第62話 見せられた悪意へ報復を(悪役令嬢side)


 どうして、どうしてどうしてどうして!!

 何もかもが上手くいかない。こんなはずではなかったのに。あの女が、ヒロインがストーリー道理に動かないせいで、何一つ思うように進まない。


 オリエンテーションでは、ヒロインを含む私たちのチームがイグニールと戦うはずだった。

 あのヒロインにできるのは防御や回復だけ。ヒロインが出しゃばるも、攻撃は不向きで役に立たなかった。足を引っ張られ苦戦する中、ブリジットが大技を使いイグニールを倒すのだ。

 その結果、ブリジットが周囲に褒められる展開だったのに!


 私は扇を強く握りしめる。こんなはずではなかった。少なくとも、こんな光景を見るハズではなかったのだ。


 美しい室内の一角。私の前には、ヒロインを褒め称える令嬢たちの姿があった。

 

 「それにしても、本当にシャーロット嬢はご立派ですね。イグニール相手にも、一歩も退かなかったとか」

 「周りの生徒を守るために、祈信術もお使いになったのでしょう? 私共の年齢で使いこなすのは、相当困難だと聞いておりますわ」

 「早くから教会で訓練されていたそうですよ。領地と教会を行き来する生活だったとか」

 「まぁ! 幼い頃からそれでは、遊ぶ余裕もなかったでしょうに。デビュタントまで社交の場に出られなかったのも無理はありませんわ。

 ましてや、彼女は起業している身。相当な努力をなさっているのね」


 ヒロインをほめそやすのは、タンザナイト寮の女子生徒たちだ。三日間の休講となった今、複数名で集まりお茶会に興じている。


 私たちがいるのは、寮内のサロン。深い青色で統一された室内は、高位貴族に相応しい気品がある。

 美しい調度品の数々に、美味しいお茶菓子。本来であれば、心穏やかにお茶を楽しめていただろう。

 

 小説のブリジットも、女子生徒にお茶会へ誘われていた。だからこそ出席したというのに、蓋を開けてみれば小説とは大違いだった。話題の中心はヒロイン。それも、彼女への賛辞だ。


 あのヒロインが話題になるのは小説と同じだ。

 しかし、内容が違う。小説では、ヒロインの無教養やマナーの悪さ、男性への馴れ馴れしい振る舞いを問題視していたというのに! ここではあの女を褒め称える声ばかりだ。


 「ソフィア嬢はシャーロット嬢とご友人だとか。どんな方なんですの?」


 伯爵家の令嬢が、ソフィアへ話を振る。それに彼女はにこやかに微笑んだ。


 「とても優秀な方ですよ。けれど、それを殊更に口にすることのない、慎ましいお人柄です。

 あれほどの実績がありながら、支えてくれる方のおかげだとおっしゃっていましたの」

 「まぁ! 本当に素晴らしいお人柄なのね」


 まさに聖女様だわ! そう言って令嬢が目を輝かせると、ソフィアは満足そうに笑った。


 「失礼、この後予定がございますの。こちらで失礼させていただきますわ」


 延々と続くヒロインへの賛辞に、不快感が募る。誘われたから来たというのに、このくだらない内容。聞くに堪えないと言わざるを得ない。

 小説では、ブリジットへの賛辞が主だったというのに。こんなつまらない茶会に時間をとられるなんて。


 飽き飽きするお茶会に、私は退席を願い出た。周囲の令嬢は残念そうな素振りを見せながらも、別れの挨拶をしてくれる。

 それに微笑んで言葉を返すと、私はゆっくりと席を立った。

 

 サロンから出るほんの少し前、おもむろにある言葉が耳に入ってきた。


 「そういえば、ご存知です? この前の事件で、ある噂が流れているのを」

 「噂ですか?」


 その声に、ちらりと視線を背後へ向ける。令嬢たちは興味津々のようで、全員の視線が発言者に向いていた。

 発言者は、あの伯爵令嬢。名前は何だっただろうか。高位貴族とはいえ、伯爵家の出身。さほど関わりはなく、私から名を呼ぶことはなかった。


 「なんでも、ジェームズ殿下に寄り添うシャーロット嬢がとてもお似合いだったとか! 私はそのお姿を見られなかったのですが、その場に居合わせた者たちが話題にしているようですわ」


