第68話 聖女になるということ


 王都より少し離れた場所に建つ、フィンクローツ大聖堂。普段は穏やかな空気が流れるこの場所に、今日は多くの人が訪れていた。


 今日は8月1日。入道雲が浮かぶ青空の下、数百年ぶりの聖女就任式が行われる。


 「聖女様、そろそろご入場です」


 小声で声をかけてきたのは、斜め後ろに立つオーウェンだ。

 私たちは現在、大聖堂の扉前に控えている。列席者は既に入場済みらしい。会衆席は埋まっているようだ。

 これだけ多くの人数が集まっていても、騒めきは聞こえてこない。大聖堂という神秘的な場所がそうさせるのだろうか。ただ静かに式典の開始を待っている。


 神の祝福を受けたかのような、晴天に恵まれた今日。この式典をもって、私は正式に聖女として認められる。今までも教会内では聖女として扱われてきたが、今後は対外的にも聖女と認められるようになる。

 今日という日は、私の立場や責任が大きく変わる転換点だ。


 「オーウェン」

 「はい。どうかされましたか?」


 小さな声で呼びかける。すぐに返事をするオーウェンに、私は微笑みかけた。

 これほどの大舞台。一人であったらどれほど心細かったか。オーウェンが側にいてくれることに、感謝しかない。


 「いつもありがとう。これからもよろしくね」


 そう告げる私に、オーウェンは小さく息をのむ。数拍の間が開き、彼はゆっくりと口を開いた。


 「勿体ないお言葉です。こちらこそ、よろしくお願い致します」


 ルーファスにも後で言ってやってください。そう続ける彼に、私は笑顔で頷いた。


 本日の列席者は、高位の者ばかりだ。王家と貴族のみが参加を認められている。

 そのため、平民であるルーファスはこの場にいない。式典を裏から支えてくれているのだ。今朝は準備で忙しく、ロクに会話もできなかった。後で必ず、感謝を伝えておこう。


 「聖女様、そろそろ」


 扉の前に立つ騎士から声がかかる。返事をし、気持ちを切り替えた。

 いよいよ式典が始まる。後戻りは許されない。


 「シャーロット・ベハティ・アクランド様、ご入場です」


 騎士の声が高らかに響き、大聖堂の扉がゆっくりと開かれる。わずかばかり伏せていた顔を上げ、真っすぐと前を見据えた。

 

 大聖堂の中央には、美しい青のカーペットが敷かれている。前世の言葉で言うと、ロイヤルブルーだろうか。全体的に白で統一された聖堂内に色を添えていた。


 アシュベルク教にとって、青は重要な色とされる。女神の祝福を表す色。ゆえに、重要な場では必ず青が用いられてきた。はめ込まれたステンドグラスも青がベースとなっている。

 尊き色を惜しげなく使われた大聖堂は、まるで天上にいるかのような美しさだ。


 多くの視線を受けながら、ゆっくりと歩を進める。

 純白のマントが靡く。繊細な刺繍が施されたマントは、刺繍糸まで全て白だ。美しい青のカーペットによく映えることだろう。会衆席のあちこちから、感嘆の息が聴こえてくる。


 主祭壇の前へ着き、静かに跪く。見上げた先にあるのは、教会が祀る女神像だ。窓から差し込む光が女神像へ降り注ぎ、神々しく聳え立つ。


 この神聖な光景は、どれほど見ても慣れることがない。大聖堂に入る度、女神像を前にする度に、私の背は知らぬうちに伸びていた。


 日本で言えば、神社等に入る際自然と背を正すようなものだろうか。神聖な場所というのは、どこか我が身を正す効果があるように思う。その気持ちが神への信仰と呼べるのかは、定かでないが。

 それでも、こういった場所には不思議と気を引き締める何かがあるような気がした。


 私が跪いたのを合図に、大神官がこちらへ歩を進める。


 そのときだった。


 「っ、きゃぁ!」


 厳かな空気の中、小さな悲鳴が耳に届く。粛々と始まった式典は、思いがけぬ声に遮られた。

 何事かと周囲が騒めきだし、私も立ち上がって後ろを振り返る。


 視線の先には、一匹の真っ白な蛇がいた。大聖堂の扉から数メートル進んだ辺りで動きを止めている。周囲の視線など気にも留めず、静かにこちらを見つめていた。


 慌てて目配せをする騎士たち。式典の妨げになってはならないと考えたのだろう。処理しようとする彼らに、手を上げることで静止する。

 ここは神聖な場所。殺生などもってのほかだ。大事な式典を乱すわけにもいかない。


 この蛇に危険性があるなら別だが、そういうわけでもない。魔獣討伐が役目でもある私は、どんな生き物がいるか頻繁に調べていた。危険性のある生き物として記された中に、この蛇は書かれていない。


