第72話 隠されたモノに触れるとき


 「シャーリー、たしかその子はルーファスという名前だったね?」


 父の唐突な問いかけに、室内が静まり返る。戸惑っていた私を見かねたのか、伯父が応接間奥のソファースペースへと誘導してくれた。


 5人でソファーに腰掛け、テーブルに温かな紅茶が給仕される。全員分淹れ終わると、カーターは一礼し部屋の隅へ控えた。


 「それで? シャーリー、オスカーの質問に対してだが」

 「はい。お父様のおっしゃるとおり、彼の名前はルーファスです」


 伯父から言葉を引き継ぎ、父の質問に答える。ちらりと父へ視線を向けると、難しい顔のまま考え込んでいた。


 「お父様、何かありましたか?」

 「何と表現すればいいのか分からないのだが……」


 そう言って口を閉ざす父に、私は首を傾げる。どうやら言葉を選んでいるらしい。どう表現するのが適切か、考えあぐねているようだ。


 そんな父へ、伯父が良い笑顔で話しかける。からかいます、と顔に書いてあった。この空気を払拭するためもあるだろうが、やたらと生き生きした表情なのが気にかかる。


 「シャーリーに仲の良い男ができて心配なんじゃないか?

 優秀な上に、見目も良いのだろう? 普通の女の子なら、気になっちゃう相手だよな!」

 「なっ!? シャーリー!?」

 「違います。そう言う関係ではないです」


 伯父の言葉に、父は目に見えて狼狽える。先ほどまでの真剣な表情はどこへやら。顔を青褪めさせてこちらを見る姿は頼りない。

 万が一、私が伯父の悪ふざけにのったら泣き出すかもしれない。それはあまりに忍びなく、速やかに否定した。


 私の言葉を聞き、父はほっと胸を撫でおろす。伯父はくつくつと笑みをこぼし、父の背を叩いた。


 「ま、今でこそこうだけれどな。いつかはシャーリーも結婚するんだ。お前も覚悟はしておけよ?」

 「シャーリーは天使だから結婚しない」

 「……お前は何を言っているんだ?」


 頭のネジをどこかに置いてきたのか? そう言って頭を抱える伯父に、私は困ったように微笑んだ。


 どんなときでも、こういった話題にはブレない父。本当に、この親馬鹿を何とかせねば結婚に苦労しそうだ。

 貴族令嬢は結婚するのが義務と分かっているはずだが、気持ちが追い付かないのだろうか。是非とも父にはしっかりしていただきたいものである。


 「まぁまぁ。男親というのは、娘の結婚に複雑なものさ。

 ところでアクランド子爵。何かシャーリーの従者に気になることでも?」


 お爺様の問いかけに、父の表情が一変する。数拍の間が開いて、父は口を開いた。


 「どこか違和感を覚えたのです」

 「違和感?」


 父の言葉に、お爺様が目を丸める。詳細は不明だが、父には何かしら引っかかる点があるらしい。


 「以前、オリエンテーションの件で学園に向かいました。学園内にイグニールが現れた事件があったでしょう」

 「あぁ。あれは凄い騒ぎになったね。たしか、シャーリーはその場にいたのだろう?」

 「はい、お爺様。突然のことに驚いたのを覚えています」


 学園の警備は決して脆弱ではなかった。特に、イグニールが現れたのはあの森だ。侵入者対策を施している森に、魔獣が入るなど予想だにしなかった。


 「まさにその件です。まずはシャーリーに会おうとスピネル寮へ向かいました。

 その際、初めて彼を見かけましたが……なぜか目についたのです」


 父は、考えを整理するかのように言葉をこぼす。曖昧な表現を聞く限り、言語化できない何かがあるらしい。


 「お前の様子から察するに、言葉では説明し難い違和感ということか」

 「兄上のおっしゃるとおりです。言葉で上手く説明できればいいのですが……なんというか、彼には歪みがあるように思います」

 「歪み、ですか?」


 父の言葉を繰り返す。歪み、とは何を指すのか。自身の従者にして悪友のような相手。そんな彼に対する不穏な表現に、私の胸がどきりと鳴った。


 「あぁ。彼自身の性格だとか、そういった部分を指しているわけではないよ。あの日、僕は彼と話をしていないし、性格は分からないからね」


 そう言って父は私に微笑みかける。おそらく私を気遣って言葉をかけてくれたのだろう。本来であれば感謝するところであるが、私はそっと視線を逸らした。

 言えるわけがない。ルーファスが最も歪んでいるのは性格です、なんて。


