第61話 似た者同士


 「お嬢様、そろそろお昼ご飯になさっては……」

 「ごめんなさい、デイジー。あともう少し待って!」


 デイジーへ軽く言葉を返し、私は魔力を編む。いかに早く正確な魔術をくみ上げられるか、それをひたすら試していた。


 今私たちがいるのは、実技訓練場だ。本来は上級生が主に使う場所だが、今日は許可を得て使用している。


 先日のオリエンテーション後、学園内は騒然とした。安全なはずの学園内で魔獣が現れたのだ。騒ぎになるのも無理はない。生徒たちだけでなく、保護者からも問い合わせが殺到しているようで、学園側は対応に追われていた。


 現在、学園内は三日間の休講が決められている。本日は二日目。授業がないのならと、私はトラヴィスに実技訓練場の使用を願い出た。

 誰か付き添いを連れて行くことを条件に許可が下り、デイジーに同伴してもらったのだ。


 オリエンテーションを経て、私は自身の不足を思い知らされた。誰かを守りながら戦うこと、それに不慣れなだけではない。私には敵を倒し切る実力がなかった。


 イグニールへ槍を放ったときのことだ。あのときは、周囲に人もおり、大量の槍を射出することはできなかった。

 けれど、敵を縫い付けるだけの威力は出せたのだ。もっと私に実力があれば、あの段階で仕留めることもできたかもしれない。


 原因はおそらく、圧倒的な経験のなさ、そして命を奪うという行為への忌避感だ。相手は敵、ましてや魔獣だ。仕留めるべきと分かっているのに、どこかで恐怖が勝った。


 食事で生き物を食べるのとはわけが違う。自分がこの手で、一つの命を奪わなければならないのだ。異世界に生まれたと知ったあの日、戦いに備える覚悟をしたのに。それでも、心は未だ尻込みをしていた。


 自身の未熟さに笑ってしまう。

 しかし、こればかりは理屈ではどうにもならなかった。命を奪うということは、どうしようもなく恐ろしい行為だ。その甘さが、イグニールを中途半端に生かすことになった。


 自身の手を強く握りしめる。恐怖は消せない。きっと、この先何年経っても慣れることはないだろう。

 それでも、いざというときのために。一瞬の躊躇が、一生の後悔にならないように。私は、自身の魔術を磨くしかないのだ。


 気持ちを切り替え、もう一度集中する。魔力の流れを把握し、術を放とうとしたそのとき。「そこまで」と、私へ向けて制止の声がかけられた。


 「全く、朝から姿が見えないと思ったら……」

 「ルーファス」


 私は魔力を止め、後ろを振り返る。背後には、呆れたような顔をするルーファスが立っていた。

 離れたところには、デイジーと話をするオーウェンの姿が見える。朝から顔を見せない私に、違和感を覚えて探しに来たのだろう。手間をかけさせてしまったようだ。


 ちゃんと声をかけていくべきだったか、そう考えていると、鋭い声が飛んでくる。君の考えは的外れだと思うよ、冷静に告げるルーファスの顔は、呆れを隠す素振りすらない。


 「それで? こんな無茶をしている理由を聞かせてもらおうか?」


 にっこりと美しい笑みを見せる彼に、私はうっ、と声を詰まらす。この顔の良さを前面に出してくるところが、何ともやりにくいのだ。自分の魅力を理解しているのだろうが、少し控えてくれと言いたくなる。


 「無茶というか……」

 「おや、自覚がないと? 朝食も大して摂らずにここへ向かったと聞いているが?」


 逃げ道を塞ぐかのように追い詰めるのは、彼の常套手段だ。こちらに落ち度がある場合、決して見逃しはしない。それが分かっているため、私は早々に白旗を上げた。


 「少し、不安だったのよ」

 「不安? まぁ、君のことだ。大方、オリエンテーションでのことを気にしているんだろう?」


 ぴたりと言い当てる彼に、私は苦笑を漏らす。

 本当に、彼はよく見ている。きっと、私が訓練に打ち込むことも予想していたのだろう。

 このタイミングまで黙っていてくれたのは、分かりにくい彼なりの優しさだ。


 「ありがとう、ルーファス」

 「さて、何のことやら」


 私の感謝を軽く流す。彼はどこか偽悪的なところがある。自分がやりたくてやっている、そのスタンスを基本的に崩さない。性格なのだろうが、損な性分だ。勿体ないと少しばかり感じてしまう。


