第81話 鐘の音が告げるもの
「さて、これからどうするかを考えなくてはね」
「そうだな。君のことだ、このまま放っておくつもりはないのだろう?」
すっかりと日が陰り、夜のとばりが下りる頃。
街中の視察を終えた私たちは、宿屋の一室に集まっていた。私とルーファス、オーウェンにカイルは、ソファーに腰掛けて顔を見合わせている。デイジーは全員に紅茶を淹れると、私の斜め後ろへ控えた。
夕飯を食べ終え、本来なら羽を伸ばせる時間だったのだが。残念ながら、そういうわけにもいかなくなった。
原因はもちろん、ベント子爵領で起きている魔獣騒ぎだ。
「ルーファスの言うとおり、このまま放置するつもりはないわ。
予定外の仕事だし、騎士たちには申し訳ないけれど」
「気になさることはありません。我ら教会の者は聖女様の御意思に従います。民のためならば、なおさらです」
苦しんでいる民を、見捨てることはできませんから。そう言ってカイルは強く拳を握る。
昔から教会に身を寄せているためか、彼は人一倍正義感が強い。街が魔獣に襲われていると聞いて、見過ごせないのだろう。
「問題は、どうやってこの状況を改善させるかだ。
ヘレン嬢の言葉を信じるのであれば、魔獣がいつ来るかは分からないのだろう? 周期性があれば良かったのだが」
まぁ、それならもっと効率良く対応できているか。ルーファスはため息をこぼし、窓の外へ視線を向ける。
日中に街中を見て回ったが、深夜かと疑うほどに人通りがなかった。これが7年も続いているのだ。明確な対応策は立てられていないのだろう。
領主であるヘレンの父は、体調が芳しくない。その影響から後手に回っているのだろうか。
しかし、それにしても違和感は残るのだが。
「ねえ、カイル。あなた、ベント子爵領の噂を耳にしたことはある?」
「いいえ、一度もございません。もし耳にしていたのなら、今回の慰問は別の場所になっていたでしょう」
慰問より、討伐を優先させるべき状況ですから。そう告げるカイルに、内心で同意する。
私が慰問先をベント子爵領に決定した際、教会から制止の声は上がらなかった。仮にこの情報が出回っていたのなら、慰問先としては認められなかっただろう。討伐部隊の編制が急がれたはずだ。
「やっぱり、違和感が残るわね」
「この現状が知られていないことかい?」
「ええ。7年もの月日が経っているというのに、この状況よ? どう考えても可笑しいでしょう」
我が国は、魔獣による被害を極めて警戒している。
かつてスタンピードが発生し、多くの犠牲者が出た。それは今もなお、民の心に深い傷を残している。同じ悲しみを生まぬよう、警戒するのは当然だ。
にもかかわらず、この状況が見過ごされているのはなぜか。噂一つ広まっていないのは不自然といえる。
ヘレンがそこに違和感を覚えているかは不明だ。幼い頃からこの状況であれば、違和感を覚えていない可能性がある。言うなれば、刷り込みのようなものか。こういうものだと思っているのかもしれない。
そもそも、本来対応すべきは領主である彼女の父だ。娘に過ぎない彼女がどうにかできる問題でもない。対応するための権限すらないのだから。
「ここまでの事態で、情報が広まらないのは不自然ですね。ベント子爵が病床に伏していることを考えれば、対応が後手に回るのは理解できますが……」
オーウェンが言葉を濁す。
誰かが意図的に噂を止めているのではないか、そう言いたいのだろう。本来ならとっくに知られているはずのことが周知されていないのだ。疑うのは当然といえる。
しかし、今の時点ではそれを証明することはできない。あくまでも憶測に過ぎないのだ。言葉を濁さざるを得なかった。
一度思考を切り替えよう。私は自身の前に置かれたティーカップへ手を伸ばす。
憶測を語っていても仕方がない。まずは情報が出ている部分から考えなければ。
「とりあえず、不確かなことは置いておきましょう。現状分かっているのは、ベント子爵領で魔獣騒ぎが発生しているということよ。
