第78話 孤児院への慰問
「なるほどね、イグニールの件はコードウェル公爵令嬢を狙った、という仮説か」
一理あるね、そう言うとルーファスは両腕を組み、口を閉じる。何やら思案しているようだ。
孤児院へ慰問に向かう馬車の中。移動時間を有効に使おうと、先日のお茶会について話をしていた。
この馬車には、私とルーファス、オーウェンにデイジーが乗っている。世話役であるカイルは後方の馬車だ。周囲は騎士が囲んでおり、安全に配慮しつつ進んでいる。
「コードウェル公爵令嬢の悪評は不自然に広まっている。
まぁ、本人の人間性にも問題があり、余計火がついたとも言えるけれど。それにしても、これほど早く広まるのは異常だね」
ルーファスの指摘はもっともだ。彼女自身にも問題があるが、広まり方は異常というほかない。誰かしらの意図が介入していなければ、このような広がり方はしなかっただろう。
ジュードが立てた仮説。今のところは仮説に過ぎないが、楽観視はできない。現時点で正誤の判定はできないが、頭に入れておくべき内容だろう。
ブリジット嬢を陥れるための噂とはいえ、それに利用されているのは私だ。無関係とは言えない。
「仮説の検証は今後に期待といったところかな。現状、抜け落ちている情報もあるだろう?」
「そうね。現時点では予想に過ぎないわ。妄信するのは危険よ。楽観視も、できないけれど」
私はそう呟くと、窓の外へ視線を向けた。
一つの仮説にしがみついても仕方がない。それでは、ブリジット嬢と然程変わらなくなってしまうからだ。
彼女の知る未来、それに一定程度の正確性はあるのだろう。
しかし、絶対ではないのだ。少なくとも、彼女は私のようなヒロインを想定していなかったはず。彼女の語るヒロイン像は、私と大きく乖離している。
この時点で、彼女の知る未来からはズレが生じていると言うべきだ。あくまでも、一つの可能性に過ぎなくなった。
この先、世界がどう進むかは未知数。未来を盲信するのは危険といえる。
それと同様に、私たちも一つの仮説を妄信するわけにはいかない。可能性の一つとして、頭に入れておくくらいでいい。何かを妄信し、真実を見誤るなど御免だ。
「それで? 高位貴族の面々と交流はできたかい?」
ルーファスの問いかけに、視線を元へ戻す。こちらを見る彼に、微笑んで頷いた。
「ええ、問題なく。ありがたいことに、好意的に受け入れてもらえたわ」
そう告げると、彼も穏やかな微笑みを浮かべる。それは良かった、と言う彼の表情はごく自然だ。夏休みに入る前と、何ら変わらないやり取りをしている。
それも当然か。私は、彼に対して特段の追及はしていないのだから。父や伯父たちに宣言したとおり、ルーファスの件は現状維持を貫いている。
侍女兼護衛であるデイジーには、既に話を通した。当初は驚いていたものの、すぐに納得していた。普段から彼の優秀さを目にしていたためだろう。
ルーファスの存在がお嬢様にとって不都合ならば、今の内に始末しましょうか? そう問いかける彼女の目は据わっていた。私に助けられた過去があるからか、彼女は少々私に過保護なのだ。
今まで仲良くしていたが、既にルーファスは警戒対象らしい。そこまでしなくて大丈夫だと伝え、必死に宥めたのは記憶に新しい。
「お茶会にオーウェンが同行してくれて助かったわ。さすがに一人で行くには心細かったもの」
「自分がお役に立てたのならば光栄です」
美しい赤の目を細め、オーウェンは控えめに微笑む。
本当に、彼には感謝しているのだ。彼がいなければ、ウィルソン公爵邸に行くのもかなり緊張しただろう。見知った人間が同伴してくれたおかげで、いくらか緊張がほぐれたものだ。
とはいえ、私の胸中は少々複雑だったのだが。
考えてみて欲しい。オーウェンの生家はヴァレンティ辺境伯家だ。我が国において、重用される家の一つ。
彼がルーファスの正体を知らないのかというと疑問が残る。
むしろ、全て理解の上で、二人揃って従者になったと言われた方が自然だ。私を守るという傍ら、ルーファスの警護も担っているのではないか。
そう考えれば、大体のことに説明がつくのだ。
魔獣討伐の際、最前線に立つのはオーウェンだ。二人とも剣の腕はあるというのに、真っ先に前へ出るのは彼だった。
平民であるルーファスとオーウェン、その肩書ならば、前に出るべきは逆だというのに。
内心でため息を吐く。
