第48話 彼女の思考
「ルークの母親の名は、ベアトリス・ド・
あなたがお爺様と呼ぶ、ランシアン前侯爵のご息女よ」
――ずっと孫娘というのに憧れていたんだ
そう言って嬉しそうに笑ったお爺様の笑顔を、今でも思い出せる。一体、どんな思いでそう告げたのか。
もしご息女、ベアトリス様がご存命であれば、血の繋がった孫娘を見ることができたかもしれない。
ベアトリス様と国王陛下は仲睦まじい間柄。生きてさえいれば、第二子にも恵まれただろう。陛下は王妃との間に子は設けないと宣言している。陛下の寵愛は全てベアトリス様のものだったはずだ。
いや、正確に言えば、陛下の愛は最初からベアトリス様のものだった。王妃が割って入ることさえしなければ、悲劇は生まれなかったのだから。
シアお姉さまたちが生まれたこと、それは素晴らしいことだ。だからこそ、思わずにはいられない。
――せめて、ベアトリス様を暗殺さえしなければ
お爺様は念願の孫娘を迎えることができたのに、と。
「……そうだったのですね。お爺様のご息女が、ルーク殿下の……」
きっと、父は全て知った上で、お爺様にお話をしたのだろう。
私とお爺様の関係は、私の魔術教師を選定することから始まっている。父が叔父を通して、お爺様に依頼したのだ。その甲斐あって、突出した才を持つ私に、お爺様が素晴らしい教師を選定してくれた。
今覚えば、お父様は最初から私が王家に狙われることを警戒していたのかもしれない。だからこそ、ランシアン前侯爵であるお爺様を頼った。
お爺様は王家と距離を置いている身。そのお爺様を頼るということは、アクランド子爵家も王家と距離を置きたいのだと思われても仕方がない。
そしてお爺様たちを繋いだ叔父。叔父だって、その危険性を十分理解していたはずだ。それでも、私やお父様のためにひと肌脱いでくれた。
王家に睨まれる、その危険を買ってでも、私を守ってくれたのだ。今になって、そんなことに気づくなんて。
「私は、本当に大切にされていたのですね……」
お爺様がベアトリス様のことを語らなかったのは、話したくなかったというのもあるだろう。
けれど、それだけではない。ベアトリス様のことを知れば、私がきづいてしまうからだ。父や叔父が犯した危険に。それにより、私が気に病むことを心配してくれていたのだろう。
いつだって、お爺様は私に親切にしてくれた。コードウェル公爵との初対面についても、それを聞くとわざわざ集まってくれた。忙しい身であるあの方が、そう簡単に遠出できるはずもない。何とか予定をつけてアクランド子爵領まで来てくれたことは分かっている。
「そうね。シャーリーのことを本当に大切に思ってくれているのだわ。素敵なお爺様ね、シャーリー」
シアが美しく微笑む。それに、鼻の奥がツン、とした。泣くわけにはいかないと、深く息を吸う。
ここはお茶会。親しい間柄とはいえ、無様は晒せない。
そして何より、お爺様も父たちも、私が泣くことを望まないだろう。気にすることはない、そういって温かく笑ってくれるはずだ。
それならば、私がすべきは泣くことではない。ただ前を向き、幸せに生きることだ。お爺様たちが守ってくれたことに感謝し、精一杯幸せになるのだ。
「ふふ、シャーリーが可愛がられているみたいで何よりだわ」
「ありがとうございます、シアお姉様」
「あら、いいのよ。妹の幸せを喜ぶのは当然だわ。
それにしても、コードウェル公爵令嬢については困ったものね。王家の歪さゆえに弊害を受けているのは確かだけれど……彼女がルークについて知らないのは本人の怠慢でもある。妃教育で知れなくとも、コードウェル公爵と普段から話をしていれば分かるでしょうに」
そう告げるシアの顔は困り顔だ。
たしかに、あの公爵なら、質問すれば答えてくれるだろう。一から十まで教えてくれることはなくとも、ヒントくらいはくれるはず。
また、王家の歪さは城に上がっていれば目にしたはずだ。仮に気づけなくとも、他の貴族たちと交流していれば知れたはず。私ですら耳にすることがあったのだから。気づくチャンスはいくらでもあった。
それでもなぜ、彼女が気付かなかったのか。表面上隠されているに過ぎないものを、なぜ疑いもせず信じられたのか。違和感に気づかず、調べる素振りすらなかったのはなぜなのか。
……一つだけ、思い当たるものがある。
「シャーリー? 何か気がかりでも?」
ソフィーの声に、はっと顔を上げる。二人は不思議そうにこちらを見つめていた。言うべきか否か、一瞬迷ったものの、すぐに口を開いた。
「あの、シアお姉様はご存知でしょうか。コードウェル公爵令嬢が、独自のお考えで私を疎んでらっしゃることを」
彼女のこの世界への認識、それを何と表現すればよいのか分からず、お茶を濁して問いかける。シアは理解できたようだ。すぐに頷いて口を開いた。
「えぇ、知っているわ。この世界がゲームとやらの世界で、あなたがヒロイン、とかいうものだったかしら?