 蛇は誰かに近寄る素振りもなく、ただ静かにこちらを見つめるだけだ。その瞳にも違和感はなく、害があるようには見えない。


 「人のみでなく、この地に生きる他の命も、私を祝福してくださるのですね」


 そう微笑んだ私に、人々の視線が集まる。明るい口調で告げた言葉は、思いのほか聖堂内に響き渡った。

 集まる視線を感じながら微笑みをキープする。私に慌てる素振りがないからか、人々の騒めきも次第に治まっていった。


 騒ぎが治まり、蛇も身動き一つない。このまま進めても大丈夫だろうと、大神官へ目配せをする。


 「森の隣人も聖女の誕生を祝福してくれるようです。

 シャーロット・ベハティ・アクランド様。あなたはこの地を生きる全ての命にとって、救いとなることでしょう」


 大神官はそう告げると、再び跪いた私に美しい杖を手渡した。聖女に代々受け継がれる杖だ。繊細な装飾が施され、上部には大きな水晶が取り付けられている。窓から差し込む光が、水晶をきらりと輝かせた。


 託された杖を握り、深く礼をする。

 その杖には、確かな重みがあった。まるで、これから背負う責任の重さを知らせるように。


 




 「わぁ……!」


 馬車の窓から王都入口を見る。入口には多くの人影があった。少しでも早く馬車を観ようと、人々が集まっているらしい。

 その様に驚いて声を上げると、オーウェンと世話役のカイルが微笑ましげに笑った。ここまで民が集まってくれるとは思わなかったのだ。驚きの声を上げるくらいは許してほしい。


 これから王都内を進み、王城へと向かう。その道すがら、パレードを行うのだ。民へ聖女のお披露目を行うため、ゆっくりとしたスピードで大通りを通過することになる。


 その後陛下へ謁見をし、本日の行事は終了だ。

 陛下とお会いするなど畏れ多いことだが、これもお役目。聖女として正式に受け入れられた証である。しっかりとこなさなければ。


 「聖女様ー!」

 「聖女様がいらっしゃったぞ!」


 私たちを乗せた馬車が王都へ入る。普段は行き交う人で賑わう街も、今日ばかりは違っていた。誰もかれも足を止め、馬車へ視線を送る。耳に届くのは私を歓迎する声だ。

 にっこりと笑みを浮かべ、手を振って答える。人々は嬉しそうに笑い返してくれた。

 

 これだけ多くの人々が集まり歓迎してくれるなど、普通ではあり得ないことだ。聖女という肩書があるからこそ、これほどまでに歓迎してもらえる。

 いわばこの歓迎は、聖女へ向けられた期待の裏返しだ。


 聖女という立場は重い。眼前に広がる光景がその証左だ。この先、私はどれほど力になれるだろうか。出来得る限り、期待に応えられるよう努めなければ。


 「聖女さま! 綺麗だね!」

 「本当だ! 本当に聖女様がいるんだ!」

 「すごーいっ! ねぇ、こっち見てくれるかな?」


 子どもたちが楽しそうに笑いながら、こちらを指差している。そんな彼らに微笑んで手を振ると、大きな瞳がこぼれそうなほどに見開かれた。僅かばかりの間が開いて、彼らが大きく手を振り返してくる。その顔には太陽のような笑みが浮かんでいた。


 ――この笑顔を、守らなければ


 聖女としての在り方やなすべきこと。まだ手探りで分からないことばかりだが、守るべきものを認識できたのは大きい。民のために開かれたパレードだが、私にも意味のあるものとなった。


