第67話 夏の訪れ


 父とぶつかり合ってから、二ヶ月が経過した。

 その間、父とは多くの手紙を送りあった。前世では、スマホでのやり取りが基本で手紙を書くことはなかった。唯一あったのは年賀状くらいだろうか。それも親戚へ出す年賀状に一言添える程度で、まともな手紙など出したことはない。


 不慣れゆえに、はじめのうちは便箋を前に頭を抱えたものだ。書くべき内容が分からず、書き出すのに苦労した。今は少しばかり書くスピードも上がったように思う。何事も、慣れが肝心なのだろう。



 あれから時は流れ、今は7月中旬。一年生にとっては、初めての学期末試験が終わったばかりだ。


 「シャーロット様! 結果が張り出されているみたいですよ!」


 メアリーの弾む声に促され、大広間前の廊下へ急ぐ。

 成績優秀者はここに張り出されることになっているのだ。張り出される順位は30位まで。別途成績が書かれた通知書をもらうことになっている。ここに名が無い場合は、通知書で成績を確認するのだ。


 「おめでとうございます、アクランド嬢!」

 「さすがですね! それにルーファスも! やるじゃないか!」


 人だかりへ近づくと、口々に声をかけられる。まだ自身の順位を見ていないが、この様子では相当いい結果だったのでは。期待感が高まっていく。


 「すごいですよ、シャーロット様! ルーファス様が1位、シャーロット様が2位です! 女子の首席はシャーロット様ですね!」


 心底嬉しそうに笑うメアリーの言葉に、私は目を丸める。慌てて結果発表の掲示へ視線を向けた。


 首席がルーファス、次席が私。3位に第一王子の名が記されている。これには私も驚いた。まさか第一王子を上回るとは。

 ルーファスについては驚きはない。彼の頭が良いことはよく理解している。

 そもそも、ルーファスは特待生として入学している。首席を取ってほしいと思っていたし、取れるだけの力量があるのも分かっていた。納得の結果だ。


 「さすがねルーファス。おめでとう! 素晴らしいわ!」

 「君もね。あと少しで抜かれてしまうところだったな」


 ルーファスはそう言って苦笑する。私とルーファスの点差は5点。僅差と言えるだろう。


 しかし、これは真剣に試験へ打ち込んだ結果だ。手を抜いた覚えはない。純粋に、私より彼の方が上回っていた。それだけの話だ。

 努力の結果が出たのだから素直に喜べばいいものを。自分に厳しすぎるのが、彼の悪いところか。


 「何言っているの。あなたの方が上回っていたことに違いはないわ。勉強中も沢山助けてもらったじゃない。

 本当に感謝しているし、あなたがこの成績を修めたことを嬉しく思うわ」


 おめでとう、重ねてそう告げる私に、ルーファスは照れくさそうに笑った。自信に満ちた笑みは見受けられない。相変わらず、彼は真っ向から褒められるのに慣れていないようだ。


 「ヘレンやメアリーもさすがね! ヘレンは8位、メアリーは15位よ! 一緒に勉強した成果が出たのね!」

 「はい! まさか自分がこんなに良い成績をとれるなんて……!」

 「シャーロット様やメアリー様に誘っていただいたおかげです。ありがとうございます!」


 メアリーとヘレンも、嬉しそうに笑みを浮かべる。成績優秀者として名が挙がるのは素晴らしいことだ。私たちは手を取り合って喜んだ。


 「まぁ! シャーリーにルーファス。素晴らしい結果ね! それに、メアリー嬢にヘレン嬢も。皆で努力した結果が出たようで嬉しいわ」

 「ソフィー様!」

 「皆さん素晴らしい結果ですね。聖女様も、忙しい中さすがです」

 「オーウェン、ありがとう。あなたもね!」


 次に声をかけてきたのは、ソフィーだ。隣にはオーウェンの姿がある。二人は私たちの結果を、自分のことのように喜んでくれた。


 そんな二人も成績優秀者として名が挙がっている。ソフィーは5位、オーウェンは6位だ。共に勉学に励んだ仲間は、皆好成績を修めている。


 ちなみに、ソフィーの双子の兄であるイアンは4位だった。こちらも素晴らしい成績だ。常日頃から努力している結果が現れたのだろう。


 そんな風に盛り上がっていた中、不意に後ろの人垣が動いた。視線を向けると、第一王子とブリジット嬢が並んでこちらへ向かっている。その後ろには、イアンとケンドール辺境伯子息の姿があった。