ヴァレンティ辺境伯家。この家は、高位貴族の中でも特に有力な家だ。辺境伯という立場上重要視されるのは言うまでもないが、それだけではない。
ある家が陛下から疎まれたために、ヴァレンティ辺境伯家の重要性が一層高まっているのだ。
「そろそろ、ベント子爵領が見えてくるかしら」
「そうですね。それにしても、やはり時間がかかりますね。ケンドール辺境伯領ほど遠くはありませんが、国の中心部からは外れていますし」
私たちは現在、ベント子爵領にある孤児院へ向かっている。オーウェンの言うとおり、ベント子爵領は少々遠い場所にあり、移動だけでも多くの時間を要する。
俗に言う田舎、といったところか。国境沿いにあるケンドール辺境伯領よりは王都から近いものの、決して楽に移動できる距離ではない。今回は、途中の街で宿泊しながら移動しているほどだ。
「ベント子爵領へは初めて行くわ。長閑な場所と聞いているし、ゆっくり孤児院の子たちと交流できるといいわね」
「そうですね。子どもたちも聖女様の到着を心待ちにしているでしょう」
オーウェンの言葉に、ありがとうと微笑みかける。彼もまた、穏やかな笑みを向けてくれた。
ベント子爵領の先には、ケンドール辺境伯領がある。隣接しているわけではなく、間に二つほど他領を挟んだ配置だ。地図を脳裏に浮かべながら、オーウェンについて再び思考を巡らせる。
現在、ケンドール辺境伯家の立場は非常に難しいものとなっている。
ケンドール辺境伯家は王妃の生家。陛下からすると疎ましい家だ。陛下と元婚約者を引き裂いた家。好感をもてる筈もない。
当然、陛下はケンドール辺境伯家を遠ざけるようになった。表立った非難はしないものの、両者には依然として深い溝がある。
辺境伯という重要な家との関係悪化。陛下としても、軽く見ることはできなかっただろう。間違っても、他の辺境伯家が追従することは避けたかったはず。
結果として、ヴァレンティ辺境伯家が陛下から重用されるようになったのだ。
さて、そうなれば当然、陛下の期待を一身に受けるルーク殿下と、ヴァレンティ辺境伯家は関わりがあると見るべきだろう。その子息であるオーウェンも、ルーク殿下と関わりがあっても可笑しくない。
だからこそ、オーウェンがお茶会へ同伴するのは複雑だったのだ。
万が一、ルーファスの正体を見抜いていることがバレたら厄介なことになる。オーウェンに知られれば、彼からルーファスへ話が行く可能性が高い。
現状、腹を割って話し合う段階には無いのだ。気を引き締める必要があった。
自身の従者だというのに、側にいて気も抜けないとは。些か疲れてしまうものの、こればかりはどうしようもない。ルーク殿下の命にまで関わる話だ。今のところは知らぬ存ぜぬを決め込むしかあるまい。
いつか全てを口にする日が来たら、そのときは文句の一つや二つは言わせてもらおう。そんな気持ちでにっこりと二人へ笑みを向けた。
「ようこそお出でくださいました、聖女様」
「ごきげんよう、ヘレン。固い挨拶はいらないわ。できれば、いつもどおり呼んでいただけないかしら」
「ありがとうございます、シャーロット様」
「……友人ですし、家格も同じ。敬称もいらないのだけれどね」
眉を下げてそう告げると、ヘレンは焦ったように首を横へ振る。彼女はどうしても、敬称を外したくないらしい。聖女という立場もあるからだろうか。
いつも共にいる友人なのだから、もっとラフに接してもらいたいものだが。メアリーもヘレンも、未だに敬称をつけたままである。
貴族令嬢としては正しいのだろうが、少しばかり寂しく思える。未だに前世の感覚を引きずっている、私の問題かもしれない。
一通り挨拶を交わすと、私たちはヘレンの先導で孤児院へと向かう。
ここ、ベント子爵領は彼女の生家が治める領地である。孤児院の慰問という、聖女としてのお役目ではあるものの、友人のいる地へ来られたのは幸運だった。学園開始前に再会できるのは素直に嬉しい。
「申し訳ございません、シャーロット様。両親も来たがっていたのですが……」
「気にしないで。こうして友人に会えたのですもの。不満なんてないわ」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
私もシャーロット様にお会いしたかった。そう言ってはにかむ彼女は、いつもどおり控えめな装いをしている。
