第49話 望む未来を得るために(悪役令嬢side)


 「大丈夫かい? リジー。辛い思いをしただろう」

 「殿下……えぇ、大丈夫ですわ」


 私を心配そうに見る彼に、微笑み返す。我慢して微笑んでいるかのように、悲しそうな笑顔を顔に張り付けた。

 それを見る彼は、不安気に眉を下げる。私の頭へそっと手を伸ばし、優しく撫でてくれた。


 「あまり無理をしないで。愛する婚約者に元気がないのでは、僕は心配だよ。辛いときはそう言っていいんだ。僕は君の味方だからね」

 「殿下、ありがとうございます」

 「気にしないで。それより、また殿下になっているよ? リジー、僕のことは何て呼ぶんだったっけ?」


 心配そうな顔から一転、彼は少し意地悪そうな笑みを浮かべた。顔はぐっと近づき、私を覗き込んでいる。

 私が愛称で呼ばないことが不満なのだろう。この見目麗しい相手にそんなことを言われれば、さすがに照れてしまう。赤くなる頬に手を添えて、私は彼の名を呼んだ。


 「……ジェイミー」

 「うん、良い子だね」


 そう言って笑う彼の笑顔は、とても甘い。本当に私を愛しく思っているのだと、その笑顔が教えてくれる。二人並んでソファーに座っているが、近い距離に心臓の音が聞こえてしまわないかと心配になった。


 「ふふ、相変わらずリジーは可愛いね。愛称一つでそんなに照れてしまうなんて」

 「もう、からかわないでください、殿下」

 「ごめんね、君が可愛くて」


 彼の笑顔に、つい口を噤んでしまう。そんな風に言われては、文句も言えない。拗ねる私に、殿下は苦笑しながら頬を撫でた。


 「少しは元気が出たみたいで良かった。さっきまでの君は心配だったからね」

 「ジェイミー……心配かけてごめんなさい」

 「君が謝ることじゃない。僕の方こそごめんね。姉上を止めることができなくて」


 眉を下げてそう言う彼に、私は首を横に振った。彼は何も悪くない。悪いのは、邪魔をしてきたレティシアとソフィア、そしてストーリー通りに動こうとしないヒロインだ。


 ここは、悪役令嬢の逆転劇を描いた小説の世界。乙女ゲームの悪役令嬢に転生し、ヒロインを断罪する物語だ。

 それなのに、ストーリー上起きたはずのことが起こっていない。それが、ヒロインの入寮についてだ。


 ヒロインは本来、タンザナイト寮に入るはずだった。

 子爵令嬢に過ぎない彼女がタンザナイト寮に来る。いくら聖女とは言え、タンザナイト寮の生徒たちは不満げな様子を見せた。

 ゲームでは、馴染めない寮生活の中、気にかけてくれる攻略対象たちと仲良くなっていくという流れだった。一人ぼっちで懸命に学業に励む彼女に、攻略対象者たちは惹かれていくのだ。


 一方小説では、悪役令嬢が愛されており、転生者であるヒロインの性格に難があったことから、遠巻きにされていた。ヒロインに近づくのは、聖女という肩書に目がくらんだ者くらいだ。攻略対象者たちは見向きもしない。ヒロインはその状況に苛立ちを隠せずにいた。


 それが正しいストーリーだというのに、あのヒロインはスピネル寮に入寮した。これは予想外だった。ゲームでも小説でも、タンザナイト寮生だった。攻略対象者たちと仲を深めるために。


 やはり、彼女は小説の内容を知っているのではないか。そう考えればタンザナイト寮を避けた理由は分かる。

 小説のヒロインは、タンザナイト寮に入り性格の悪さが露呈したのだ。ブリジットへの接し方を、同じ寮生である攻略対象者たちは見ていた。その結果、ヒロインは彼らに警戒されるようになるのだ。

