第71話 予期せぬ言葉をかけられて


 「お嬢様、子爵領が見えて来ましたよ」


 デイジーの明るい声に、私は窓へ視線を向けた。

 久しぶりに見た風景は穏やかな心地にさせる。晴れやかな青空の下、太陽の光を浴びて輝く草木。畑には多くの作物が実っており、のどかな景色が広がっていた。


 人の集まる王都は活気が溢れた良い街だけれど、我が子爵領とて負けてはいない。穏やかな眺めは、都会にはない美しさだ。

 私はこの地を愛おしく思っている。


 「ふふ、懐かしいかい?」


 そう声をかけてきたのは、ルーファスだ。穏やかに微笑む彼だが、その表情には疲れが滲んでいる。

 就任式の疲労が残っているのだろうか。裏方として手伝っていたが、やるべきことは多かっただろう。無理してここまで付き合わせたのなら申し訳なく思う。


 「えぇ、久しぶりの帰省だもの。

 それよりルーファス、あなた大丈夫? 顔に疲れが出ているわ。無理してここまで付き合わなくてよかったのに……」

 「何を言うかと思えば。俺は君の従者だ。君が無事屋敷に戻るのを見届ける必要がある」


 気遣ってくれるのはありがたいけれどね。飄々と答える彼に、私はため息を吐いた。いくら従者とはいえ、体調が万全でない人間を酷使するつもりはない。


 「職務に忠実なのは良いことだけど。

 そもそも、あなたきちんと寝ているの? 目が少し赤いわよ?」


 睡眠不足だろうか。彼の目がわずかに充血している。そんな顔を見てしまえば、心配するのは当然だ。


 「最近気になる本を見つけてね。夢中になってしまったんだ。君に心配をかけるのは本意でないし、少し控えるよ」


 両手を上げて降参する姿に、私はじとりと視線を送る。やけに引き際が良い。何か企んでいるのではと彼を見据えた。


 「聖女様、ご安心ください。ルーファスのことは私がきっちり監視しておきますので」

 「おい、オーウェン」

 「まぁ! それなら安心ね!」


 私とオーウェンが笑い合う姿に、ルーファスが「勘弁してくれ……」と小声でぼやいた。監視されたくないのなら、大人しくすればいいだけの話。少しはまともに休んでもらいたいものだ。


 「そういえば、今日はとても可愛らしい装いだね。帰省ならもっと楽な服でも良かったのでは?」


 話を変えたかったのか、ルーファスがおもむろに口を開く。その視線は、私の服へと向いていた。


 本日の服装は、ミントグリーンを基調としたワンピースドレスだ。夏の暑さに対応するため、袖は白のシフォン生地。上部はすっきりと絞られ、中央にくるみボタンが並んでいる。

 腰から下はふんわりしたスカートだ。白いレースが何枚も重ねられた、愛らしいデザインが特徴の服。


 ルーファスの言うとおり、帰省するだけならばシンプルな服でいい。あちらの方が動きやすく快適なくらいだ。


 しかし、今日ばかりはそういうわけにいかない。

 父の手紙によると、私の帰省に合わせ、お客様がいらっしゃる予定らしい。屋敷についてから支度をするのでは間に合わない可能性がある。そうならないよう、事前に身支度を整えてから出発したのだ。


 「帰省だけならもっと楽な服が良かったのだけれどね。今日はお客様がいらっしゃるのよ」

 「なるほど。君は案外シンプルな服を好むようだからね。不思議だったんだ」


 ルーファスがそう言うのも無理はない。

 我が学園はマントのみ支給され、他は私服。それを良いことに、学園内ではシンプルな服ばかり着ているのだ。ドレスが必要ない環境のため、ひらひらとした服は早々に辞めることにした。


