第51話 交わる視線


 「よーし、全員集まってるなー?」


 オリエンテーションの発表から約二週間。色鮮やかな花々の季節が通り過ぎ、新緑眩しい5月を迎えた。緑の季節に差し掛かった今日、私たち一年生は大広間に集合していた。


 今日はオリエンテーションの日。日々の授業から抜け出せることもあり、皆心なしか浮足立っているように見える。かく言う私も、初めての行事を心待ちにしていた。


 「シャーロット様、本日はよろしくお願い致しますね」

 「わ、私も! よろしく、お願い致しますっ!」

 「メアリー、ヘレン様。こちらこそよろしくお願い致します。頑張りましょうね!」


 チームは五人一組で、私とルーファス、オーウェンは前から決めていた。残る二枠は彼女たちにお願いしたのだ。幼い頃から親しいメアリーに、勉学熱心なヘレン嬢。このメンバーなら、問題なく一日を終えられるだろう。


 そんな風に笑い合っていると、どこからか視線を感じた。さり気なく視線の主を探ると、ブリジット嬢の姿があった。

 なぜかこちらを唖然と見つめている。何か可笑しな点でもあるだろうかと頭を捻るも、答えは分からない。


 「ん? どうかしたのかい?」

 「あぁ、ルーファス。大したことじゃないのだけれど……」


 ブリジット嬢へさり気なく視線を送る。視線の先に気づいたのか、ルーファスは納得したように頷いた。


 「彼女か。何やら驚いたように君を見ているね」

 「えぇ、何か私に可笑しいところでもあるのかしら?」


 首を傾げるも、答えは分からない。デイジーのおかげで、髪に寝ぐせはないはずだ。毎朝丁寧に梳かしてもらっている。服装に可笑しいところがあるのかと見てみるも、特に異常は見当たらない。


 この学園には制服がない。唯一配られるのは、黒いローブだけだ。ローブの中は何を着ても良いことになっている。

 入学直後は、女性陣はドレスの上にローブを羽織っていた。それも次第となくなり、今ではお洒落なワンピースやブラウスだ。


 単純な話、ドレスでは動きづらいのだ。魔術の実技ではドレスが邪魔になる。場合によっては、傷をつけることもあるだろう。結果として、もう少し動きやすい服装へとシフトしたのだ。これは毎年のことで、一年生が受ける洗礼らしい。


 私の今日の格好は、白のブラウスに、緑色のロングスカートだ。足元にはキャメル色のブーツを履いている。胸元は緑色のリボンで飾られていて、一見制服のようにも見える。


 改めて洋服を見ても、特に汚れなどは見当たらない。彼女が何に驚いているのか分からないままだ。なんだかなぁ、とルーファスを見上げると、彼は真剣な顔で彼女を見つめていた。


 「ルーファス? どうかした?」

 「いや、意外だと思ってね。彼女たち、まだグループが組めていないみたいだ。あと一人足りないようだよ?」


 「王族と公爵令嬢のいるグループなら、人が集まりそうなものなのにね」と言う彼につられ、彼女たちへ視線を向ける。

 そこには、第一王子とブリジット嬢、イアンにもう一人の青年がいた。あの青年はたしか……


 「あそこにいるのは、ケンドール辺境伯のお孫様かしら?」

 「あぁ。王妃殿下の甥にあたる。第一王子殿下からすれば従弟だな」


 第一王子のすぐ側に立つのが、アンソニー・ドミニク・ケンドール。茶色い髪は顔周りが外はねになっており、しっかりとセットされている。表情からはどこか自信の高さが窺え、良いところのお坊ちゃん、という印象だ。事実良い家柄なのだが、少し意外な部分がある。


 あまり鍛えているように見えないのだ。もちろん、最低限の鍛え方はしているだろう。

 しかし、線の細いルーファスやオーウェンと比べても、筋肉が少ないように思える。


 辺境伯家ともあれば、武力を重視するのが普通だ。ましてや、ケンドール辺境伯家は先の魔獣戦線で活躍した家。きっちり身体を鍛えるものと思っていたが、実際は違うのだろうか。


