第66話 初めてのぶつかり合い


 「全く。大人になったと思っていたが、存外君は幼かったようだ」


 静まり返ったサロンの中、渋い声が室内に落ちる。

 口を開いたのは、学園長だった。話に夢中になるあまり、ノック音を聞き洩らしていたらしい。

 開かれた扉には、あきれ顔の学園長が立っている。その視線は父へと向けられていた。


 「ウォルターズ先生……」

 「ふむ。会うのは君が学園を卒業して以来かな? 君はあまり社交の場に出てこないからね」


 学園長の言葉に、父は気まずそうに顔を歪める。その姿に私は小首を傾げた。


 「アクランド嬢が不思議に思うのも無理はないね。

 君の父上が学生の頃、私が彼の担任をしていたのだ」

 「そうなのですか?」


 聞いたことのない話に、私は目を丸くする。そんな私に学園長は微笑むと、父のことを話してくれた。


 「彼は少々目立つ子だった。優秀な才能を持ちながらも、人付き合いにあまり興味を示さなくてね。

 君の社交性は、どうやらハットン男爵令嬢……君の母君譲りのようだ」


 学園長の言葉に、父は口をつぐむ。おろおろと視線を彷徨わせる辺り、図星のようだ。


 「さて、アクランド君。紛らわしいからオスカー君と呼ぼうか。

 君の娘を思う気持ちは素晴らしいものだ。このような不祥事があった以上、心配に思うのも無理はない。


 だが、今一度考え直してほしい」


 学園長の言葉に、父は顔を歪める。やはり不安が拭えないのだろう。簡単には頷けないようだ。


 「ウォルターズ先生が優秀であることも、この学園の素晴らしさも知っています。

 けれど、このような事態が起きた以上、娘を預けることに心配が残るのです」

 「そうだろうとも。私としてもこの問題は由々しきことだと認識している。全力で解決に当たる気持ちもある。

 だからこそ、君とアクランド嬢の意思が一致しているのなら、私が口を挟むべきではないだろうね」


 一見すると理解を示しているように思える言葉。その実、どこか含みが込められていた。

 父が眉を顰める。学園長が言わんとしていることに気づいたのだろう。

 

 「しかし、現に君とアクランド嬢の意見は割れている。

 ならば、私はこの学園の教師として、生徒の意思を尊重したい。


 これは私の個人的な願いでもあるが、彼女の成長を見届けたいとも思っている」


 その言葉は、教職者らしい愛情が込められていた。まだ入学したばかりの身だが、学園長の生徒を思う熱意は素晴らしいものがある。

 これもまた、この学園に残りたいと思う所以だ。


 「とはいえ、君の不安が拭えないのも無理はない。

 だからこそ、私はここで一つ提案をしたい」


 学園長の突然の切り出しに、私と父は目を丸める。続けて口にされたのは、驚くべき提案だった。


 「実技訓練場をお貸ししよう。

 その上で、君とアクランド嬢による魔術試合を提案する」


 学園長の提案に、父が絶句する。私も驚きのあまり、すぐに反応ができなかった。







 「どうしてこうなった……」


 実技訓練場に立ち、私は一人ぼやく。

 向かい合うように立つのは、父だ。父もどこか戸惑ったような表情を浮かべている。


 立会人として、学園長が中央に控えている。ルーファスやシアたちは、離れた場所で観戦している状態だ。


 この提案を受けた際、父は当然のごとく抗議した。私へ魔術を放つなどできないと言う父を、学園長はあっさりと切り捨てた。

 「学園に残すことが心配ならば、まずは娘の実力を見てみなさい」と、こうして実技訓練場まで連れてこられたのである。


 要するに、学園長の言い分はこうだ。娘の実力を見て、学園に残すかどうか判断しろ。そのためには試合するのが手っ取り早いだろう、と。


 たしかに手っ取り早いかもしれないが、こちらの心境は追いついていない。父へ魔術を行使するなど考えたこともなかったからだ。これが訓練ならともかく、試合となると多少の戸惑いがある。父も私同様、躊躇いを見せていた。


 私たち親子は、意見が衝突することはそうなかった。もちろん多少の違いはあったけれど、話し合いで何とかなる範囲だった。間違っても、実力行使で意見を押し通したことはない。


