第52話 鏡の中へ踏み出して
ほとんどの生徒たちが大広間を出ていく中、私たちは未だその場に留まっていた。ちなみに、ブリジット嬢たちのグループは既にこの場を出ている。
「さて、まずはこの問題を解かなければならないのだが」
ルーファスの言葉に、全員が頷く。問題文はたった一文のみ。「鏡の中に会いに来て」だ。
メアリーが先ほど口にしていたとおり、学園内には数多くの鏡が設置されている。寮内も含めると途方もない数だ。それを一つ一つあたっていくなど、正気の沙汰ではない。
問題文の上部には、学園内の地図が記載されている。
この学園は、いくつかのエリアに分かれている。正門近くに守衛室があり、先へ進むとすぐに道が三本に別れる。右折すると講堂へ、左折すると実技訓練場がある。直進すれば学園校舎が見えてくる。
守衛室はその名のとおり、守衛の方が控えている場所。ここを担当する方々は、魔術のみでなく武にも優れているとか。貴族の子どもを預かる学園だ。時には王族が入学することもある。下手な警備では許されないのだろう。
学園である程度優秀な成績を収めると、お声がかかることもあるらしい。平民出身や、就職の決まらない貴族の第二子以降は助かることだろう。守衛の傍ら魔術研究で成果をあげれば、研究者になれる可能性もある。一部の学生たちに人気のある職だ。
次は講堂だ。基本的にお偉方の演説や演劇、音楽鑑賞に使われる。一番多いのは歌劇だろうか。私はあまり見識がないが、この世界ではメジャーなものだ。
学園内でも、外部から人を呼び演じてもらうことがあるらしい。寮生活に疲れる生徒たちの心を癒すためだろうか。
左折した先にある実技訓練場。これは建物内ではなく、屋外にある施設だ。高い石壁に囲まれているため、外部へ魔術が出てしまうことはない。
私たち一年生は、まだ使用したことがない。特にスピネル寮生は基礎訓練中の身。ここを使うのは、当たり前に術を放てるようになってからになる。
直進した先にある学園校舎は、敷地内で一番大きな建物だ。挟み込むように、右にタンザナイト寮、左にスピネル寮がある。寮が正門から離れた場所に作られているのは、生徒たちの安全を確保するためらしい。
校舎裏には裏庭があり、ここは生徒たちの憩いの場だ。季節の草花が庭を彩り、豪奢な噴水が設置されている。各寮にも庭があるが、豪華さでいえばこの裏庭には敵わない。
また、学園は周囲を森で囲まれており、部外者が侵入し辛い造りをしている。慣れないうちに森の奥まで行くと、迷子になる生徒が出るそうだ。それほど分かりにくい造りらしい。初めて行くときは注意するようにと、寮監から言い含められていた。
これだけ広い学内。鏡が何個あるかなど考えることすら馬鹿らしい。何か特徴的な鏡があるのなら別だが。
ここが魔術学園だからと言って、呪われた鏡やマジックアイテムになる鏡は置かれていない。それがあれば真っ先に確認するところだ。
「馬鹿正直に鏡から判断するのは無駄でしょうね。この学園に特別な鏡などないでしょう?」
「えぇ、特段聞いたことはありませんね」
私の言葉に、ヘレンが頷く。勉学熱心な彼女は、学園内についてもよく知っていた。もとより几帳面なタイプなのだろう。どこに何があるか把握するため、入学すぐに学園内を歩き回ったそうだ。
そんな彼女の言葉であれば、私のうろ覚えな記憶よりも安心だ。私は無言で頷き、地図へと目を落とした。
「ならば、鏡以外で考えるべきね。そうなると、私としては真っ先に向かいたい場所が一つあるのだけれど」
私がそう告げると、全員の視線が私へと注がれる。外れる可能性もあると断った上で、地図の一点を示す。
「なるほど。悪くないんじゃないかな?」
「確かに。行く価値は十分にあるでしょう」
男性陣の言葉に、ヘレンも頷いた。メアリーはどこか不思議そうにしていたが、それは歩きながら伝えるとしよう。
「それでは向かいましょうか。もし間違っていたら、そのときはまた考えましょうか」
にっこりと微笑み、一歩足を踏み出す。大広間には、あと二組ほどしか生徒がいなかった。がらんとした室内を抜け、玄関へ足を向けた。
