮かぶ。

 紛失ならともかく、ただ置き忘れただけなら大事にする必要はない。


 ルーファスたちは、私から目を離すのが心配なのだろう。最近、可笑しな事件ばかりだ。神経が過敏になっているらしい。


 とはいえ、今回は忘れ物を取りにいくだけだ。30分もかからず終わるだろう。行く場所も校舎内だし、危険や面倒事が起こるとは思えない。

 心配しなくていいと告げ、ルーファスたちと別れた。


 そうして図書館へ向かう道すがら、三人で雑談に興じる。

 ヘレンの気持ちが少しでも明るくなればと、王都で人気のお菓子について話をしていた。多少は効果があったのか、彼女はいくらか穏やかな表情を浮かべている。

 それにほっと胸を撫で下ろし、和やかに話を続けていた。


 寮から離れ、大通りへ足を踏み入れようとしたとき。不意に、通りの反対側から声をかけられた。


 「あら? あなたたち、どこへ向かうの?」

 

 夕食には少し早いわよ? そう言って首を傾げるのはハリス先生だ。


 我が学園は、校舎を挟んで右側にタンザナイト寮、左側にスピネル寮が建てられている。

 反対側から声をかけてきたということは、先生はタンザナイト寮にいたのだろう。先日の件は未だ調査中と聞くし、頻繁に顔を出しているのかもしれない。


 「御機嫌よう、ハリス先生。実は、図書館に用事がありまして」

 「御機嫌よう。それにしても、図書館? こんな時間に?」


 そろそろ夕食時だというのに。不思議そうに尋ねる彼女に、私は苦笑交じりに答えた。


 「はい。忘れ物をしたみたいで」

 「そういうこと。なら、一緒に行きましょうか」


 いくら学園内とはいえ、夜に女子生徒だけでは心配だもの。そう告げる先生に、ヘレンがおずおずと口を開く。


 「ですが先生、良いのですか? お忙しい先生に、私の忘れ物探しに付き合わせるのは……」


 しょんぼりと肩を落とす彼女は、申し訳なさそうな表情を浮かべている。自分の忘れ物で先生の手を煩わせるのが心苦しいらしい。

 この姿を見る限り、ルーファスたちを置いて来たのは正解だったようだ。


 そんなヘレンを見て、先生はからりと笑う。気にしなくていいのよ、と片手を振った。


 「もう少しで夕食だもの。今から仕事をしても、すぐ中断する羽目になるわ。むしろ時間が潰せてありがたいくらいね」

 「ありがとうございます、先生」


 軽い口調で告げる先生に、私は微笑む。

 生徒思いな先生らしい、気の利いた言葉だ。ヘレンが恐縮しなくて済むようにという配慮だろう。断るのも申し訳ないと、先生のご好意に甘えることにした。


 そうして四人で図書館へ向かったのだが。目的地を目前として、驚くべき光景を目にしたわけだ。


 数十分前の自分を呪いたい。何が、忘れ物を取りにいくだけの話、だ。ばっちり面倒事が起きているじゃないか。

 というより、学園内を歩いただけで事件遭遇とはこれいかに。これも乙女ゲームの定番なのか? 物騒過ぎやしないだろうか。


 現実逃避する私の前には、ブリジット嬢が佇んでいる。彼女の足元には、小さな紙片が散らばっていた。

 まさかとは思うが、これがヘレンの忘れ物だろうか。


 「コ、コードウェル公爵令嬢! それは……!」


 シャーロット様に渡すはずだったのに! ヘレンの一言に、私は肩を落とす。


 やっぱりか。本当に勘弁してほしい。なぜこうも問題ばかり起きるのか。


 うんざりとした気持ちで視線を走らせる。

 ブリジット嬢の足元に散らばる紙片。それがヘレンの探していたものらしい。私は現物を知らないし、暗くてよく分からないが。ヘレンの混乱ぶりを見るに、十中八九探し物はこれだろう。


