第47話 日陰へ消えたあの人は


 「妹、ですか……?」


 静まり返った場に、ブリジット嬢の声が落ちる。愕然としたような表情を見るに、取り繕う余裕もないらしい。

 取り出した扇でシアが顔を隠す。慣れた仕草は、さすが王族といったところか。


 「そうよ。それくらい私にとっては可愛い子なの。

 久しぶりね、シャーリー。デビュタントでは話ができなくて残念だったわ」

 「お久しぶりです、シアお姉さま。私もお話しできず寂しく思っておりました。こうして学園でお会いできて嬉しいです」

 「まぁ、可愛らしいこと! あなたのような妹がいる私は幸せ者ね」


 ふんわりと微笑むシアに、私も笑みを返す。それを黙って見ていられなかったのは、意外なことに第一王子の方だった。


 「姉上! 妹とはどういうことです!? 私の婚約者はリジーですが!」

 「はぁ? ……だから何だというの?」

 「なっ!?」


 心底鬱陶しそうに言うシアに、第一王子が絶句する。当のブリジット嬢は心配げに彼を見上げていた。


 「私が誰を可愛がるか、そんなこと私の自由でしょう。才能溢れ、心優しいシャーリーを可愛がるのは当然のこと。どこか可笑しな点があって?」


 流し目で見据える彼女に、第一王子はたじろいだ。普段はあまり喧嘩をしないのだろうか。それとも、彼女の指摘が正しいと思ったのか。もごもごと口ごもる姿は、反論に慣れていないのかもしれない。


 「あの、レティシア殿下。なぜアクランド子爵令嬢と親しくなられたのですか?」

 「私があなたの問いかけに答える義理があるかしら?」


 おずおずと伺うブリジット嬢に、シアは鋭く切り捨てる。そんな彼女の姿に、ブリジット嬢は目に見えて慌てだした。

 おそらく、婚約者の姉が私と親しいことが許せないのだろう。ちらりとこちらへ向けられた視線には、はっきりとした敵意が宿っている。


 「まぁ、教えて差し上げても構いませんが。

 シャーリーはね、私が困っていたときに真っ先に助けてくれたのよ。損得もなくね。この子は私を見たことがなかったから、私を王女だとも知らなかったわ。

 それでも、ただの娘としか思っていなかった私を助けてくれた。そんな子を可愛く思うのは当然でしょう?」


 そう言って、シアは私に微笑みかける。

 あの時は、本当に何も知らなかった。ただ、少女が困っているのを見過ごせなかっただけだ。それがこうして活きているのだから、人生とは不思議なものだ。


 「大体ね、ジェームズ。あなたの婚約者がコードウェル公爵令嬢だからといって、それが何なのかしら。結婚をしたというならいざ知らず、今はまだ婚約の身でしょう。それなのに、私が彼女を妹と呼ぶのは可笑しくなくて?

 王族の婚姻は国の重要事項、家族を連想させる単語など、不用意に口にすべきでないわ」


 ぴしゃりと撥ねつける言葉は、厳しいものだ。

 彼女の言うとおり、第一王子はまだ婚約中の身。この先本当に婚姻が成立するかは定かでない。そんな中、下手な発言をすればのちに首を絞めることになりかねない。

 当人同士が親しくするのはともかくも、兄弟の婚約者には距離をとっても可笑しくない。正式に家族になってから仲を深めればよいのだ。王族だからこそ、民との距離感は気をつける必要がある。


 「ですが……! リジーがいるのに、他の者を妹と呼べば彼女は傷つくでしょう!」

 「それを支えるのはあなたの役目でしょう? それに、私が誰を何と呼ぼうと、あなたやコードウェル公爵令嬢に口を出す権利があるとでも?」


 鋭い視線が第一王子に突き刺さる。シアはしっかりとした性格の女性だ。芯があり、簡単に誰かに流されることはない。第一王子には分が悪いだろうな、と内心で呟いた。


 「あなたたち二人の婚約に、私は口を出す気はなくてよ? 婚姻まで進めたいというのなら、お好きになさい。あなたが誰と婚姻しようと、私の結婚相手が変わるわけではないのだから。弟の婚姻に、姉が口出すはずがないでしょう。


 もう、興が削がれたわ。シャーリー、それにソフィアも。よろしければお茶でもいかが? 入学したばかりでしょう? 私が知っている学園のことでも話しましょうか」

 「まぁ! 嬉しいですわ。シャーリーと一緒に是非参加させてくださいませ」

 「まだ学園について分からないことばかりです。お誘いいただけるなら喜んで」


 私とソフィーの返答に気を良くしたのか、シアは満足そうに微笑んだ。そこで私はすかさず提案をする。


 「もしよろしければ、スピネル寮のサロンはいかがでしょうか。普段お入りになる機会はございませんでしょう?

