第91話 憶測が目隠しをする(悪役令嬢side)


 太陽が傾き、茜色の空が広がる時刻。

 本日の授業を終え、私は一人図書館へ来ていた。窓際の席に腰かけて、窓の外を眺めている。


 奥まった席を取ったからか、周囲に人の姿はない。図書館という場所柄、話し声が聞こえてくることもない。一人になりたい今は、都合が良かった。


 「……最悪」


 ぽつりと声をこぼす。広い図書館の端だ。この程度の声では誰にも聞こえない。それを理解した上で、小さく声を漏らした。


 言葉のとおり、今の気分は最悪だ。

 学園に入学してからというもの、何一つ上手くいかない。


 全てはあの、ヒロインのせいだ。

 タンザナイト寮に入らず、オリエンテーションで同じチームにもならず。あの女は、悉くストーリーを無視してきた。

 その結果、何もかもがめちゃくちゃになってしまった。


 ここは、悪役令嬢を主役とした小説の世界。乙女ゲームの世界観を元に作られた、悪役令嬢の逆転劇。その舞台に、私は立っているはずなのに。

 賞賛を浴び、ちやほやされているのはあの女だった。


 これでは、あの女がメインの乙女ゲーム世界ではないか。私は苛立ちのまま舌を打つ。そんなものは現実に存在せず、あくまでも小説のための設定に過ぎなかったのに。あの女のせいで何もかもが狂っていた。

 ヒロインなど、悪役令嬢が幸せになるための踏み台に過ぎなかったのに。


 イライラをぶつけるかのように、手元の紙にペンを走らせる。文字を書くのでもなく、ただ線を走らせているだけだ。このぐちゃぐちゃした思いをどこかにぶつけたくて。


 本当に、どうしてこんなことになったのだろう。あの女が一番の問題だが、それにしても違和感がある。


 例えば、この前のケーキ事件。あんなものは小説に出てこなかった。あれは一体、誰が仕組んだことなのか。


 ストーリーに沿って事が進んでいたのなら、ヒロインを疑えた。同じ寮内なら、人目を避けて細工することもできたかもしれない。


 けれど、あの女はストーリーを捻じ曲げて、スピネル寮に所属している。タンザナイト寮に忍び込むなどできやしない。王族も通う学園ゆえ、警備はとても厳しいのだ。あの女が自身の手で仕組むのは不可能だろう。