 タンザナイト寮に入らなければ避けられると思ったのだろうか。攻略対象者と仲を深める機会、それを遠ざけるほど重要なことかは疑問だが。


 また、スピネル寮への入寮は、ヒロインにとってもう一つ問題がある。それは、同じ寮でなければブリジットとの接点を作りづらい、ということだ。

 小説のヒロインは、ブリジットを陥れようと画策していた。自分がいじめられていると泣きつき、それがブリジットによるものだと匂わせる。馬鹿な周囲はそれに騙され、ヒロインを庇うようになった。

 結局は冤罪で、公爵令嬢に罪を着せようとしたヒロインが断罪されることになるのだが。余罪も含めて糾弾され、表舞台から姿を消すことになった。


 ブリジットである私を陥れるには、最低限の接点がなければ難しいだろう。同じ寮内だからこそ、ブリジットへ疑いの目を向けやすかったのだ。他の寮生である今、私へ冤罪をかけるのは難しい。

 ジェームズ殿下を攻略しようと思えば、真っ先に邪魔になるのが私だ。あの女にとって、是が非でも蹴落としたい相手だろうに。どうやって私を陥れようとするのだろうか。


 彼女がスピネル寮に入寮すると知り、一度は攻略対象者に興味がないのではと考えた。しかし、今となってはそれも疑わしいものだ。


 タンザナイト寮にこそ来なかったが、高位貴族との交流は盛んなようだ。それも、王女と公爵令嬢が相手。面の皮が厚いとはこのことだろうか。スピネル寮にいると決めたなら、大人しくすればいいものを。

 攻略対象者と何らかの関わりを持ちたくて、彼女たちと仲良くなったのではないか。王女はジェイミーの姉、ソフィアはイアンの妹だ。二人の攻略対象者と接点が作れる。


 それに、あの聖女はなぜか辺境伯家の男を従者にしていた。小説には出てこなかった男だが、辺境伯といういい家柄だ。もう一人平民の従者がいるようだが、こちらは大した問題ではない。子爵令嬢にはお似合いだろう。


 そもそもの話、小説でヒロインの従者は存在しなかった。学園には一人で来ていたはずだ。

 それなのに、なぜ従者がいるのか。それも、辺境伯という高位貴族の男が。ストーリーから大幅にずれていて、予測できないことばかり起こる。


 「リジー?」


 彼の声に、はっと意識を戻す。彼は心配そうにこちらを見つめていた。事実心配しているのだろう。先ほど彼の姉にキツイことを言われたばかりだから。


 「大丈夫です、ジェイミー。ただ、どうしたらレティシア殿下と仲良くなれるかと思って。今までお話する機会もなかったんですもの。

 それなのに、いきなり仲良くしてほしいなんて、我儘と思われても仕方ないですね」


 彼は「そんなことはない!」と言って、私の手を握った。大きな手は、私の手をすっぽりと覆い隠す。出会った頃は少年だったのに、今はすっかり男の人になったのだと感じた。


 「君は何も悪くないよ。婚約者の姉と仲良くなりたいというのは普通のことだろう。

 妹という呼び方については、姉上の言うことも一理ある。けれど、それならアクランド子爵令嬢への呼び方を変えてくれればいいだけなのに」


 不満げに言う彼に、内心で同意する。ヒロインを妹と呼ぶのは何なのか。やはりヒロインはジェイミーを狙っているのだろうか。次点でイアン?


 ジェイミーを狙うにあたり、外堀から埋めようとしたのかもしれない。ヒロインは王家からの印象も良いのだという。デビュタントでは、国王陛下と王妃殿下が彼女を褒めていたと話題になっていた。

 私という婚約者がいるから、まずは家族からアプローチをかけたのか。彼女は小説のヒロインより頭が回るようだから、それくらいはするのかもしれない。


 株式会社の設立といい、無駄に回る頭だ。うんざりとした気持ちで、内心ため息を吐いた。


 「それでも、レティシア殿下と親しいことは、彼女にとっていい事だと思いますわ。私たちがその仲を裂くわけにもまいりません」

 「リジー、君は本当に優しい女性だ」


 ふんわりと微笑む彼に、私も微笑みかける。内心では引き裂きたくてたまらないが、別に私はレティシアと仲良くなりたいわけではない。


 彼女はいずれ、王家を離れる身。結婚すれば、臣籍降嫁するのだ。いずれいなくなる相手ならば、それほど仲良くなる必要もない。最低限、嫌われない程度に振る舞えばいいだろう。