 「聖女様、どうかされましたか?」


 オーウェンが声をかけてくる。彼の隣に座るカイルも不思議そうにこちらを見ていた。私は首を横へ振り、彼らに視線を向ける。


 「これから、頑張らないとね」


 そう言って笑うと、二人も穏やかに微笑み返してくれた。


 「自分にできることがあればおっしゃってください」

 「オーウェンの言うとおりです。お手伝いさせてくださいね、聖女様」


 二人の心強い言葉に、私は笑顔で頷いた。






 大きな長テーブルが置かれた豪奢な貴賓室。白いテーブルクロスには皺ひとつなく、頭上には凝った装飾のシャンデリアが輝いている。煌々と煌めくそれは、王城に相応しい煌びやかさだ。室内にある調度品はどれも素晴らしい出来で、一目で高価だと分かる代物ばかり。

 机の中央へ視線を向けると、紫色の薔薇が飾られている。見覚えがある姿に、自然と口元がほころんだ。


 「おや、お気に召しましたか?」


 そう問いかけるのは、我が国の王、ダニエル・オーヴリー・ジャーヴィス陛下だ。どこか楽しげな笑みを浮かべるものの、丁寧な口調をしている。


 正式に聖女となった今、陛下の対応は大きく変わった。以前は一貴族令嬢として接していただいたが、今は見る影もない。例え自国の民であっても、聖女として来ている以上、相応に扱ってくれるようだ。


 「はい、とても。こちらの薔薇はブルームーンですよね?」

 「そのとおりです。ご存知でしたか」

 「実は、当家の薔薇園でも育てているのです。

 まだ4歳の頃に、父が案内をしてくれたことがありまして。そのときにこの花を知りました。たしか花言葉は、幸せの瞬間でしたか」

 「さすがアクランド子爵のご息女だ。花言葉まで覚えておられるとは」


 微笑む陛下に、私も穏やかな笑みを浮かべる。

 とはいえ、内心はドキドキだ。取り繕っているものの、心臓は激しく脈打っている。

 一国の王に謁見する機会など、そうあることではない。緊張するなという方が無理がある。逸る鼓動を抑えながら、失態はゆるされないと神経を尖らせた。


 「先ほどの就任式はとても素晴らしかった。王都のパレードも盛況だったようですね。城下の熱気がここまで伝わってきました」

 「王都の皆様には大変よくしていただきました。

 これもひとえに、聖女への期待の高さゆえでしょう。皆様の期待に応えられるよう、鋭意努力してまいります」


 そう答える私を、陛下は温かな目で見つめている。ふとしたときに感じる器の大きさこそ、この方が王である証なのだろう。


 「我が国とアシュベルク教会は切っても切れない間柄です。建国より、女神様に助けられてきた国。我が国において、女神様の威光が陰る日は来ないでしょう。我が王家も女神様の御意思により成り立っております。

 聖女様とは、教会同様、今後とも変わらないお付き合いをお願いしたいものです」

 「もちろんです。日々の活動にご理解いただいておりますこと、心より御礼申し上げます。

 多くの民へ手を差し伸べることができたのは、歴代王室のご理解あってこそです。それは、陛下の御世においても変わらぬものと信じております。

 今度とも変わらぬご支援のほど、よろしくお願い致します」


 互いに微笑みながら言葉を交わす。社交の場において、適切な言葉選びは重要だ。へりくだるようでは足元を見られるが、居丈高であれば敵を作る。


 アシュベルク教と王家はあくまでも対等だ。この会話は、まさにそれを示している。従属関係ではなく、相互理解で成り立っていることを再確認したのだ。

 会話に多少の駆け引きが入ってしまうのはご愛嬌といったところか。


 アシュベルク教と王家の繋がりは長く、そして深いものだ。互いに重要な相手だと認識している。


 アシュベルク教からすれば、我が国は信徒が多く、多額の寄付をしてくれる相手だ。その上、女神が見守られる神聖な地でもある。我が国の重要性は言うまでもない。


 王家から見ても、王統を保証してくれるアシュベルク教は重要だ。王統を否定されれば、王家を名乗ることに疑義が生じる。最悪の場合、この国で多くの血が流れる事態を引き起こすだろう。

 加えて、アシュベルク教は我が国に根付く宗教だ。多くの民が信仰している。

 信仰心は馬鹿にならない。蔑ろにされることで、ときに大きな争いを生むことすらある。


 アシュベルク教と良好な関係を保つことは、王家にとって生命線ともいえるのだ。


 にもかかわらず、現在両者は微妙な緊張関係にある。

 というのも、王家の行動が全ての発端だ。より正確に言えば、陛下が元婚約者を囲い、不貞の子を産ませたことが火種である。


 アシュベルク教は二重結婚を認めていない。不貞などもってのほかだ。

 つまり、陛下の行動は教義に反したものだった。

 