 父は案を取り下げさせようと、学園長の説得を試みた。私が怪我をしたら困ると告げたのだが、すげなく却下された。


 それのみでなく、「手加減ができぬほど、君は魔術師として未熟だったかね?」と問う学園長の顔は真顔だった。返答次第では再度授業を受けさせかねない勢いすら感じた。

 父もそれを感じ取ったのだろう。反射的に「問題ありません!」と返答していた。学生時代の様子が透けて見えるようだ。


 そんな経緯もあり、私たちは今向かい合っている。

 とにもかくにも、やるしかない。学園長がくれたチャンスだ。これを活かせなくてどうする。

 今の私ができる全力でもって、父に認めてもらうのだ。それを目指すために全力を尽くそう。


 「では、両者向かい合って!」


 その掛け声に、背筋をぴん、と伸ばす。父も同様に、姿勢を正しこちらを見ていた。


 「礼!」


 相手への敬意を込めて、一礼する。顔を上げた先に見えたのは、真剣な表情の父だった。


 引き下がることが出来ない以上、父も私を諦めさせるために戦うだろう。

 怪我をさせない程度の手加減はするだろうが、それだけだ。勝ちを譲ってくれる気はないはず。


 それでいい。互いの主張が違うのだ。ぶつかり合うのは当たり前。

 父には父の、私には私の、譲れない思いがあるのだから。


 「始め!」


 その声を合図に、私は一気に魔術陣を展開する。輝くのは桜色と白い光。二種類の魔術陣に、父は驚いたように目を見開いた。


 「《時は流転する――我に守護と追い風を与えたまえ》」


 二色の光が私を包む。一つは防御力を高める守護の光。敵から受けるダメージを軽減するものだ。前衛がいない以上、備えは必須。父が私を傷つけるとは思えないけれど、何があるかは分からない。できる限りの備えをするべきだろう。


 もう一つの光は、私の速度を上げるもの。使えるものは全て使っていかなければ。


 「《冷徹なる壁よ、我が守りとなれ》」


 父の足元に水色の魔術陣が顕現する。その言葉に合わせるように、氷で作られた盾が父を守るように現れた。

 盾の枚数は3枚。正面と左右を守るように配置されている。氷の盾は父の全身を覆うほどの大きさだ。

 おそらく、この盾は父の意思どおりに動くのだろう。そうなれば、盾同士の隙間を狙っても然程意味はない。間違いなく弾かれるはず。


 それならば、私がすべきはたった一つだ。


 「《秒針を早め、我が敵を撃ち抜け! アースバレット》!」


 桜色と黄色の光が足元を照らす。私が手を振り抜くと同時に、六発の弾丸が放たれる。時属性魔術で弾丸のスピードを引き上げ、氷の盾に向かわせた。


 甲高い音が鳴り響く。氷の欠片が舞う様は、キラキラと輝き美しい。これが試合中でなければ、美しさに感嘆の声を上げたかもしれない。

 私はぐっと眉を寄せ、父を見据える。氷の盾には六発分の弾痕が残されていた。周囲は削られ、罅が盾に走っている。


 「……驚いたな」


 父の声が漏れた直後、大きな亀裂音が耳に届く。バキリ、と大きな音を鳴らしたかと思うと、一枚の盾が割れながら崩れていった。

 父には傷一つないが、盾を一枚破れたのは大きな収穫だ。魔術の二重がけで何とか、という内容ではあるが。一切歯が立たないわけではないらしい。


 「入学直後、ここまで実力をつけているとは。詠唱の速さに、魔術の二重使用。一年生とは到底思えない実力だ。素晴らしいよ」

 「……では、私が学園に残ることを認めてくれますか?」

 「いや。残念だけれど、これだけで認めることはできないな」


 穏やかに微笑む姿から一転、父が鋭く私を見据える。私がまだ入学直後だったため、甘く見ていたところもあるのだろう。

 どうやらその認識は覆せたようだ。父の瞳に一層真剣さが窺える。ここからは、受け身だけではなくなるだろう。


 魔術師としての実力は、父の方が遥かに上。私にできるのは、策による勝利のみだ。純粋な力比べなど、すること自体無意味といえる。


 「さて、それじゃあ改めて仕切り直しといこうか」


 父はそう告げると、新たに一枚の盾を顕現する。詠唱はない。盾を出すことくらいは、片手間でもできるということか。


 父の足元に水色の光が湧きあがる。

 反射的に、私は黄色い魔術陣を顕現させた。父を見ると、こちらを見て笑みを浮かべている。


 「《放て、アイスニードル》」


 その詠唱と共に、父の周囲に複数の針が浮かび上がる。氷でできた針だ。この程度なら裁き切ることはできるだろうと、私は魔力を編み上げた。


 「《母なる大地よ、我を守り給え》」


 地面に手を付き、複数の盾を作り上げる。一つ一つはあまり大きくない。小ぶりなラウンドシールドを複数作り上げ、放たれた氷の針にぶつける。


 ぶつかり合う針と盾の音が響く。盾は壊れてしまっているが、針も地面に落ちている。攻撃を避けることが目的であり、この結果は想定内だ。針そのものを壊すことや、父へ攻撃することは考えていなかった。力量差がある以上、確実性を重視した。