 単純に動きづらいし、そもそも、私の好みはシンプルなものなのだ。もっと言えば、大人っぽい服が理想である。後者はあまり似合わないのが難点だが。


 当然のことではあるが、シンプルな服とはいえ貴族としての品位は保っている。生地や仕立ての良さは言うまでもないが、細部まで美しい服だ。

 シンプルだからこそ、誤魔化しはきかないもの。その辺りは徹底的にこだわっている。


 「たしかに、好みだけで言えばシンプルな方が好きね。可愛らしい服もいいとは思うけれど」

 「やっぱりそうか。

 でも、どちらの服も似合っているよ。君はとても愛らしい顔立ちだから、レースが良く似合う。まるで童話のお姫様のようだね」


 微笑んでそう告げるルーファスに、私はぱちりと瞬いた。空耳でも聞いたのだろうか。


 「どうかしたかい?」

 「まさか、あなたに容姿を褒められるとは思わなかったわ」


 思わず、と言ったように答える。本当に予想外の発言だったので驚いた。


 今まで彼に可愛いと言われたことはなかった。普段から軽口を飛ばし合っているせいだろうか。そんな風に褒められることすら想像していなかった。

 悪友、という言葉が感覚的に近いだろうか。良くしてくれているのは分かっているが、ちくちくと言い合うことが多い仲だ。女性として褒められるのは不思議な心地である。


 ルーファスは眉を寄せ、こちらを見つめる。心底呆れていると言いたげな表情に、私は首を傾げた。


 「何を言っているんだか。俺の美的感覚におかしなところはない。君の愛らしさが分からないほど、愚鈍ではないつもりだが」


 君に俺はどう見えているんだい? そう続けるルーファスに、私は息をのむ。


 この男、恥ずかしげもなく、よくそんなことが言えるな。心の中で悪態をつきつつ、口元に手を当てる。じわじわと頬が熱くなるのを感じ、わずかに顔を俯かせた。


 普通、こういうのは言う側が恥ずかしくなるものではないか。なぜ言われたこちらがダメージを負うのか。釈然としない気持ちのまま、一人唸る。


 「……へぇ? 君は存外、中身にも愛らしいところがあるんだね?」

 「中身にも、ってどういうことかしら?」

 「そういうところだよ。君は気が強いからね。まさか褒め言葉一つで照れるとは思わなかった」


 良いことを知ったな。イイ笑顔でからかうルーファスに歯噛みする。何とか言い負かしてやりたいと思うものの、丁度いい言葉が浮かんでこない。


 これが単なる社交辞令ならば違った。そういったものは軽く流せる自信がある。


 キャバクラ嬢のときはよく可愛いと言われたものだが、軽く流していた。酒の場で出た言葉に、一々反応していたらキリがない。

 ましてや相手はお客様だ。仕事上の付き合いに過ぎない相手。大した感慨もなく、笑顔でお礼を言うのが普通だった。


 けれど、今は違う。金銭が絡む場でもなければ、社交辞令を交わす間柄でもない。何気ない雑談の場だ。そんな場で、褒め言葉が飛んでくるとは思ってもみなかった。


 何より、この男は社交辞令など口にしない。少なくとも私には。皮肉を飛ばし合う相手に、今更社交辞令など言われても鳥肌が立つだけだ。

 仮に言われたら、真剣に病院を紹介するかもしれない。それか、何か企んでいるのではと訝しむだろう。


 そんな男が褒めたのだ。それもどこまでも堂々と、事実として語っている。悔しいことに、下手な口説き文句より強烈に響いた。


 「ふふ、そう睨まないで。毛が逆立っている猫みたいだよ?」

 「誰のせいか分かっていて?」

 「君の愛らしさがきっかけでは?」


 にっこりと微笑む顔は、腹立たしいほどに輝いている。

 本当に、この男の顔は美しい。神経の図太さからは想像できない造形だ。顔の繊細さの一ミリでも、精神に向けられれば良かったものを。


 バチバチと攻防戦をする私たちに、デイジーが声をかける。


 「ルーファス! お嬢さまをあまり困らせないように。

 お嬢様、ご覧ください。アクランド邸が見えて来ましたよ!」


 デイジーの言葉に、ルーファスは軽く肩を竦めた。反論は特にないらしい。彼女の話題転換は渡りに船だったため、私も話にのることにした。


 窓から見えたのは、久方ぶりの屋敷だ。住み慣れた我が家が近づき、自然と口角が上がる。


 学園で忙しない日々を過ごしてきたのだ。少しくらい羽を伸ばしてもバチは当たらないだろう。

 休みの間、庭でお茶でもしてみようか。久しぶりに薔薇園を見て回るのもいいかもしれない。


 これから始まる休暇に、私は胸を躍らせた。






