第59話 曇天の空に嘆く


 吹き荒れる雪の嵐が、徐々に収まり出した頃。一面白銀に包まれていた視界は、ようやくその先を見通せるようになった。


 「っ、間に合った……!」


 視界の先、イグニールの奥には、白いヴェールに覆われた生徒たちの姿があった。襲い来る吹雪に恐怖したのか、全員がしゃがみ込んでいる。

 痛みが来ないことに気づいたのか、男子生徒の一人が顔を上げた。自分たちを囲うように張られたヴェールを見て、歓喜の声を上げる。

 それにつられるように、他の生徒たちも安堵の表情を見せた。一人の女子生徒は、どうやら涙を流しているようだ。周りの生徒に慰められている。


 喜びの声を上げる彼らに比べ、こちらの空気は非常に悪い。

 一つは、強力な魔術を受けたにもかかわらず、イグニールが五体満足で立っていること。

 そしてもう一つは、言うまでもない。ブリジット嬢の暴挙に対する苛立ちだ。


 「あなた……本当に……!」


 ソフィーの声が聞こえる。憤りに満ちたその声は、怒りのあまり震えていた。


 そんな彼女へ、私からかける言葉はなかった。今はソフィーを気遣うことができないからだ。口を開けば、ブリジット嬢への怒りを吐露するだろう。それだけは、控えねばならない。

 何より、まだイグニールがいる。他の何かに気をやる余裕などないのだ。


 「あれを受けても立っているなんて……」


 ソフィーの怒りにも気づかず、ブリジット嬢が驚きの声をあげる。余程自信があったのだろう。あれほどの啖呵をきったのだ。倒せると踏んでいたに違いない。

 自身の予想を裏切られたことに、唖然とするブリジット嬢。その姿は、ソフィーの導線に火をつけた。


 「コードウェル公爵令嬢、邪魔ばかりするつもりなら、早くお逃げになっては?」

 「ソフィア嬢……? なぜ、そのようなことを」


 ソフィーの言葉に、ブリジット嬢は困惑の声を上げる。

 あぁ、これは駄目だな。聞いているだけの私でも理解できる。今の発言は、明らかに悪手だ。


 「なぜ……? それすら理解できないあなただから、この場には不要だと言っているのです。あなたの相手をしてあげるほど、こちらは暇ではないの」

 「っ、あまりにも言葉が過ぎるのではありませんか!?」

 「あなたの相手をする暇はない、二度も言われなければ理解できないの?」


 ばきり、と何かが折れる音がする。その直後、断続的に草が揺れる音がした。何かを壊したのだろう。普段の様子から察するに、壊れたのはソフィーの扇子だろうか。折れたそれは重力に従い、次々と地面に落ちているようだ。


 「無能なだけならいざ知らず、愚行を侵す人間は要らないと言っているのよ!」


 怒りの声が森の中を木霊する。ずっと抑えつけていた感情だったのだろう。昔から抱いていた嫌悪感が、この局面にきて爆発したようだ。


 ブリジット嬢から反論の声は上がらなかった。厳しい言葉に驚いているのか、それとも泣いていたりするのだろうか。それを確認する気はない。

 

 何にしても、この現状を打破しなければならないのだ。今はまだ、ルーファスの氷がイグニールの足元を固定している。

 しかし相手は炎を操る獣だ。そう遠くないうちに、あの拘束を脱するだろう。


 「メアリー」


 はっきりとした口調で、友人の名を呼ぶ。私の呼びかけに、彼女は意図を理解したようだ。がさがさと草をかき分ける音が聞こえる。

 その間、私は必死で魔力を編み始めた。敵が氷の拘束を脱した瞬間、次の手を打つために。


 葉のこすれる音が止み、甲高い笛の音が鳴り響いた。力一杯吹き込んでいるのだろう。長く続く笛の音に、ほっと息を吐く。これできっと救援が来る。あとはそれまでの間、この場を保つだけだ。


 笛の音が刺激になったのか、イグニールは低い声で唸りを上げた。炎を噴出するかと思ったが、力に訴えてきたようだ。強く拳を振り下ろし、左足を固定する氷を砕く。残る拘束は片足のみだ。


 ルーファスが素早く術を展開する。新たな氷の枷を嵌めようとするも、その剛力で砕かれてしまった。時間があれば強度を上げることも可能だろうが、そんな余裕はない。氷の生成と破壊が繰り返される。ルーファスは我慢比べに持ち込むつもりのようだ。


 私は一つ息を吐き、魔術陣を顕現させる。黄色の魔術陣と、それより一周大きい白の魔術陣だ。ルーファスが稼いでくれる時間、決して無駄にはできない。


 できることならこの一撃で、それが叶わなくとも、身動きができないほどの怪我を負わせるために。手負いの獣ほど、恐ろしいものはない。決めるのならば、確実に。動けないレベルの損傷を与えなくては。