 「ブリジット嬢、」


 このままでは埒があかない。まずは話をしようと、彼女に声をかける。


 そのときだった。


 「は?」


 突然、魔力が集まるのを感じる。咄嗟に身構えるも、彼女の足元に魔術陣はない。

 攻撃の意思はないようだ。それを証明するかのように、魔力は思わぬところへ向かっていく。


 魔力が向かうは、彼女の足元。大量の水が地面に降り注いだ。


 「……え?」


 メアリーの唖然とした声が響く。突然の不可解な行動に、驚くのは当然だ。まさか自身に向けて水をかけるとは思わないだろう。


 大量の水が撒かれ、彼女の足が濡れる。

 それと同時に、破り捨てられたであろう紙も水浸しになっていた。


 やられたな。私は心の中で呟いた。

 彼女がどう言い訳するつもりかは知らないが、これで現物を確認するのは困難となった。彼女の行為を糾弾しようにも、今となっては状況証拠しかない。


 あれだけの水だ。紙はふやけ、インクが滲んでいることだろう。元々小さくなるほど破かれていたし、解読は絶望的だ。


 「コードウェル嬢、これは一体……」


 ハリス先生も、驚きのあまり唖然と声を上げる。そんな彼女に、ブリジット嬢はゆっくりと口を開いた。


 「先生、驚かせてしまい申し訳ございません。

 ですがっ、私、悲しくて……!」


 何か始まった。突然の悲痛な声に、私は目を丸める。緊迫した空気ゆえ声には出さないが……驚きの展開に開いた口が塞がらない。


 正直に言おう。公爵や陛下との会談で疲れているのだ。緊張感を維持できるほどの元気は既にない。

 戦場ならともかく、ここは基本的に安全な学園内。気を張るにも限界がある。


 そんな中、よく分からない寸劇が始まったのだ。惚けたくなるのも無理はないだろう。若干引いてしまったことは許して欲しい。


 「……ちょっと待ってちょうだい。悲しくて、というのはどういうこと? 魔力の使用と、そこに散らばる紙。それにどういう関係があるのかしら?」


 冷静であろうとしているのか、ハリス先生はゆっくりと問いかける。その声に覇気はなく、どこか疲れ気味だ。ため息を堪えているだけ凄いと思うくらいには、胡乱な目をしている。


 それに気づいているのかいないのか、ブリジット嬢は悲痛そうな表情のまま口を開いた。舞台女優さながらだ。


 「私、悲しさのあまり、魔力を暴発してしまったのです。それほどまでに、酷いことが書かれていて!」

 「暴発、ね……。酷いこととは?」


 ブリジット嬢の言い分に、ハリス先生が再び問いを返す。

 その様を眺めながら、私は一人ため息を吐いた。


 暴発って。危険性のない場で暴発させるというのか。


 7歳前後の子どもならいざ知らず、彼女は学園へ通う身だ。魔力操作は十分にできるはず。的確に足元へ落としたことからも、意図してやったことだろう。


 私の場合、魔術陣を展開せずとも土を耕すくらいはできる。ベント子爵領でも、咄嗟の際に使用した。

 

 彼女が今やったことも、基本的に同じだ。

 違うのは、私と彼女の魔術属性だけ。私は土、彼女は水。それにより操るものが違うだけの話である。


 仮に、暴発させたというのが事実なら、補講を受けることをおすすめしよう。学園の授業を受けている場合ではない。


 「実は、あの紙に私の悪口が書かれていたのです」

 「な、何を言っているのです!? 私はそんなこと書いておりません!」


 ブリジット嬢の言葉に、ヘレンが否定の声を上げる。突然の冤罪に、大人しい彼女も黙っていられないのだろう。


 とはいえ、だ。私はブリジット嬢の足元へ視線を送る。

 もう読めなくなってしまった紙。真偽を確かめるのは不可能だった。


 「酷いわ! 私を侮辱し、謝りもしないなんて!」

 「していないことに謝罪などできません! なぜ、そんな嘘を……」

 「嘘? 私が嘘を吐いたとおっしゃるのです?」


 子爵令嬢のあなたが? そう問いかける彼女に、ヘレンが肩を震わせる。

 それを見て、私の胸に苦い気持ちが広がった。


 権力を笠に着るとはこういうことか。嫌なものを見たと眉を寄せる。

 公爵令嬢に子爵令嬢風情が逆らうのかと、そう言いたいらしい。ジェームズ殿下もいないため、本性が顔を出しているようだ。最低限言葉は整えているものの、内容は聞くに堪えない。