 守りという意味では、大きな壁を作り出すことも一つの方法ではある。正直に言えば、複数の盾を作るよりそちらの方が遥かに楽だ。


 しかし、それには大きな欠陥がある。攻撃をしのいだ後、こちらが無防備になることだ。

 大きな壁を築くということは、あちらのみでなく、こちらの視界も奪われる。針による攻撃が終わったあと、次にあちらがどのような行動をとるのか見られないのだ。私の土属性の壁では、壁の向こう側を見通すことはできない。


 だからこそ、小ぶりな盾を複数作り上げた。壁を消したタイミングで攻撃されたらたまったものではない。その危険性を避けるには、多少の手間は覚悟の上だ。


 「さて、そろそろ決着つけないとね」


 私は小さく呟く。魔力も集中も十分な状態。戦うだけなら支障はない。

 けれど、長引けば長引くほど不利になるのはこちらだ。まだ私の腕は父に及ばない。長期戦になった場合、何もできずに負けてしまうだろう。万全な状態かつ、こちらの手札が知られていない内に勝負をつけなければ。


 息を吐き、詠唱を始める。足元には黄色の魔術陣が二つ浮かび上がった。

 チャンスは一度きり。何度も同じ手にはかかってくれないだろう。この一回で、決めてみせる。


 「《我らを育む大地よ、仇なす者に裁きを与えたまえ》」


 大地が脈動し、複数の槍が現れる。イグニールとの戦いでは、槍の数が制限された。周囲に巻き込まれた生徒たちがいたからだ。

 だが、今は違う。守らなければならない相手はここにはいない。魔力の9割ほどを注ぎ込み、槍を作成した。私が描いた魔術陣は土属性のみ。時間の短縮や槍の強化は捨て、数を優先した。


 私の周囲を囲むように、土で作られた槍が複数浮かび上がる。数は50。

 これだけの槍を射出しようとも、父は盾で防ぎきるだろう。盾は破れるかもしれないが、父へ攻撃は届かない可能性が高い。

 けれど、それでいいのだ。


 「《――グラウンドファランクス》!」


 私の詠唱が終わると同時に、槍が父へと射出される。次々と襲い掛かる槍に、父は氷の盾でもって防いでいた。

 顕現していた三枚の盾。それは槍によって壊されるも、即座に新たな盾を顕現している。父へ届いた攻撃は一つもない。

 あれだけの盾を即座に顕現できるのだ。生半可な攻撃では通用しないのだろう。射出するのは強化を施していない槍だ。無理もない。


 49本目の槍が父に向っていく。それを新たな盾を顕現し防ごうとする父に、私は小さな笑みを浮かべた。準備は整った。


 「《肥沃なる大地よ、我が敵を捕らえたまえ! アースチェイン》」


 氷の盾で槍を防いだ父に、私は重ねて顕現していた魔術陣を使用する。私の意思に従うように、土で出来た鎖は父の手足を絡めとった。

 土属性の魔術陣を二つ顕現していたのはこのためだ。膨大な数の攻撃に目をとられている間に、父の動きを封じたかった。


 「これで、最後です」


 その一言と共に、50本目の槍を父の眼前へ突きつける。当てることこそしないが、避けることはできぬ距離。

 父が盾を顕現するよりも、槍が振れる方が早いだろう。戦況は、一気にこちらへ傾いた。


 「――そこまで!」


 張り詰めた空気を切り裂くように、学園長の声が響く。ほう、と息を吐き、魔術を解除した。

 魔力が切れ、土が下へ落ちていく。父を捕らえていた鎖も、今はただの土に戻っていた。

 

