第77話 命の重さ


 「何というか……、面倒なことになった、という印象だね」


 そう告げるのは、ソフィーの兄であるジュードだ。困ったなあ、と呟くその表情は、朗らかな笑みを浮かべている。表情と発言の不一致に、イアンがため息を吐いた。


 「兄上、せめてそれらしい表情を作っていただけませんか」

 「ん? あぁ、ごめんね?」


 失敗してしまったね。そう言うも、ジュードは変わらずに笑みを浮かべている。改める気のない姿に、イアンは諦めたようだ。何も言わず肩を落とした。


 お茶会は既にお開きとなり、他の参加者たちはウィルソン公爵邸を後にしている。


 途中物騒な話が出たものの、その後は話題を変え、和やかにお茶会が行われた。


 私も、お茶会を通して多くの人と話をすることができた。よく尋ねられたのは事業についてだ。どんな苦労があったかや、今後の発展など、質問は多岐にわたった。

 私が考えている以上に、この事業は注目を浴びているらしい。それが実感できた時間だった。

 初めて言葉を交わす人ばかりだったが、良い交流ができたと思う。


 そして現在、ウィルソン公爵邸に残っているのは、同じ卓についたメンバーだ。私とオーウェン、カーリー、ノアの4人は、談話室へと通された。あの場では出来なかった話をするためだ。


 「それでは、本題に入りましょうか。シャーロット嬢、あなたのご意見を伺いたい」


 ノアがゆっくりとこちらへ視線を向ける。その表情は真剣で、愛らしい笑顔はどこかへ雲隠れしてしまった。

 

 「僕の姉であるブリジットが、イグニールの事件を首謀したと噂されています。あなたはどう思われますか?」


 問いかける青の瞳は、真っすぐに私を射貫いている。わずかな異変も見逃さぬというかのようだ。

 内容が内容だけに、心中穏やかではいられないのだろう。姉が疑われているとなれば、コードウェル公爵家にとっても無視はできない。家にまで波及しそうな内容ならば、手を打つ必要があるからだ。

 その線引きをするために、情報が必要といったところか。


 「そうですね。これはあくまでも私の推測に過ぎませんが、」


 脳裏に浮かぶのは、あのオリエンテーションの日だ。ほんの数か月前のこと。細部はともかく、大枠はまだ覚えている。


 「コードウェル公爵令嬢は、関与していないと考えます」

 「関与していない……その根拠をお伺いしても?」


 残念ながら、姉には相当疑わしい部分があると思いますが。そう言葉をこぼすノアに、私は無言で頷いた。


 彼の言うとおり、ブリジット嬢には疑わしい部分がある。私を疎んでいるのは事実だし、私が死ぬことで一番喜ぶのは彼女だろう。分かりやすい動機がある以上、疑われても可笑しくない。

 しかし、私は彼女が犯行に及んだとは思えなかった。


 「単純な話です。コードウェル公爵令嬢にイグニールの侵入を手引きすることは、不可能だと考えるからです」

 「不可能、ですか」

 「ええ。入学したばかりのご令嬢が、魔獣を操れると思いますか? 相手は人の言葉が通じない生き物です。まともに指示などできません。潜伏させるどころか、指定の場所に連れてくることすら困難です。

 暴力で屈服させる方法も考えられますが、率直に申し上げて、彼女では力量が足りません。

 彼女が全力で放った魔術は、あまり効果がなかった。力ですら上回れない彼女が、イグニールを従わせるなど夢物語と言えるでしょう」


 私の言葉に、ソフィーが頷く。あの場には彼女もいたのだ。よく覚えていることだろう。


 「シャーリーの言うとおりね。周囲への影響も考えず魔術を放っていたけれど、あまり効いていなかったもの。そんな彼女が、イグニールを意のままに操れたとは思えない。

 何より、彼女が犯人だというのなら、なぜイグニールへ魔術を放ったのかしら。始末したい相手を手助けしたようなものよ?」


 ソフィーの言うとおり、あの場で私を始末するつもりだったなら、彼女が魔術を放つ意味はない。私がイグニールに殺されるのを待てばいいだけだ。殺そうとしている相手に、手を貸す者はいないだろう。


