第70話 忌まわしき記憶と王の想い


 ぴりりり、と虫の鳴く声が耳を打つ。夜空には満月と数多の星が輝いていた。


 人々が寝静まった深夜、執務室にノック音が響く。こんな時間に来客とは。笑みをこぼし、入室を認めた。

 静かに開かれた扉の先には、二つの人影が。一人は予期していたものの、もう一人の姿を見るとは思わなかった。よくもまあ、思い切ったことをしたものだ。


 「まさかお前まで来るとはな。ルーク」

 「ご無沙汰しております、父上」


 にこりと微笑む顔は、今は亡き最愛の人を彷彿とさせる。自身の血を濃く受け継いだ息子だが、笑った顔は彼女にそっくりだ。

 もう会えない女性が残した息子。何としてもこの子だけは守ろうと、必死にあがいた日々が脳裏に浮かぶ。


 「よく来たな、かけるといい。コードウェル公爵もな」


 執務室中央にあるソファーへ促す。自身もそちらへ移動しようと腰を上げた。


 「失礼します」


 そう言って腰掛けるルークの動きに、違和感はない。怪我や体調に問題はなさそうだ。

 視線に気付いたのだろう。こちらを見て照れくさそうに微笑んだ。


 「父上、心配なさらずとも大丈夫です。ここに来るまで、コードウェル公爵に助けていただきました。

 変装も解いておりませんから、一目見て気づかれることはないでしょう」


 ジェームズに至っては、何度会おうと気づきませんし。にこりと笑う姿に、ほっと胸を撫でおろす。自身と同じ青が隠されてしまうのは残念だが、安全には代えられない。


 ルークは生まれてからずっと、命を狙われてきた。自然と、会ってすぐに無事を確認するのが癖になっていた。

 今までも、そしてこれからも、この癖が治る日は来ないだろう。


 今日は酷く感傷的になる日だ。美しい月夜がそうさせるのだろうか。それとも、日中に話したことが原因か。

 

 「公爵、ルーク。わざわざ来たのだ。何か話があるのだろう?」


 感傷を振り払うように口を開く。二人の視線がこちらへ向いた。

 彼らが何を話したいのか、おおよその察しはついているが。


 「父上、既にお察しかと思いますが……アクランド嬢についてです」


 ルークの言葉に、黙したまま頷く。やはりそれか。彼としては気になる話題だろう。無関係ではいられない内容だ。


 「人払いをしてまでお話をされたと聞いています。一体、何をお話になったのです?」


 問いかけるルークの瞳は、真剣そのものだ。じっとこちらを見据える瞳は、感情を抑え込んでいるように見える。内心落ち着かない心地だろうに、冷静であろうとする姿は何とも微笑ましい。


 「大した話ではない。彼女の婚姻について話をしただけだ。王家に嫁いでほしいという打診だな」

 「それは……!」


 思わず、といったようにルークが声を荒げる。普段落ち着いている息子が、こうも声を荒げるのは珍しい。


 「そんなに声を荒げてどうした? お前も予想していた内容だろう?」


 余の言葉にルークは眉を顰める。ぐっと息を詰まらせると、言葉を探すように視線をさ迷わせた。

 大人びた息子も、色恋沙汰には弱いらしい。可愛らしさの残る姿に悪戯心が湧く。


 「あぁ、すまない。惚れた相手なら、自分で口説きたいものよな」

 「父上!」

 「ハハハハハハッ!」


 我慢ならぬと言ったように声を上げるルーク。その頬はほんのりと赤い。まだまだ未熟だなと、声を上げて笑った。


  「お二人とも、落ち着いてください」


 呆れかえったように口を開くのは公爵だ。この男には相当気苦労をかけている。真面目ゆえに、軌道修正をするのはいつも彼だ。


 「すまないな、公爵」

 「そうおっしゃるならば、いくらか自重いただきたいものです」


 ため息を吐く姿は苦労人さながらだ。苦く笑みを浮かべ、公爵をなだめる。遊び過ぎてしまったのは事実。素直に謝罪を口にした。


 「本題に戻しましょう。陛下、アクランド嬢は何と?」


 公爵が切り出すと、室内の空気が一気に切り替わった。

 

 「きっぱりと断られたぞ」


 そう言ってルークへ視線を向けると、真剣な表情をしていた。落胆の色が見られないあたり、図太い神経をしている。脳内では様々な計算をしていることだろう。そういったところは、親譲りのようだ。