 私の足がピタリと止まる。放たれた言葉が理解できず、息を飲んだ。


 「まぁ! 話題になるほどですの? シャーロット嬢はとても愛らしい容姿をなさってますもの。その上、目を見張るほど優秀な方。噂になるのも無理からぬことですね」

 「ソフィア嬢はどう思われます?」


 ソフィアへ向けられた声に、私はもう一度背後へ視線を向けた。同じ公爵令嬢でありながら、ヒロインと親交のある彼女。彼女が何と答えるのか、それが気にかかった。


 「そうですね。私から申し上げるようなことはございませんが……シャーロット嬢ならば、王家へ迎え入れるに相応しい令嬢と言えるでしょうね」

 「ふふっ、ソフィア嬢がおっしゃるのですもの。皆が注目するのも当然ですね!」


 令嬢たちが盛り上がる。その声に、私は唇を噛んだ。

 彼の婚約者は私だというのに、なぜこんなことを言われなければならないのか。彼女たちだって、それは理解しているはず。このような話題を、ましてや、ヒロインが彼に相応しいだなんて!


 振り向いて反論してやりたいが、それも難しい。私は一度退席を申し出た身だ。その上、この私がたかが噂に振り回されるなど、そんな惨めなところは見せられない。


 いずれ王妃になる身。彼女たちより余程尊い身が私だ。だというのに、無様を晒すわけにはいかない。


 苦々しい気持ちに、奥歯を噛み締める。苛立ちや不快感を抑えながら、侍女が開けた扉を通った。その際に、横目で室内を振り返る。


 すると、令嬢のほとんどがこちらを見ていた。口元は扇で隠し、目だけがこちらを向いている。その視線に友好的な雰囲気は欠片もない。ただ静かに、冷たい視線を投げかけてくるだけだ。

 

 唯一こちらを見ていない者、それがソフィアだった。彼女の席は部屋の奥。扉側から顔が見える位置に座っている。

 にもかかわらず、彼女の視線はこちらへ向けられていない。

 彼女はティーカップを傾けながら、お茶を楽しんでいるようだ。私の退出など、歯牙にもかけていないらしい。


 室内の異様な雰囲気に、私は急いで部屋を後にした。

 あの凍てつくような冷たい視線、それに心臓が激しく鳴り響いている。ソフィア以外は、全て家格が下の者たちだ。

 だというのに、私は気圧されていた。あの凍るような瞳に威圧されていたのだ。


 ソフィアの歯牙にもかけぬ態度、それに本来は腹を立てるところだ。

 しかし、今は違う。彼女の態度に安堵を覚えるほど、私は動揺していた。


 「リジー? 一体どうしたんだい!? 酷い顔色だ!」


 サロンを後にし、私が向かったのは婚約者の部屋。彼は今、部屋で療養している。

 先日のオリエンテーションで怪我を負った身。王族に大事があってはならないと、療養するよう学園側から要請があったのだ。


 「ごめんなさい、ジェイミー。休んでいるところに訪ねてしまって」

 

 怪我自体はヒロインにより治癒されている。腹立たしいことだが、私には祈信術は使えない。嫌いな相手であろうとも、役に立ったのは事実だ。その腕については褒めてやらなくもない。

 小説通り、治癒と防御しかできないのなら、素直に褒めてやったのだが。

 

 私の頭に、ヒロインの魔術が思い起こされる。土属性魔術を用い、イグニールを大量の槍で串刺しにした光景。

 私は驚きを隠せなかった。まともに戦えないはずのヒロインが、攻撃魔術を覚えていたなんて。


 小説のヒロインは、祈信術と時属性の魔術しか使わなかった。

 というのも、土属性魔術を嫌っていたからだ。地味な属性、そう言ってまともに訓練などしていなかった。自身が聖女であるのをいいことに、治癒や防御のみに力を入れていた。


 それが今はどうだ。あれほどの強力な術を覚えている。

 やはり、彼女は小説の内容を知っているとしか思えない。小説のヒロインが指摘された箇所、それを全て直してきているのだから。


 土属性魔術の腕、立ち居振る舞いやマナー、男性への接し方、その全てが改善されている。ブリジットである私から、断罪されないようにするためだろう。自身への指摘を無くそうと、随分努力したようだ。