 視線を逸らした私に、父は首を傾げる。きょとん、とした瞳の純粋さに涙が出そうだ。これも全て、あの男のイイ性格が原因ということにしておこう。


 「では、お父様の言うルーファスの歪みとは、表面的なものを指しているのですか?」


 話題を変えようと口を開くと、父は再び考え込むように唸った。「表面的……」そう呟き、しばし虚空を眺めている。

 数十秒か、それとも数分は経っただろうか。考え込んでいた父が、ふと声を上げた。


 「魔力だ」

 「魔力、ですか?」


 父の言葉に、私はパチリと目を瞬く。何が何やら、と言ったところだが、父の中では答えが出たらしい。父はうんうんと頷くと、こちらへ視線を向けた。問題が解けた嬉しさからか、少年のように輝いた瞳をしている。


 「そう、魔力! 何か可笑しいと思っていたが、魔力が可笑しかったんだ!」

 「魔力が可笑しい、とは具体的にどういう?」

 「混ざっているのさ。彼だけの魔力ではなく、他の魔力がね」


 すっきりした! とにこやかに笑う父だが、こちらは謎が増えただけである。魔力が可笑しいとは。他者の魔力が混ざっている点は理解した。


 しかし、それだけでは全てが解決したとは言えない。なぜ他者の魔力が混ざっているのか、そこが依然として不明なままだ。


 「アクランド子爵、他者の魔力が混ざっているとはどういうことかね? 基本的に、魔力が混ざり合うというのはあり得ないはずだが」

 「フレデリック殿のおっしゃるとおりです。

 厳密にいえば、魔力が混ざるという表現は誤りでしょう。彼の魔力の上に、別の魔力がかけられているという方が正しいかもしれません」


 父曰く、ルーファスの魔力を覆うように、誰かの魔力がかけられているらしい。


 それ自体は、あり得ない話ではない。

 例としては戦闘時だろうか。私は祈信術を用いて、仲間に攻撃や防御の補助を行う。その際、対象者には私の魔力が上からかけられている状態だ。

 それと同様に、何かしらの術を上掛けされていれば、ルーファスから他者の魔力を感じることもあるだろう。


 しかし、父が初めてルーファスを見かけたのは、お茶の席だ。魔術を上掛けされていたとは考え難い。

 そもそも、長時間魔術をかけていれば、その分魔力を消費し続けることになる。戦闘時でもない環境で、誰がそんなことをするというのか。


 頭を悩ませていたところに、涼やかな声が響く。ナタリア先生だ。


 「確認させていただきたいのですが、お会いしたのは戦闘中ではありませんよね?」

 「もちろんです。シャーリーたちは、お茶をしていたのだったね?」


 私へ確認する父に、黙したまま頷く。至って普通のお茶会で、魔力を使う場面などなかった。当然、私もルーファスに祈信術をかけてはいない。


 「なるほど。それでは、魔道具の所持が現実的でしょうね」


 ナタリア先生の言葉を聞き、室内に沈黙が落ちる。カチ、カチ、と時計の針が進む音だけが耳に届いた。

 痛いほどの静寂に、身体がぶるりと震える。窓が開いているわけでもないのに、室温が下がったかのようだ。


 「フローレンス夫人の予想が一番自然でしょう。誰かが絶えず魔術をかけているとは考え難い。あまりにも非効率的だ」


 父がそう呟くと、ナタリア先生はゆっくりと頷いた。


 私はティーカップを手に取り、一口飲み込む。鼻に届くダージリンの香りは、いくらか私の心を落ち着かせてくれた。予想外の話の流れに、心が疲弊していたようだ。


 「ふむ。そうなると、ルーファスという少年は魔道具を所持していることになるが……」


 お爺様はそう呟くと、私へ視線を送る。おそらく、私から確認したいのだろう。


 「シャーリー、彼は平民の出身だ。そう言っていたね?」

 「はい。彼と初めて会ったのは教会でしたが、その際に平民の出だと聞いています」


 聖女の側に付ける以上、教会側も身元調査は行っている。その上で、平民ながら優秀な者として彼は私の従者に選ばれた。


 「平民である彼が、魔道具を所持しているというのは考え難いが……」

 「申し訳ございません。私自身、違和感を覚えたことはありませんでしたから、特段尋ねたこともなく……」


 そう答える私に、お爺様は首を横へ振った。同じく、父も否定の言葉を口にする。


 「シャーリーが気にすることはない。普通なら気づかないだろう。僕が気づいたのは、研究者だからだと思う」

 