それ以外の不明瞭なことは、今考えたところで分からないわ。証拠はおろか、証言もない。考えるためのピースが存在しないのだもの」
「君の言うとおりだ。では、情報が出ているものから検討しよう」
そう言うと、ルーファスは一枚の地図を取り出す。ベント子爵領が描かれた地図だ。
ベント子爵領は、我が国の東方地域に位置する。地図には領内の詳細な情報が記されており、東方地域のみを描いたものだと分かる。王国全体を描いた地図では、せいぜい主要都市が描かれる程度だろう。
「ここにベント子爵領の地図がある。ヘレン嬢は、近くの森から魔獣が攻めてくると言っていた。
魔獣たちはその森を棲家にしているのだろう。そう考えると、それなりに大きな森だと推測できる。
小さな森では、稀に一匹や二匹魔獣がいる程度だ。そこが拠点とは考え難い」
それはそうだろう。当然ながら、多くの生き物が暮らすには、その分食べ物が必要になる。同時に、身を休ませる寝床も必要だ。小さな森ではどちらの条件も満たせない。
「そうなると、一番疑わしいのはここだ。この街から北上したところに、領内一大きな森がある。ベント子爵領の北部を覆っている森だ。一部他の領とも面している。
この街が狙われているのは、その森から最も近い街だからかな」
「なるほどな……地図を見るに、徒歩で一時間半程度といったところか?」
オーウェンの問いにルーファスが首肯する。距離でいうなら、6キロ程度か。
徒歩で一時間半なら、魔獣のスピードだとかなり短縮できるはず。食うに困った魔獣が出てきたとしても、可笑しくはない。
「ならば、まずはその森を調査すべきね。本当なら、一度戻ってから事にあたるべきでしょうけど……」
「次にいつ被害が出るかは分からない、だろう?」
ルーファスが困ったように笑う。私の言いたいことを理解しているようだ。仕方ない、というかのような笑みを見せている。
もちろん、無理をするつもりはない。ミイラ取りがミイラになっては困る。無駄に死人を出すわけにはいかないのだから。
それでも、何もせず放置することもできない。次に魔獣が来たときには、どれほど被害が出るか分からないのだ。
現状は何とか持ち堪えているに過ぎない。多くの死者を出す前に、手を打たなくては。
「現実的な落としどころとして、どこまでやるかを決めるべきね。私たちだけで討伐は非現実的だわ。こちらのリソースも限りがあるもの。
今回は、討伐部隊の要請ができる程度の証拠集め。それを目標としましょう」
「そうだな。現時点で国が動いていないのは、情報が来ていないからだろう。そのせいで教会へ協力要請が出ていないのかもしれない。普通ならとっくに出てるはずだ」
ルーファスの言うとおり、国から教会へ討伐の協力要請が出ても可笑しくない案件だ。
にもかかわらず、何も話が来ないのは、国がこの件を認識していないのだろう。情報が届いていれば、既に協力要請が来ているはずだ。
だからこそ、まずは国に事実を認識させる必要がある。ただ魔獣が出たぞと騒ぐだけでは不適切だ。
どの程度の危険性があるかを把握し、適切な部隊を派遣してもらわねばならない。部隊が全滅となっては笑い話にもならないのだから。
「調査結果と共に要請されれば無視は出来まい。国が見て見ぬふりをするとは思えないが、やるなら徹底的にやるべきだ。
ここまで知られていない事情を思えば、中途半端なやり方は無駄になる可能性もある」
「ルーファスの言うとおり、徹底的にやるべきね。
まぁ、聖女と教会からの訴えとあれば、最低限は動くでしょう。その上、聖女が現地で遭遇し、調査結果まで渡されたら本格的に動かざるを得ないわ。国が動き出す理由には十分よ」
私の言葉に、ルーファスは深く頷く。
そもそも、魔獣討伐は基本的に国主導で行われるものだ。国から要請を受け、はじめて教会が動くことになる。
回復等は神官しか使えないため必ず教会も同行するが、実施は国が主導だ。王国騎士と合同で討伐部隊を組むのである。