 「さて、もう決着はついたとみているが……異論はないな?」


 ぼうっと私を見つめる父に、学園長が声をかける。それにはっとしたように目を見開くと、父は複雑そうな顔で口を開いた。


 「……えぇ、完敗です。文句を言う資格も、ないでしょうね」


 そう言う父は、肩を落とし苦笑した。

 今回私が勝てたのは、父の油断ゆえだ。純粋な魔術師としての腕では敵わない。

 私が入学直後だったという点。それにより油断してくれたから、策を弄することができたのだ。父が本気で私にかかってきたら、到底敵わなかっただろう。


 「お父様、改めてお願い致します」


 父へ真っ直ぐに向き直り、深く頭を下げる。

 勝負に勝った以上、父は私の意を汲んでくれるだろう。それくらいは理解している。


 けれど、それだけで全てを決めることはしたくない。自身の願いが、我儘であることは知っている。だからこそ、最後まで自分の口で願い出たかった。


 勝負に勝つことは必要だった。口での説明では、相当な時間がかかったことだろう。父の不安を減らすこともできなかったかもしれない。実力を示すことに意味はあった。

 とはいえ、勝ちさえすればいいわけでもない。私の力を認めてもらって、その上で私の願いを聞いて欲しい。それが嘘偽りない本音だ。


 「私は未熟な身です。これから多くのことを学ばなければなりません。それはきっと、この学園でなくてもできることでしょう。

 ですが、この学園でなければ会えない友人がいました。共に学びたいと思える仲間も、この学園にいるのです。だからこそ、私はここにいたい。


 ――お願いします、この学園に通わせてください」


 頭を下げたまま、父の返事を待つ。

 暫しの沈黙が流れたあと、そっと私の頭に大きな手が触れた。見なくとも分かる。幼い頃から何度も撫でられた、父の手だ。


 「いつの間にか、成長していたんだね」


 ゆっくりと頭を撫でる手に、私の目元が熱くなる。

 親に認められるということ、それがこんなに嬉しいことだと思わなかった。真剣にぶつかり合ったからこそ感じる喜びだ。

 涙がこぼれそうになるのを感じ、ぎゅっと目を瞑った。


 「僕はずっと、君が子どものままだと思っていたのかもしれない。身長が伸びたとか、目で分かる部分しか理解していなかったのかな。

 魔術だけじゃない。僕と意思をぶつけ合えるほど、心も成長していたのに」


 情けないね、そう言う父に、私は慌てて顔を上げる。視界が僅かに滲んでいたけれど、それを拭う余裕もなかった。

 だって、泣いているのだ。私と同じように、父も泣いている。


 「お父様は情けなくなどありません。私を大切に思ってくれていること、理解しています。

 本当は、私の意見など聞かずに連れ帰ることもできたでしょう。それでもこうして、向き合ってくれたことに感謝しているのです。


 その上で、どうか信じていただきたい。私がこの学園で成長することを、見守って欲しいのです」


 父の願いも私の願いも、どちらも間違いじゃない。

 ただ、立場が違っただけだ。子を持つ親と、子ども。それゆえに求める答えが変わってしまった。


 それでも、家族だからこそ。話し合って、時にはぶつかって、お互いが最善と思える道を探すことができる。


 「お父様、私はここで頑張りたいと思います。どうか、認めてもらえませんか」


 私の視界は、涙で滲んでいる。こんな風にぶつかり合うことは、初めてだった。親子喧嘩などしたことがなくて、どこか不安な気持ちでいた。


 けれど、それは父も同じだったのだ。自分が正しいと思うものと、娘の望みが違っていて。説得したいけれど、それも難しくて。

 結局流されるままに、ぶつかり合うことになった。初めてのこと、不安でないはずがなかった。


 「正直なところ、今でも不安な気持ちはある。けれど、シャーリーが成長していること。それは理解できたから。

 約束は守るよ。君がここに残ることを認めよう。だけど、シャーリーも約束してほしい」


 そう言うと、父は私の両手を強く握りしめた。真っすぐに私の目を見据える瞳は、涙で滲んでいる。


 「必ず、無事に屋敷へ帰ってくること。何かがあればきちんと話をすること。この二つを守ってほしい」


 その言葉は、父の真剣な思いが込められていた。父にしてみれば、当たり前の願いだろう。娘の無事を願うことも、何かがあれば話してほしいということも。

 ブリジット嬢の件を、私は話していなかった。突然聞かされた父からすれば、寝耳に水だったはず。娘を大切に思っているからこそ、そんなことがないようにと願うのは当然だった。


 「約束します。必ず、無事に帰ると。そして、ちゃんとお父様に相談をすることも」


 私の宣言に、父は安堵したような笑みを浮かべた。その目尻には、きらりと涙の粒が浮かんでいる。


 初めてお互いにぶつかり合った日。血の繋がりがあろうとも、別の人間だ。意見が異なることだってある。今まで大きなぶつかり合いがなかったのは、運が良かっただけだ。


 一度ぶつかり合った私たちは、また何度でもやり直せるだろう。すれ違いと仲直り。家族として当たり前のやり取りを、ここからはじめていくのだ。


 涙を浮かべたまま、私たちは互いに微笑み合う。

 この先どれほど時間が経とうとも、今日のことは忘れないだろう。私はそう思いながら、父の手を握った。


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