 どのような経緯であれ、不貞をアシュベルク教がよしとすることはない。ルーク殿下はともかく、陛下や元婚約者の行いは罪である。

 表立って口には出さないものの、教会からすれば非難に値するのは明白だ。教会から陛下へ向ける眼差しは、厳しいものにならざるを得ない。


 一方で、声高に非難できない理由もあった。

 それは、ルーク殿下に王家の青が受け継がれたことだ。王家の青は女神の祝福。例え教義に反する子であろうとも、女神の祝福が目に見えて与えられたのだ。この事実はアシュベルク教にとって悩みの種となった。


 これにより、ルーク殿下の生い立ちや陛下の不貞には口を閉ざすしかなかった。是非を口にすることが憚られたのである。

 

 「さて、ここからは少し個人的な話をさせていただきたい」


 陛下がそう告げると、周囲の人間が部屋を辞していく。淀みなく行われるのを見る限り、これは予定調和だったようだ。

 突然のことに驚いたが、顔に出すわけにもいかない。去っていく人たちを黙って見送った。


 「突然すまないな、アクランド嬢。大神官も申し訳ない」


 謝罪する陛下に、私は気にしていないと告げる。隣に座る大神官も同様で、静かに頷いていた。


 「ここからは聖女としてではなく、アクランド嬢個人と話をしたいと思っている。君とどうしても話したいことがあってな。

 できれば大神官には同席いただきたい。その方がアクランド嬢も話しやすかろう」

 「ご配慮痛み入ります」


 陛下の言葉に私が礼を言うと、大神官はほっと息を吐いた。どうやら私を一人にはしたくなかったようだ。話の内容が分からない以上、それも当然といえる。

 現状、王家と私個人の間には懸念事項が存在するのだから。


 「話したいのは、君のこれからについてだ」

 「これから、ですか?」


 陛下は一つ頷くと、私を見据えた。


 「君の将来には、多くの者が注目している。特に、君の婚姻相手が誰になるのかというのが、最大の関心事だ」


 なるほど。陛下の言葉に、私は内心で頷いた。人払いをした理由はよく分かった。


 現在、王家は非常に難しい状況にある。後継者問題が加熱する中、伴侶を誰にするかは大局を左右しかねないほど重要な話だ。不用意に人に知られることのないよう、配慮するのは当然といえる。


 「君がどんな相手と婚姻を望んでいるのか、それは我々にとって他人事ではない。

 ……理由は、言わずとも分かっているな?」


 陛下の言葉に、私は静かに頷いた。

 分かっているとも。そういった面倒事を避けるために、これまで動いてきたのだから。こちらに利益があるなら別だが、ただいいように使われるつもりはない。


 「では、問わせてもらおう。君が望む婚姻相手はどういった人間なのか。より正確に言うならば、どんな婚姻を望むのか」


 私は目を伏せ、思考を巡らせた。

 どういった人間を求めるか、どのような婚姻がしたいのか。それは、単なる好みの話ではない。シアに好みの人について尋ねられたことがあったが、そのような解答では納得しないだろう。


 巡る思考の中、私はゆっくりと目を開けた。視界の先には、黙したまま返答を待つ陛下の姿がある。


 「私が望む婚姻、それはただ一つです」

 「ほう? 言ってみるがいい」


 頬杖をつき、陛下は笑みを見せる。どこか面白がるような表情に、私も笑みを浮かべた。にっこりと口角を上げ、気圧されるわけにはいかぬとお腹に力を入れる。


 「貴族令嬢にとって、婚姻は義務です。その理由は、婚姻により生家へ利益をもたらすためと考えております」

 

 静かな室内に私の声が落ちる。視線はぶらさず、陛下へ向けたままだ。視線一つで印象は大きく変わる。ここで軽く見られるわけにはいかない。


 「ゆえに、私が望むのはアクランド子爵家にとって益のある婚姻です。益よりも害が上回るのならば、お受けできかねます。

 それが、貴族令嬢としての私の義務にございますから」


 笑顔で言い切った私に、陛下は口角を上げる。深まった笑みからは、その心情を見透かすことはできない。


 分かるのは、この話が一筋縄ではいかないということ、ただそれだけだ。

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