私が初めて魔獣討伐を行ったときは、あくまでも経験を積むためのものだった。討伐対象もホーンラビットという比較的難易度の低い魔獣。
まぁ、結果としてその後に大物が出てきてしまったわけだが、通常そんなことは起こらない。
それもあり、あのときは教会の騎士のみで赴いたのだが、通常の魔獣討伐では王国騎士も同行する。本来国がやるべき事なのだから、当たり前の話だが。
「全く、君は恐ろしい女性だな」
目的のためなら自分すら使うのだから。そうこぼすルーファスに、私はにっこりと笑みを向ける。身分を偽り潜入している男の発言とは思えないな、と内心で毒づいた。
命がけの潜入とか、王族がするものではないだろう。彼の場合は、どこにいようが危険なため大差ないのかもしれないが。
「実際の動きはどういたしましょうか。こちらとしては当然、聖女様の身の安全が第一です。民のことも心配ではありますが、聖女様に何かあっては困ります」
「カイル殿のおっしゃるとおりです。自分も、聖女様の安全を最優先にすべきと考えます」
カイルの言葉に、オーウェンが頷く。私の安全を確保した上で、どうするか。そこが焦点だ。
「とりあえず、私たちがするのは現状把握のみと心得ましょう。討伐は討伐部隊が揃ってからよ。
とはいえ、万が一を考えて戦力補充は急ぐべきだわ。この後すぐに教会へ応援要請を……」
「うん? 何か外が騒がしくないか?」
ルーファスが不意に声を漏らす。その声に私は口を閉ざした。
耳を澄ましてみると、確かに外から人の声が聞こえる。それも一人ではなく、複数人の声だ。
「あれほど人気のなかった街で、夜に話し声だと?」
「祭りのようなイベントがあるならともかく、そんな話は聞いていない。不自然だ」
オーウェンが訝しげに呟き、ルーファスが頷く。
現状、民は出歩くことを避けている状態だ。よりにもよって日の沈んだ夜に外へ出るとは思えない。
窓へ視線を向けるも、灯りが少ないせいか外の様子は分からない。耳を澄まさなければ聞こえないほどの音だし、離れた場所にいるのだろう。
「デイジー」
「確認します」
私の意図を察してくれたようだ。彼女は速やかに返事をすると、部屋を後にした。外で警護している騎士に確認するのだろう。
さて、一体何が起きているのだろうか。思ってもみなかった状況に、私は一人唇を噛み締める。何故だろう、焦燥感が胸を覆っていくのを感じた。
気持ちを静めようとティーカップへ手を伸ばしたときのことだ。
突然、甲高い金属音が響き渡った。反射的に窓の外へ視線を向ける。灯りの少なさゆえ、窓を見ても無駄なのだが。外から聞こえてきた音だからか、自然と視線が窓へ向いてしまったようだ。
繰り返される金属音。どうやら鐘が鳴らされているらしい。
しかし、時刻を知らせるような等間隔の音ではない。何度も何度も打ち付けるかのように響くそれは、おそらく。
「お嬢様!」
勢いよく扉が開かれる。急いで戻ってきたのだろう、彼女の服がわずかに崩れていた。こちらを見る瞳には、焦りの色が浮かんでいる。
「デイジー、報告を」
「っ、はい!」
あえて冷たい声で告げると、彼女は一瞬目を見開いた。彼女の様子を見るに、状況はかなり悪いのだろう。最悪の事態が起きていると考えるべきだ。
だからこそ、今は落ち着かなくては。焦っていては判断を間違えてしまう。侍女である彼女が動転しているのなら、落ち着かせるのは私の役目だ。
「失礼いたしました。報告いたします。
現在、街の入口付近に大量の魔獣が発生しているとのこと。自警団が対応にあたっておりますが、状況は芳しくないようです」
「やっぱりね……」
鳴り響いている鐘の音。これは警報なのだ。民への避難指示、そして自警団への出動要請だろう。
現在、この街にどの程度戦力があるのか。然程の期待はできないだろう。自警団だけで対応できるかは不安が残る。
「カイル」
「はい! 騎士へ対応にあたるよう伝達いたします」
カイルはそう言うと、部屋を後にする。これで最低限の人員補充はできるだろう。