 「ねぇ、シャーリー」

 「なにかしら? カーリー」


 ちょんちょん、と私の腕をつつく彼女に、私は首を傾げる。彼女はどこか悲しそうな顔をしていた。


 「コードウェル公爵令嬢の魔術はイグニールに効かなかった。彼女にはイグニールを操る力がなく、この事件を起こすことはできない。その結論は私も間違っていないと思うわ。

 だからこそ、少し同情してしまうの。私、シャーリーを虐めようとする彼女は許せないけれど……ここまでくると、さすがに可哀想に思えるわ」

 「……というと?」


 いつもふわふわと笑っている彼女は、ここにいない。どこか不安そうに視線を彷徨わせている。

 彼女は何かに気づき、不安を抱えているようだ。


 「彼女には不可能なのに、彼女が犯人だと噂を広められている。要するに、コードウェル公爵令嬢は誰かにってことでしょう?

 冷静に考えれば、新入生にイグニールを従わせることなんてできるわけないのに。そんな杜撰な噂が広がるのも可笑しいわ。

 出所も分からなくしているようだし、余程上手く話を広めたのね」


 その言葉に、私は思わず凍り付く。それは、ソフィーたちも同様だった。

 カーリーの発言には、一つ重大なキーワードが入っている。


 「つまり、をかけられた……?」

 「そうなるでしょう? 普通なら、信憑性のない噂だって一笑される話なのにね。こうして私たちの耳に入るくらいには、広まっている。

 それも、信じる人すら出てきてしまった」


 余程恨まれていたのかしら、そう呟くカーリーに、私は何も返せなかった。


 今思えば、この噂を教えてくれた令嬢は、どこかその噂を信じていたように思う。「やっぱり、あの噂は本当だったのかしら」そう言葉をこぼしていたのだから。


 おそらく、私の表情は青くなっているだろう。予想していなかった展開に、頭の中に警報が鳴り響いた。


 「冤罪、か。コードウェル公爵令嬢が主張していたのはたしか……」

 「シャーロット嬢に冤罪を着せられて断罪される、でしたね」


 イアンの言葉に、ノアが真剣な面持ちで答える。その言葉を聞き、背中に嫌な汗が流れた。


 「私、冤罪なんて流していませんよ?」

 「分かっているわよ、シャーリー。誰も疑ってなどいないわ」


 間髪入れずに返ってきたソフィーの言葉に、私はほっと胸を撫でおろす。良かった。嫌な符号の一致に、自身の潔白を口にせずにはいられなかった。


 「ごめんなさい、シャーリー……私、悪いことを言ったのかしら」

 「まさか! カーリーは何も悪くないわ。むしろ、あなたのおかげで一つ気づいたことがあるの」


 しょんぼりと肩を落とすカーリーに、私は微笑んで首を横へ振る。

 私の言葉に、カーリーは驚いたように目を丸めた。気づいたこと、それが何か分からないのだろう。


 「ソフィー様、以前私とジェームズ殿下の噂が広まったときのことを覚えていますか?」

 「もちろんよ。あなたとジェームズ殿下がお似合いだという噂でしょう? 学園外にまで広がったわね」

 「ああ、その噂は僕も聞いたことがあります。招待されたパーティーで、令嬢たちが話しているのを見ました」


 ソフィーの言葉を聞き、ノアも噂に思い至ったようだ。彼にまで伝わっているということは、本当に多くの人が知る内容らしい。何とも迷惑な話だとため息をつく。


 「あのときも、不自然に噂が広まったのです。当時、私は聖女としてお披露目される前でした。

 にもかかわらず、子爵令嬢に過ぎない私と殿下の噂話が広がった。

 そんなこと、あり得ますか? 聖女と公表された後ならばともかく、その前です。コードウェル公爵家の耳に入るのを恐れて、口を噤んでも可笑しくない内容だというのに。

 茶会やパーティーですら話題に挙がるなど、少々異常に思えます」

 「なるほど、一理あるね」


 ジュードが腕を組みながら同意する。私の言わんとすることが分かったのだろう。その続きは、彼が口にしてくれた。


 「コードウェル公爵令嬢がイグニールを手引きした、そんな信憑性のない噂も加速度的に広まっている。出所すら不明なのに、だ。

 君とジェームズ殿下の噂が流れたのと同様に、不自然な広まり方だ。まるで、かのようだね」


 ジュードの指摘は、まさに私が言いたい内容そのものだった。

 本当に、不自然なのだ。通常なら一笑されるか、こそこそと身内のみで語られるようなレベルの噂話。

