第46話 世界の幕開け


 「あぁ、君が噂のアクランド子爵令嬢だね。デビュタントでは会えなかったから、こうして会えて嬉しいよ」


 ――私は少しも会いたくありませんでした


 そんなことを言えるはずもなく、引きつりそうになる口元を抑え、必死に笑みを作った。





 事の始まりは、授業初日。スピネル寮生のみに割り当てられた授業を終え、寮へ戻ろうとしていたときに遡る。


 「さすがシャーロット様! 素晴らしい魔術行使でしたね。私、感動してしまいました!」

 「ありがとう、メアリー。メアリーも凄かったわ。クラスの中でもすぐに成功させていたじゃない!」


 今日の授業は、午前は座学、午後は実技という組み合わせだった。魔術とは何か、という基礎知識から始まり、魔力のとり出し方までが範囲だ。

 いくら魔力があっても、体内から外へ取り出せなければ術の行使はできない。実技では、主にその取り出し方がメインだった。


 まずは取り出すことができれば良し。次に、決められた量のみ取り出せるよう調整していく。それを経て、初級魔術が放てるようになれば合格だ。


 ナタリア先生から教えを受けていた甲斐あり、今日の授業はスムーズにこなせた。これくらいはできなければ、ナタリア先生のスパルタ授業が悪化することになる。それだけは避けなければと、基礎とはいえ気は抜かなかった。


 初日でクリアできたのは、私とルーファス、メアリーの三人だけだった。他の面々は、魔力を取り出すことはできても、規定量に調整できない者が多かった。多すぎてコントロールが効かない者もいれば、必要量に達しない者もいる。

 この辺りは練習あるのみ。コツさえ掴めばできるようになるため、次のステップに進むのはそう遠くないだろう。


 「ルーファス様も、さすがでしたね。淀みない魔術行使でした。やはり、聖女の従者になれる方は優秀なのですね」

 「そう言っていただけるとありがたいです。シャーロット様を支えられるよう、日々研鑽に努めております。

 メアリー様も素晴らしい実力の持ち主かと。こうして共に授業が受けられ光栄です」

 「まぁ! ありがたいお言葉ですわ」


 嬉しそうに笑うメアリーに、私は遠い目をした。今日も元気に猫被ってるなぁ、と思ったのだ。

 昨日話をしたとおり、案外ルーファスは周囲に溶け込めていた。平民出身として目立ってはいるものの、今日一日特段問題などはなかった。上手く猫を被っているためか、平民らしからぬ落ち着きが高評価なようだ。


 メアリーも同じ考えのようで、ルーファスを好意的に受け止めている。彼女はずっと、私の従者がどんな人間か気になっていたらしい。オーウェンならば身元もはっきりしているが、平民のルーファスにそれはない。友人の従者が身元不明と言うのは気がかりだったそうだ。


 それも今では無事に解決し、安心して私たちを眺めている。彼女の不安を払えたのならいいことだが、私としてはどこか釈然としない。それもこれも、この男の猫被りゆえだろう。


 「そういえば、ルーファス様はシャーロット様に敬語を使われておりませんよね? たしかシャーロット様が了承なさったのでしょう?」

 「えぇ、ありがたくも普段通りに接してほしいとお言葉をいただきました」

 「ならば私にも敬語は不要です。シャーロット様に普通に話されるのに、私に敬語を使われるのは落ち着かないわ。どうぞ普段通りにお話しください」

 「ちょ、メアリー……!」


 彼女の言葉に、ぎょっと目を丸くする。今のところ美しい猫を被っているが、それが剥げればとんでもない男だ。さすがに生粋の貴族令嬢には刺激が強すぎる。慌てて止めようとするも、ルーファスの態度に黙り込んでしまった。


 「いいのですか? では、お言葉に甘えて。

 優しい君に感謝を、メアリー嬢。これからもどうぞよろしく。どうか良き学友として仲良くしてもらえると嬉しいな」

 「もちろん。シャーロット様のお側にいる者同士、仲良くしてくださいませ」


 懸念は不要だった。ルーファスの表情はきらきらと輝いており、話し方こそ砕けたものの、美しい笑顔を保っている。あの皮肉めいた笑い方も、気を抜いたがゆえの真顔も存在しない。外見に合う美しい立ち居振る舞いだ。

 私のときとは大きな違いだな、と思いながらも口を閉ざす。メアリーに失礼がないならいいだろうと、一人頷いていた。


 そのまま和やかに会話を続け、寮へと歩いていく。周囲にはクラスメイトたちがちらほらといた。示し合わせて帰っているわけではないが、皆方向は同じ。会話こそしていないものの、一団のようになっていた。