 所詮は踏み台、ブリジットが幸せになるための悪役でしかないというのに、結構なことだ。

 

 「気にしないで。いつ来てくれても良いんだよ。君は僕の婚約者なんだから」


 こちらへおいで。そう言って穏やかに微笑む彼に、肩の力が抜けていく。

 思うように進まない現実に、茶会で目にした悪意。苛立ちばかりが募る状況に、いつの間にか身体が強張っていたようだ。


 「それで、どうしたんだい? 何か怖いことでもあった?」


 ベッドで上体を起こしていた彼に近づく。見舞客用だろうか。枕元に置かれている椅子へ腰かけた。私へ問いかける彼の顔を見ると、心配そうな表情が浮かんでいる。


 学園内は、未だ魔獣が現れたというハプニングに揺れている。彼もその衝撃を引きずっているのだろう。また問題が起きたのかと心配しているようだ。

 必要であればハリス女史を呼ぼうか? そう告げる彼に、首を横へ振った。


 ハリス先生は、我がタンザナイト寮の寮監だ。何か目に見えた問題が起きたならいざ知らず、あの程度のことで教員を呼んでも意味はない。


 何より、我が寮の生徒たちは高位貴族の出身。貴族出身とはいえ、下位貴族であるハリス先生では対応が難しいだろう。

 授業においては問題ないが、個人的な諍いを止めるとなったら別だ。下位貴族である彼女が、寮生を上手く窘められるは分からない。あまり期待はできないだろう。


 「いえ、その必要はありません。何か危険な目にあったわけではありませんから」

 「そうか……それならなぜ、それほど顔色が?」


 彼の言葉に、私は俯いた。胸元をぎゅっと握り、ゆっくりと口を開く。


 「私、思いもしないことを言われて……」

 「何か嫌な話でもされたのかい?」


 彼の言葉に、こくりと頷く。嫌な話、まさにその通りだ。あれほど不愉快な話があってたまるものか。


 「ジェイミーとアクランド子爵令嬢が、お似合いだと。そう、噂されているようなのです」

 「え……?」


 私の言葉に、ジェイミーが驚いたように声を漏らす。どうやら、彼はこの噂を知らなかったようだ。思いがけない言葉だったのだろう。呆気にとられたように目を丸めている。

 

 「先日のオリエンテーションで、アクランド子爵令嬢が活躍なさったでしょう? それで、アクランド子爵令嬢がジェイミーに相応しいと……」


 やはり、私ではあなたに釣り合わないのでしょうか。そう呟いた私に、彼は声を詰まらせる。

 数拍の間が開いて、彼はそっと私の手を取った。割れ物に触れるかのような、丁寧な触れ方だ。優しい微笑みを浮かべると、私の目を見て言葉を紡ぐ。


 「そんなこと、君が気にする必要はない。確かに、アクランド子爵令嬢は素晴らしかった。僕も彼女のおかげで助かったんだ。それには感謝をしている。


 だからといって、僕が彼女を選ぶわけじゃない。幼い頃から側にいて、共に努力をしてきたのは君だ。


 今までも、これからも、僕が愛しているのは君だけだよ」


 その言葉に、私の胸に温かな感情が広がっていく。やはり、先ほどの話は噂に過ぎないのだ。彼は変わらず私を愛してくれている。私が不安になることなど何もない。


 確かに、小説とは違う動きが出ている。ヒロインの立ち回りは巧妙で、小説とは大違いだ。彼女の評判は右肩上がり、本来嫌われるはずのタンザナイト寮生からも一目置かれている。

 