丸い大きな眼鏡に、低い位置で括られたツインテール。可愛らしい顔立ちをしているものの、あまりお洒落には興味がない彼女。お洒落よりも研究がしたいと公言するほどだ。今も若い女性にしては落ち着いた、ブラウンのドレスを身に纏っている。
いくら友人とはいえ、他人の好みに口を出すのは野暮というもの。明るい服装も見てみたいと思うが、押し付けはよろしくない。心の中で葛藤しながら、私は今日も口を噤むのだった。
「そう言えば、御父上の具合はいかがかしら?」
声量を落とし、彼女に問いかける。
彼女の父は身体があまり強くないのだ。そのせいか、床に臥す時間が多いらしい。それもあって、今日は出迎えに来られなかったのだろう。
「最近は少し良くなっていたようですが……依然として、あまり芳しくないのです。
でも、シャーロット様のナーシングドリンクが良かったのか、昔よりは動ける時間も増えたんですよ! 以前は、水とわずかな食事しか摂ってくれませんでしたから」
「少しは力になれているようで良かったわ。何かあったら相談してね。私には無理でも、父であればお役に立てるかもしれないから」
「ありがとうございます。本当に、気に掛けてくださって……」
ヘレンが小さく声を震わせる。彼女の父については、あまり周囲へ相談もできていないらしい。
子爵領の領民を思えば、大っぴらに口に出せないのは仕方ないだろう。領主が病床にあると知れば、不安を覚える民も出てくるはず。どうか知られることのないようにと、神経を尖らせていたのかもしれない。
「今は、母ができる限りの仕事をしています。父が元気になるまで、二人で頑張っていくつもりです!」
それまでの辛抱ですから! そう言って明るく笑う彼女に、私も微笑みを浮かべる。
本当はつらいだろうに、それを口にはしない彼女。友人として、力になれることは協力していこうと心に決めた。
今日この地を訪れたのは、彼女の事情とは無関係だ。支援が必要な場所だったから訪れたに過ぎない。
けれど、こうして私が訪れることで力になれれば。友人だからと全てを優先することはできないけれど、少しくらいは力になりたい。そう思いながら、私は孤児院へ足を進めた。
「みんな! 聖女様が来てくれたよ!」
ヘレンの明るい声が響き、子どもたちは一斉にこちらへ振り返る。
現在の場所は、孤児院にある大広間だ。食事を食べるための部屋らしいが、食事時間以外は遊び場となっているとか。丁度子どもたちが遊んでいたようで、皆この部屋に集まっている。
机の上には、お絵かきの痕や絵本が散らばっていた。絵本は古くなっているせいか、テープで何度も補修されているのが見て取れる。
「せいじょさま?」
「せいじょさまってなに? えらいひと?」
「おひめさまみたいってきいたよ!」
「違うよ! 悪いやつをやっつけてくれるんだよ!」
イグニールだって倒しちゃうくらい強いんだからな! そう語る少年の声が耳を打つ。どうやらこの中ではお兄さんの部類に入るようだ。12歳くらいの少年が自信満々に声を上げている。
「イグニールたおすの!?」
「え、おひめさまじゃないの?」
「ばか! おひめさまがイグニールやっつけるわけないだろ!」
「じゃあ、すっごくつよいひとなの?」
「当然だろ! きっと騎士様みたいに強いんだぜ!」
何故だろう。私のイメージ像がとんでもないことになっている気がする。イグニールを倒しちゃうくらい強い、とは。熊を片手で倒せるみたいな誇張をされていないか心配だ。私は至って普通な貴族令嬢の見た目ゆえ、あまり筋骨隆々な姿を想像されていると困る。
どうしたものか。そんな思いで横を見上げると、ルーファスが口元を抑えて顔を伏せていた。このやろう。笑いを堪えているのが丸わかりだ。
「笑いたければ笑いなさいな」
「く……っ! す、すまない。これは予想外で!」
くつくつと笑みをこぼす彼に、私は一人ため息を吐く。
イグニールのことが王都から遠く離れたこの地にまで知れ渡っていることも驚きだが、私のイメージが歪められている方が気がかりだ。早急に改善を求めたい。責任者を呼んでくれ。
「ほらほら、みんな。迷惑をかけないの。それから、聖女様はお姫様みたいな人であっているわよ。強いのも、正しいけれどね?」
「ヘレン!?」
「ふふ、ごめんなさい、シャーロット様」
くすくすと笑うヘレンに、私はがくりと肩を落とす。友人の力を借りて戦えただけなのに、いつの間にか話が大きくなっていたらしい。噂など得てしてそんなものだが、何とも複雑な気分である。
