第60話 花のように微笑んで(??side)


 「そう、では聖女のおかげで丸く収まったのね」


 豪奢な室内に、彼女の声が落ちる。それ以外に音はなく、煌びやかな調度品に囲まれた部屋は、異様な空気を醸し出していた。


 私が彼女へ語ったのは、先日のオリエンテーションの顛末だ。

 一年生がどのようなチーム分けで動き、どういった成果を修めたのか。そして、ハプニングについても、経緯を含めて報告していた。


 「ブリジット嬢は無事だったようね。残念だわ」


 そうは思わない? くすりと笑みを浮かべる彼女に、私は無言で頷いた。そもそも、彼女は同意意外を求めていない。私が返すべき答えは、最初から決まっている。


 「それにしても……、王子と聖女が同じチームにならなかったのは問題ね」


 彼女は扇を開き、そう呟いた。その点に指摘が入る覚悟はしていた。私は静かに顔を伏せる。

 申し訳ございません、反論せず謝罪の言葉を口にすると、彼女は首を傾げて笑った。


 「あら、なぜあなたが謝るのかしら? 聖女が王子のチームに入ると、そう語っていたのはブリジット嬢でしょう?」

 「おっしゃるとおりにございます」

 「ならば、あなたが謝る必要はないわ。それにね、彼女のその発言は、随分と有名だったそうじゃない」


 彼女はすっと右手を上げる。部屋の隅に控えていた侍女が、静かに近づいてきた。その手にはトレーが握られている。

 彼女が一枚の便箋を取り出す。ちらりと見えたのは、紫色の薔薇の絵だ。青い薔薇ではなく紫を選択したのは、送り主の配慮だろうか。彼女にしてみれば、青は決して好ましい色ではない。


 彼女は便箋へ目を落とすと、口元に弧を描く。そのまま私に便箋を差し出してきた。読めということだろうか。


 「私の可愛らしい友人が教えてくれたのよ。ブリジット嬢は、学園内でも話題の人物みたいね?」


 便箋には、ブリジット嬢の挙動について書かれていた。その中には、オリエンテーションのチーム分けについても記載されている。その記載は、聖女が自分のチームに来ると信じて疑わない、そんなブリジット嬢の姿が目に浮かぶ正確さだった。


 入学当初に起きた、スピネル寮生への侮辱についても記されていた。ご丁寧に周囲の反応まで細かく描写がある。学園内でのブリジット嬢の振る舞いは、こうして彼女に伝わっているのだろう。


 「困ってしまうわね。彼女の振る舞いは、あまりにも目に余るもの。せめてもう少し優秀であったなら、使い道もあったでしょうに」


 頬に手を当てて、ほう、とため息を吐く。物憂げな彼女の姿は、息を飲むような美しさだ。その身に纏うドレスやアクセサリーもさることながら、彼女自身もとても美しい。

 内面は熾烈な女性だが、一見すると月のような美しさを持つ美女である。


 「あなたも分かっていると思うけれど、今となっては、ブリジット嬢の価値は未来を知っていることだけなのよ」


 そう言うと、彼女はゆっくりとティーカップを傾ける。彼女に続くように、私もティーカップへ手を伸ばした。紅茶には、どこか強張った顔の私が映っている。


 「まだ公表されていなかった聖女の存在を言い当てる、それは本当に見事なことだったわ。今後もその能力を活かしてくれればと思っていたけれど、見込み違いだったようね」


 ブリジット嬢の未来予知、その出所については彼女も知らない。なぜ誰も知らないはずのことを言い当てたのか。その理由は不明だが、事実として聖女を言い当てた実績がある。だからこそ、彼女はブリジット嬢の言うことに、一定程度の期待を持っていた。


 それがここに来て陰りを見せる。ブリジット嬢の言う未来が実現されなくなったのだ。

 彼女の未来予知がどこから来るものなのか、真相が分かれば彼女の価値も図れただろう。

 しかし、その詳細は依然として不明なまま。ブリジット嬢が有益な存在か否か、予想することも難しくなった。

 

 コードウェル公爵ならば詳細をご存知だろうが、彼に確認をとるのは無意味だ。あの男は驚くほどに警戒心が高く、ボロを出さない。例え問いかけたとしても、口を割らないだろう。


 「ブリジット嬢が婚約者に選ばれたのは、聖女が不在だったから。

 けれど、今は聖女がいる。教会による公表を前にして、民に愛される少女がね。ブリジット嬢では到底太刀打ちはできないでしょう」


 彼女の意見はもっともだ。アクランド子爵令嬢の評判はすこぶる良い。民のためを思い起こした事業。その一方で貴族向けの商品開発も行っており、敵を作らない事業計画は見事と言わざるを得ない。


 それに対し、ブリジット嬢は目立った功績がなかった。外向けに発表できるのは、せいぜいが孤児院の慰問だろうか。お茶会にもロクに参加せず、令嬢たちの関心はウィルソン公爵家のソフィア嬢に注がれている。

 

 既にデビュタントを迎えた以上、今後はアクランド子爵令嬢も社交の場に出るだろう。聖女の役目もあり頻度は低いだろうが、彼女が出席する茶会を催せたとあらば、主宰者の株が上がる。彼女の動向は人目を惹くはずだ。

 ウィルソン公爵令嬢とアクランド子爵令嬢、これからの社交界、この二人が注目を集めるのは間違いない。

 