 その様は、おそらく目を惹いたことだろう。そのせいもあって、冒頭のように絡まれることになったのだが。





 こぼれそうになるため息をこらえ、ぐっと口元に笑みを浮かべる。できる限り美しい笑みを浮かべて、声をかけてきた相手に一礼した。

 

 「第一王子殿下、並びにコードウェル公爵令嬢にご挨拶申し上げます」


 見くびられぬよう指先まで意識し、カーテシーを見せる。内心では面倒なことになったと、毒を吐いた。

 隣にいるルーファスとメアリーも、黙したまま礼をする。上位の者から声を掛けられない限り、話しかけることができないのがルール。不躾に口を開くことはなかった。


 ここは学園、表向きは皆平等と謳われているが、現実はそうではない。どこで無駄に睨まれるか分からない以上、礼を尽くすのが最善だ。貴族とは面倒くさいものであるが、これも致し方ないこと。我が身を守るために礼があるとも言える。


 周囲の者たちの視線がこちらへ向けられる。スピネル寮の者は、第一王子に礼をしながらこちらへ意識を向けていた。

 また、タンザナイト寮の生徒たちもこの状況に気づいたようだ。通りがかる生徒たちは足を止めてこちらを見ている。中には、わざわざ状況を見るために寮から出てくる者までいた。野次馬根性というのは、貴族も平民も変わらないようだ。


 「あぁ、そう固くならなくていいよ。君に声をかけたのは僕だからね。頭を上げてくれ」

 「お気遣いいただきありがとうございます」


 第一王子の言葉に、余計なことをと思いながらも顔を上げる。下を向いていれば、多少の表情は誤魔化せたというのに。あちらに顔を上げるように言われればそれもできない。


 「そういえば、デビュタントでは顔を見ることができなかったね。早くに退出していたのかい?」

 「アクランド子爵令嬢はお茶会なども出られませんでしょう? 初めての社交の場で気苦労が多かったのではありませんか?」

 「はい。コードウェル公爵令嬢のおっしゃる通り、私は未だ社交の場は不慣れですので。未熟な私にお誘いくださった方がおりまして、テラスで話をさせていただきました」


 その後あなたの父親に呼び出されたがな、とは言えず顔に笑みを浮かべた。ブリジット嬢と私の会話に、第一王子は納得したように頷いた。


 「なるほど。たしかに子爵家ではね。それなら相当気疲れしたことだろう。大変だったね」

 「お優しいお言葉、感謝申し上げます」


 私の心に浮かぶのは感謝ではない。焦りだ。

 この二人は、一体何を言っているのだろうか。子爵家だとお茶会に行けない? そんなわけはないだろう。高位貴族の茶会はともかく、前後の家格の家から招待状が届くことは当然ある。


 私が社交の場に出なかったのは、父の方針と私が忙しすぎたからだ。教会での勉強に、会社の運営。お茶会に出る時間を捻出することなどできなかった。ましてや、子爵領と教会を行き来していたのでなおさらだ。招待状にはその旨添えて、丁寧に謝罪をしている。

 

 二人の発言は、子爵家や男爵家への侮辱だ。この学園に限って言えば、スピネル寮生への侮辱と言って良い。王族として、高位貴族として、あまりに迂闊な発言。正直、怒りよりも焦りの方が強い。この発言は、子から親へと伝わるだろう。それを聞いた男爵・子爵が何を思うか。火を見るより明らかだ。


 「……こんなところで何をしているのかと思えば、めずらしい組み合わせですわね?」


 混乱極まる思考に、聞こえてきたのは聞き覚えのある少女の声だ。

 二人の後ろ側には、呆れた表情を隠しもせず立つソフィーがいた。


 「ソフィア、君か」

 「ご機嫌麗しゅう、ジェームズ殿下。まさか彼女とお話しているとは思いませんでしたわ。

 久しぶりね、シャーリー。初授業はどうだったかしら?」

 「ソフィー様、お会いできて嬉しく思います。授業の方は、つつがなく」


 軽く礼をするも、ソフィーはあっさりと手を振りそれを制す。穏やかな笑みを浮かべると、第一王子たちの方を見ることもなく私へ話しかけた。


 「それは何より。あなたは努力家だとお父様から聞いているわ。幼少の頃から魔術の勉強をしていたとね。

 それも、随分厳しい家庭教師に師事していたのでしょう?」

 「ふふ、たしかにとても厳しい方ではございますが、それ以上に優秀なお方です。彼女の出身国の中でも、優れた魔術師なのだとお聞きしております」

 「素晴らしいこと! あなたの教師はエクセツィオーレ出身でしたね? あなたがエクセツィオーレへの理解が深いのは、それが理由でもあるのかしら」


 にこにこと言うソフィーに、内心で冷や汗を浮かべる。

 彼女にとって、ブリジット嬢は自身を侮辱した愚か者。ウィルソン公爵家を知ろうともせず、エクセツィオーレの文化を貶した相手である。そんなブリジット嬢の前で私をほめそやすのは、彼女の怒りの表れでもある。そもそもの原因がブリジット嬢の無教養にあるとはいえ、こちらとしては少々胃の痛い話だった。