 出迎えに来たカーターに連れられ、屋敷へ入る。てっきり父や使用人に出迎えられると思っていたが、玄関ホールには誰もいなかった。

 おや、と私は首をひねる。斜め後ろに控えるデイジーも困惑しているようだ。カーターへ何事かと尋ねている。


 カーターの顔を見上げると、彼はいつもどおりの笑顔で笑っていた。焦りの表情などは見受けられない。

 つまり、彼にとってこれは予定調和と言うことだ。何か大きな問題が起きたわけではないだろう。


 焦っていても仕方なし。とりあえず成り行きに任せるかと、カーターの勧めに従った。私の部屋へ通されることもなく、彼は別方向へと誘導する。


 一体どこへ行くのやら。私とデイジーは顔を見合わせるも、答えなど分かるはずがない。常ならぬ流れに疑問符を浮かべつつ、黙って後を着いていった。


 静まり返った廊下を抜け、応接間の扉を開ける。そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。


 「おめでとう! シャーリー!!」


 屋敷内の静けさが嘘のように、明るい声に迎えられる。驚きのあまり、私はその場で固まってしまった。


 祝福の言葉と共に、宙を舞う花びら。漂う香りから察するに薔薇のようだ。白く美しい花弁が視界を華やかに彩った。


 花びらの先に見えたのは、沢山の温かな笑顔だ。父や伯父、ランシアン前侯爵であるお爺様にナタリア先生、そしていつも世話になっている使用人たち。皆、明るい笑顔を浮かべている。


 「え? これは……」


 突然のお祝いムードに唖然と声を漏らす。おめでとう、と言われたが何に対してだろうか。

 聖女就任については、既にお祝いの言葉をもらっている。他に何か祝い事があっただろうか。私は一人首を傾げた。


 「ほらシャーリー! そんなところでボケッとしていないで入ってこい!」


 笑顔の伯父に促され、室内へ足を踏み入れる。

 テーブルの上を見ると、色とりどりの食事が並べられていた。立食パーティーらしく、脇には小皿が重ねられている。


 白身魚のマリネや、色鮮やかなテリーヌ。小さな器に入ったサラダに、切り分けられた大きなステーキ。バスケットには焼きたてだろうか、こんがりとしたパンが盛られている。デザートも豊富に取り揃えられ、テーブルを一層華やかに見せていた。


 「ただいま戻りました。それで、これは一体……?」


 伯父たちが集まる場へ向かうと、皆笑顔で迎え入れてくれた。唖然と問いかける私に、父が微笑んで答える。


 「シャーリーが良い成績を修めたお祝いだよ。慣れない環境下で、実力を発揮できたのは素晴らしいことだ。

 よく頑張ったね。努力の結果だ。父として、とても誇らしいよ」


 おめでとう、そう言って父が優しく私の頭を撫でる。その言葉に、私は周囲を見回した。

 伯父たちだけでなく、使用人も集まり私をお祝いしてくれている。各々忙しい中だろうに、お祝いのためだけにわざわざ時間を割いてくれたのか。

 その疑問は口にするまでもない。ここにいる皆の表情と、テーブルを彩る料理の数々が証明している。


 予想外のサプライズに自然と頬がほころぶ。喜びの感情そのままに、口を開いた。


 「ありがとうございます!」


 明るく礼を言うと、たくさんの拍手が送られた。口々に祝いの言葉がかけられ、それと共にフラワーシャワーが宙を舞う。皆の優しさを感じ、嬉しさで胸が熱くなった。

 

 「それじゃあ、食事にしようか!」


 父の明るい声が響き、各々動き始める。私はお爺様と共に料理を取りに行った。

 どれを見ても美味しそうな物ばかりで目移りしてしまう。そんな私にお爺様は微笑みを浮かべる。そして、せっかくだから端から食べてみようかと提案してくれた。外のパーティーでは到底できない振る舞いだが、身内だけの場ならいいだろう。

 二人で悪戯に笑って、端の料理から少しずつ皿に入れることにした。


 「それにしても驚きました。カーターに言われるまま応接間へ来ましたが、まさかお祝いをしてくれるなんて!」

 「シャーリーが頑張った結果だよ。皆がお祝いをしたいと言ってくれたんだ。料理長なんて、7月の後半からメニューを考えていたよ」


 4人で食事を楽しみながら会話する。こうして話をするのは本当に久しぶりだ。

 特に最近は厄介ごとばかり舞い込み、穏やかに過ごすことができずにいた。幼い頃を思い出す空間に、自然と気が緩むのを感じる。


 「本当によく頑張ったな、シャーリー。学園で次席なんて、そう簡単にはとれないぞ!」

 