 「コードウェル嬢、その発言は……」

 「ハリス先生、我が国は身分制です。明確な証拠もなく、下位の者が高位貴族を糾弾して良いとおっしゃるのですか?」


 ブリジット嬢を咎めようとした先生に、彼女は厳しく言葉を投げる。

 ハリス先生もまた、男爵家の生まれだ。教員ゆえに注意はできるが、身分的にはブリジット嬢が上。ブリジット嬢は、内心で先生を下に見ているのかもしれない。


 「そこまでです」


 ぱん、と手を叩き、私は声を上げる。これ以上はヘレンたちには酷だ。私が収拾をつけるしかないだろう。


 正直、彼女に関わるのは嫌なのだけれど。こんな状況、放っておけるはずもなかった。


 「ブリジット嬢。私はその紙の詳細を知りません。ヘレンが本日の授業内容をまとめたものと聞いていますが、そこにあなたの悪口も書かれていたのですか?」

 「そうです。授業内容だけでなく、下部に私への悪口が記載されておりました。とんだ侮辱だわ」


 そんな! ヘレンの悲痛な声が響くも、今宥めることはできない。私はそのままブリジット嬢へ問いかけた。


 「なるほど。下部に書かれた言葉を見て、衝撃のあまり魔力を暴発させたと?」

 「ええ。誰だって、自分を侮辱するような内容が書かれていたら動揺するでしょう?」


 そう告げる彼女に、私は静かに頷く。

 たしかに、自身の悪口が書かれていたら動揺くらいするだろう。それは理解ができる。


 理解できる、が。


 「あなたの言い分は分かりました。では、ヘレンへ謝罪なさいませ」

 「……何を言っているの?」


 どうして私が。そう声を漏らす彼女に、私は静かに言葉を続ける。


 「真っ当に抗議するならいざ知らず、勝手に彼女の私物を破り捨て、水浸しにしたのです。

 仮に悪口が書かれていたとしても、あなたのしたことは許されないことです」


 まさか、今更そんなことしていないとは言わないでしょう?