 「断られた、ですか」

 「取り付く島もないほどにな。

 それにしても驚いた。啖呵を切るだけでなく、まさか余に嫌味を投げるとは!」


 貴賓室での会話を思い出し、くつくつと笑い声が漏れる。

 本当に肝の座った娘だ。表情の堅さから見るに、緊張や恐怖に苛まれていたはず。それでも微笑みを絶やさず、自身の主張を口にしていた。

 老齢な人間にすらできないことを、あの若さでやり切ったのだ。その胆力は賞賛に値する。


 「嫌味ですか?」

 「あぁ! 実に堂々とした返しだったぞ!」


 青褪めた顔で聞き返す公爵に、嬉々として語り出す。これほど面白い体験は久しぶりだ。ことのほか熱を入れて話してしまった。


 「アクランド嬢が、「ご期待に沿えなかったのであれば心苦しく思います」と言ったのだがな、そのわりに表情に陰りがなかったのだ。

 それを指摘したところ、何と返してきたか分かるか?」

 「いえ、私には見当もつきませんが」


 ひくりと口の端を引きつらせ、公爵が言う。余がこれほどまでに機嫌がいい時点で、ある程度察しているのだろう。真面目な公爵であれば、まずしない返答だったのは事実だ。


 「余の問いかけに対し、「まぁ。ここに鏡がないことが悔やまれますね」ときた! これを愉快と言わず何という!」


 大抵は無理にでもしおらしい顔をするものだが、彼女にその気はなかった。それどころかいい笑顔を浮かべていたほどだ。


 「そ、それはなんとも……」

 「ふふ、彼女らしくていいじゃないか」

 「殿下まで……」


 公爵が言葉を濁す中、ルークが楽しげに微笑む。親子共々楽しむ姿に、公爵は深いため息をついた。


 「普通に考えれば、不敬と言われても可笑しくないのですがね」

 「それはあの娘とて理解していただろう。今だからこそ、言ったのだろうな」


 しばし待て、そう二人に告げると、呼び鈴を鳴らす。呼び鈴には魔術が施されており、聞こえる者は城内に一人のみだ。


 少しの間が開いて、執務室にノック音が響く。入室を促すと呼び出した侍従が一礼した。その手には、気に入りの酒と人数分のグラスが抱えられている。

 飲み物の用意を命じるつもりであったが、長い付き合いのこの男は既に察していたらしい。苦笑交じりに礼を言った。


 「夜分にすまんな」

 「いえ。いつでもお申し付けくださいませ」


 穏やかな微笑みを浮かべると、テーブルにグラスと酒を置く。一度廊下に出ると、今度はつまみとアイスペールを持って戻ってきた。全く、実にできた侍従である。


 「こちらで失礼いたします。何かございましたら、またお呼びください」

 「あぁ、礼を言う」


 部屋を後にする男を見送ると、ルークたちへ笑みを浮かべた。


 「ルークもデビュタントを迎えた。もう酒を飲んでも問題はないだろう」

 「はい、ご相伴に預かります」

 「では、私がお注ぎしましょう」


 そう言ってボトルへ手を伸ばす公爵を、片手で制止する。三人しかおらぬ場だ。他人の目が無い場所くらい、気を遣わずともいいだろう。


 グラスに氷を入れ、ボトルの蓋を回す。爽やかな香りが鼻をくすぐった。


 「ウイスキーですか」

 「あぁ。12年ものだ。最近の気に入りでな。公爵はダブルでよいか?」

 「はい、ありがとうございます」


 公爵のグラスに注ぎ入れ、彼へ手渡す。次にルークの方へ注ぐ。

 ルークはまだ酒を飲み始めたばかり。慣れぬうちはシングルから始めたほうがいいだろう。余の考えが分かったのか、ルークは手渡されたグラスを複雑そうに見つめている。

 とはいえ、文句を言う素振りはない。ここで駄々を捏ねるほど子どもではないようだ。


 一方で、複雑そうな顔を隠しもしない。酒など、嫌でもいつかは慣れるもの。急いで飲めるようになる必要もあるまいに、悔しがるのは若さゆえか。


 最後に自分の分を注ぎ、静かにグラスを掲げる。全員の視線が交わったところで乾杯を告げた。


 ウイスキーが喉を濡らす。爽やかな香りとともに、口の中で豊かな甘みが広がった。苦いだけでなく、ふんわりと広がる甘みが癖になる酒だ。

 樽の内側を焦がすことで、ウイスキーに甘い香りが足されるのだとか。ひと手間加えた樽で寝かされた酒は、その分味わい深いものとなっている。


 二人へ視線を向けると、どちらも機嫌良さそうに口をつけていた。どうやら口にあったらしい。


 「さて、先ほどの内容だが」


 ゆっくりと口を開くと、二人の視線がこちらへ向けられる。手にしたままのグラスをテーブルへ置き、話を戻した。


 「先に言ったとおり、不敬と問われる可能性があることは、あの娘は理解していたはずだ。

 その上で口にしたのは、聖女に就任したからだろう」


 その言葉に、公爵とルークは深く頷く。

 聖女という立場を得たことで、彼女の地位は跳ね上がった。教会内のみでなく、対外的にも重要人物となったのである。いくら一国の王とはいえ、彼女を蔑ろにすることはできない。それを理解した上での発言だろう。


 「アクランド嬢はよく現状を理解している。こちらが教会に強く出られないのも、分かっているだろうな」


 後継者問題において、ルークが抱える問題点。それは彼女の言うとおり、婚外子であることだ。

 その事実を認識している以上、余の罪についても理解しているはず。アシュベルク教が不貞を認めないことは周知の事実だ。当然、教会が余を厳しい目で見ていることは察しているだろう。

 彼女が「ルーク自身の欠点ではない」と前置きしたのも、裏返せば余の罪であると言うに等しい。


 「自身の立場を鑑みた上での発言ならば、無謀とは言えんだろう。

 事実、こちらは教会に強く出ることはできん。現状、目溢しされているに過ぎないのだからな」


 余の言葉に沈黙が落ちる。無理もあるまい。擁護したくとも、できるはずもないからだ。

 結局のところ身から出た錆だ。教義を破ったのはこちら側。教会から見放されずに済んでいるだけ幸運といえる。

 