 それよりも問題なのは、ヒロインが国王陛下と王妃殿下に気に入られていることだ。そっちの方が腹立たしい。もしこれが彼女の作戦ならば、何としても阻止しなければならない。


 「けれど、一つ心配があるのです……」

 「心配? どんなことだい?」


 首を傾げる彼に、私は不安そうな顔を作る。左手で胸元を掴み、顔を少し俯けた。


 「レティシア殿下だけでなく、国王陛下や王妃殿下からも、アクランド子爵令嬢は目をかけられていると聞いています。聖女という素晴らしい才能に恵まれ、株式会社の設立という大きな功績もある。

 私などより、よっぽどジェイミーの役に立てる。そう思われてしまわないかと……」

 「っ、そんな! 君だっていつも努力しているじゃないか!」


 私の言葉に、彼は青褪めた顔で言葉を続ける。

 しかし、その姿は私にとって予想外でもあった。今までなら、彼は「僕が好きなのは君だけだよ」と言って優しく抱きしめてくれたのに。


 それが今はどうだ。そうする余裕がないのか、表情に焦りのようなものが浮かんでいる。俯き、何かを考え込んでいるようだ。彼は既に彼女が気になっているのだろうか。それとも何か、懸念事項があるのか。


 「ジェイミー……?」


 私が名を呼ぶと、彼ははっとしたように私を見つめた。そして難しい表情は取り払い、ぎこちない笑みを浮かべる。


 「心配することはないよ、リジー。僕が好きなのは君だけだ。だから何も心配しなくていい。君の頑張りを、誰より僕は知っているからね」


 そう言って私を優しく抱きしめる。その腕の中で、私は思考を巡らせた。


 何が彼を変えたのだろうか。やはり、ヒロインが気になるのか?

 しかし、ゲームであればともかく、ここは小説の世界。悪役令嬢がヒロインを断罪し、婚約者と結ばれるストーリーだ。ヒロインと彼が結ばれる余地はない。


 彼とは何年もの間、仲を深めている。彼が嫌がるようなことはしていないし、愛されるに足る行動をとってきたはずだ。


 小説に、このようなシーンはなかった。いつだって、ブリジットを真っ先に愛し、それ以外に目を向けないのがジェームズ殿下だ。少なくとも、ブリジットの前で顔を青褪めさせるような描写はなかった。完璧な王子様と謳われるキャラクターなのだから。


 これはやはり、ヒロインがストーリーを壊しているせいなのか。本当に、どこまでも忌々しい女だ。


 「ジェイミー、あなたをお慕いしています」


 きゅっと抱き着く腕に力をこめる。離れがたいというかのように、彼にもたれかかった。そんな私を、彼は優しく抱き留めてくれた。


 「僕も君を愛しているよ、リジー。大丈夫、君を手放したりはしないからね」


 そういう彼の声は、どこか緊張感を孕んでいた。

 ストーリー通りなら、私とジェイミーは結ばれる。だからこそ、この先はストーリー通りに進めなければ。


 ヒロインがストーリーに沿って動かないというのなら、こちらが手を尽くそう。避けられないように、必要なイベントを起こせばいい。

 ジェイミーの心は私にあるのだから、小説通り、彼はヒロインを疎んでくれるだろう。この世界は乙女ゲームそのものではなく、それを題材にした小説。悪役令嬢の逆転劇なのだ。ヒロインが愛される物語ではない。


 ゆっくりと瞼を閉じ、彼に身を任せる。

 考えるべきは、次の一手。ヒロインを小説通りに動かす方法。


 ――必ず、舞台から落として見せる


 私の幸せには、彼女の絶望が必要なのだ


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