 ブリジット嬢にとっては厄介なことに、この二人は親しい友人関係でもある。互いに高め合う関係性。これは女性社会の中で大きなプラスとなるだろう。

 それ即ち、ブリジット嬢の影響力が一層失われることを意味する。


 「聖女はソフィア嬢と仲が良いと聞いているわ。その上、学園内でも一目置かれているとか。

 彼女はタンザナイト寮へ来なかったようだけれど、それもまた、評判を上げる一手となったそうね」


 彼女の言うとおり、聖女はタンザナイト寮へ入寮しなかった。

 本来であれば、聖女はタンザナイト寮へ来るはずだったのだ。聖女のお披露目さえ済んでいれば、スピネル寮へ入ることはなかった。

 

 本来の予定を覆し、教会はお披露目を延期した。今年中には開催する予定のようだが、延期に伴い聖女はただの子爵令嬢として入学した。

 彼女の意図は不明だが、聖女という立場を利用せずスピネル寮へ入寮する。自身の出自を優先したとみられるその動きは、貴族からのウケが良かった。

 

 高位貴族から見れば慎ましく、下位貴族から見れば自身の出自を誇っているように映る。その姿は、双方から好感をもって受け止められた。


 「社交の場で生きるには、不必要な敵を作らず、上手く渡り歩く才がいる。

 聖女がタンザナイト寮を選ばなかった理由、それは分からないけれど、結果として功を奏した。何かしらの望みを叶え、自身の評判を押し上げたのよ。偶然の結果だったとしても、素晴らしい成果だわ」


 彼女は、目の前のアップルパイへとフォークを入れる。これは彼女の好物だ。昔から、アップルパイに目がなかった。ご機嫌な様子でパイに舌鼓を打っている。

 

 どうやら、それほど機嫌は悪くないらしい。私はそっと胸を撫でおろした。

 オリエンテーションは、彼女にとって望ましいといえる結果ではなかった。それでも、どうやら及第点はもらえたようだ。彼女の気に食わない結果だった場合、今頃いくつかの茶器が割れていたことだろう。


 「聖女の能力や人柄を確認できたこと、それは良かったわ。噂には聞いていたけれど、思った以上に優秀ね」

 「えぇ、とても。オリエンテーションも彼女のチームは一番早く終わりましたから」

 「ふふ、さすがね。

 ……それだけに、ブリジット嬢の件にはがっかりだわ。傷物になってくれれば、面倒が無かったのに」


 コードウェル公爵は、娘の婚約を破棄する気はないようだもの。眉を下げ、困ったように語る彼女。その姿を見て、私の背に冷や汗が滑り落ちる。


 あの状況下では、怪我で済めばいい方だ。聖女の助けがなければ、命を落としていただろう。ブリジット嬢が五体満足でいれたのは、ただ運が良かっただけだ。

 

 その差異は、彼女にとって誤差でしかないようだ。怪我をしようが死んでいようがどうでもいいらしい。

 不要なものを処分できれば、その処分方法はなんだって良いのだ。処分された不用品が、廃棄されたのか誰かにもらわれたのか、捨てる側は気にしない。彼女にとってみれば、対象が人であっても、同じことだ。

 

 「その点、聖女は素晴らしいわね。戦闘でも活躍し、祈信術も使いこなしていたのでしょう?」

 「はい。時属性魔術も同時に使用していたようです」

 「素晴らしいこと。あぁ、やっぱりいいわね。私、あの子が欲しいわ!」

 

 そう言って笑う彼女の顔は、花が綻ぶようだ。

 本当に、聖女を気に入っているのだろう。その理由が一般的な物でないにしろ、彼女が持つ聖女への好意、それは本物だった。


 「そうと決まれば、使えるモノ以外は不要だわ。一年もあれば十分でしょう。お掃除、お願いね?」

 「かしこまりました」


 深く頭を下げる私に、彼女は楽しそうな笑い声を漏らした。私の身体に緊張が走る。その笑い声は、失敗は許さないと言外に告げていた。

 彼女にとって、この一年は重要なのだ。邪魔が入らない期間、それが一年だけ。来年以降は不透明だ。彼女の願いを叶えるためには、この一年が勝負となる。失敗を許すはずもない。

 

 私の緊張が伝わったのか、彼女は可笑しそうに笑いだした。嫌だ、心配し過ぎよ? そう言う彼女の声は、とても明るい。私の緊張する姿が面白いのか、それとも、望む未来が待ち遠しいのか。楽しそうに笑みを漏らす姿は、まるで無垢な少女のようだった。

 

 「ふふ、安心してちょうだいな。あなた一人に全てを押し付けるつもりはなくてよ。私の方でお手伝いしてくれる者は見繕ってあるもの」


 その言葉に、先ほどの便箋を思い出す。学園内の状況を細かく認めていた手紙。それを書ける者は、学園関係者以外にいないだろう。

 万が一にも失敗することがないよう、彼女は既に手を打っているらしい。


 「それにね、使える者は最大限使うべきでしょう? そのための道筋は、私がちゃんとつけてあげるわ。

 ……だからこそ、結果を出してちょうだいね? いい報告を、期待しているわ」

 「お任せください。必ずや」


 私の返答に、彼女は満足そうに微笑んだ。納得のいく返しができたようだ。元より、これ以外の返答などありはしないが。


 コードウェル公爵令嬢に、アクランド子爵令嬢。私はそのどちらにも、思うところはない。一般的な評価だとか、そういうものは知っている。

 しかし、私個人に彼女たちへの好悪はない。特段の関わりがあるわけでもなければ、親しみもない。彼女たちに何かを思う理由もなかった。


 それでも、やるしかないのだ。一年という期間制限はあるものの、彼女が方策を考えてくれるらしい。ならば、私は粛々と彼女に従うだけでいい。胸の中で覚悟を決める。


 私にはもう、引き返す道などありはしないのだから。


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