 「……不思議ね。あと一人くらい、すぐに見つかったでしょうに」


 思考を切り替え、ルーファスの疑問に答える。

 彼の言うとおり、あのメンツならばチームを組みたいという者は多いだろう。スピネル寮生は嫌がるだろうが、タンザナイト寮生は声をかけられれば参加するのではないか。彼らは名門貴族の子ども。内心どう思っていようとも、角の立たないように振る舞うだろう。


 「あぁ、あれはですね……」


 私たちの会話を聞いていたオーウェンが、言い難そうに口を開く。私をちらりと見る彼の瞳は、何だか同情の色が浮かんでいた。


 「わざと一人分開けておいたようなのです」

 「わざと? どうしてそんなことを?」

 「それが……聖女様は、自分たちのグループに入りたがるだろう、と」

 「は……?」


 オーウェンの言葉に、私はあんぐりと口を開く。令嬢にあるまじき振る舞いだ。慌てて口を閉じ、右手で口元を隠す。こういうとき、自然に扇を取り出せるのが令嬢というもの。私は一人反省した。


 「少し、意味が分からないのだけれど……なぜ、私があのグループに?」

 「真意は分かりません。ただ、コードウェル公爵令嬢はそう信じていたようで。


 周囲の者たちには、我が国唯一の聖女様と交流を取るべきだと説明していたようですが。」


 何てことだ。つまり、彼女の知るゲームとやらでは、ヒロインはあのグループに入っていたのか。だから当然私がくるものと思っていた。中身が私のせいでそうはならなかったが。


 そもそも、なぜ私が来ると思っていて人数を開けたのか。その意味が分からない。私と第一王子が近づくのを嫌がっているのでは? 彼女の行動は、むしろ近づけようとしている風に思える。彼女の認識では、私は恋敵のはず。つけ入る隙を作らないのが普通だろうに。


 「ふーん? また可笑しなことを考えるものだね、彼女は」

 「おい、ルーファス」

 「分かっている。ここでしか口にしないさ」


 高位貴族相手とは思えない軽口に、オーウェンが苦言を呈す。それをひらりとかわすと、ルーファスはにっこりと笑みを浮かべた。


 「彼女が何を考えているにしろ、俺たちには関係のない話さ。君、あのグループに入りたいかい?」

 「お断りさせていただくわ」

 「だろうね。それならこれ以上考えるだけ無駄さ。とりあえず、俺たちはこれからのオリエンテーションについて考えておこうか」


 さぁ、あちらにいこう? そう言って私の背に回ると、肩をぐいぐいと押してくる。慌てて私が歩き出すと、オーウェンやメアリーたちも着いてきた。

 どうやらブリジット嬢たちの視界に入らない場所へ行くつもりらしい。スピネル寮生の陰に隠れる場所で立ち止まった。


 「ここまでくれば大丈夫か。さすがに他寮の生徒をかき分けてまでは来ないだろうしね」

 「そうだな。あのグループにはイアンがいる。あれは冷静な男だ。彼がいて馬鹿げた真似はできないだろう」


 そう話し合うルーファスたちを横目に、女性陣は私に声をかけてくる。その表情は心配そうだ。


 「シャーロット様、大丈夫ですか? 何やらまた、あの方々に迷惑をかけられているのでは……」

 「大丈夫よ、メアリー。今のところ実害はないしね」

 「そ、そういう問題ではありませんよ、シャーロット様。あのお二方は、あまりいいお話を聞かないのです。人付き合いが苦手な私でも、耳にするほどですから」


 ヘレンはそう言うと、ぎゅっとローブを握りしめる。あまり他人について口を出すことがないだけに、少し驚いてしまった。

ヘレンは噂話などに興味がないタイプだ。そんなことより研究したい、というのが本音のようで。そんな彼女でも知っているとは、そうとう悪評がついているのか。


 「シャーロット様は聖女のお役目に忙しく、ご存知ないかと思いますが……」


 ヘレンが語ったのは、入学前の話だった。貴族子女であれば、子どもの頃から社交の一環としてお茶会に参加する。どうやらその場で、ブリジット嬢の話題はよく出ていたらしい。