困ったように笑みを浮かべ、私はヘレンの横へ立つ。彼女の後ろにいたからか、私の姿は子どもたちに見えていなかったようだ。突然現れた私に、子どもたちはこぼれそうなほどに目を見開いた。
「初めまして。シャーロット・ベハティ・アクランドです。今日は皆と一緒に遊びたくて、ここへ来ました。よろしくね」
そういって微笑むと、子どもたちはあんぐりと口を開ける。もしかして、本当に筋骨隆々な姿を想像していたのではと脳内に緊張が走った。
にっこりと笑顔をキープして彼らを見ていると、数拍の間が空いて明るい声が聞こえてきた。
「お、おひめさまだー!!」
「つよそうじゃないじゃん! おひめさまだよ!」
「にいちゃんうそついた!」
「は!? 嘘なんかついてねーよ!!」
少年に周囲のちびっこたちが文句の声を上げる。少年は困ったように頭をかきながら、嘘じゃないぞと必死に否定していた。
「ふふ、ジャックは別に嘘をついたわけじゃないよ。聖女様はお姫様みたいだけど、凄く強い魔術師なの。だから、イグニールから私のことも守ってくれたんだよ」
「! ほら! ヘレン姉ちゃんもこう言ってるだろ!」
「ほんとだー。じゃあにいちゃんがうそついたんじゃないの?」
「おひめさまなのにつよいの?」
「すごいねー!!」
あの少年はジャックというらしい。彼はヘレンの言葉にほっと胸を撫でおろしていた。
弟や妹のような子どもたちに、噓つきと呼ばれるのは嫌だろう。誤解が解けたようで何よりである。
私の誤解もついでに解けたなら万々歳だが、どうだろうか。強いというのは良いことだし、筋骨隆々の認識を覆せたならよしとすべきか。
「子どもというのは、面白いものだな」
「大男のような想像を覆せたのなら、それでいい事にするわ」
「ははっ、それがいい」
並の令嬢より強いのは事実だしね、そう言って笑うルーファスに、私はじとりと視線を送る。
本当に、この男はいつでもどこでも通常運転だ。いっそ感心するほどである。
「それじゃあ、みんなで遊びましょう? 私だけじゃなく、大きなお兄さんたちもいるわ! 一緒に遊んであげてね?」
「な!? 君、いきなり何を!?」
「ほんとー!? おれ、おにごっこしたい!」
「剣を教えてくれ!」
「ぼくもー!つよくなりたーい!」
私の言葉に、ルーファスが慌てたようにこちらへ視線を向ける。どうやら子どもの扱いは不慣れらしい。
まぁ、彼がルーク殿下と考えればそれも当然か。下に弟や妹はなく、離宮で大人に囲まれて暮らしていた身。小さな子どもと触れ合うことはなかっただろう。
とはいえ、子どもたちにしてみればそんな事情はお構いなしだ。身分を詐称しているのは彼の選択なのだし、これくらいは諦めてもらおう。先ほど笑った仕返しとかではないのであしからず。
「いってらっしゃい、ルーファス。しっかりね?」
「君、後で話をしようか?」
子どもに手を引かれ、外へ連れ出されるルーファス。同じようにオーウェンも引っ張り出されていた。
オーウェンは聖女様の護衛が、と言っていたものの、デイジーが軽く流していた。「私がいるのでお嬢様のことはご心配なく」そう言って笑った彼女は、きらきらした笑顔を浮かべている。
何より、ここにはカイルもいるのだ。聖女の役目として来ている以上、世話役のカイルや騎士たちも同伴している。オーウェンやルーファスが少しくらい離れても問題はない。
はよ行けと言わんばかりに、私も笑顔で手を振った。
「じゃあ、何から始めようか?」
室内に残ったのは、女の子たちと、まだ3、4歳くらいの男の子だ。外遊びよりも室内がいいらしい。
これ読んで! そう言って可愛らしい女の子からおねだりを受ける。渡された本を受け取ると、私は小さく笑みをこぼした。
「マンサクの物語か。この話はね、私も大好きなの」
一緒に読もう。そう言って少女に笑いかけると、彼女は嬉しそうに笑った。他の子どもたちも興味深そうにこちらへ視線を向けている。
そんな子どもたちに微笑んで、エバーグリーンの表紙を開く。かつては自分が読み聞かせてもらった本。それを今度は、自分が語るのだ。
「――昔々あるところに、仲のいい双子の兄妹がおりました」
きらきらとした子どもたちの視線を受けながら、私はゆっくりと語り始めた。
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