 周囲の生徒たちに緊張が走る。私たちと彼らの微妙な関係は、学内でも有名だ。

 度々起こった騒動。どれをとっても多くの生徒が目撃者になっていた。緊張感に包まれるのもやむを得ないだろう。

 周囲の生徒たちは固唾をのんでこちらを見ている。


 「アクランド嬢はさすがですね。お忙しい身ながら、勉学にも励まれているなんて」


 そう言うブリジット嬢に、私は頭を下げる。謙遜するもブリジット嬢はそれを否定した。素晴らしい結果だと誉め言葉を並べた上で、彼女は顔を曇らせる。頬に手を添え、悩まし気な表情を浮かべた。


 「私はあまり時間がなくて……こんなことではいけませんね」

 「そんなことはない。君だって12位という好成績じゃないか。妃教育で忙しい中、よく頑張っているよ」

 「ジェイミー……!」


 婚約者の憂い顔に、すかさず第一王子が慰めの言葉を口にする。それを聞き、ブリジット嬢は感極まったように声を上げた。


 見つめ合う二人は、まるでラブストーリーに出てくる演者のようだ。突然繰り広げられる舞台劇さながらの光景に、私は内心でため息をつく。よそでやってくれないかと思うも、懸命に口を閉ざした。


 しかし、本当に私はヒロインとやらなのだろうか。どう考えてもブリジット嬢がヒロインでは? 私に公衆の面前でラブストーリーを繰り広げるメンタルはない。これが彼女の言う乙女ゲームの標準ならば、心から代わっていただきたいものだ。


 「アクランド嬢は、普段どうやって勉強しているのかしら?」


 どうやら舞台劇は終了したらしい。問いかけてくるブリジット嬢に、私はゆっくりと口を開く。


 「幸い、学友に恵まれましたので。優秀な友人たちのおかげで、苦手を克服することができました」


 友人たちには感謝の言葉しかありません、そう告げる私に皆が嬉しそうに笑う。


 私が語ったことは事実だ。ありがたいことに、日々の復習や試験勉強など、皆が付き合ってくれた。

 学生という多感な時期。勉学が主なのは当然だが、遊びたい盛りでもある。


 にもかかわらず、共に勉学に励んでくれた。それぞれの得意分野を教え合うことで、苦手科目を克服できたのだ。一人で行う学習よりも効率的に進められた。


 その結果、私だけでなく全員が成績優秀者に名を連ねることとなった。努力が実ったのだ、互いに喜びを分かち合うのも当然だ。


 また、この結果に喜んでいたのは私たちだけではなかった。他のスピネル寮生たちも我が事のように喜んでいる。自寮の生徒が1位2位を独占したこともあるが、それだけが理由ではない。


 一年生の学期末試験、これが少々特殊であることが理由だ。


 学期末試験は、寮による不公平がないようテスト内容が統一されている。

 寮により内容を変えれば、順位を出すことも困難だ。簡単な内容と難しい内容、それを同じ点数としてカウントすれば不満が出るだろう。その状態で順位付けするのはいかがなものかと抗議が入るのは目に見えている。


 それゆえに、一年生の一学期はスピネル寮生にとって鬼門だ。入学前の自主学習の有無で、タンザナイト寮生に後れをとっているからだ。

 家庭教師を雇うなど、裕福でなければできやしない。スピネル寮生の多くは、学期末試験までに遅れを取り戻す必要があった。


 そんな中、スピネル寮生が成績優秀者として多数選ばれたのだ。寮生たちの喜びようは当然と言える。おそらく、今日の夕刻は寮内でお祭り騒ぎになるだろう。


 「このような成績を修めることができたのも、ひとえに友人のおかげです」


 私がそう締めくくると、ブリジット嬢は一瞬だけ眉を顰めた。すぐに表情を戻すと「それは素敵ですね」と笑う。


 それを見逃さなかったのだろう。ソフィーが「猫にも人気がおありでないのね」と呟いた。

 その言葉が耳を掠め、私は必死に奥歯を噛み締める。猫被りが取れていると言いたいのだろう。貴族令嬢らしく皮肉がきいている。頼むからこの状況で笑わそうとしないでほしい。