 にもかかわらず、まるで信憑性のある話かのように、堂々と人の口に上っていく。どう考えても異常だった。


 偶然とは思えない。誰かが意図的に広めていると見るのが自然だろう。


 「さて、そうなると一つの仮説ができる」


 ピンと人差し指を立て、ジュードはにっこりと笑う。今までも微笑みを絶やすことはなかったけれど、今の笑顔が一番楽しげに見える。何かを掴めたようだ。


 「仮説を語る前に、これまでのポイントをおさらいしよう。

 一つ目は、この事件をブリジット嬢が起こすのは不可能だったということだ」


 彼女がアクランド嬢を疎んでいるのはたしかだけれど、彼女に今回の件を実行する能力はないからね。そう告げるジュードに、私は黙したまま頷く。


 彼の言うとおりだ。ブリジット嬢には動機こそあれ、それを実行する能力に欠ける。

 また、誰か協力者がいるようにも思えない。実の家族にすら切り捨てられる寸前で、協力してくれる者はいないだろう。彼女自身が自由にお金を使えるわけではないし、誰かを雇うこともできないはずだ。


 「二つ目は、不自然に広まった噂には、ある共通点が挙げられることだ。

 先に広まったのは“アクランド嬢とジェームズ殿下がお似合いだ”という噂。次に広まったのは、“コードウェル公爵令嬢がアクランド嬢を始末しようとした”という噂だった。


 この二つの噂に共通しているのは、どちらもコードウェル公爵令嬢の立場を落とす噂であるということだ。彼女にとって不都合な噂が、不自然に広まっている」


 それはまるで、ブリジット嬢を疎む誰かが噂を流しているように見える。実際のところは不明だが、そう考えるのが自然だろう。


 「そして三つ目のポイントだ。イアン、イグニールは誰の前に出てきたのかな?」

 「遭遇したのは、僕たちのグループですね」


 問いかけるジュードに、イアンが即答する。彼はブリジット嬢たちと共に行動していた。当然、イグニールが現れた瞬間を目撃している。


 「イグニールは突然僕たちの前に現れました。少し離れたところに他の生徒もいましたが、そちらを狙うことはなかった。

 殿下や僕が応戦したことも理由の一つでしょうが」


 イアンの言葉に、あの日の光景を思い出す。

 最初に視界に入ったのは、赤い血が飛ぶ光景だ。ジェームズ殿下がイグニールの爪にやられ、負傷していた。緊迫した状況下の中、メアリーたちを殿下の下へ向かわせたのだったか。


 イグニールの注意が他にズレることのないよう、必死で魔術を行使していた。

 とはいえ、今になってみれば上手く行き過ぎていたように思う。未熟な身である私たち、普段のようにルーファスたちが剣を持っていたわけでもない。かなり制限された中で戦っていたのだ。イグニールからすれば隙をつくくらいできただろう。


 そして、イグニールを挟んだ反対側にも生徒はいた。その中には、意識を失い倒れている者すらいたのだ。

 仮にイグニールが捕食目当てに動いていたのなら、その生徒が真っ先にやられていただろう。弱い者、隙のある者から狩るのが自然だ。一人餌になるものを咥えて、どこかに逃げても可笑しくない。


 しかし、最初から特定の誰かを狙った攻撃ならどうか。他の生徒が一切狙われなかったことにも説明がつく。


 「殿下であれば誰かに命を狙われる危険はあるが、それならばイグニールが追撃を止めていないだろう。爪で負傷させる程度では済まなかったはずだ。腕の一本や二本は無くなっていたんじゃないか?」


 微笑みを維持したまま、あっさりと告げるジュード。そんな彼に、カーリーが小さく悲鳴を上げる。

 彼女には刺激が強すぎたのだろう。穏やかに暮らしてきた令嬢だ。こういった話に慣れていなくとも無理はない。


 「殿下を追撃することもなく、他の生徒を襲う素振りもない。生徒とはいえアクランド嬢たちの援軍が来ても、逃げもしなかった。

 イグニールにしてみれば、最初から襲うべき相手がいたと考えるのが自然だろう」 


 殿下や他の生徒ではない、襲うべき相手がね。その言葉に、私は息をのんだ。


 ジェームズ殿下のチームは4人。殿下とブリジット嬢、イアンにケンドール辺境伯子息だ。殿下は負傷し、ケンドール辺境伯子息に至っては、立ち上がることすらできずにいた。狙うなら楽だったはずだが、執拗に攻撃しようとする素振りは無かった。


