第二章 そして舞台の幕が開く

第45話 開幕前夜


 「さて、君はめでたくスピネルへ組み分けられたわけだが……」


 ここは学生寮の一角。寮の中でも奥の方に設置されているサロンだ。中は貴賓室かのように、美しい家具が置かれている。

 全体を赤で統一した部屋は、重厚感のある雰囲気だ。目が覚めるような明るい赤だとこうはいかないだろう。深紅や臙脂色でまとめられた部屋は、落ち着いた印象を見せている。


 「無事スピネル寮になって感無量よ。このために奔走したのだもの」


 現在このサロンには、私とルーファス、デイジー、オーウェンがいる。オーウェンは違う寮の生徒だが、私の従者ということもありこちらへの出入りを認められている。

 

 この魔術学園には、二つの寮がある。一つは私の所属するスピネル寮だ。イメージカラーは赤。主に下級貴族が組み分けられる。

 もう一つの寮がタンザナイト寮。こちらのイメージカラーは青。上級貴族が組み分けられる寮だ。


 なぜこのような組み分けがあるのかというと、単純にカリキュラムが異なるからだ。

 上級貴族の生徒たちは、既に家庭教師に師事している者が多い。基本魔術については、学習を終えているため省くようだ。

 それに対して下級貴族の場合、満足に家庭教師を雇えないことが多い。授業内で初歩的な部分を扱わざるを得ず、クラスを分けた方がスムーズに事が運ぶのだ。


 最終的には、どちらの寮も同じレベルの授業を受けることになる。魔術技能の習得、それがこの学園の目的であるため、ゴールに違いはない。

 しかし、スタートのレベルが違う以上、それを埋める必要がある。必然的に、スピネル寮の授業数はタンザナイト寮に比べて多くなるのだ。


 そして私が組み分けられたのはスピネル寮。本来であれば、タンザナイト寮に組み分けられてもおかしくはなかった。というのも、私が聖女であることが挙げられる。


 純粋な家柄であればスピネル寮の所属だ。

 しかし、聖女と言う国でただ一人の立場。その上、既に魔術も祈信術も行使可能である。それを考えれば、タンザナイト寮への所属を求められる可能性が高かった。


 私がブリジット嬢対策で打った布石とは、まさにこれだった。ブリジット嬢や第一王子殿下と距離を取る。そのためには、何が何でも寮を別にしてもらう必要があった。

 そこで取った行動が、聖女のお披露目を延期することである。


 「君は本当にあれこれと働きかけていたね。一番大変そうだったのは、大神官たちの説得かな?」

 「本当にね……何より、落ち着いてもらうことに苦労したわ」


 本来、お披露目はデビュタントが終わり次第行う予定だった。成人した身であれば、人前に出ても問題ないだろうと考えていたのだ。


 だが、ここに来てブリジット嬢の問題が浮上した。彼女の御父上に言わせれば、私は命まで狙われる身である。


 それをオブラートに包んで大神官に伝えると、彼は激昂した。それも仕方あるまい。数百年に一人の聖女が、悪意をもって狙われているのだ。教会として黙っていられるはずもない。当然他の神官や騎士たちも怒りに燃えていたわけで、必死に彼らを落ち着かせる羽目になった。

 現時点では被害が何もないこと、他でもないコードウェル公爵自身がこちらへ忠告してくれたこと、それらを懇切丁寧に伝え何とか落ち着いてもらったのだ。


 その上で、聖女のお披露目を延期してほしいと願い出た。お披露目がされれば、私の身分は正式な聖女。間違いなくタンザナイト寮の所属になる。後から寮が変更になることはないため、入学時にスピネル寮に所属されればこちらのものだ。

 それらを踏まえ、無事スピネル寮に配属されたのち、お披露目をしてほしいと伝えたのである。


 身の安全には代えられぬと、教会側は納得してくれた。私は既に教会の所属であるため、いずれ聖女になるのは確定している。日付の変更くらいはかまわないとのことだった。そうしなければならない理由には、酷く立腹していたが。


 「あの大神官があそこまで激昂するのは初めて見たな。教会の面々も酷く腹を立てていたね」

 「それも仕方ないだろう。聖女様の身が脅かされているのだ。教会としては許しがたい話だ」


 どこか面白がるように言うルーファスに、オーウェンが同意する。

 ちなみに、ルーファスが本性を隠さなくなった際、一番慌てていたのはオーウェンだった。私への話し方を見て、敬語はどうした! と青い顔で叱責していた。そんな彼に、少し笑ってしまったのはここだけの秘密である。