眉唾物だと思っていたけれど、一概に馬鹿にもできないのよね」
あなたの聖女就任を誰より早く予言していたのでしょう? というシアに、私とソフィーが頷く。そう、その時点で彼女の言う話が、真実味を帯びたのだ。
私は知らないゲームだったが、彼女はこの世界について知っていた。とはいえ、私が彼女の言う言葉を素直に信じられたかというとそうではない。
この世界が元いた世界と違うのは分かる。けれど、この世界が彼女の言う乙女ゲームかどうかなんて、私に判断できるはずがない。
それでも彼女を信じたのは、彼女の話が正しいと思える箇所があったからだ。
誰も知らなかったタイミングで、私が聖女だと当てたことは大きい。私と彼女には、関わりが一切なかった。デビュタントで初めてお互いの顔を見たほどだ。
それなのに、彼女は会ったこともない相手が聖女になると言い当てたのだ。話の信憑性も増すというもの。
「はい、彼女の発言は一部正しい箇所があります。それも、かなり重要な部分で。
そう告げる私に、シアとソフィーの表情が変わる。お茶会という華々しい雰囲気も瞬時に消えた。今ここにあるのは、会議のような緊張感だけだ。
「と、言うと?」
シアの問いかけに無言で頷く。一度瞼を閉じ、思考を整理する。そして迷うことなく口を開いた。
「彼女の知るゲームの世界、そこに第二王子殿下は
しん、と室内に沈黙が落ちる。シアは扇で口元を隠し、じっとこちらを見つめている。ソフィーは視線をティーカップへ落としていた。両者ともに、何かを考え込んでいるようだ。特段否定は上がらず、無言で話を促してくる。
「本来であれば、いくら隠された身とはいえ、第二王子殿下の存在を知らないなどあり得ません。普通であれば王家の人間を把握しようとするでしょう。
ですが、彼女にその素振りはない。まるで、
そう、ずっと不思議だった。なぜ彼女はルーク殿下に触れようとしないのか。
それも今なら分かる。触れようとしないのではない、触れられないのだ。知らない人間を話題にすることはないだろう。最初から王子は第一王子だけと思っていれば、第二王子殿下を話題にもしないことは理解できる。
そして、そう考える理由が、ゲームに出てこないからであれば。彼女が見過ごすことも分かるのだ。
ゲームに出てくる内容こそが真実、そう考えていれば他に目を向けることはないだろう。自身の知識の優位性、それを誇っていればこそ、はまりやすい落とし穴と言える。
「彼女はこの世界がゲームの世界だと言いました。それも乙女ゲーム、ヒロインが恋をする物語だと。
つかぬ事を伺いますが、恋物語とは、どこでエンディングを迎えると思います?」
「普通は恋人になるまで、かしら。……あぁ、そういうことね」
問いに答えたシアは、私の言いたいことを理解したのだろう。納得したように頷いている。
聞くに徹していたソフィーも、既に思い当たることがあるようだ。ティーカップへと落とされた視線は上げられ、無言で私を見つめている。
「はい、おそらくご想像のとおりかと。
彼女の知るゲーム。それはあくまでも恋物語です。ヒロインが殿方と結ばれるまでを描いたもの。それ以降は、
続編のあるゲームというのならば話は別だ。
しかし、ヒロインを同じにして続編などは出さないだろう。せいぜいがヒロインの子どもを主役にする程度だ。そうでなければ、ヒロインは結ばれた人がいる身で新たな恋をすることになる。どう考えても批判を浴びそうな内容。そんなリスキーな作品を作るとは思えない。
「ヒロインが殿方と結ばれ、ハッピーエンドを迎える。あくまでも恋物語ですから、政治的な側面が省かれることもあるでしょう。
彼女のいうゲームとは、そういったものではないでしょうか。政治面を考慮に入れないのであれば、ジェームズ殿下が立太子するか否かは問題になりません。ルーク殿下の存在をわざわざ出す必要もないでしょう」
もちろん、世の中には政治面を考慮してキャラクターを作る作品も多いだろう。それも恋のスパイスになりそうだ。
しかし、そこを考慮しない作品もある。そもそもが作り話だ。全てにおいてリアルさを求める必要はない。
事実、こう考えればブリジット嬢の不可思議な思考も理解できるのだ。
「ゲームの知識を知っているがゆえに、自身の優位性を確信している。それならば、ゲーム知識にしか目がいかなくても仕方がありません。
ルーク殿下の存在をご存知でないこと、私を必要以上に警戒していること。彼女がゲームの知識こそ真実と考えているのであれば、十分起こり得る話です」
そう私が締めくくると、二人はため息を吐いた。反論の声が聞こえないあたり、おそらく彼女たちも納得できる話だったのだろう。不快感は残るものの、認めざるを得ないといったところか。