 側にいたルーファスにも聞こえたようだ。盛大に咳をしている。隠し通せたかはともかく、笑いを隠そうという努力は認めたい。


 さすがに違和感までは隠せなかったのか、ブリジット嬢と第一王子が怪訝な顔をする。

 しかし、追及が無意味と判断したのか、第一王子から話題を変えてきた。


 「何にしても、素晴らしい結果だね。アクランド嬢」

 「お褒め頂き光栄です」

 「君の努力が実ったことは素晴らしい。僕もまだまだ努力しなければならないね」


 礼を述べる私に、第一王子は満足そうに一つ頷く。自身の成績については恥じ入っているようだが、素直に他者を褒めるところは彼の美点だろう。


 ここで終われば、本当にいい話で済んだのだが。


 「それにしても、君は交友関係を広げようとは思わないのかい?」

 「……と、申しますと?」


 第一王子の言葉に、私は嫌な予感がしながらも聞き返す。聞き返さない方が良いかとも思ったが、ここで第一王子の言葉を無視することもできない。


 「君の友人は、多くがスピネル寮の者たちだろう? 姉上やソフィアとは仲が良いようだが、その他の高位貴族とは交友が少ないと聞いている。

 もう少し高位貴族の友人を持つべきではないか? 君は聖女となる身。いずれ住む世界が変わってしまうだろう?」


 第一王子の言葉に、周囲の空気が一気に凍り付く。これを悪気がなく言っているのだから、頭が痛い。


 確かに、高位貴族と下位貴族では生活環境に差がある。日頃お付き合いがある人たちにも違いはあるだろう。

 しかし、家格のつり合いがなくとも親交の深い間柄はある。家格だけで、交友関係が画一的に決まるわけではない。


 そして、何より問題なのは、この場でその発言をしたことだ。この成績発表の場には、当然スピネル寮生が多くいる。不快感を覚えた生徒は多いだろう。


 もとより、入学直後の発言から第一王子への好感は低い。地に落ちていると言ってもいい。

 その状況で今の発言だ。好感が地に落ちるどころか、地中へめり込んでいくのではと心配にもなる。


 第一王子の周囲は何をしているのか。本来であれば、このような失言がないよう忠言すべきだ。前回の失言後、誰も諫めなかったのだろうか。


 ため息を吐きたくなるのをぐっと堪え、私は口角を上げる。笑顔は武器だ。堂々と微笑み、言葉を重ねなければ。


 「確かに、私は聖女に足る能力があるとして、教会へ迎えられました。

 ですが、もとより私は子爵家の娘にございます。知己の縁を大切にすることも、アクランド家の娘としてあるべき姿と考えております」


 殊更に穏やかな口調で告げる。僅かでも口調が厳しくなれば、どんな難癖をつけられるか分からない。


 「そして、私は未だ聖女のお披露目をしておりません。高位貴族の皆様へお目通り叶いますのは、お披露目後が通常かと。

 聖女だからこそ、私の価値は認められているのでしょう。ならば、正式に聖女として表舞台に立つのを優先すべきと思うのです。

 今の私はお披露目を前にする身。正式な聖女とは言えませんから」


 私の言葉に、王子は感心したように息を吐く。「君は立場を弁えているのだね」そう微笑みながら告げる姿に、私の背を冷や汗が流れた。


 本当に、彼の周囲は何をしているのだ。教育係は仕事をしているのか? とりあえず、無駄に敵を作らない立ち回りくらい教えてあげてくれ! 彼の立場が盤石ならいざ知らず、王位継承すら危ぶまれる身。もう少しまともな教育を受けられれば違っただろうに。