 そう問いかける私に、ブリジット嬢は目を見開く。わなわなと唇を震わせ、声を荒げた。


 「なんてこと! 私を侮辱した相手に謝罪しろと!?」

 「だって、証拠がありませんもの」


 私はそこで言葉を切り、にっこりと笑みを浮かべる。

 いい加減、私も頭にきているのだ。ここ最近の彼女は、あまりにも目に余る。


 「あなたが訴える被害、その証拠は一体どこにあるのでしょう」


 証拠が無ければ、追及できませんわ。そう言って、私は彼女の足元に視線を送る。

 そこにあるのは、破かれ、水に濡れた紙。インクが滲み、何が書いてあったかなど分かるはずもない。彼女の悪口が書かれていたかなど、証明できないのだ。


 「証拠のない被害を、どうして信じる事ができるでしょう。

 一方で、ヘレンが受けた被害は明白です。何より、あなた自身が認めている。その紙は、ヘレンが授業内容をまとめたものだったと。

 どんな理由があれ、あなたが他人の私物を毀損したのは事実です。まずはその件につき、謝罪するのが筋ではありませんか?」

 「な、何を言って……!」


 混乱しているのか、彼女の声が震えている。助けを求めるかのように、視線が忙しなく動いていた。


 「侮辱するという行為と、他者の物を毀損する行為は別物です。行為が存在するのなら、どちらも謝罪すべき振る舞いでしょう。

 あなたに罪がある以上、まずは謝罪なさいませ。現時点で明らかなのは、あなたの罪のみです。もう一つの疑いについては、これから調査をすればいい。


 ……本当にあなたが望むのなら、ですけれど」


 私の言葉を聞き、彼女はこちらを睨みつける。その瞳に宿るのは、怒りか憎しみか。それとも、その両方だろうか。

 なんであったとしてもかまわない。私だって、彼女の振る舞いに怒りを覚えているのだから。


 魔力の暴発という下手な嘘をついたあたり、冤罪である可能性が極めて高い。彼女の気に障る内容が書かれていた可能性はあるが、悪口ではないだろう。


 悪口が書かれていたのなら、それを見せて糾弾すればいいだけの話だ。証拠隠滅を図るなど逆効果だ。


 「偉そうに……! あなたに何の権利があってそんな口を!」


 憎悪の籠った声で吐き捨てる彼女に、私は今日一番の笑みを見せる。

 笑顔は威嚇だと、かつて聞いたことがある。今私が浮かべる笑みは、そう呼ぶに相応しいものだろう。


 「そうですね、聖女として言わせてもらいましょうか。

 ……あなたが公爵家の名を使い、ヘレンを糾弾するというのなら」


 それが、最後の一手となった。

 彼女は愕然としたように目を見開き、口をはくりと開けている。返す言葉もないようだ。


 さすがの彼女も、聖女の立場は理解しているらしい。彼女の言葉を借りるなら、下位の彼女が高位の身である私を糾弾するなど許されない。口を閉ざすしかないだろう。


 「さて、ブリジット嬢。ここで一つ、取引をしませんか?」

 「……取引?」


 突然の提案に、彼女は怪訝そうな声を出す。

 しかし、その瞳は雄弁だ。彼女は私に言い負かされたばかり。何を言うのかと警戒している。


 「はい。今回の件を、のです」


 にっこりと微笑む私に、彼女の顔が歪む。なぜそんなことを、そう言いたげだ。


 「私に黙っておけと?」

 「ええ、その通りです。あなたにとっても悪い話ではないでしょう?」


 今のあなたは、冤罪を被せようとしているとしか思えませんから。そう告げる私に、彼女は両手を強く握り、唇を噛んだ。


 言い返しようがないだろう。どれだけ彼女が被害を訴えようと、それを証明するものは何もない。他でもない、彼女が全て壊してしまったのだから。


 本来ならば、私物を毀損した点につき謝罪させたいところだ。

 だが、彼女の性格を考えれば、最善の策とはいえない。謝罪させたところで、面倒になるのは目に見えている。


 ここで謝らせたとしても、逆恨みからヘレンに侮辱されたと言いふらす可能性がある。


 侮辱されたという証拠はない。

 しかしそれは、ヘレンの無実も証明できないことを意味する。


 彼女の話を信じる者がいるかは不明だが、変な悪評を流されるのは避けたい。社交界において、悪評ほど広まりやすいものはないのだから。


 それに、彼女の話を誰一人信じなかったとしても、ヘレンを避けようとする者は出てくるだろう。わざわざ、公爵家に睨まれるようなことをする者はいない。


 そうなれば、ヘレンの交流関係に影響が出てしまう。これから婚約者を決めるという年頃。ヘレンのためにも、無用な諍いは避けた方がいい。


 彼女の口を塞ぐこと、それが一番だ。彼女だって、証拠がないことを糾弾するのは無理だと分かっているはず。

 ただでさえ、今の彼女は厳しい視線に晒されているのだ。冤罪をふっかけたという疑惑まで増やしたくはないだろう。


 今の彼女なら、この取引を飲むと確信している。


 「あなたの被害は証明できない。一方で、あなたがヘレンの私物を毀損したことは証明可能です。他でもないあなたが証言し、証人もいる。私たち生徒のみでなく、ハリス先生もです」


 彼女はそれを聞き、ぐっと言葉を詰まらせた。自身の分が悪いことは理解しているようだ。


 ここだけの話にできれば、これ以上の追及は避けられる。彼女がどちらを選ぶかなんて、火を見るよりも明らかだった。


 「……いいでしょう。その話を飲みます」

 「英断に感謝しますわ、ブリジット嬢」


 微笑む私に、彼女は不愉快そうに眉を寄せる。

 事実不愉快なのだろう。私に言いくるめられるのは、さぞ腹立たしいに違いない。

 私も同じだけ、彼女に腹を立てているけれど。


 「ハリス先生、これにて仕舞いとしましょう。その代わり、約束が破られたときは公衆の場で証言をお願いします。

 ……この言い方は好みませんが、聖女としてお願い申し上げますわ」

 「もちろんよ。教師として、一人の人間として、正直に証言すると誓いましょう。

 本当は今すぐ解決したいけれど……難しいものね。

 ベント嬢、あなたもそれでいいかしら?」


 ハリス先生がヘレンに声をかける。一番の被害者はヘレンだ。ゆえに、彼女の意思を確認すべきと考えたのだろう。

 ヘレンへ視線を向けると、彼女は悔しそうな顔をしながら頷いた。


 「……はい。シャーロット様の言うとおり、証拠がなくなってしまいましたから。私が侮辱していないという、証拠すらも。

 この状況で話が広まれば、私も苦しい立場になるでしょう。シャーロット様がそれを慮ってくれたこと、感謝いたします」

 「友人のためだもの、当然よ」


 無実を証明できなくて、ごめんなさいね。謝る私に、ヘレンは首を横へ振る。シャーロット様は悪くありません。震える声でそう言った。

 悔しさが胸を覆っているのだろう。下を向き、両手を握りしめている。


 どうしてヘレンが傷つかねばならないのか。私ならともかく、私の友人まで傷つける必要はないだろうに。


 遣る瀬無い気持ちを抱え、私はヘレンの背を撫でた。

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