 上位組に入るだけでも凄い話だ。そう告げる伯父に、お爺様は微笑んで頷いた。


 「ペイリン伯爵の言うとおりだ。優秀な者が集まる学園だからね。その中で次席を取れるというのは素晴らしい快挙だ」


 お爺様の言葉に、私は微笑む。自分の努力が認められたのだ。嬉しくなるのも当然か。


 「ナタリア先生にご指導いただいたおかげで、スムーズなスタートがきれました」

 「まぁ、嬉しいこと。シャーロット嬢はいつも真面目に取り組んでおられましたからね。その結果が実ったのでしょう。教師として、嬉しく思いますよ」


 にこにこと笑うナタリア先生はご機嫌だ。幼い頃からお世話になった先生。彼女が喜べる成果を出せたなら、生徒として誇らしい限りだ。


 「それに、友人たちも協力してくれました。試験前だけでなく、日々の復習も皆で取り組んだのです。友人たちも皆、成績優秀者に名前が挙がりました」

 「それは素晴らしい! 切磋琢磨できる学友を得たようだ。シャーリー、仲良くしている子たちはどんな子なんだい?」


 お爺様の問いかけに、私は指折り名前を挙げていく。どういうきっかけで仲良くなったのかもお話した。

 4人とも笑みを浮かべ、楽しげに耳を傾けてくれる。それが嬉しくて、ついつい話に力がこもってしまった。


 「ほう、デゼル男爵令嬢とベント子爵令嬢の伸びは素晴らしいね。二人とも、家庭教師は雇っていなかったのだろう?」

 「はい、学園に来る前は指導を受けたことがなかったそうです。

 けれど、ヘレン嬢、ベント子爵令嬢は自身で学習されていたのですよ。家庭教師のいない中、本のみで知識をつけていたそうです!」


 オリエンテーションではその知識に助けていただきました。そう告げると、お爺様は感嘆の息を漏らした。


 「それは素晴らしい。自身での学習は、相当に苦労があっただろう。彼女は何か夢があるのかね?」

 「魔道具の開発を志しているとか。我が国では未だ難しい分野ですが、彼女の努力は本物です。夢を叶えてほしいと思います」

 「まぁ、それは素晴らしいことですわ。

 万が一、この国が難しければ我が国の研究所を目指すのもいいかもしれませんね」


 ナタリア先生の言葉に頷く。

 事実、我が国では魔道具の開発は困難だ。魔術研究院に忌避されているため、研究すら難しい。

 その点、エクセツィオーレは魔道具開発に前向きだ。ヘレンの夢を叶えるには、それも一つの手になるだろう。


 「優秀な人材が我が国でも活躍できるよう、魔術研究院の認識が変わればいいのだがね」

 「利権が絡むため、変えたくない者が多いのでしょう。

 とはいえ、いつまでも進歩がないのではお話にならない。開発の重要性を認識していただきたいものです」


 お爺様と父が意見を交わす。父は自身も開発に携わる身。分野は異なるが、研究開発の重要性は誰より知っている。魔道具開発が蔑ろにされている現状は、あまり気分のいいものではないだろう。


 「にしても、首席が平民の子とは驚いたな。相当に努力家なんだろう。シャーリーの従者だったか?」

 「えぇ。私の入学に合わせ、特待生で入学しました」

 「それは凄いな。並みの努力ではないはずだ」


 そう言って、伯父が感心したように頷く。

 貴族ばかりの学園に、特待生で入った平民。それだけも驚きなのに、首席をとったのだ。偉業と言っても過言ではない。


 「シャーリーの世代は優秀な者が多いようだね。生まれ関係なく、優れた若者が多いことは素晴らしい」


 お爺様は嬉しそうに微笑み、顎を撫でる。

 これから国を支えていくのは若い世代だ。どのような生まれであろうと、優秀であることは歓迎されるべき。

 少しでもルーファスや民の生活が良くなるように。お爺様たちだけでなく、多くの貴族がそう思ってくれると良い。


 明るい話題に盛り上がる中、父がぽつりと口を開く。


 「シャーリー、たしかその子はルーファスという名前だったね?」


 突然の質問に、驚いて目を丸める。父へ視線を向けると、どこか難しい顔をしていた。

 穏やかな空気を塗り替える表情に、私はぐっと息を飲む。


 返答を待つ父は、何かを探るように目を光らせていた。


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