 父曰く、研究者同士の繋がりは深いのだとか。我が国では忌避されているが、魔道具の研究者とも面識があるらしい。分野こそ異なるものの、互いに刺激し合える関係のようだ。

 研究者仲間のおかげで、魔道具の試運転を見学したことがあるという。その際に、本人が持つ魔力と魔道具の魔力の違いに気づいたのだとか。


 「なるほど。そう言うことなら、俺には分からなかっただろうな。あまり魔術が得意なわけでもない」


 伯父はそう言って頭をかく。お爺様は顎を撫で、伯父様の言葉に頷いた。


 「こればかりは、見る人の技量も必要だろう。卓越した魔術師なら違和感を覚えるかもしれないが、並みの魔術師では分かるまい。アクランド子爵は元々が優秀な魔術師であることと、研究者としての経験が活きたのだろう。

 魔術の才は高くとも、シャーリーはまだ学園に入学したばかりだ。経験が少なく、魔道具の知識もそうはない。気づけないのも当然だ」


 お爺様が言うには、他人の魔力を感じ取るのは相当難しいことだとか。もっと言えば、魔術を行使していない状態で魔力を察知できるのは、一握りの魔術師しかできないらしい。


 それが当たり前にできるようでは、魔術師にとって生きづらい世界になるという。

 たしかに、視覚や聴覚、嗅覚だけでも、人の多い場所では情報過多に感じることがある。それに加えて魔力まで判断できると、相当苦しく感じるだろう。父が人付き合いを好まないのは、これも理由かもしれない。


 思考を切り替え、口を開く。私には一つ気になることがあった。


 「あの、それではなぜ、ルーファスが従者になれたのでしょうか。教会内の人間が誰も気づかないというのは、少し違和感があるように思います」


 教会が扱う術は祈信術だが、術者として優秀な者は複数いる。

 それなのに、なぜ教会の人間はルーファスに違和感を持たなかったのか。魔道具を持った平民など、違和感しかないはずなのに。


 教会が事情を知った上でルーファスを受け入れた可能性も0ではないが、私への説明が一切ないのは不自然だ。又聞きで知った場合、教会へ不信感を覚えただろう。そんなリスクを冒してまで黙っているだろうか。


 「あぁ。たしかにそこは違和感が残る」


 お爺様は頷き、指を二本立てて口を開いた。


 「アクランド子爵の見解が正しければ、考えられるのは二つだ。

 一つは、教会側がシャーリーに隠した上で、ルーファス君を従者につけた可能性だ。なぜ魔道具をつけているのかは不明だが、シャーリーの従者になれたことについては説明がつく。