 「私たちの世代で、一番影響力のあるご令嬢はウィルソン公爵家のソフィア様です」

 「え? 第一王子の婚約者であるコードウェル公爵令嬢ではなく?」

 「はい。コードウェル公爵家のブリジット嬢は、ご令嬢のお茶会に参加されませんので」


 どうやら、女性同士の社交の場に彼女が出ることはほとんどなかったそうだ。男性が加わる場合は出席していたそうだが、女性のみのお茶会にはまず来ないとか。それゆえ、令嬢の中での影響力は低いらしい。

 その反面、ソフィーは積極的にお茶会を開いており、他家が主催する場にも参加していたようだ。自ずと令嬢たちの関心はソフィーに集中したという。


 「そのソフィア嬢があまり好まれないお方、それがブリジット嬢だとか。何でも、昔酷い言葉を投げかけられたそうで。それは、貴族令嬢の中でも有名な話です」


 そういうヘレンに、私は黙って頷いた。ソフィーがブリジット嬢を嫌っているのは私も知っている。

 残念ながら、私はまともに茶会に参加したことはない。会社の運営や教会との行き来で手一杯だったからだ。ブリジット嬢が茶会で何と言われているのかは知らないが、話を聞く限り彼女自身が招いたことのようだ。


 妃教育で忙しいとは言え、彼女は王都住まい。王都で開かれる茶会であれば参加できるだろう。

 社交は貴族ならば必須だ。本来であれば、出席するように言われるはず。だというのに、彼女は令嬢たちの茶会に出席していなかったのか。それが何だか不自然に思えた。


 「第一王子殿下のご婚約者ですから、積極的に社交の場に出ているものと……」

 「えぇ、そう思われるのも無理はありません。一応パーティーなどにはご出席されておりましたよ。子どもでも出席可能な昼のパーティーとか。

 ……その、そういった場には性別問わず人が集まりますから……」


 ヘレンの顔は、迷っているかのような、言い難そうな表情をしている。

それも無理はない。暗に、男好きと言っているようなものだ。ブリジット嬢の振る舞いを考えると、そう言われても致し方ないように思えるが。


 「そういった事情もあり、特に高位貴族のご令嬢たちはブリジット嬢を快く思っていないのです。貴族女性にとって社交は何より大切なもの。それを軽く見ているのではと、訝しんでおられるようで」


 確かに、まともに社交をしないのでは良く思われないだろう。

 仮に、彼女が王妃になったら最悪だ。社交もしない王妃では、貴族への求心力が低くなる。自分たちを取り立てようとしない者に、わざわざ擦り寄ることはしないだろう。時間もお金も無駄にするだけだ。


 貴族になめられるとなれば、政情が不安定になる。これで第一王子がまともならばいざ知らず、どうにも失言が目立つ方。夫妻揃って貴族から煙たがられそうだ。身から出た錆とはいえ、あまりにもお粗末に過ぎる。側にいる者たちは、諫めようとしないのか。


 「何というか、大変なことになっていますね」

 「はい。加えて、先のお言葉がございましたでしょう? スピネル寮や子爵家等についての。それもあって、お二方は余計遠巻きにされているかと」

 「なるほど……」


 つまり、学園に来て一層自らの首を絞めているわけか。今までは噂話程度でしかなかった悪評が、真実と知れたのだ。真偽不明と思っていた貴族ですら、それを目の当たりにしたわけで。距離を置きたくもなるというものだ。