 「万が一教会との関係が悪化すれば、その影響は甚大だ。

 第一に、我が王家の王統が保証されなくなる。そうなれば、国政が混乱するのは必至。王位簒奪を考える者も出てくるだろう」


 グラスを手に取りくるりと回す。カラン、と涼やかな音が鳴った。琥珀色の海を泳ぐ氷は、光に照らされて美しい。

 小さく息を吐くと、テーブルに置かれたキャンドルがわずかに揺れた。


 「次に、民から怒りの声が上がるだろう。王家の醜聞により教会から見放される。それは民にとって、王家により信仰を奪われたと同義だ。

 信仰を奪われることがどれほどの悲劇を生むのか……語るまでもないことだ」


 この国は女神の祝福のもと建国された。当然、女神への信仰はどの国よりも厚い。その信仰を奪われるとなれば、民が暴徒化する可能性は極めて高い。

 王位簒奪を目論む者と民の暴徒化、これらが一気に襲い掛かればなすすべもない。この国の終焉を招くことになるだろう。


 「それだけは避けねばなりません。

 もとより、我が国の民は一度信仰を奪われた身です。少なくなったとはいえ、弾圧の恐怖、その歴史を知る者もおります」


 そのような者に民を煽動されれば大事になる、そう告げる公爵に頷いた。ルークは驚きに目を見張っている。

 おそらく、まだ習っていないのだろう。時を経て、弾圧の歴史は少しずつ表舞台から消えていった。今となっては、理解しているのは一部の貴族と教会関係者だけだ。


 「私はその歴史について存じ上げません。建国時女神より祝福があったため、女神を信仰していると聞いています。弾圧を受けた過去があるのですか?」

 「知らぬのも無理はない。今となっては、表舞台からは消えた話だ」

 「なぜでしょうか。何か隠さなければならない理由が?」


 問いかける声には、どこか緊張感があった。今まで知らぬ内に隠されていたこと。その一端が目の前に明かされたのだ。ルークの反応は当然と言える。


 一度瞼を閉じ、思考する。いずれ知ることではあるだろう。この子が王になるのであれば、避けられない話題でもある。


 「隠されたのは、そうする方が穏当だったからだろう」

 「穏当、ですか?」

 「そうだ。祖先は弾圧を受け、この地に逃れてきた。建国して間もない頃は、当然その事実を全ての民が知っていたことだろう。

 しかし、時が流れるにつれ、この歴史は隠されることとなった。詳細を知られることに不都合のある者がいたらしい」


 本来であれば自国の歴史を闇に葬るなどしない。悪事を働いた歴史ならともかく、被害者としての歴史だ。被害を忘れないよう、語り続けるのが一般的といえる。

 それでも隠すことを選んだのだ。そうせざるを得ない理由があったに違いない。


 「不都合のある者とは?」

 「わからん。歴史が隠されてから相当の歳月が経っている。全てを正確に把握できるのは、教会関係者のみだろう」


 ルークが眉を顰める。余の思惑に気づいたのだろう。あの娘に肩入れしている息子にとっては、横に置けない話題だ。


 「では父上、私の妻にアクランド嬢を望むのは、歴史の一端を知るためですか?」


 こちらを見据えるルークの瞳に、怒りはない。好奇心に目を輝かせることもなければ、ただ静かに視線を向けるだけだ。心情はどうあれ、冷静さを保つことはできるらしい。


 「それだけが理由ではない。正確に言うのならば、彼女を王家へ望む理由は三つだ。

 一つは、彼女自身が優秀なこと。いずれ王妃になる立場だ。愚かな者を選ぶわけにはいかない。国を背負って立つ、それに相応しい者を選ぶ必要がある」