 そうなると、あの女以外の誰かが、私に罪を被せようとしたことになる。それほどまでに、私に悪感情を抱く者がいるだろうか。そこまで考えて私はペンを止めた。


 あの女以外で、私に悪感情を抱く者。真っ先に思いつくのはウィルソン公爵家のソフィアだ。何故かは分からないが、私のことをやけに敵視している。


 自分が第一王子の婚約者になれなかったから嫉妬しているのだろうか。お父様が昔言っていた。公爵家から婚約者を決めるだけなら、ソフィアでも良かったと。


 しかし、ソフィアではなく私が選ばれた。お父様は理由を教えてくれなかったが、単に予定調和だったのだろう。

 なんせ、この小説世界の主人公は私だ。私が第一王子の婚約者に選ばれるのは、自明の理。小説内で出番すらなかったソフィアが、選ばれるはずもない。


 しかし、当のソフィアからすれば、納得できないのだろう。私を恨めしく思うのも無理はない。婚約者の座を奪われたことに、逆恨みを抱いても可笑しくなかった。


 だからこそ、公衆の面前であんな嘘を吐いたのではないか。

 オリエンテーションの件で学園長室に呼ばれた後のこと。彼女は玄関口で言い放ったのだ。私がソフィアに無礼を働き、謝りもしていない、と。


 全く身に覚えのない話だ。元より、学園入学まで彼女と関わりなどなかった。

 幼い頃にたった一度だけ会っているけれど、お父様に言われるまで思い出せないほど浅い関わりだ。


 そんな関係で、詫びるようなことなど起こるはずもないのに。勝手に被害者を装っている彼女には、呆れるしかない。


 考えられるとしたら、当時幼い彼女を泣かせてしまったことだが。令嬢にあるまじき振る舞いをする、彼女にこそ問題があったのだ。


 学園に入り、彼女がエクセツィオーレの血を引いているのは聞いた。

 けれど、彼女はこの国の令嬢だ。ならば、この国の価値観に合わせるべきだろう。

 肌を白くすることはできなくとも、今以上日焼けしないように努力するのが普通だ。この国で好まれるのは白い肌。紫外線対策を怠るなど、言語道断である。

 それくらい彼女も理解しているはず。さすがにそれを理由に無礼だなどとは言うまい。


 事実、お父様は私に何も言わなかった。彼女に謝罪しろと言われたこともない。謝罪するようなことなど何もなかったということだ。


 結局のところ、私が殿下の婚約者となったことが気に食わないのだろう。ゆえに、ありもしない話をでっちあげたのだ。


 それらを踏まえると、ケーキに細工したのはソフィアの可能性が高い。そう考えれば、全て説明がつく。


 まず、実行できたか否か。彼女はタンザナイト寮生のため、寮内を自由に歩き回れる。ヒロインが忍び込んで細工するより簡単だ。


 次に、動機。彼女はヒロインと仲が良いため、傷つけるような行動をとるとは思えない。

 しかし、目的が別にあったならどうか。


 もし、あのケーキがヒロインを傷つけるためのものではなかったとしたら。あの女を悲劇のヒロインに仕立て上げるためのものだったなら、どうだろうか。


 それならば、ソフィアが手を貸したのも理解ができる。彼女は私を疎んでいるため、私に罪を被せても気にしないだろう。

 むしろ、私を悪者にすることで憂さ晴らしができる。友人を悲劇のヒロインにもできて、一石二鳥だ。


 そこまで考えて息を吐く。疑わしい人間は分かった。

 もちろん、他に犯人がいる可能性はあるけれど、最も疑わしいのはソフィアだ。

 より正確に言うのなら、裏で彼女を利用しているヒロインである。


 「本当に、最低な女だわ」


 噛み殺した声で呟く。あの女は、どこまで自分本位に動くのか。

 今日は授業を休んでいるらしいが、それも茶会の件で傷ついたというアピールだろう。悲劇のヒロインを演じるために違いない。


 その演技に、皆騙されているのだ。か弱く、心優しい聖女様。そう信じきっている。


 ここは、悪役令嬢のためにある世界。当然、私の幸せは約束されているはずなのに。こんな展開になるなんて。


 全てあの女が悪いのだ。ストーリー通りでは自分に都合が悪いため、話を捻じ曲げた。その影響は至る所に出ている。断罪されたくないだけなら、大人しく引きこもっていればいいものを。


 事業を起こしたり、聖女としての活躍をひけらかしたり。そういうところを見るに、あの女は単に断罪回避をしたいわけではないだろう。皆に愛されるお姫様にでもなりたいのか。


 私の脳裏に、お茶会の風景が浮かぶ。あの女がサロンに入って来たときのことだ。


 室内の視線は全て、あの女に向けられていた。ローズピンクの髪に、スカイブルーのドレス。ヒロインということもあり、外見だけは愛らしい女。それを全面に出して、悠々と微笑んでいた。


 自分に視線が集中しても、萎縮する素振りすらなかった。注目されることに慣れているらしい。


 堂々と奥へ進む女に、向けられたのは賞賛の声だった。聖女に相応しいだとか、青いドレスがお似合いだとか、褒め称える言葉ばかり。それに苛立ったのは言うまでもない。


 青が似合う? どこがだ。そもそも、青色は悪役令嬢たるブリジットのイメージカラーなのに。小説でも、ピンクがヒロイン、青が悪役令嬢と明確に分けられていた。


 それを知っているから、あの女は青のドレスを選んだのだろう。私が苛立つと分かっていて、私の前で微笑んでみせたのだ。


 ああ、本当に心の底から憎らしい。生理的に受け付けないというべきか、あの女の何もかもが気に食わない。


 民のために事業を起こし、聖女として一つの街を救う。愛らしいだけでなく、心の美しい聖女様。周囲はそんなイメージを持っているらしいが、鼻で笑ってしまう。


 心の美しい聖女? 一体、あの女のどこにそんなものがあるのか。あるのはずる賢さと性格の悪さだろう。


 もし、あの女が純粋な心の持ち主なら。招待状の記載を信じ、平服で来たはずだ。疑うことを知らぬほど純粋なら、そうしただろう。


 だが、現実はどうだ。あの女は記載を無視し、挙句の果てに、当てつけのように青を纏った。純粋? 心が美しい? そんなわけがない!