 時間の短縮は捨てる。私はまだ、三種の魔術を同時に行使することはできないのだ。

 だからこそ、いかにダメージを与えられるか、それを優先した。土属性の魔術を、祈信術を用いて強化する。鋭く、固く。あの巨体をも貫けるように。


 「《我らを育む大地よ、仇なす者に裁きを与えたまえ。グラウンドファランクス》!」


 大地が脈動する。私の指示に従い動きだした土は、鋭い槍となりイグニールへ襲い掛かる。足元から射出される複数の槍が、イグニールの身体に突き刺さった。

 かなり鋭利な穂先に加え、強化を施した槍だ。逃げることのできないイグニールは、なすすべなく悲鳴を上げる。


 しかし、これで絶命してくれるほど、敵も容易くはない。いくつも槍が刺さっているというのに、その息は未だ途絶えていなかった。

 こちらも盛大に槍を射出することは出来ず、数は最低限に絞っている。

 敵の頑強さと、この戦場の厄介さ。それが相まって、命を刈り取るまでには届かなかった。


 槍が杭となり、イグニールをその場に留めている。最後のダメ押しをするべきか、そう考えていたとき、ふいに鋭い声が聞こえた。


 「お前ら! 目閉じておけよ!」


 その声に、周りの生徒たちは一斉に顔を伏せた。私たちはただ、静かにイグニールを見据える。安全が確保できるそのときまで、目を離すことはできなかった。


 太い針が5本ほど投合される。針は風の魔力が込められているようで、恐ろしい速度で駆け抜けていった。

 針が身体に突き刺さると、イグニールの動きがピタリと止まる。絶命したのだろうか。あの針だけでというのは、俄かに信じ難いが。


 「トラヴィス先生、よくやってくれた」


 低い、落ち着いた声が場に響く。自然と肩の力が抜けていった。

 もう大丈夫、響いた声はそんな安心感を与えてくれる。これで窮地を脱するのだ、私は静かに息を吐いた。


 背後で急速に魔力が集積される。通常では考えられない速度に、術者の優秀さが見て取れた。

 周囲には、肌を刺すような冷気が流れ込む。どうやらこの人は、詠唱すらも必要としないらしい。


 パキリ、小さな音を皮切りに、イグニールの周囲を分厚い氷が覆っていく。瞬きの間に、イグニールは氷漬けにされた。見るからに厚い氷は、到底溶けそうにもない。投合された針によって動かなくなっていたことも踏まえると、これで本当に最後だろう。


 やっと戦闘から解放される。緊張が切れ、一気に足の力が抜けた。草の上に座り込むと、息を大きく吐き出した。肺の中の空気を吐き切るかのように、長く息を吐く。

 極限状態で酷使された脳も、休息を求めているのだろうか。このときばかりは、周囲の確認をする余裕もなかった。


 「大丈夫かい?」


 ゆっくりと前に膝をつき、私の顔を覗き込む。ルーファスは心配そうな表情を浮かべていた。大丈夫、そう返したいけれど、正直疲労困憊だ。何よりも心労が酷かった。

 言葉もなく、へらりと笑みを浮かべる。私の表情を見て、ルーファスは美しい顔を歪ませた。


 「……これは大事だな」


 聞こえてきたトラヴィスの声に、私はゆっくりと振り返る。彼の瞳は暗く、苦悶するような表情を浮かべている。

 すぐ隣には学園長の姿もあった。同じように、その表情は険しい。


 二人の視線を追うと、一人の生徒が横たわっているのが見えた。第一王子だ。

 

 彼は傷を負った後、気絶したようだ。今はただ、静かに目を閉じている。胸が上下しているのは確認できたため、命に別状はないらしい。

 とはいえ、すぐに処置が必要だろう。私は重い腰を上げ、そちらへ歩き出した。


 「失礼します」


 第一王子のすぐ側で膝をつく。息があるのは間違いない。できれば意識を保っていてほしいものだが。


 「ジェームズ殿下、聞こえますか」


 三回ほど、同じ呼びかけを繰り返す。怪我をした経緯が分からないため、下手に揺することもできない。倒れ込んだ際、頭を打った可能性もある。意識の浮上にあたり、できるのは声掛けだけだ。

 

 すぐ近くから、幾人かの視線を感じる。トラヴィスや学園長、ルーファスたち。彼らは一様に私を案じているようだ。皆、私が何をしようとしているのか察しているのだろう。止めこそしないものの、気遣うような視線を感じる。

 