 王妃という立場は、ただの飾りではない。王とは違う形で、政を回すのだ。流行を生み出し経済を回す。外交や福祉事業に取り組むなど、やるべきことは多岐に渡る。

 王妃であれば、一挙手一投足に注目が集まるもの。それを上手く利用し、国を動かせる力量が必要だ。そこまでの働きができる者は、そう多くないだろう。


 「二つ目は、彼女を伴侶とすることで、次代の瑕疵を治癒するためだ。この表現は、お前にとっては不服かもしれんが」

 「かまいません、事実ですから。目を逸らしていても仕方ないでしょう」


 あっさりと告げるルークに、苦笑を漏らす。苦く思っているのは余の方らしい。当の本人はけろりとしていた。

 今は亡き彼女を、愛したことに悔いはない。彼女を愛したからこそルークも生まれた。その選択を後悔するつもりはないけれど、要らぬ苦労を息子に背負わせたことは苦しく思う。


 「お前には何の罪もないが、婚外子であることは事実。そして、ジェームズは王家の青を持たないという瑕疵がある。

 両者とも、抱える瑕疵により人心を掴み切れずにいる。どちらに王位を継がせるか、その決定打がない状態だ。


 そんな中で、彼女は理想的な存在だった。一人では求心力に欠けるところを、彼女の存在で補填できる。同じことは王妃たちも考えているだろう」


 公爵へと目配せをする。視線を受けた彼は、静かに頷いた。

 公爵の娘がジェームズの婚約者となっている今、王妃は歯噛みしていることだろう。聖女という存在が出て、コードウェル嬢を持て余しているはずだ。

 既に何度か婚約解消の打診をしていると聞く。公爵が受け入れず解消に至っていないが、何かしらの手立てを用意しているだろう。


 「そして最後に、先ほどの話だ。この国の歴史、闇に葬られたものが何なのか、それを知る機会を手にしたかった」

 「なぜです? もちろん、知る機会があるのなら活かすべきでしょう。

 けれど、なぜこのタイミングなのですか? 今までも調べる機会はあったはず。聖女が生まれたからこそ、知らねばならぬ理由があるのでしょうか?」


 ルークの問いに、自然と口角が上がる。

 本当に、よく育ってくれた。いわずとも余の意図を察している。

 国政を担うのであれば、ただ答えを待っていては駄目だ。提示されたもののみで判断するなど愚の骨頂である。凡愚な王は国を傾けかねない。

 今は未熟な身だが、このまま成長してくれれば良き王になるだろう。


 「そうだな。正直なところ余も断言できることはない。

 だが、聖女という存在が生まれたのには、何かしらの意味があると思っている」

 「意味、ですか」

 「そうだ。随分とに聖女が生まれたからな。

 お前やシャーロット嬢が生まれる10年前、何があったか覚えているか?」


 時が止まったかのように、室内に沈黙が訪れる。漏れる息の音すら聞こえぬほどの静寂だ。

 こちらを見るルークの瞳は、驚愕に揺れている。返すべき答えが何かは理解しているはず。それでも口を開かないのは、朧気ながらも事の重大性を理解したからか。


 「……スタンピード、ですか」


 ルークの固い声が室内に落ちる。コードウェル公爵は、眉間に皺を寄せたまま瞼を伏せた。

 あのときの悲惨な記憶は、今もなお我が国の民に残っている。多くの民が息絶えた、忌まわしい記憶だ。


 カラン、と氷が鳴る。溶けかけた氷が、グラスの底を叩いたようだ。緊迫した室内に悲しく響き渡る。


 夜はまだ長い。小さく息を吐き、薄まった酒を飲み干した。

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