 当家の侍女も控えておりますので、精一杯おもてなしさせていただきます」

 「あら、本当? 入学してから一度もスピネル寮には入ったことがないの! 是非お邪魔したいわ」

 「私も気になっていたの! タンザナイト寮も行ったことのない場所が多いけれど、スピネル寮はもっと知らないもの。入れるのなら嬉しいわ!」


 きゃいきゃいと盛り上がる二人をよそに、私はルーファスへと視線を送る。一目で悟ったのだろう、彼はすぐにスピネル寮へと歩き出した。デイジーへ準備をさせるためだ。


 「ならば、俺も同行しよう。突然他寮の生徒が来れば、驚くものたちも多いだろう。生徒たちへの説明は俺から行うから、君たちはサロンへ向かいなさい」

 「ありがとうございます、トラヴィス先生」


 私がお礼を口にすると、トラヴィスはわずかに口角を上げた。スピネル寮の寮監はトラヴィスだ。彼に任せるのが確実だろう。


 「では、こちらへ。我が寮にご案内させていただきますわ」


 二人へ微笑みかけ、ゆっくりとその場を後にする。残された第一王子たちへ振り返りはしなかった。







 「あーもう! 本当にあり得ないわ! あの二人、どうかしているんじゃないの!?」


 不快感を一切隠すことなく、ソフィーが不満を口にする。シアは静かに首肯した。


 「本当ね。私は最初からいたわけではないけれど、かなり空気が悪くなっていたわ。どうせ、ジェームズとコードウェル公爵令嬢が馬鹿なことでも言ったのでしょう。あの二人の無神経さは、嫌というほど知っていますからね」


 ティーカップを傾ける彼女に、ソフィーが「全くです!」と同意する。私は二人と相対するのは今日が初めてだが、彼女たちは以前からの顔見知り。思うところもあるのだろう。


 「ジェームズはね、昔から自分より下の身分の者を見下す傾向があるのよ。分かってやっているならまだいいものを、自覚がないから面倒なのよね」

 「本当に。今日も子爵家やスピネル寮を見下す発言ばかり。周りにはスピネル寮の生徒が多くいたというのに……」


 頭が痛い、という風にため息を吐くソフィーに、私は困ったように微笑んだ。

 ソフィーと第一王子は親戚関係に当たる。それゆえ、思うところもあるのだろう。自身の親戚が可笑しな行動に出ていれば、苦言を呈したくもなる。


 「私は初めてお二人とお会いしましたが、とても仲睦まじいご様子ですね。このまま婚姻まで順当にいくのではと思えますが」


 私の言葉に、二人は頷く。やはり彼女たちの目から見ても、仲の良さは伝わるのだろう。

 そうなると、ブリジット嬢が私を敵視する理由が分からない。不安に思う気持ちはあるだろうが、そこまで気にするほどか。隣に立つ第一王子をよく見れば、その心配が無用だと分かるだろうに。


 「たしかに二人の仲はいいと思うわ。けれど、それで周囲が納得するかは別よ」

 「周囲、ですか?」


 首を傾げる私に、シアは頷く。理解していない私を諭すかのように、丁寧に話をしてくれた。


 「ジェームズには、他者を見下すところがあると言ったでしょう? だからか、貴族内での人気はあまりないのよ。それはお母様やケンドール辺境伯もご存知だわ。本人に自覚がないから、直すこともできなくてね。

 そうなると、今後あの子を盛り立てる相手が必要になるの」


 人気のない王子を支持する人はいないでしょう? と告げるシアに、なるほどと納得する。誰だって勝ち馬に乗りたいもの。

 ましてや、第一王子は陛下によく思われていない。それだけでも立太子が遠のくというのに、貴族への求心力もないのでは誰も支持しないだろう。


 「だからこそ、お母様やケンドール辺境伯は、あの子の瑕疵を治癒しようと考えた。本来瑕疵と考えられていたのは、王家の青を持たないことだけ。

 けれど、今は違うわ。あの子の性格そのものへの非難がある。だからこそ、そのイメージを払拭したいのだけど……」

 「その役目を担う婚約者が、あのコードウェル公爵令嬢。二人揃って似た者同士なせいで、それも望めないってわけ」


 シアの発言を受け継ぎ、ソフィーがまとめる。

 たしかに、性格面の瑕疵を埋めるには、ブリジット嬢では厳しいだろう。根本的に、考え方が同じなのだ。それでは埋まるものも埋まらない。


 「ですが、コードウェル公爵令嬢が私を警戒するのは、やはりピンときません。そもそも第一王子殿下には、王家の青を持たないという瑕疵がある。それを私が治癒できるわけではないのです。

 それならば、彼女が警戒すべきは、ソフィー様のように青を持つ方ではないのですか?」

 「たしかに、普通ならそう考えるでしょうけどね……」


 ソフィーがちらりとシアを見ると、シアは微笑んで頷いた。それを見て、改めて私の方へ向き直る。


 「そもそも、コードウェル公爵令嬢が自身に期待されていることを何も知らなかったら?」

 「え?」


 ぱちり、と目を瞬く。そんな私に追い打ちをかけるかのように、ソフィーは言葉を続けた。


 「それどころか、王家の青の重要性をそこまで理解していなかったら?」

 「え、え?」

 「第二王子殿下の存在を知らず、当然第一王子殿下が立太子すると思っていたら?」

 「いえ、さすがにそれは……!」

 「でも、それが真実なのよ、シャーリー」


 ソフィーのトドメの言葉に、私は閉口する。信じられないような情報ばかりで、考えがまとまらない。


 「シャーリー、あなたコードウェル公爵との会食で言っていたわね? 彼女が第二王子殿下について語らないのはなぜか、と。公爵は笑みを浮かべるだけでお答えにならなかったけれど、真実はすごくシンプルなの。