 ガツ、と音が鳴る。紙には穴が開いていた。怒りのあまり、ペンを持つ手に力を込めてしまったようだ。


 仮に、あの女が招待状どおりに平服を着て来たのなら。手心を加えるつもりだった。

 いくら事業が好調とはいえ、所詮は下位貴族。急遽ドレスを仕立てるのは難しい。伝手がないのだから仕方ないと、フォローしてあげようと思っていたのだ。常識が無いと言われるよりはマシだろう。


 そもそも、高位貴族の集まりに顔を出す時点で、思い上がりも甚だしいのだが。

 聖女という立場かもしれないが、あの女の生まれは子爵家。本来あの場には相応しくない人間だ。ジェイミーが誘った時点で、分不相応だと丁重に断るべきだろうに。


 自分からタンザナイト寮を避けたのだから、下位貴族の付き合いに徹すればいいものを。


 そんなことを考えていたとき、ふとあることを思い出した。あの女の行動に、一つ気になる点があったのだ。


 招待状の件で、私を糾弾しなかったのはなぜだろうか。わざわざ着飾って来たということは、招待状の一文に違和感を覚えたのだろう。

 ソフィアに確認すれば分かることだし、青のドレスを身に纏うというふざけた振る舞いに出たのだ。私へ抗議する意図があったはず。


 にもかかわらず、あの女は直接私を糾弾しなかった。私に虐げられたと主張する絶好の機会だったはずなのに、なぜそうしなかったのか。


 もちろん、私だってあの女が文句を言ってくる可能性は考慮していた。だからこそ、侍女に代筆させたのだ。

 直筆で作るなら、そんな馬鹿なことはしない。追及されるのは目に見えている。他人に書かせた招待状だからできたことだ。


 仮に糾弾されたとしても、侍女が気遣いからやってしまったことだと答えればいい。急遽ドレスを準備するのは大変だろうという、気遣いだったと。


 その上で、侍女の不手際を謝ってあげればそれで良かったのに。あの女は、追及一つしなかった。


 平服で来ることもなく、招待状について糾弾することもない。どちらに転んでもいいように準備したが、全て不発に終わった。

 その上、私に不快感だけ与えたのだから、本当に嫌な女だ。


 カラン、とペンを机に転がす。ちらりとペン先を見ると、わずかに傷が入っていた。先程力を込めすぎたせいか。まだ使うことはできるが、捨ててしまおう。

 傷物なんて持っていても貧乏臭いだけだ。入口付近のゴミ箱にでも入れておくか。


 窓の外へ視線を向けると、外が随分と暗くなっていた。さすがに寮に帰るべきだろうか。そう考えたとき、見覚えのある姿が視界に入った。


 二つ結びの髪に、丸い眼鏡。野暮ったい服を着た女子生徒。

 たしか、ベント子爵令嬢だったか。あの女の取り巻きの一人だ。どうやら彼女もこの図書館にいたらしい。借りたであろう本を持ち、ぱたぱたと歩いていく。


 そんな彼女の手元から、何かがひらりと落ちた。見たところ一枚の紙のようだ。軽すぎて落ちたことに気づかなかったのだろう。彼女の背がどんどん遠くなっていく。


 私が拾ってやる義理はないのだが、何が落ちたのかは気になる。外も暗くなってきたし、一度寮に戻ろうか。そのついでに、あれが何かを確認すればいい。

 そんな思いで荷物をまとめ、席を立った。


 「あれね」


 図書館の奥に座っていたこともあり、外へ出るのに5分ほどかかってしまった。

 紙は未だ落ちたままだ。どうやら彼女は取りに来ていないらしい。まあ、こんな紙一枚、気づかなくても仕方がないか。


 落ちたままの紙を拾い上げる。そこには、今日の授業内容が書かれていた。単に板書を写したのではなく、必要そうな知識がプラスで書き入れられている。

 彼女はこういったノート作りが上手いのか。いかにも勉強が好きそうな見た目だし、違和感はない。


 「ん?」


 用紙の下部を見ると、何やら関係ない文字が書かれていた。短い手紙のようだ。宛先はあの女。シャーロット・ベハティ・アクランドである。


 「えーっと、『親愛なるシャーロット様。こちら本日の授業内容となります。もし分かり難い点があればおっしゃってください』……あの女、休んだからって友達にノートを取らせているわけ?」