 「怒っているのは教会だけではありません。アクランド子爵家はもちろんのこと、ペイリン伯爵家やご縁のある貴族家の方々もお怒りになっています。

 ……お嬢様を狙うなどという不届きを、許すわけにはまいりません」


 低い声で怒りを露わにするのはデイジーだ。コードウェル公爵との会話を伝えた際、彼女の怒り様は凄まじいものだった。

 教会の面々のように分かりやすく怒るのならばよかったが、彼女は何も口を開かなかった。いつの間にか握っていた投げナイフに気づかなければ、恐ろしい暗殺事件が起きていたかもしれない。


 「デイジー、私のために怒ってくれてありがとう。こうして学園にも共に来てくれたこと、感謝しているわ」

 「そんな! 勿体ないお言葉です、お嬢様。私を連れてくださったこと、感謝しております。必ずお嬢様を守って御覧に入れますので!」


 お任せください! と輝かしい笑顔を浮かべる彼女に、内心冷や汗をかく。

 知っているのだ。彼女が夜な夜な投げナイフを磨いていることを。どうか日の目を見ませんようにと願うしかなかった。


 「一先ず、寮の問題は片付いた。これで物理的にもコードウェル公爵令嬢や第一王子殿下とは距離を取れる。ここから先は、相手がどう出るか次第だな」


 クッキーに手を伸ばしながら告げるルーファスに、私は静かに頷いた。こちらが現時点でできるのはこの程度。後は向こうの出方を見るしかない。


 「そうね。今こちらからできることはないもの。下手にあちらを刺激せず、関わらないようするくらいね。

 これから気にすべきは、この寮での生活かしら。上手く馴染めるといいのだけど……」


 さくり、とクッキーを頬張る。今日のクッキーはアイスボックスクッキーだ。市松模様が可愛らしい。綺麗に焼き上げられたクッキーは美味しく、バターとほんのり香るココアの風味が口いっぱいに広まった。

 それにほっこりと口元を緩めていると、頬杖をついたルーファスが口を開く。


 「……まぁ、大丈夫だと思うよ。君ならね」


 どこか呆れたような顔をしている彼に、むっと眉を寄せる。こちらとしては、学生生活を左右する大きな問題だというのに、この男にはそれが分かっていないのだろうか。

 

 「そうやって余裕ぶっているけれど、あなたにとっても大切なことよ? 学生生活を有意義に過ごせるかどうかは、人間関係がものを言うのだから。

 下手に絡まれても面倒だけれど、嫌われでもしたら居心地悪くて仕方ないじゃない。いじめになんてあったら、最悪だわ」

 「君をいじめる勇気のある者は、少なくともこの寮にはいないと思うけどね。そもそも君、この寮でのヒエラルキーはトップだろう」


 その言葉はもっともだ。下級貴族が集まる寮。子爵家はその中でも上の位になる。子爵家の中でも裕福な家柄が、我がアクランド子爵家だ。

 プラスして、私は聖女という立ち位置。寮内のヒエラルキーについては、ルーファスの言う通りだ。


 だからと言って、寮の人間と仲良くやっていけるかは話が別だ。煙たがられる可能性もある。いじめられなかったとしても、仲良くできないのは苦しいところだ。人生のうち、学生でいられる期間は短いもの。楽しみたいと思うのも当然だろう。


 「地位がある、ということと仲良くなれるかは別物よ。せっかく学生になったのだから、長く付き合える友が欲しいわ。メアリーもいるけれど、どうせならお友達を増やしたいもの」

 「ふーん、そういうものか」


 興味なさそうに返事を返すルーファスに、こいつ大丈夫かと心配になってしまう。

 ただでさえ少ない平民の出。裕福な商家以外だと、彼くらいのものだろう。ここまで無関心だと心配になるというものだ。


 「共有部では一緒にいられるけれど、男子寮では一人なのよ? それで大丈夫なの? 友達作れる?」

 「君は一体何の心配をしているんだ……」

 「大丈夫ですよ、聖女様。ご存知の通り、いい性格をしていますから。猫の10匹くらい被っておけば誤魔化せるでしょう」

 「お前も何を言っているんだ?」


 ぴきり、と米神に力が入っている。それでも顔には美しい笑顔を張り付けているのだから驚きだ。これが面の皮が厚いということか、一人感心していると「聞こえているよ?」とにこやかな笑みで言われた。どうやら口に出していたらしい。


