第53話 駆け上がった先に見つけたもの
重い扉を押し開けて、目に映ったのは赤いビロード。重厚な色合いは、格式高いこの場によく合っていた。
室内を照らすのは、金色に輝くシャンデリアだ。天井は高く、美しい青空が描かれている。青空と共に描かれた美しい女性は、この国が祀る女神だろう。室内一高い場所にあるその絵は、息を飲むほどに美しかった。
裏庭を後にして、私たちがやってきたのは講堂だ。学園の講堂とは思えぬ豪華さは、まるでオペラ座のようだ。前世ではお目にかかれなかった豪華さに、感嘆の息が漏れた。
生徒たちが一堂に会するためか、客席はとても多い。映画館のように、各席にアルファベットと番号が割り振られ、全てに重厚な赤の布地が使用されている。骨組には高価な木材が用いられ、一体いくらするのだろうと遠い目になってしまった。
「ステージカーテンが空いていますね」
「えぇ、グランドピアノが一台置かれています」
ヘレンの言葉に、メアリーが頷く。私たちが講堂を訪ねたのは、このピアノに触れるためだ。こうして幕が上がっているのを見る限り、私たちの選択は正しかったのではないか。
全員で舞台へ上がり、グランドピアノの前に立つ。これで次の問題へ進めればよいのだが。
「それじゃあメアリー、音を出してもらってもいいかしら?」
「私でよろしいのですか?」
メアリーが驚いたように目を丸くする。それに微笑みながら頷いた。メアリーが弾いてくれるならありがたい。私にピアノの技術など存在しないのだから。
前世では、習い事をする余裕すらなかった。そんな余裕があったなら、暮らしはもう少しマシだっただろう。
私にとって音楽は聞くもの。あとはカラオケだろうか。私が勤めたキャバクラにはカラオケがあり、よく客前で歌ったものだ。音楽との関わりはその程度だった。
今世ではそもそも時間を作る余裕がなかった。習いたいといえば父は手配してくれただろう。
しかし、会社の運営に聖女のお役目、それで手一杯だったのだ。そんな中、趣味に時間を割くのは難しく、私自身、ピアノに強い憧れがあったわけでもない。習いたいと口にすることはなかった。
メアリーは幼い頃からピアノを習っていたらしい。それならば彼女の方が適任だ。
私では、ただ鍵盤を叩くだけになる。音を聞くのが目的とはいえ、折角ならば上手な人が鳴らす音の方が良いだろう。
私の言葉に促され、メアリーが椅子に腰かける。両腕を緩く伸ばすと、開いて閉じてを繰り返した。指を動かしやすくするためか。音階を奏でることが目的だが、グランドピアノの鍵盤数は多い。スムーズに指が動くならその方がいいだろう。
「では、いきます」
最初に鳴らされたのは、ラ。左端の低音からスタートだ。軽やかな指運びで音階を奏でていく。7オクターブを奏で終わると、メアリーはゆっくりと腕を下ろした。開幕の低音を含む88の音が響き渡り、そのどれもが美しく奏でられた。
つまり、どこにも違和感はなかったわけだ。
「聞く限り、可笑しな点は見当たらなかったな。メアリー嬢、あなたから見て何か違和感はあっただろうか?」
「いえ、特段ございません。鍵盤に押しづらい箇所もありませんでした。きちんと調律もされているようですし、音にも違和感はなかったかと」
顎に手を添え、オーウェンはメアリーに問いかける。聞いているだけでは分からない違いがあるとすれば、察知できるのは奏者だけ。それをメアリーも分かっているのだろう。彼の意図を汲み取ると、すぐに答えた。
私の読みが外れてしまったのでしょうか。そう申し訳なさそうに言う彼女に、私は首を横へ振る。
「それは違うと思うわ、メアリー。ステージカーテンが空いていたでしょう? もちろん、他の生徒たちのお題という可能性はある。けれど、あなたの読みは正しかったと思うの」
『階段を駆け上がり、仲間外れを探してごらん』、これが二問目の問題文。
メアリーの読みはこうだ。
階段とは、音の音階を意味するのではと考えた。学園内に数多くある階段よりも、そう考える方が調査という面で現実的だ。音階、つまり音を奏でられるものが必要となる。その流れで、真っ先に浮かんだのがこの講堂だ。