 「そ、そのっ! シャーロット様は従者の方がいらっしゃいますから、大丈夫だとは思うのですが……それでも、心配なのです。本当に、あまりいいお噂のない方々なので……」


 元々悪評高かったことに加え、先日の騒動。下手に行動力があるせいで、この先も似たような騒動が起こるかもしれない。それが皆の懸念なのだろう。

 直接絡んできたことを思えば、心配し過ぎだと笑うこともできない。


 「どうか、気を付けてください、シャーロット様。相手は高位の方々ですから。対応に困ることもあるでしょう。

 私たちスピネル寮生はシャーロット様の味方ですから。できることは少ないですが、助力させていただきます。何かございましたらおっしゃってくださいね」

 「ありがとうございます、ヘレン様。心強いですわ」


 ヘレンに礼を言い、微笑みかける。彼女は頬を薄っすらと染め、控えめな笑みを見せてくれた。


 さて、どうしたものか。第一王子たちの悪評高さについては別にいい。自身で気づき、直すのならば良し。直さないのならばそれまでだ。私に直接悪影響を及ぼす内容ではないため、今は置いておく。


 一番気がかりなのは、ブリジット嬢の行動だ。私が彼女たちのチームに入りたがる、そう信じていたらしい。そのためにわざわざ一人分枠を開けていたと。一体、その狙いは何なのか。


 彼女にとって、私は邪魔者だ。コードウェル公爵曰く、殺したくて仕方がない存在らしい。そんな相手を、わざわざ自分たちの輪に招き入れる理由が分からない。

 彼女に何のメリットがあるのだろうか。何かしらのメリットがなければ、そんな行動は取らないだろう。彼女が第一王子と婚約破棄したいというのなら分かるが、その素振りもない。


 恋愛面でないとすると、このオリエンテーションに何かあるのだろうか。

 このオリエンテーションがゲームに出てきたのは間違いない。そうでなければ、彼女が私の行動に確信を持つはずがないからだ。ストーリーに描かれたことを妄信する彼女なら、そう考えるのが自然だろう。


 邪魔な恋敵を近づけてでも、側に置かなければならない理由。それは一体なんだろうか。

 考えられるのは、自身が何らかの不利益を被る場合だ。その不利益が何かまでは分からないが、殺したいほど疎んでいる相手を頼る、それに相応しい理由があるに違いない。


 乙女ゲームをプレイしたことがあれば、何か予想もついたかもしれないが。乙女ゲームのイベントはどんなことが起こるのだろうか。さっぱり分からず、頭を捻ってしまう。


 「うーん……」

 「君、何を唸っているんだい? そろそろオリエンテーション始まるみたいだよ?」

 「え、嘘!?」


 ルーファスの声に慌てて周囲を見渡すと、皆手元の紙を覗いている。どうやら今しがた配られたばかりらしい。ルーファスから紙を受け取り、目を落とす。

 そこには、学園内の地図と、オリエンテーションの概要が記されていた。学園の敷地内を周り、5つの問題をクリアすること。

 現時点では問題文は、一文しかない。問題を解いた後に、次の問題が示される形のようだ。


 「最初は……“鏡の中に会いに来て”?」

 「鏡の中、ねぇ」

 「鏡はたくさんありますけど……」


 私が読み上げた問いに、全員で首を捻る。

 メアリーの言うとおり、学内には鏡がいくつもある。寮内も含むと相当な数だ。どうしたものかと考えていると、他の生徒たちの声が聞こえた。


 「“夜に会いに来て”? どういう意味だ? 今は朝だぞ」

 「なんか意味があるんだろうけど……何なんだろう」


 他のグループは違う問題が出されているようだ。おそらく、各グループランダムに問題が割り振られているのだろう。他のチームを真似るという、カンニング防止が図られているらしい。


 「ふむ、これは少し手間がかかりそうだね?」

 「えぇ、自分たちで努力しなければ、クリアできないようにしているみたいね」


 ルーファスと頷き合っていると、周囲が我先にと動き出す。とりあえず歩き回ることにしたようだ。一人、また一人と周囲から人が減っていく。


 ぼんやりと眺めていると、再び私を見つめる視線を感じた。視線の主は言うまでもない、ブリジット嬢だ。ゆっくり振り返ると、互いの視線が交わった。


 緑色の瞳には、確かな苛立ちが映っている。

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