「なんとまあ……不愉快な話ではありますが、筋は通っていますね」
「えぇ、レティシア殿下。シャーリーの言うことが、コードウェル公爵令嬢の真実ではないかと思いますわ」
頭が痛い、というように眉を寄せる二人。無理もないと、私は苦笑を浮かべた。
この世界で生きる者から見れば、ゲームの世界こそが真実とされるのは不愉快極まりないだろう。
ゲームとは、いわば限られた部分を切り取った物語。現実は一部分のみを切り取ることなどできない。
現実世界には、ゲームに出てこない人もたくさんいるし、ゲームで描かれなかった歴史も存在する。それを思えば、ゲームこそ真実だと信じるブリジット嬢は、理解できない存在に見えるはずだ。
「ゲームの世界が真実、つまり、彼女の中ではゲームの世界に生きているような感覚なのでしょう。
実際は、よく似た別の世界というべきでしょうか。ゲームでは描かれなかったものが、この世界には存在するのですから」
そう言って、私はティーカップに口をつける。
ずっと違和感に思っていたことが、やっと解決したような気がする。全ては憶測でしかないが、かなりいい線をいっているのではないか。どこか穴だらけな彼女、それがゲーム知識しか頭にないと思えば、それも納得だ。
「はぁ……なんにせよ、頭の痛い話ね。ジェームズの婚姻に口出しする気はないけれど、放っといていいものか悩んでしまうわ」
「あら、レティシア殿下から忠告されるおつもりで?」
「まさか! 仲のいい間柄でもなし。私があの子の心配をする必要はないもの」
「ふふ、頑固な方ですし、聞き入れもしないでしょうからね。レティシア殿下の貴重なお時間を、無駄にするわけにはまいりませんわ」
くすくすと笑い合う二人は、どこか冷たい空気をまとっている。これが上流階級のやり取りか、と少し遠い目になってしまった。
そんな私を見た二人は、どこか楽しそうに笑みを深める。その姿が不穏さを孕んでいるようで、自然と身構えてしまう。
「シャーリーも、あの二人に絡まれるなんて災難ね。何かあったらすぐに言ってちょうだい? あんなのでも私の弟、最低限の躾はするわよ?」
「あらあら、レティシア殿下ってば。まるでジェームズ殿下が馬か何かのようですわ」
「嫌だわソフィア、馬はかなり賢くてよ? 私の愛馬はね、それはもう優秀なの」
暗に馬に失礼だとほのめかすシアに、ソフィーがくすくすと笑みをこぼす。
怖い、怖すぎる。容赦のない会話に、かつてのキャバ嬢時代を思い出した。キャスト同士での熾烈な争い。揚げ足をとってみたり、嫌味の応酬を重ねたり。
けれど、ここまで怖く感じたことはない。言葉遣いの違いだろうか。丁寧な口調で交わされる熾烈な会話は、何とも言えない恐怖がある。
社交の場に出れば、こんなことが当たり前になるのだろうか。上手く泳ぎ切って見せるという意気込みこそあるものの、これを見ると尻込みしたくなる。貴族女性、恐るべし。
「シャーリー、私のことも頼ってちょうだい。コードウェル公爵令嬢は、なぜか私のことが苦手みたいでね。きっとあなたの役に立てると思うわ。
小さい頃はあんなに分かりやすく指摘してきたというのに。今では眉を顰める程度に大人しくなってしまわれたの。妃教育の賜物かしらね?」
多分、あなたが怖いだけです。そう言いたいところをぐっとこらえる。
そもそも、ソフィーに嫌われる原因を作ったのは、他でもないブリジット嬢本人である。ソフィーのルーツを、ソフィー自身を貶めたのは、ブリジット嬢の無教養が発端だ。ソフィーが嫌うのも無理はない。
何ともまぁ、頼もしい味方ができたものだ。そう思いながらにっこりと笑みを浮かべる。
彼女たちと親しくありたいのは事実。それはそれとして、使えるものはなんでも使おう。前世の家訓、「使えるものは親でも使え」を忘れたことはないのだ。
「ありがとうございます、シアお姉様、ソフィー様。今後もどうか、仲良くしてくださいましね」
にっこりと微笑む私に、二人も同種類の笑みを浮かべる。きっとこの二人とは上手くやっていけるだろう。
ティーカップを傾ける。鼻に届くのは、ウバの芳醇な香り。メントール香の爽やかさが、心を軽くしてくれる。
まだ始まったばかりの学園生活、少しは明るいものになりそうだ。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
本日より新連載も開始しております。よろしければ作者名から見に行ってみてください。
今後ともよろしくお願いいたします。
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