 対照的に、一つだけ鋭い視線があった。ブリジット嬢だ。婚約者に私が近づくこと、それが嫌なのだろうか。彼女の視線は、不愉快そうにこちらへ向けられている。


 「ん……、君、は」

 「ジェームズ殿下、どうぞそのままで。すぐに治療いたしますから」


 瞼がわずかに揺れ、ゆっくりと開かれる。緑色の瞳は虚ろだ。頼りなく揺れる瞳に、しっかりと目を合わせる。少しでも安心してくれるといい。そんな思いで彼の瞳を見つめた。


 私と第一王子を囲うように、魔術陣を顕現する。白と桜色の魔術陣がきらきらと輝き出す。

 相手は第一王子だ。変に手を抜いたと言われるのは避けたい。祈信術のみでなく、時属性魔術も使用することにした。


 イメージするのは、傷口が塞がり元の腕になる姿。どうか痕一つ残りませんように、そう願いながら魔力を解放する。


 「《時は流転する、かの者に安らかな時を与えたまえ》」


 白い光が、第一王子の腕を包み込む。傷口を注視し、治療の過程を見届ける。爪で切り裂かれた傷口が、速やかに塞がっていくのが見えた。

 時属性魔術の使用がなければ、もう少し緩やかな変化だっただろう。二の腕から肘の部分にかけて大きくつけられた切り傷は、残すところあと三分の一程度だ。


 「……凄いな、これは」


 第一王子がぽつりと呟く。おそらく、今まで祈信術に頼ることがなかったのだろう


 第一王子という立場上、周りには多くの護衛がついているはず。基本的に、危険な目に合うことはないだろう。怪我といっても、せいぜいが剣の稽古くらいか。その程度の怪我で、教会から人を呼ぶとは考え難い。

 大怪我をすることがなかったのなら、祈信術を目にする機会は無いに等しい。簡単に派遣できるほど、教会も暇ではないのだから。


 完全に傷が塞がったのを確認し、魔力の放出を止める。痛みがないか尋ねると、第一王子がはっきりと頷いた。どうやら支障はないようだ。それにほっと胸を撫でおろす。


 「……すまない、君の手を煩わせてしまった」


 あっさりと頭を下げる彼に、私は驚いて目を丸くする。慌てて頭を上げるように伝えると、彼はゆっくりと頭を上げた。

 私へ視線を合わせると、治療への感謝と手間をかけたことへの詫び、その二つを丁寧に告げた。

 

 どうやら、この王子はとても素直な性格らしい。気の利かないというか、思考に難があるのは事実。

 けれど、それと同時にとても素直なのだ。だからこそ、口にすべきでないことも口にする。言ってしまえば、子どものような人なのかもしれない。


 私は彼と関わりがない。今後も関わろうとはしないだろうが、少しだけ彼が不憫に思えた。これだけ素直な性格なら、教育次第で変わっていたのではないか。

 酷評に晒される現状、それは彼自身に問題がある。

 だが、そうならないように教育されていたのなら。彼への評価は変わっていたに違いない。


 「ジェイミー! お怪我は大丈夫ですか!?」

 「リジー。すまない、君に心配をかけてしまったね」


 慌てて駆け寄るブリジット嬢に、第一王子は柔らかな笑みを浮かべる。ここにいては邪魔になるだろうと、私は一礼して立ち上がった。


 ルーファスたちのもとへ向かう私に、再び声がかかる。振り返ると、見えたのは第一王子の穏やかな笑みだ。助けたこと、それにとても感謝しているらしい。

 これが私の役目ですから、そう言って私は困ったように微笑む。あまり感謝されすぎても座りが悪いのだ。何より、ブリジット嬢の視線が気にかかる。


 そそくさと元の場所へ戻ると、ルーファスたちが温かく迎えてくれた。やはり慣れた人たちの中は居心地がいい。その心地良さに笑みを浮かべた。


 これで大団円、そう言いたいところだが、残念ながらそれは難しい。視界の端で、先生方とジュードが何事か話し合っている姿が見える。

 ジュードがここへ来ていたことには気づかなかった。おそらく、トラヴィスと共に来たのだろう。二人は同じ場所にいたのだから、異変を感じた時点で着いてきても可笑しくない。


 差し迫った命の危機、それはクリアした。一方で、未だ抱えたままの問題もある。それについては、これから話し合われることだろう。


 そっと空を見上げる。木々の隙間から見える空は、重苦しい曇天だ。分厚い雲に覆われ、太陽の姿を見ることができない。

 まるで今の私のようだ。想定外の出来事ばかり起きる日々に、頭が痛くなる。

 

 波乱だらけの学園生活。穏やかな日常からはほど遠い。


 

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