「さ、到着だ。ひとまず近づいてみようか?」
ルーファスの提案に従い、私たちは目的の物に近づく。
今いる場所、それは校舎裏にある裏庭だ。新緑の季節に相応しく、裏庭は薔薇の蕾やライラックの花で彩られている。
日本でいえば、この季節は藤の花だろうか。残念ながら、我がフィンノリッジ王国では見たことがない。どこかで見られると良い、そう考えつつ私は足を進めた。
目的の物、それは裏庭にある噴水だ。
この噴水は二段噴水となっており、上部に小さな円形の皿がある。小さな受け皿では到底足りず、下まで水が流れ落ちる。まるで水のカーテンのようなそれは、見る者の心を癒してくれる。
噴きあがる水に、一見可笑しなところはない。ならば溜まった水はどうかと確認するも、特段異変はなかった。
「やっぱり、一見して可笑しなところはなさそうですね」
「メアリーの言うとおりね。一目見て分かるなら、あんな書き方はしないと思うのよ」
私はそう言うと、魔力を手に纏わせる。自身の手を保護するように、淡い光が輝いた。光でできた手袋のようだと思いながら、私は水のカーテンに手を差し入れた。
「「シャ、シャーロット様!?」」
慌てた声を上げるのは、女性陣だ。魔力をまとっているため、特段問題はないのだが。
魔力で身体を包んでいるのは、水に濡れないようにするため。これが魔力を帯びた水だと難しいが、ただの水なら簡単だ。保護膜のように身体へ魔力を纏わせることで、水を防いでくれる。
心配させてしまったかと思うも、とりあえず説明は後だと魔力を解放しようと集中する。
しかし、それに待ったをかけたのがルーファスだった。
「そこまで。自分で率先してやろうとすることは良いことだけれど……俺たちがついている意味をお忘れかな?」
ぐいっと手を引っ張られ、水から離される。ぽかんと彼を見上げると、呆れたような瞳でこちらを見ていた。
両肩に手を置かれ、メアリーたちへ引き渡される。彼女たちは慌てたように私の両手を握ってきた。何も言えず唖然とその姿を見ていると、ルーファスが魔力を解放した。
「ちょっと見てくる。君はそこで大人しくしているように」
それだけを言い残し、彼は水のカーテンをくぐる。唖然と見送るしかない私へ、オーウェンが諭すように口を開いた。
「聖女様、お考えはご立派ですがこういうことは我らにお任せください。そのためにお側にいるのですから」
「でも、学園のオリエンテーションよ? そんなに危ないことがあるとは思えないのだけれど」
困惑を浮かべながら問いかける私に、オーウェンは眉を下げる。彼も困っているようだ。困らせるつもりはなかったため、素直に申し訳なく思う。
「たしかに危険性は低いでしょう。
ですが聖女様、あなたは貴族のご令嬢でもある。率先して先の分からぬところへ進んでいくのはいかがなものか」
「そ、それはたしかに……」
オーウェンの言葉に、私はがっくりと項垂れた。これは言われても仕方ない。貴族女性として立ち居振る舞いを学んできたつもりだが、こういう点でボロが出てしまう。まだまだ足りない部分が多いなと、一人反省した。
分かっているのだ。最初から完璧など難しいと。それでも、こうして至らぬ点を見つけると不甲斐なさにへこんでしまう。しっかり立ち居振る舞いを身につけ、違和感のない令嬢にならなければ。
一つ頷き、私は気合を入れ直した。
「ありがとう、オーウェン。私は未熟ね。あとでルーファスにも感謝しなければ」
「いえ、私たちがあなたをお支えするのは当然のことですから。ご理解いただきありがとうございます」
ふんわりと微笑む彼に、私も笑みを浮かべた。そうして和やかに過ごしていると、ルーファスが戻ってきた。当然、彼の髪も洋服も濡れてはいない。
「お帰りなさい、ルーファス。どうだった?」
「あぁ、ただいま。君の予想していたとおりだ。問題文が噴水上部に書かれていたよ。噴水の中に入らなければ見つけられないようにしているみたいだ」
そう、私の考えていたことはこうだ。
「鏡の中に会いに来て」、この一文からまず、対象物が何かを考えた。先に話に出ていたとおり、鏡そのものを特定するのは困難だ。このあとに四問控えていることを考えると、数多くある鏡から探すのは悪手のように思える。我が学園には、特徴的な鏡も存在しない。