 私たちが到着したとき、あの場に立ち続けていたのは、ブリジット嬢とイアンのみ。

 二人の内、どちらが命を狙われる可能性が高いか。一概には言えないが、イグニールの狙いはおそらく、


 「コードウェル公爵令嬢が、襲うべき相手だった?」

 「そうだね。そう考えるのが自然だろう。

 イアンは殿下の下を離れ、アクランド嬢の近くへ移動したのだろう? その際にイグニールから攻撃を受けたという話しも聞いていない。標的が移動したなら、それに反応しても可笑しくないのに」


 そのとき、イグニールと君たちは睨み合ったままだったのだろう? そう言うジュードに、私は無言で頷いた。

 なるほど、こうしてみれば彼女が狙われていたというのはあり得る話に思える。


 「つまり、三つ目のポイントは、あの日狙われたのがコードウェル公爵令嬢だったということだ。


 さて、ここで三つのポイントが出そろった。

 一つは、コードウェル公爵令嬢には犯行が不可能だったこと。次に、彼女の立場を落とす噂が不自然に広まったこと。

 そして最後に、イグニールに狙われていたのはコードウェル公爵令嬢だったということだ」


 こうして聞くと、彼女にばかり不都合なことが起きているように見える。特に一つ目と三つ目については酷いものだ。被害者を加害者に仕立て上げようとしているのだから。

 その上、その噂が広まったということは……


 「なるほど。全て狙って起こしたことなのですね」

 「さすがだ、アクランド嬢。つまり、こういうことだ」


 そう言ってジュードはにっこりと微笑むと、彼の仮説を口にした。


 「今回の事件が起きたのは、単なる事故でも、アクランド嬢を始末しようとしたのでもない。

 全ては、コードウェル公爵令嬢を陥れるためだった。彼女を陥れるためだけに、何らかの手段でイグニールを意のままに動かした。イグニールが無差別に生徒を殺していない以上、一定程度操ることができる者とみていい。

 

 その上で、例え彼女が命を落としたとしても、かまわなかったとみえる。新入生に魔獣をけしかけたんだ。生死は問わないのだろう」

 「命を、落としても……」


 カーリーが唖然としたように声をこぼす。信じられない、そんな心の声が聞こえてくるかのようだった。


 「つまり、彼女に冤罪をかけたのは傷をつけたかったから、ということですか。自身の犯行を隠すためではなく。

 身体には傷をつけられなかったから、名誉を傷つけるために冤罪をかけた、と」


 私の言葉に、ジュードは笑みを深くする。どうやら、私の答えがお気に召したらしい。


 「そのとおり。彼女に傷をつけるのが目的だった。当初の狙いは、物理的な傷をつけることだっただろうけれどね」


 ぞくり、と背中が粟立つのを感じる。その結果、相手が命を落とすかもしれないのに、イグニールを放ったのか。

 なぜ、これほどまでに人の命を軽んじられるのか。犯人の思考の歪みに、言いようのない恐怖を覚える。


 「結果として、彼女は無傷だった。だからこそ、方法を変えたのではないかな? 彼女がこの事件の犯人だ、とね。

 何としても、彼女を傷つけたかったのだろう。身体が無理なら名誉ときた。執念深さを感じるほどだ」


 恐ろしいね、そう言って首を傾げる彼は、変わらない微笑みを浮かべている。首の動きと相まって、美しい金の髪が揺れた。

 褐色の肌に、眩い金色の髪。夏を象徴するかのような色合いなのに、なぜか酷く寒気を覚える。得体の知れない恐怖が私の胸を騒めかせた。


 「犯人は、お片付けしたくらいの気持ちなんだろうな」

 「お片付け、ですか?」

 「そう。アクランド嬢のように真っ当な考えを持つ人間には分からないだろうけれど」


 そこで一度区切ると、私を真っ直ぐに射貫く。海のような美しい青に、感情は籠っていない。話す言葉とは裏腹に、凪いだ海のように穏やかな瞳だった。


 「犯人にとっては、人も物も同じなんだよ。処分さえできれば、方法は何でも良いのさ」


 棄てたゴミがどうなったかなんて、気にしないだろう? 穏やかに微笑む彼を前に、私は口を閉じる。

 返すべき言葉が、見つからなかった。

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