 いいように使っているのね。そう呟いて、私は先に目を通す。手紙はまだ続いていた。


 「『シャーロット様も、本日は大変だったでしょう。コードウェル公爵とのお話、お疲れ様でした』……って、何よこれ」


 コードウェル公爵とのお話? 一体何のことだ。なぜ、あの女がお父様と話をしているのか。

 あの女は私の敵で、もっと言えば公爵家の敵になる相手だ。お父様にも、危険性は伝えていたというのに。


 「なぜ、お父様が……」


 不意に昨日の会話を思い出す。私にずっと厳しかったお父様。最後にはよく分からない忠告をして去っていった。

 小説でも、決して優しい父親ではなかったけれど。ここまで厳しかっただろうか。


 「まさか……」


 これも、あの女の影響なのか。あり得ない話ではない。お父様はヒロインと会って話をする仲のようだから。

 この手紙に書いてあるとおりなら、わざわざ忙しい平日に時間をとっていることになる。


 どういうことだ? ヒロインは授業をずる休みし、人の父親と会っていたのか。一体、何のために。


 「そういえば、あの女は誰にもアプローチしていないわね。攻略対象者に自分から近づく素振りもない」


 今思えば、あの女は不自然なほど攻略対象者に近づかない。殿下だけでなく、アンソニーなど他の攻略対象者とも関わりを持とうとしないのだ。

 将来私に断罪されたくなければ、誰かしら味方につけておきたいはずなのに。


 その理由は一体何なのか。攻略対象を放っておきながら、お父様には近づく。そこに何の得があるのか。


 「……まさか、売り込み?」


 あの女が小説の流れを知っているのなら。自身への嫌がらせを偽装しても、私に暴かれることは理解しているだろう。ストーリー通りに動いていては、殿下を手に入れることはできない。それどころか、自分が追い込まれると分かっているはず。


 だからこそ、直接手を打つことは避けたのか。私と殿下の婚約を破棄させるだけなら、何も彼を振り向かせる必要はない。


 婚約は、あくまでも家同士の契約だ。お父様が破棄すると決めれば、後は王家の同意さえ取れればいい。王家が私を手放すことはないだろうが、一つのアプローチ方法ではある。


 もし、お父様があの女を気に入り、王妃に相応しいと思ったのであれば。

 お父様が私の婚約を破棄する可能性はあるだろう。お父様は私情を挟まない方だ。その方が国のためになると思えば、娘の婚約破棄くらいはやりかねない。

 あの女こそ相応しいと考えるのならば、王家にもその旨伝えるだろう。


 あの女はそれを狙い、自分を売り込んでいるのだろうか。そうでもなければ、お父様に会う必要はない。

 聖女の役目が関係するのだとしても、わざわざ授業がある平日に会う必要はない。そもそも、教会とお父様がやり取りすれば良いだけだ。

 あの女が直接会わなければならない理由なんて、攻略対象者の件くらいしか考えられない。


 推測に過ぎないけれど、こう考えればしっくりくる。不自然なまでに攻略対象者に近づかなかったのも、別の手を考えていたなら納得だ。


 あの女は、いつだって周囲を味方につけてきた。この件だって、同じ手を使っても可笑しくない。


 起業するときは、ウィルソン公爵家をはじめとする有力な家に助けてもらっていた。

 学園内でも、いつの間にかソフィアやレティシア殿下という高位の者を味方につけている。


 よっぽど媚びを売るのが上手いようだ。周囲を味方につけ、自分の目的を達成する。自身の手を汚さずに、お綺麗な聖女でいるつもりか。


 ぐしゃりと用紙を握り潰す。あまりの苛立ちに、気持ちが抑えられなかった。


 「卑怯な手ばかり使って……!」


 苛立ちは止まらず、強い衝動が胸に込み上げる。脳が沸騰し、視界が揺れるような感覚がした。込み上げた怒りが、出口を探し彷徨っているようだ。


 衝動のままに紙を破く。このときばかりは、何も考えられなかった。言いようのない苛立ちをぶつけたくて、とにかく紙を引き裂いた。びりびりと響く音に、少し胸が空くような心地を覚えたときのこと。


 「……コードウェル嬢?」


 突然、離れた場所から私を呼ぶ声がする。

 怒りに支配されていた意識が切り替わり、どっと冷や汗が流れ出た。


 私は今、何をしたのだ。怒りのままに破った紙は、既に小さくなっている。手から溢れ、ひらひらと地面に落ちていった。


 ゆっくりと顔を上げると、そこには四人の人影があった。

 この紙の持ち主であるベント子爵令嬢と、その友人であるデゼル男爵令嬢。お父様との話が終わったのか、あの女の姿もある。


 そしてもう一人、


 「コードウェル嬢……これは一体、どういうことかしら?」


 タンザナイト寮の寮監、ハリス先生の姿があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る