それならば、
日本には水鏡という言葉がある。意味は二つあるが、ここではその名のとおり、水面に物の形が映ることを指す。
この学園に、噴水は数えるほどしかない。二段式の豪華な噴水となると、この裏庭だけだ。そこで真っ先に裏庭へ向かった。
また、噴水だと都合が良いことがもう一つある。「鏡の中に会いに来て」この言葉どおり、鏡の中に入ることができるからだ。水鏡という、鏡の中に。
濡れることを良しとするならば、そのまま突っ切ればいい。濡れないようにするのなら、魔力で全身を纏えば完璧だ。どんな形であれ、中に入り確認することは可能だった。
魔力で身体を覆うこと。これは物理的な障害を防ぐことが出来る。雨で濡れないようにするとか、砂汚れを弾くなどだ。
便利なものではあるが、常日頃から展開はしない。単純に、魔力を消費するからだ。魔力量の多い者ならば良いが、そうでないと常時展開は厳しい。魔術を行使する機会がある際はなおさらだ。戦闘中なら、まずそんな無駄遣いはしない。
ゆえに、余裕のある時に使うのがほとんどだ。
また、これはあくまでも物理的な障害のみを防ぐもの。魔力の含まれた障害、要するに誰かからの魔術を防ぐには魔術で対抗するしかない。単純に魔力を纏えばセーフ、とはならないのだ。このあたり、現実は実にシビアだ。
その上、そう言った補助魔術は祈信術の出番だ。守護の術は神官たちの術である。通常の魔術師は力押しにならざるを得ず、神官たちの必要性は一層高まるのだ。
「それで? 問題文には何と書いてあった?」
オーウェンの言葉に、全員の視線がルーファスへと集まる。彼は首をこきり、と鳴らすと思い出すように口を開いた。
「『階段を駆け上がり、仲間外れを探してごらん』だ」
「階段、ねぇ……」
またいくつもあるものが出てきた。何ともまあ、面倒くさい問題の出し方をするものだ。とはいえ、これをクリアしなければオリエンテーションは終わらない。
「階段か。これもまた、文字通り受け取るわけにはいかないだろうな」
「ヴァレンティ様のおっしゃるとおりかと。階段なんて、この学園内にいくつあるかわかりませんもの」
オーウェンの言葉に、メアリーが頬に手を添え同意する。眉を寄せて言うメアリーは、心当たりを探しているようだ。
少しの間、裏庭に静寂が満ちる。皆記憶の中を探っている状態だ。どうしたものかな、と考えていると、メアリーが小さく声を上げた。
「メアリー、どうかした?」
「シャーロット様。えぇ、少しばかり気になることがありまして」
その表情は何とも言えない顔をしている。これだ、という確信がないのだろうか。
それでも、階段全てを当たるより遥かにいい。是非教えて欲しいというと、彼女はおずおずと口を開いた。
その言葉を聞き、全員が顔を見合わせる。なるほど、それは一理あると頷いた。メアリーはどこか心配そうにしているが、試してみる価値はある。
「まずは行ってみましょう。メアリーの考えは良いものだと思うの」
「でも……間違っていたら申し訳ないですわ」
「何を言っているのメアリー。間違えていたら、またみんなで考えればいいじゃない」
今はまだ午前中。お昼を回ってもいないのだ。時間なら、たっぷりとある。ここで固まっていても仕方がないし、階段全て回るような徒労もしたくない。思い当たるものがあるならば、確認してみればいい。
「わ、私も悪くない案だと思います。メアリー様、是非行ってみませんか?」
「シャーロット様、ヘレン様……ありがとうございます」
私たちの言葉に、メアリーはほっとしたように笑みを浮かべた。誰しも間違えるのは怖いものだ。不安になる気持ちは分かる。けれど、そうしていても仕方がない。行動しなければ、正解はないのだから。
「よし、方針は決まったね? では行こうか」
ルーファスの声に頷き、全員で歩き出す。
向かうは二問目、『階段』のある場所だ。
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