 「あのオリエンテーションで、色々とあったでしょう? だから、つい自分の実力を高めないとって不安になっちゃって」


 理由としては主に二つだ。一つは、純粋な力量不足。覚悟に欠ける点も含め、私には戦闘時上手く立ち回るだけの実力が足りない。

 もう一つは、自身の望まない展開に巻き込まれていることだ。最近は厄介事ばかり降ってくる。ブリジット嬢の振る舞いを見る限り、今後も平穏な日常とは無縁だろう。

 

 オリエンテーションでイグニールが現れたこと、これが彼女の知る未来と同じ現象だったのかは分からない。彼女が私をチームに入れたがっていたことをみるに、その可能性は高いだろうが。


 今後もこのような日々が続くなら、何があっても乗り越えられる実力が必要だ。元々は、実力をつけるために学園へ通っているのだが、そう悠長なことも言ってられないのが現状。入学早々事件に巻き込まれたことを考えると、自身での研鑽は急務だった。


 「なるほど。君の言うことには一理ある」

 

 私が語った内容に、ルーファスは理解を示す。その上で彼は、「だが、何事にも限度がある」と告げた。

 

 「人はいきなり強くなることなどなく、完璧にもなれやしない。努力するのは良いことだが、その方法や目標は適切なものでなければならないだろう」

 

 強くなりたい、それを否定することはなかった。

 けれど、方法や目標が問題だと彼は指摘する。


 元より、聖女は支援をすることがメインだ。敵を直接倒す必要はない。できるに越したことはないが、できなくても問題はないのだ。周囲に騎士が控えているのだから。


 いずれできるようになる、その程度の目標ならば彼は何も言わなかっただろう。私が今、必要以上の訓練をこなしているから、苦言を呈しているのだ。

 

 また、方法についても同様だ。食事を摂らずに訓練するのは非効率だと、苦言が飛んできた。言い返す言葉などあるはずもなく、私は肩を落としながら聞いていた。


 「そうね、あなたの言うとおりだわ。焦り過ぎていたのね」

 「分かったならいい。あまり無茶をしないでくれ、心臓に悪い」

 

 ため息を吐く彼に、私は困ったように微笑む。本当に心配していたのだろう。わざわざここまで来てくれたのだ。それを疑うつもりはない。


 「そういえば、あなたはなぜ、そこまで強くなったの?」


 ふと疑問に思ったことを口にする。

 平民の出身だと、魔力の扱いを習う機会はほとんどない。彼が魔術について学ぶことは、相当困難な道だっただろう。ルーファスとは教会の紹介で会ったため、教会から助力を受けた可能性はある。


 しかし、必ずしも強くなる必要は無かったはずだ。魔力暴走さえ引き起こさなければ問題はない。

 にもかかわらず、ここまで強さを求めたのは何故なのか。

 

 私の疑問に、彼は一度目を丸くする。そして小さく笑みを浮かべると、穏やかな表情からは想像できない言葉が聞こえてきた。


 「弱ければ死んでいく、それが世の理だからさ」


 微笑んで告げるルーファスに、私は息を飲んだ。彼の笑顔には曇りがなく、いつも通り美しい笑みを浮かべている。


 「強さが無ければ踏み躙られる、世の中ってそういうものだろう?」


 ルーファスの瞳には、感情が浮かんでいない。眼鏡に遮られて読み取れないわけではない。その瞳に、揺らぎ一つないのだ。

 声にも抑揚はなく、ただ事実を読み上げるかのように語っている。

 何か覚えがあるのか、そう問いかける私に、彼は初めて感情を見せた。


 「俺の母親は、あっさりと殺された」

 

 苦く笑ってそう呟く。「戦う力も無い、か弱い女性。それが俺の母親だった」そう告げる声が、どこか悲しく響いた。


 彼は地面へ座り込むと、小さく息を吐く。顔を見せたくないのだろうか。その顔は地面へと向けられており、表情を窺うことはできない。

 