 もちろん、彼自身にも落ち度はあるだろう。彼もデビュタントを果たした身。立ち回りくらいは自分でも学ぶべきだ。

 けれど、幼少の頃からきちんと教育がされていれば、多少は違ったはす。


 そんなことを考えていると、第一王子が口を開いた。


 「それならば是非、お披露目後は広く交友をもってもらいたい。君と話をしたい者は多くいるだろう。僕も含めてね」


 その言葉に周囲が息をのんだ。彼としては単なる社交辞令のつもりかもしれないが、これは中々厄介な発言だ。


 私としては大変遺憾であるが、私と第一王子がお似合いだという噂が広まっている。第一王子とブリジット嬢の仲睦まじさは変わらないというのに、一向に無くなる気配はない。


 その原因についはさておき、そのような噂がある中でこの発言。裏を探られても可笑しくはない。噂に火をつけることすらあり得る。


 ちらりとブリジット嬢の方を見ると、顔を青褪めさせていた。さもありなん。自身の婚約者が他の女に目をかけているのだ。

 それも、自身を差し置きお似合いと噂される相手。心中穏やかでないだろう。


 それでも、彼女が第一王子へ食って掛かることはなかった。さすがに理性が押しとどめたのかもしれない。


 「身に余るお言葉にございます。その際には是非、コードウェル公爵令嬢やタンザナイト寮の皆様とお話しできれば嬉しく思いますわ。

 私はまだ、あまりタンザナイト寮生の方々と交流がありませんから」

 「もちろんだ。その際は僕が呼びかけるよ。リジーも参加してくれるだろう?」


 そう言って微笑みかける第一王子に、ブリジット嬢は微笑んで頷く。その笑みはどことなくぎこちない。第一王子はそれに気づかないのか、特に触れはしなかった。


 私から交流するという言質を取れたからか、第一王子は機嫌が良いようだ。彼の意図は不明だが、私の返答は及第点をもらえたらしい。


 そのまま身を翻し、第一王子たちは去っていく。その最中、ブリジット嬢から氷のような視線を向けられた。


 困ったなぁと思いつつ表情をキープしていると、私の前にすっと壁ができる。

 見上げる先にはルーファスの顔があった。こちらを見下ろす彼は、思案気な表情をしている。


 「……大丈夫かい?」


 そう問いかけるルーファスに、私はにこりと笑みを浮かべた。


 「大丈夫よ。とりあえず、穏便にこの場は済んだもの」


 私の返答を聞くと、ルーファスは眉を顰める。どこが穏便だ、彼はそう言いたいのだろう。


 中々に綱渡りのような状況だったのは事実だ。第一王子の迂闊な発言に、お披露目後の交流希望。厄介この上ないことばかりだ。

 私からブリジット嬢の同席を願いでなければ、どんな噂が広まったことか。考えるのも恐ろしい。


 「君の援護ができれば良かったのだが」

 「何言っているの。身分的な問題で揚げ足を取られたらどうするつもり? あなたが沈黙を選ぶことは正しいわ。こうして、彼女の視線から遮ってくれるだけでもありがたいのよ」


 ルーファスは平民出身。そんな彼が貴族の、それも王族が参加する会話に無遠慮に口を挟めば大事になる。沈黙を選ぶのが正解だ。

 それでも、視線からは守ろうと思ってくれたのだろう。その行為も危険性がゼロではないのに。相手が難癖をつけないとも限らない。第一王子たちが離れたのを見計らって動いたのは分かっているが、それでもだ。


 どんな難癖が来るか分からない以上、何もしないのが安牌だ。守ろうとするには勇気がいるはず。


 「ありがとう、ルーファス。いつも感謝しているわ」

 「……これくらいで感謝してどうするんだい? 君はもう少し欲張りになった方がいい。もっと自分を守れとか言わないのかい?」

 「ふふ、可笑しな願い事ね? そもそも、派手なことをすれば面倒事にしかならないわ。あなたの選択は、でき得る限り最善よ」


 胸を張りなさいな。そう言って片手でぽんと胸元を叩く。きょとんとした表情を見せる彼に、私は明るく笑みを浮かべた。

 そんな私を見て、彼も肩の力が抜けたのだろうか。眉を下げて微笑んだ。


 「何にしても、夏季休暇中のお披露目をしっかり果たさないとね」


 話はそれからよ。そう呟く私に、ルーファスが頷く。

 このお披露目会で私は正式に聖女として扱われる。そうなれば、タンザナイト寮生との交流も一層必要になるだろう。今のように、限られた人との交流では足りなくなる。


 「シャーリー、タンザナイト寮生については任せてちょうだい。殿下主催の集まりが最初では困るでしょう? 事前にこちらで用意するわ」


 あなたの時間はもらうけれどね? そう微笑むソフィーに、私も笑みを返す。ソフィーの提案は願ってもない話だ。


 第一王子の言う交流、それが開かれるのは夏季休暇終了後になるだろう。休暇中は、皆自身の家へ帰省する。そんな中わざわざ呼びかけるとは考えづらい。


 それを踏まえ、ソフィーは休暇中に最低限の顔合わせを済ませるつもりのようだ。彼女が招待するのなら、多くのタンザナイト寮生が集まるだろう。高位貴族ばかりの集まりは緊張するが、この程度今後のために乗り越えなければ。


 「一先ず、あなたはお披露目に専念なさいな。国民皆が期待する慶事よ。しっかりね?」


 いたずらに笑うソフィーに、私は肩を落とす。頑張ります、そう小さく呟くと、ソフィーはからからと笑った。

 国民全員が注目する式典、そんなものに自分が出るなんて。その上主役というのだから、世の中は分からないものである。


 夏季休暇に入り、そう経たないうちにお披露目が予定されている。それが終われば子爵領へ帰れるのだが、どうやら穏やかな休暇とはいかなそうだ。


 忙しない夏は、すぐそこまで来ている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る