外部から人を招き、音楽鑑賞や歌劇に使われるこの場所。間違いなく楽器は設置されているだろう。そのため私たちは講堂へ足を運んだ。まるで人が来るのを分かっていたかのように、ステージの幕は上げられていた。これで無関係とは考え難い。
「そもそも、この講堂にある楽器は、これで全てなのかしら」
そう問いかける私に、皆の視線が集中する。一人一人の目を見ながら、私は自身の考えを口にした。
「これだけ大きな講堂よ? ピアノ一台とは思えないわ。そして、メインの楽器とも言えるグランドピアノ。これに可笑しな調整は
もし私が出題者なら、さすがに調整するか悩んでしまうと思うの。別の楽器にできないか、検討するかもしれない」
元々不調があるならばいざ知らず、このグランドピアノはしっかりと手入れをされている。それをわざと可笑しく調整はしないだろう。
寧ろ、このグランドピアノを目立つところに置くことで、ミスを誘っているのではないか。読みが外れたと他の場所を探しに行く、それを狙って問題を作った可能性がある。
「このオリエンテーションは学内に慣れさせることが目的よ。歩き回らせることこそ、学園の狙いのはず。ミスを誘うような仕掛けをしても可笑しくないと思うの」
そう言って締めくくると、ルーファスは静かに頷いた。他の面々も納得してくれたようだ。特にメアリーは、不安げな瞳から一転、真剣な表情を見せている。
「それなら、舞台袖を見てみよう。上手をオーウェン、ヘレン嬢、メアリー嬢で確認してくれないか。俺たちは下手を確認する。
君もそれでいいかい?」
私へ視線を向ける彼に、かまわないと頷く。全員異論はないようで、二手に分かれて楽器の捜索が始まった。
下手には、様々な機材があった。それ以外にも、いくつかの楽器ケースが置かれている。
ここにあるのはバイオリンなどの弦楽器や、ピッコロやフルート、クラリネットなどの木管楽器。金管楽器では、ホルンやトランペットが置かれていた。
おそらく、これらの楽器が下手にあるのは、配置上の問題だ。弦楽器でいえば、ビオラやチェロ、コントラバスは上手側に置かれているだろう。
いくら楽器を探しているとはいえ、これらを無遠慮に触るわけにもいくまい。楽器は高価なもの。万が一事故などが起きては大事だ。それは学園側も考えているはず。
「ねぇ、ルーファス。きっとこの楽器は対象ではないと思うの。万が一壊してしまったら大変だもの。
それに、こういった楽器には専門性が必要でしょう? 運よく生徒が音を出せるとは限らないわ」
「あぁ、それはそうだろうね。だからこそ、俺たちが探すべきは……」
「「ピアノ、もしくはそれに類する楽器」」
私とルーファスの声が重なる。考えていることは同じようだ。くすりとお互いに笑みを浮かべると、改めて周囲を見渡した。
この楽器ケースたちを見ても仕方ない。もっとシンプルに、音が鳴らせるものはないものか。
「あれはなんだ?」
ルーファスの不思議そうな声に、私は彼へと視線を向ける。彼は一点を見つめていた。
視線の先にあるのは、舞台袖に設置された棚だ。棚は五段ほどあり、楽譜や手入れ用品、メトロノームなど様々なものが置かれている。
その棚の最上段に、ライトブラウンの物が置かれていた。木で作られているようだ。四つ脚の着いたそれは、暗がりの中どこか目立って見える。
その造形は、間違いなく見覚えのある姿だった。
「ねぇ、子ども向けのミニピアノって、あれくらいの大きさかしら」
そう呟く私に、ルーファスは黙したまま頷いた。彼は棚まで近づくと、ゆっくりとそれを取り出す。戻ってきた彼の手にある物は、私の言葉どおりミニピアノだった。
互いに視線を合わせ、静かに頷く。舞台のほうへ戻ると、上手側を探していた三人が既に揃っていた。
「上手にめぼしいものが無かったが、そちらにはあったようだな。ルーファス」
「あぁ。一番怪しいのはこれだろうね」
オーウェンの問いに、ルーファスはそっとミニピアノを差し出す。
差し出した相手はメアリーだ。弾いてみてくれないか、そう告げるルーファスに、メアリーは快く引き受けた。
ポーン、と一音目が響く。ファの音だ。特段の違和感はない。そこからゆっくりと運ばれる指を見ていると、ある一音でメアリーの指が止まった。