 「生き残るためには力が必要だった。魔術だけじゃなく、剣や知識さえも」


 風がゆっくりと通り過ぎる。彼のミルクティー色の髪が、初夏の風に揺れた。陽の光を浴びて輝く様は美しい。

 

 「明日が来る、それは決して当たり前のことではないのだから」


 いつになくゆっくりと語るその声は、哀愁に満ちている。亡き母を思うゆえだろうか。いつもの自信に満ちた姿は陰に隠れ、ただ静かに言葉を紡いでいる。

 

 明日が来る、多くの人が当然と思っていること。

 それは、彼にとって当然ではなかったようだ。詳しい経緯を私は知らない。彼がどんな人生を送り、どれほど苦悩したかも分からない。母を失い、途方に暮れる日もあったことだろう。

 苦しい境遇の中、ただ生きるために。それだけのために、その腕を磨いてきたのか。


 「私と少し似ているのね」


 彼の言葉に、ふと思い出したのは自身の母だった。私の母は殺されたわけじゃない。魔力が足りなかっただけだ。

 それでも、力が足りなかったゆえに死に至った。その点は、彼の母と同じだ。


 「君と?」

 「えぇ。私の母も亡くなっているのよ。魔力が少なかったためにね」


 魔力ランクAの父と魔力ランクCの母。両者の魔力量の隔たりは、出産に置いて困難な問題を孕んでいた。お腹の子の魔力が強かった場合、母親が命を落とす危険性がある。それが現実となり、母は帰らぬ人となった。


 それを思うと、彼の気持ちも分かってしまう。

 私がこの世界を生き抜こうと決意したのは、母の死があったからだ。せめて母の分まで生き抜いてみせようと決意した。例えどれほどの困難が待とうとも、出来得るかぎりを尽くし、生き抜くのだと。

 

 「母の命を奪って生まれてきたのが私。誰に責められることもなかったけれど、思うことはあった。

 だからこそ、必ず生き抜いてみせると誓ったの。母が生きれなかった分までね」

 

 その決意を果たすためには、強くなる必要があった。異世界という想像もつかない環境。生き抜くため、できることは何でもやろうと決めた。スパルタと言わざるを得ないナタリア先生の授業、それを耐えられたのは抱いた決意があったからだ。

 全ては、生き抜くために。

 私とルーファスが強さを求めるようになった原点、それはよく似ていた。

 

 「ねぇ、あなたに夢はあるの?」

 

 何故そんな問いかけをしたのか、自分でも分からない。ただ何となく、聞いておかなければいけない気がした。


 「夢か。やらなければならないことなら、昔から分かっていたが……」


 そう言って、彼はこちらを見つめる。黙したままこちらを見る彼に、私は首を傾げた。


 「やらなければならないこと、それがいつの間にか、夢になっていたのかもしれないな」


 眉を寄せ、困ったように彼が笑う。

 今日は、あまり見たことのない顔を見せてくれるようだ。年相応な、青年らしい笑みに、私も頬が綻ぶのを感じた。


 「どんな夢なの?」

 「ふふ、秘密だよ」


 彼は楽しげに笑いながら、人差し指を口に当てる。ケチ、そう吐き捨てた私に、可笑しそうに声を上げて笑った。皮肉気に笑う姿はどこにもなく、心のままに笑っているようだ。


 「お互い、頑張らないとね」

 「……あぁ、そうだな」


 しゃがみ込んだままの彼へ、ゆっくりと拳を突き出す。視線の高さに出された拳、彼は一瞬目を丸めるも、晴れやかな笑みを浮かべた。


 こつん、と拳同士がぶつかった。互いに向ける顔は、勝気な笑みだ。


 お互いに高め合える存在であればいい。

 ダメなときは止めてくれる、そんな彼だから。自分たちの目標のために、共に成長できるだろう。


 「なら行きましょう! お腹が空いてしまったわ」

 「それは君の自業自得だろう?」


 互いに軽口を叩き合い、オーウェンたちが待つ場所へ向かう。

 暗い影は、もう消えていた。

 

 

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