とはいえ、私たちも魔獣討伐を想定した部隊は組んでいない。騎士だけでは人数が足りない可能性がある。
「ルーファス、オーウェン。すぐに出られるわね?」
「問題ない」
「お任せください、聖女様」
二人の腰に剣が刺さっているのを確認し、声をかける。二人も分かっていたのだろう。すぐに返事を返してくれた。
デイジーへ視線を送れば、彼女も静かに頷いている。皆、戦闘準備は問題なさそうだ。
オーウェンを先頭に、私たちは部屋を出る。廊下で部屋の警護にあたっていた騎士と合流し、宿を飛び出した。
暗い夜道を駆ける。灯りが乏しく、視界は不明瞭だ。気づかぬうちに襲撃を受けることがないよう、周囲を警戒しながら街の入口を目指す。
段々と入口へ近づくにつれ、逆走する人々とすれ違った。先ほどの鐘を聞いた住民たちだろう。少しでも魔獣から距離を取ろうと、街の奥へ逃げるつもりらしい。戦えない状態で戦場にいれば巻き込まれてしまう。退避は必要だ。
人の波に逆らいながら、何とか前へと進む。
時折耳をかすめる悲鳴に、胸が引き裂かれそうになる。恐怖に涙する声や、助けを求める声。避難指示を出す自警団員の呼びかけ。そのどれもが、この街を襲う脅威を表している。
「あと少しだ! 全員、遅れるなよ!」
ルーファスの檄が飛ぶ。それに全員で返事をし、通りを走り抜けた。
あと少し、何とか間に合ってくれと必死に足を動かす。もつれそうになる足を叱咤しながら、がむしゃらに現場を目指した。
「見えた!」
オーウェンが声を張り上げる。彼が指さす先には、自警団の背中が見えた。おおよそ20名ほどが集まっているようだ。そんな彼らを補助するように、教会の騎士たちが背後を守っている。
彼らの背で見えないが、その先には魔獣の群れがあるのだろう。現状どうなっているかは不明だが、何としてもここで抑えなければ。
助力しよう、そう声を出した瞬間だった。
突然地面が揺れ、大きな爆発音が響き渡る。私たちと自警団の間を切り裂くように、真横から炎を帯びた風が吹き抜けた。
突然の衝撃に、驚きのあまり言葉を失う。目の前を無数の木片が飛んでいった。轟々と燃え上がる炎の余波だろうか。火の粉がぱちぱちと宙を舞っている。
「なんだ、これは……」
オーウェンの愕然とした声が耳を打つ。突然の爆発に、驚愕したのは私だけではないらしい。
何が起きたのかは分からない。ただ一つ分かるのは、この状況が極めて危険だということだ。
ばきり、と何かを踏み潰すような音がする。それに続いて、酷く重い音が響いた。繰り返し鳴る音は足音だろうか。到底人のものとは思えない、重い足音だ。
燃え上がる民家の中。扉が吹き飛んだせいか、建物内が見える。闇を吹き飛ばすかのような灼熱の炎が、室内を燃やし尽くしていた。
そんな炎の海に大きな影が映る。人間を優に超すその巨体は、間違いなく、
「イグニールか」
ルーファスの声が響くのと同時に、影が姿を現した。
過去に一度、相まみえた魔獣。同じ固体ではないが、一度は戦った相手。
否、正確に言うのならば、
ぎらりとした瞳が、こちらを睨みつける。獲物と思っているのか、外敵と思っているのかは分からない。
分かるのは、決して友好的でないことだけだ。
「あれは……そん、な」
デイジーの震える声が聞こえる。それも無理はない。このような光景を見て、正気を保つのは困難だ。私も悲鳴を押し殺すのが精一杯だった。
炎が風を受けて舞い上がる。逆光で見辛かったイグニールの姿を、炎が鮮明に映し出した。
照らされた顔。その口元は、赤く染まっている。それが何かなど問いかけるまでもないだろう。
再び響く爆発音。燃え上がる炎に耐えきれなくなったのか、建物の窓が吹き飛んだ。飛び散る欠片から守るように、左腕を顔の前に掲げる。
腕の隙間から、室内を盗み見た。視線の先には、片腕のない男が倒れている。
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