 けれど、肝心のジェイミーの気持ち、それは私に向いている。あのヒロインには向けられていないのだ。

 今もこうして、私だけを愛すると言ってくれている。ヒロインが上手く立ち回ろうと、脇役の生徒たちが何と言おうと、彼の愛を受けているのは私だ。


 ならば、私が必要以上に怯える理由はない。タンザナイト寮生については少々鬱陶しいが、黙らせることは可能だろう。


 「……ありがとうございます、ジェイミー。私、まさかあんなことを言われると思わなくて……」

 「辛かったね、リジー。ちなみに、それは誰が話していたのかな?」

 「っ、それは……」


 そう言って、私は口ごもる。眉を下げて言いよどむ私に、彼は優しく微笑んだ。


 「大丈夫、君に悪いようにはしないから。君がこれ以上傷つかなくていいように、聞いておきたいだけだよ」

 「ジェイミー……」


 私が心配なのだと、そう言う彼に私の胸が締め付けられる。愛されている、そう実感できることが嬉しかった。


 「今日、タンザナイト寮の女子生徒たちでお茶会をしていたのです。私は途中で退席したのですが、そのときに聞こえてしまって。

 でも、私へ直接言ってきたわけではありませんし、心配するほどでもないかと」

 「ダメだよリジー。要するに、君が退席するときを狙ったということだろう。酷い嫌がらせじゃないか。そんな卑怯者、君が庇う必要はないよ」


 眉を寄せ、苛立ちを露わにする。元より彼は、正義感が強い人だ。卑怯な振る舞いに嫌気がさしているらしい。

 その上、被害を受けたのは婚約者である私だ。彼にとっては許し難いことだろう。不快感を露わにする彼は、私のために怒ってくれている。その事実が、私の胸を熱くした。


 「ありがとうございます、ジェイミー。でも、本当に心配はしないでください。彼女たちだって、噂に踊らされただけかもしれないでしょう?

 それに、私にはあなたがいてくれるもの。いつも支えてくれる、あなたが」

 「リジー、君は本当に優しすぎる」


 心優しいのも考えものだね、そう言って困ったように彼が笑う。

 美しい笑みは何度見ても飽きることがない。小説に描かれていた王子様、その笑顔が私一人に向けられている。


 私を安心させるためだろうか。彼は私の身体を抱き寄せ、優しく抱きしめてくれた。


 「……まぁ、お茶会に出ていたことだし、分かるかな」

 「ジェイミー? 何か言いましたか?」

 「いいや、なにも。君が気にする必要もないことさ」


 穏やかな笑みを浮かべる彼に、私も微笑み返す。

 本当は、彼が口にした言葉は聞こえている。わざと聞こえないフリをしただけだ。優しいブリジットなら、そんな内容が聞こえたら止めてあげなければならない。


 けれど、聞こえてないのなら仕方がない。止められるわけがないのだから。そう心の中で呟いて、彼の言葉を頭に入れておく。


 今日のお茶会で、そう伝えた以上、すぐに参加メンバーは分かるだろう。ジェイミーがどう出るつもりかは分からないが、私へ悪意を向けた報いを受けるに違いない。


 彼の腕の中で、ゆっくりと瞼を閉じる。顔を伏せ、彼から表情が見えないようにした。

 見えてしまったら驚かせてしまうだろう。私の口元は、はっきりと弧を描いているのだから。


 馬鹿な令嬢たち。脇役に過ぎない彼女たちが、私に歯向かおうとするなんて。何もかもが劣っている身で、分かりやすい悪意をぶつけてくるとは思わなかった。


 本来の彼女たちは、ブリジットを高めるための存在だった。その役割を放棄するというのなら、そんな駒は不要だろう。舞台に上げる価値もない。

 こうして布石を打った以上、後はひっそりと弾き出されるのを待つだけだ。


 大丈夫。私は小説のヒロインのように、嘘で誰かを陥れたわけではない。彼女たちが悪意をもって発言をしたのは事実。それならば、その報いを受けるのは当然のこと。


 嘘で誰かを陥れる、そんな卑怯なマネはしない。小説のヒロインはブリジットを嘘で陥れようとしたが、私はそんな愚行を犯したりしない。


 今のところ、ヒロインはストーリーを無視している。王子への接触もない。

 それでも、いつか動きを見せるだろう。ハッピーエンドを望むなら、行動を起こすしかないのだから。


 邪魔な私を排除しようと行動する。そうなれば、化けの皮が剥がれるのも時間の問題だ。


 そのときが来るまで、私はただ、心優しいブリジットでいればいい。上手くいかないことばかりだが、間違えなければきっと、幸せになれる。


 幸福な未来を願い、ゆっくりと顔を上げる。

 見上げた先には、愛し気にこちらを見つめる彼の姿があった。

 

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