 「なるほど、君は幼い頃から勉学に励んでいたんだね。それは素晴らしいことだ。

 けれど、それならばなぜタンザナイト寮に来なかったんだい? 君が聖女になることは、今や公然の秘密だろう。スピネル寮などに行く必要もなかっただろうに」


 首を傾げてそう問う第一王子に、私は一瞬固まってしまった。本当に、何を言っているんだこの男は。


 「殿下、彼女は子爵家のご令嬢です。交流のない者ばかりが集うタンザナイト寮では、心細かったのではありませんか?」


 続けてそう告げるブリジット嬢に、またもや唖然とする。この二人の思考回路が分からない。何を考え、何を思うか。それは本人の自由だが、このような公の場所でする発言とは思えなかった。


 「……コードウェル公爵令嬢は、随分お疲れのようですね? お部屋にお戻りになられた方がよろしいのでは?」


 感情を一切排した声が、その場に落ちる。ソフィーの声だ。流れるように扇を取り出し、口元にあてる。

 彼女の言葉を聞いたブリジット嬢は、困惑したように彼女を見つめた。


 「疲れ、ですか? いいえ、ソフィア嬢、私は疲れてなどおりませんわ」

 「そうかしら? 私と彼女の親しさにも気づけぬほどお疲れに見えますが? 彼女は私が認めた友人です。互いを愛称で呼ぶ程度には親しいと、自負しております。


 ……先ほど何とおっしゃりました? 彼女にとって、タンザナイト寮は交流のない者ばかり、でしたっけ?」


 ソフィーの言葉に、さすがに自身の不利を悟ったようだ。ぐっと唇を噛み締めて俯く。そんな彼女の肩を、第一王子は優しく抱き寄せた。


 「ソフィア、それくらいにしてあげてほしい。君の友人に対する失言は、僕が詫びよう。リジーは慣れない学園生活に疲れているようだから」

 「……謝罪が必要なのは、コードウェル公爵令嬢だけではないと思いますがね」


 冷めた声で殿下を糾弾するソフィーに、私はそっと声をかけた。ここは穏便に済ませようと告げると、彼女は仕方なさそうに息を吐く。


 「彼女の心の広さに感謝いただきたいものですわ。彼女自身が許すというのであれば、私がこれ以上申し上げることはございません。


 ……命拾いしましたね、コードウェル公爵令嬢」


 「……え?」


 ソフィーの言葉に、ブリジット嬢が顔を上げる。その表情は弱弱しそうな顔をしているが、目の力は強い。目は口程に物を言う、とはこのことか。

 表情こそ取り繕っているものの、彼女の瞳は雄弁にソフィーへの苛立ちを告げていた。


 そんなブリジット嬢を意に介すこともなく、ソフィーはにっこりと微笑む。口元の扇はそのままに、完璧な笑みを浮かべていた。


 「この学園一高貴な女性、その方のお気に入りがシャーリーです。このような無礼が耳に入れば、どのように思われるか……私が言わずともお分かりでしょう?」


 その言葉に、ブリジット嬢は目を見開いた。彼女の肩を抱き寄せる第一王子も同様だ。唖然とする二人に追い打ちをかけるように、軽やかな声が響き渡る。


 「――あら、随分と楽しそうなことをしているわね?」


 鈴を転がすかのようなその声は、張り詰めた空気によく響いた。振り返った先には、かつて見た主従が並び立っている。


 これ以上の驚き展開は勘弁してくれと、心の中で天を仰ぐ。私が一体何をしたというのか。極力あちらを刺激しないよう、寮を別にした。こちらからは近づくことすらしなかった。それなのに。

 相手からもたらされた授業初日のエンカウント、その理不尽さに涙が出そうだ。


 「私の可愛い妹に、何か御用かしら? ねぇ、コードウェル公爵令嬢」


 ――乙女ゲームって、こんなにシリアスな始まりなんですか?


 誰にも届くことのない問いかけは、腹の奥へと沈んでいった。


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