「この音、何か違和感がありますね」
そう告げる彼女の指が示すのは、シの鍵盤。このミニピアノは32鍵盤で作られており、メアリーが違和感を覚えたのは31番目の鍵盤だ。
もう一度、彼女が音を鳴らす。言われてみると、どこか音の響きが可笑しいように思えた。
「すみません、このミニピアノを持っていただけますか?」
メアリーの言葉に、ルーファスは彼女からミニピアノを受け取った。メアリーはそのままグランドピアノへと進み、同じ音の鍵盤を押す。
「……やっぱり、違うみたいですね」
両方の鍵盤を交互に押す。同じ音を押しているはずなのに、出てくる音が一致しない。
「ならば、これが仲間外れということか」
問題文に記載されていた、『階段を駆け上がり、仲間外れを探してごらん』。仲間外れとはこの音を指しているのだろう。
グランドピアノが演奏できる状態で置かれていたのも納得だ。ミニピアノだけでは違和感に気づけなくとも、こうして比較すれば大抵の者は理解できる。
「そうなると、今度はそれが何を意味するのか、そこが問題ですね」
ヘレンの言葉に、全員が頷いた。
彼女の言うとおり、この意味を解かなければ先には進めない。問題文は、『仲間外れを探してごらん』で終わっている。そのあとどうするかの指示がないのだ。
ヘレンとオーウェンでミニピアノをチェックしているが、他に可笑しなところはないようだ。上部の蓋を開けてみるも、中に紙などは入っていない。どうやら脚が取り外せるようだが、そこにも可笑しな箇所はなかった。
「そういえば……」
私の頭に、ある記憶が思い出された。前世で受けた音楽の授業での一幕だ。
教科書に記載される歌だけでなく、先生が楽譜を配ってくれることがあった。何年か前に流行った曲など、聞き覚えのある曲だと友人と盛り上がったものだ。
中学校の頃だろうか。音楽祭を前に、先生が新たな楽譜を配ったのだ。そのとき配られた楽譜には……
「シャーロット様?」
メアリーの声が耳をかすめる。それが記憶の扉をこじ開けた。
「もしかして!」
私は身を翻し、舞台を降りる。その際、側にいたルーファスの手を掴めたのは、わずかばかりの理性が働いたからだ。
裏庭の噴水で、ルーファスやオーウェンから苦言を呈されていた。それがなければ、きっとまた一人で突っ走っていただろう。
目指すは客席。客席には最前列から順に、アルファベットが振られている。最前列がA列。その次はB、Cと続く。各列には、下手側からAの1、Aの2と席番が決められていた。
私が向かっているのは舞台から見て、2列目の席。つまりB列の座席だ。
席に近づき、座面を確認する。特に何も異常はない。
座席の下を覗き込もうと考えたが、そこで停止する。さすがに、貴族令嬢が床に手をつけて覗き込むのはダメだろう。
おずおずと振り返ると、ルーファスが良い笑顔でこちらを見ていた。
「うん、俺が言わなくても分かったようだね?」
「ごめんなさい」
まだやってないから許してくれ! そう声を上げたくなるが、さすがに分が悪い。しょんぼりと謝罪すると、彼は仕方ない、とでも言いたげに笑った。
「まぁ、自分で気づけたのだから不問としようか。俺を連れていく判断もできたわけだしね。次からは先に言ってもらえると助かるが」
「善処します」
日本人特有の返答に、ルーファスは片眉を上げる。私の真意を図りかねているのだろう。
私としては、約束できるか分からない以上、断言はできない。ここで約束できればいいのだが、私はまだ貴族令嬢として未熟な身。直すつもりはあるけれど、暫くは不手際を見せるだろう。
出来ない約束はしないぞ! と黙って彼を見つめると、ルーファスは呆れたように両肩を竦めた。
「全く君という人は。とりあえず、確認を先にしようか。俺はこの下を見ればいいのかな?」
「えぇ、お願い」
ルーファスは床に膝を着き、座席の下を覗き込む。どうやらお目当ての物があったようだ。「的中だ」そんな彼の声が耳に届く。
――B列31番目の席。そこにあったのは、半透明の石が取り付けられた木箱だった。
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