 とはいえ、これは可能性が低いだろう。シャーリーからの信頼を損なってまで教会がやるとは思えない」


 そのとおりだ。聖女に不信感を抱かれてまで、ルーファスを引き入れる理由がない。


 それに、教会は私を大切にしてくれている。私の意見を尊重し、子爵領との行き来を認めてくれた。この前の陛下との面談でも、私を守ろうとしてくれたではないか。

 私の意見を尊重し、力を貸してくれる人たちだ。疑いたくはない。


 「もう一つは、教会の優秀な術者すら欺く、何らかの方法があるという可能性だ。

 さらに重要なのは、欺ける相手は教会関係者のみの可能性が高いということ。アクランド子爵には見破られているからね。

 シャーリー、彼はアクランド子爵以外の貴族と面識はあるのかな?」

 「いえ、学園以外ではないかと」

 「ふむ。やはり教会関係者のみを欺く方法があるとみるべきかな」


 お爺様はそう言うと、ナタリア先生へ視線を向けた。彼女はエクセツィオーレ出身の優秀な魔術師。我が国の魔術師よりも、魔道具については詳しいだろう。


 「フローレンス夫人、教会関係者のみを欺けるような魔道具は存在するかね?」

 「……難しいでしょう。基本的に、目くらましには教会の祈信術を使用します。魔道具での再現は困難。正確に言うのならば、不可能でしょう」


 教会が祈信術を魔道具に組み込むとは思えません。その言葉に、私は深く頷いた。

 祈信術は門外不出の術だ。例え教会に出入りする人間であっても、神官以外は学ぶことができない。祈信術の講義中は、ルーファスやオーウェンすら入室を認められないほどだ。

 それほど扱いを徹底している教会が、外部の人間に使用を認めるとは思えない。魔道具に組み込むなどもってのほかだ。


 ならばなぜ、この状況が生まれているのか。私は一人思考を巡らせる。

 

 私の脳裏に、ある光景が思い出された。あれは、私が初めて大神官にお会いした日のことだ。

 自身から聖女だと名乗り出ると、その確認のためにアクランド子爵邸まで足を運んでくれた。わざわざ、大神官という高位にある方が、だ。


 「……一つだけ、あるかもしれません」


 静まり返った部屋に、私の声が落ちる。それに、全員の視線が私へ向けられた。

 向けられたのは、どれも真剣な眼差しだった。射貫かれるような鋭さに、私の背が自然と伸びる。


 おそらく、私の予想は当たっていることだろう。

 けれどそれは、少なくはない衝撃を与えることになる。彼らに対しても、私自身にとっても。


 瞼を閉じ、小さく息を吐く。意を決して、私は重い口を開けた。


 「教会関係者のみを欺くならば、彼らに縁深い何かが鍵となっているでしょう。

 万人を相手にした目くらましではなく、効いているのは教会関係者のみ。何かしら対象を限定する方法があるはずです」


 現に、父は異変に気づいている。教会関係者だからこそ該当する、特徴があったとみるべきだろう。


 「神官にとって、女神様への御祈りは必須です。

 詳細はお伝えできませんが、教えを守り、祈りを捧げることで祈信術は使用できます。女神様の御威光が源と言っても過言ではありません。


 神官たちからすれば、女神様のお力は常日頃感じられるもの。誰もが女神様のお力をお借りして祈信術を使用します。彼らが身に纏うのは、祈信術を使用した力の名残でもある」


 それゆえ、自身が使った祈信術についてならばともかく、それ以外の祈信術を見て術者を判別するのは不可能だ。あくまでも女神の力を借り受けて行使している。そこには関係がない。


 言い換えるなら、術者個人の魔力属性が何であろうと、祈信術は行使できるということだ。だからこそ、教会は祈信術を門外不出とするのである。


 術者個人に依存する術ならば、外部流出を恐れる必要はない。聖女の使う時属性魔術が良い例だ。あれは、術者個人に適性がなければどれほど望もうと行使できない。

 祈信術が門外不出であるのは、万人に行使できる可能性があることの裏返しだ。


 つまり、


 「ルーファスの持つ魔力が女神様のお力に近しいものであれば、教会関係者が判別するのは困難でしょう。皆似たような力を借り受ける身、区別などできようはずもありません。


 その一方で全く違う魔力を纏っていたら? そちらこそルーファスの魔力だと考えても可笑しくないでしょう」


 ルーファス自身の魔力を認識できない代わりに、魔道具の魔力を認識している。そうであれば、ルーファスの違和感を見過ごしたのも説明できる。


 「たしかに、それであれば説明はつくが……だがシャーリー、そんな人間が存在するか? 聖女であるお前ならばともかく、それ以外の人間だぞ?」

 「はい。という意味では、一人だけ」


 そう告げる私に、伯父は目を見開く。お爺様はすっと目を細め、私を見つめた。


 「ルーファスは神官ではありませんから、後天的な要因はあり得ません。

 生まれながらにして女神様に近しい力を身に宿す、それが可能なのは方でしょう」


 女神に愛された女性が聖女であるが、女神の寵愛を受けるのは聖女だけではない。我が国には、綿々と祝福を賜る一族がいる。


 「ルーク・リオ・ジャーヴィス殿下。彼であれば、全ての説明がつきます」


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