 コードウェル公爵令嬢は、第二王子殿下の存在を知らないのよ。だからこそ、第一王子殿下の即位を信じて疑わないの」


 その言葉は、どこか現実味のない話だった。ブリジット嬢は、既に妃教育を受けていると聞く。それであれば、王家の人間くらい把握していても可笑しくない。


 「コードウェル公爵令嬢は、妃教育を受けておられるのでしょう? 王族の方々を知らないなど、あり得るのですか?」


 いくら公の場に出ないとは言え、相手は王子だ。幼少の頃より王城へ上がっていたのなら、見かけることくらいあったのでは。それが無かったとしても、妃教育の中で真っ先に教えられるのではないだろうか。


 「普通なら、あり得ないわ。けれどね、シャーリー。我が王家は普通じゃないの」


 シアの声は、氷のように冷たい。感情の一切を排するようなその声は、彼女の複雑な胸の内を表すかのようだ。


 「王妃であるお母様は、第二王子であるルークを認めていないわ。あの人の前でルークの名を出すと、激昂するの。自然と、あの人の周囲はルークの存在をないものとした。そうしなければ、自分が八つ当たりの対象になるからよ」


 妾の子であるルーク殿下。おそらく、王妃としてはその存在自体が許せないものだっただろう。それに加えて、ルーク殿下は唯一王家の青を継いだ存在。目障りという言葉では済ますことができないのかもしれない。


 「だからこそ、私やジェームズにとってもルークの名前は禁忌になった。口にすることなんて、まず無かったわ。こうして呼んだのも久しぶりね」


 微かに微笑む彼女に、かける言葉は見つからない。

 異母弟、それは彼女にとってどんな存在だろうか。自分にはなかった王家の青を持つ弟。せめて母親が同じであれば、関わることもあっただろうに。


 「そして、ルークが王城に住むことはなかった。ルークまで暗殺されたらと、お父様は不安だったのでしょうね。離宮に信頼できる者で固めて育てたと聞いているわ」

 「ルーク殿下まで、ですか?」


 そう言えば、不自然に名前を聞かない人が一人いる。誰一人としてその名を明かさなかった存在。そして、今どこで何をしているのか、それも語られない人。


 「そうよ。ルークの母親はお母様に暗殺されたの。離宮まで暗殺者を放ってね。その事件があったからこそ、離宮の警備は頑丈になった。

 誰が出入りしているのか、その全てをお父様が管理しているとも聞いているわ」


 ルーク殿下のお母様、国王陛下の元婚約者だ。

 かつて聞いたことがある。私とコードウェル公爵との初対面から、そう日が経っていない頃。私は一体何者なのか、私の価値は何なのかを教えてもらったあの日。私は確かに、王家の内情を聞いていた。


 それなのに、ルーク殿下のお母様については、ほとんど知っていることがない。どこの誰だったのか、今どうしているのか。ルーク殿下が王子と認められた今、その母親はどんな立ち位置になったのか。聞いても可笑しくはなかったのに。


 「……不勉強で申し訳ございませんが、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 「えぇ、もちろんよ。何かしら?」


 首を傾げるシアに、私はゆっくりと口を開く。何故ここに今まで思い至らなかったのか、自分自身が分からない。

 けれど、この質問の答えをもらえれば、それも理解できるかもしれない。暗澹たる気持ちを抱え、私は口を開いた。


 「ルーク殿下のお母様、国王陛下の元婚約者様は、一体どなたなのですか?」


 私の問いに、シアとソフィーは驚いた顔をする。当然、知っているものと思ったのだろう。

 二人は顔を見合わせると、何故か納得したような顔で頷いた。まるで仕方がないことだ、とでも言うように。


 「そう……シャーリーは知らなかったの。でも、それも無理はないわ。語りたくないことでしょうし、シャーリーの耳に入れたくないという気持ちもあったはずよ」

 「そうね、彼はシャーリーを可愛がっているようだもの。シャーリーの誕生日パーティーにも顔を出していたし。

 ソフィアの言うとおり、語りたくないことでもあったでしょうね……」


 そう言うシアは、眉を寄せ小さく息を吐いた。ほう、と吐き出された吐息は、どこか切なさを帯びているように感じる。


 数拍の間が空いて、シアは私へ視線を向けた。その瞳はかすかに揺れている。彼女の言う、を慮ってのことか。それとも、自身の母親が起こした罪を思ってか。答えは分からないが、彼女にとって気分のいい話ではないことだけは確かだ。


 こくん、と喉を鳴らす。静まり返った部屋では、その音がやけに響いた。



 「ルークの母親の名は、ベアトリス・ド・


  あなたがお爺様と呼ぶ、ランシアン前侯爵のご息女よ」




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