 「全く……、俺のことなら心配いらないよ。同室のやつも平民出身でね。気を遣う必要もないし、楽なくらいだ」

 「裕福な商家の出かしら?」

 「あぁ。東方との貿易を主に行っている、ローナイト商会の出だ。どうやら三男らしい。珍しく出た魔力持ちだからと、この学園に送り込まれたそうだ」


 その言葉に、ふむ、と顎に手を添える。この世界に生まれてからずっと、考え続けたことがある。その商会とやり取りをすれば、話を進めることができるだろうか。


 「どうかしたかい?」

 「えぇ、少し気になることがあってね。と言っても問題とかではないわ。急ぎでもないし」


 一先ず学校に慣れてから考えるかと、私は紅茶を流し込んだ。







 「無駄に豪華ね」

 「第一声がそれとは、貴族令嬢にあるまじきだな」


 大広間に入り、寮ごとに分けられた席へつく。

 これから始まるのは夕食だ。明日から新学期が開始されることもあり、一種の式典代わりとなっている。


 日本であれば大々的に入学式が執り行われるが、この学園には存在しない。最低限のガイダンスを夕食時に行うようだ。ホールにはテーブルが並べられており、そこに生徒たちは着席した。

 ホール奥には舞台があり、舞台上に先生方の席が設けられている。中央の席には学園長が腰かけており、穏やかな瞳でホールを見渡していた。


 「学生の食事よ? ここまで豪華な家具やカトラリーとか必要ある? 貴族の子どもがほとんどだから、仕方ないのかもしれないけれど」

 「まぁ、勉強するための施設と考えればいらないが。けれど安価なものを置けば貴族たちは黙っていないだろう。十分な寄付も受けているはずだしな」

 「お金って、あるところにはあるものよね」

 「……君が言うのか? それを」


 起業していて何を、というルーファスに、たしかにと頷いた。金稼ぎばっちりしていたわ。

 けれど、使うべき場所以外に使おうとは思わない。根が貧乏人ゆえ、貧乏性は治らないのだ。


 「ふふ、お二人は仲がよろしいのですね」


 そう言って笑いかけるのはメアリーだ。私とルーファスの向かい側に腰掛けている。穏やかに微笑む姿は雪のように美しい。白銀の髪がシャンデリアに照らされて、きらきらと輝いていた。


 「メアリー、改めてこれからもよろしく。同じ寮になれて嬉しいわ」

 「こちらこそ! 私、シャーロット様はタンザナイト寮に行かれるのかと思っておりましたから。ご一緒出来て嬉しいです」


 白磁の肌に、ほんのりと朱がさす。雪の妖精のようだった彼女は、すっかり大人びて美しい女性になった。たまに見せる笑顔には、ほんの少しの幼さが垣間見える。そのアンバランスさも、彼女の魅力だ。

 


 静粛に! その声がホール内へと響く。近くの席の子どもたち同士で交わされた会話は、ピタリと消えた。

 教員席を見ると、学園長が立ち上がり手を挙げている。全員の視線がそちらに向いた頃、彼は静かに手を下ろした。


 「皆の者、よく集まってくれた。そして新入諸君、入学おめでとう。君たちの学生生活が実り豊かなものになることを願っている」


 厳格そうな言葉とともに、浮かぶのは穏やかな笑み。厳しさと愛情を持ち合わせた方なのだろうか。生徒たちを見る目はとても温かい。


 「今年のカリキュラムについては、各自既に配られていることと思う。注意事項も各寮監から説明させてもらおう。私からは、新しい教員のみ紹介させていただく」


 その言葉と共に、舞台袖から一人の男が歩いてきた。その男は真っ直ぐ学園長の隣まで歩いていくと、生徒たちへ向き直る。


 「……噓でしょう……」


 見覚えのある姿に、目を丸めてしまう。どうやらこの主従とは、思いもよらない場所で再会するらしい。


 緑色の髪を一本にまとめ、高い位置でくくる。長さが短いためか、どこかカジュアルな印象を受ける髪型だ。服装こそしっかりしているものの、髪型か、それとも彼が持つ雰囲気ゆえか。真面目な教員からはかけ離れた姿だった。

 同色の瞳には、好奇心のようなものが浮かんでいる。視線が絡まると、その輝きが一層増したように感じた。


 「紹介しよう。スピネル寮の寮監及び、一年生の担当となられるトラヴィス先生だ。

 若いながらも素晴らしい魔術の使い手である。特にスピネル寮の新入生たちは、よく彼から学ぶように」


 学園長の言葉に合わせ、彼――トラヴィスが一礼をする。見目麗しい男の姿に、ホールにいた女性陣が静かに沸いていた。


 私はその空気に合わせることもできず、ただ唖然と男を見つめていた。

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