第44話 春風に背を押され


 「ねぇ、子どもの頃の夢ってなんだった?」


 廊下の外からパタパタと駆け回る音が聞こえる。荷物の運び出しをしているためか、部屋の外はちょっとした喧騒が起きている。

 一方、室内はとても静かだ。音が鳴るのは食器の音と、時折交わされる人の声だけ。

 私は今、そんな静かな部屋でルーファスとお茶に興じていた。


 「突然どうしたんだい? 何か気にかかることでも?」


 ティーカップから口を離し、ルーファスがこちらへ視線を向ける。その目は不思議そうにこちらを見つめていた。


 「昔のことを思い出してね。私の夢とか理想ってなんだったのかな、って。魔術学園の入学を控えているから、少し感傷的になっているのかも」

 「なるほどね……」


 そう、私は来週には魔術学園へと入学する。日本と同じく、4月から新学期がスタートするのだ。元の世界が乙女ゲームだからかもしれない。日本で作られたゲームゆえ、馴染み深い三学期制が組み込まれているようだ。


 魔術学園入学のため、現在荷物の運び出しが行われている。入学するのは、私とルーファス、そしてオーウェンだ。デイジーは侍女として同行する。

 ルーファスは平民ゆえ、入学はしないだろうと思っていた。だが、そこは聖女の従者。知識も必要とのことで、学園に通うことに決めたらしい。学費の問題は、特待生試験の突破で解決した。つくづく頭のいい男だと実感する。


 初めて会ったときから数年が経ち、私たちは15歳になった。いつの間にか子どもらしさは抜けていき、彼は少し大人びた容貌をしている。

 私もいくらか成長したとはいえ、持ち前の童顔が邪魔をしている。愛らしい、という誉め言葉はありがたいものの、もう少し大人っぽくなりたいものだ。


 「夢ねぇ……俺としては平穏に生きていければ、それでいい気もするが」


 それが夢かと言われると悩んでしまうな。そう呟くルーファスに、くすりと笑みを浮かべた。


 「なんだか老成したように見えるわね?」

 「年寄り染みたことを言っている自覚はあるよ」


 肩を竦め、ティーカップに口をつける。そんな仕草が似合う彼は、とても美しい男だった。ミルクティーブラウンの髪は、さらりと美しく保たれている。焦げ茶の瞳は理知的な輝きを秘めており、銀縁の眼鏡がそれを引き立たせる。特待生と言われると納得の外見だ。

 この男は性格こそ難があるが、見た目だけは特級品である。


 「それで? 君の夢はなんだったんだい?」


 ちらりとこちらに投げかける視線は、どこか期待したような色がある。おそらく、私の返答次第ではからかう気なのだろう。そういうところだぞ、とため息を吐いて口を開いた。


 「覚えてないわ」

 「覚えていない?」


 虚を突かれたかのように、彼は瞳を丸くする。こんな話を振ったくらいだから、何かしらの回答があると思っていたのかもしれない。だが、夢と言えるような何かがあったわけでもなし。答えられるものがないのだ。


 「おそらく、何かしらは会ったと思う。憧れたものとかね。けれど、日々忙しく生きていれば、そんなこと記憶の彼方よ。今となっては、何を夢見ていたのかも忘れてしまったわ」

 「ふーん? まぁ、君は忙しい生活を送っていたからね。起業して聖女になって、貴族令嬢として歩き出した。そんな日々を送っていれば、目の前のことで手一杯にもなるか」


 ルーファスの言葉に、私は今までの日々を思い出す。本当に、色んなことがあった。15年という短い時間とは思えないほど、濃い生活を送っていたと思う。その最後に、とんでもない爆弾が待っていたわけだが。


 乙女ゲーム。この言葉は、私の将来設計に大きな影を落とした。そんな世界を想定していなかったのだから当然だ。RPGと信じて準備を行ってきた私にすれば、とんだ肩透かしである。

 聖女として生きる以上、戦闘技術が必要なことに変わりはない。無意味なことなど何もなかったけれど、それでも複雑な気持ちはある。


 乙女ゲームに明るくはないが、これから通う学園が舞台なのだろう。学園物の乙女ゲームは数多くあった。これからの数年間が、勝負の年になるはずだ。


 別に誰かを攻略したいなどとは思っていない。人生はゲームのように綺麗な終わりをもたらしてはくれない。誰かと結ばれてハッピーエンド、そんな終わりはないのだ。

 現実はその先も続いていく。本当に大切なのは、結ばれた先。その先も手を取り合いながら生きていける、そんな相手を探さなければ。


 子爵家とは言え、私も貴族令嬢だ。婚姻は当然の義務である。聖女という役目ゆえ、人より注目もされているだろう。我が家の財産や私の地位目当ての男は避けたい。その上で、より良い結婚相手を探さなくては。


 まるで婚活をするかのような意気込みだが、間違いではない。貴族たちにとって、学園は学びの場であり出会いの場だ。特に二男、三男は必死だろう。本人が家督を継ぐ可能性は低く、貴族でいたいのならばそれを可能とする相手を探さなければならない。


 そして、令嬢とて必死だ。変な家に嫁がされたくなければ、ある程度の相手を見つけなければならない。欲を言えば、自身の家よりいい家柄の男に見初められたいところ。学園は貴族の子どもたちが一堂に会する場所。ここで見つけるのが幸福への近道なのだ。


 「同年代の貴族令嬢ならば、これから本格的に婚約者選びを始めるだろう。君はそこを考えているのかい?」


 穏やかに微笑んで言うルーファスに、私は苦く笑った。考えてはいるけれど、その前に問題が山積みだ。


 「そうね。もちろん考えてはいるわ。私だって貴族の端くれ。婚姻は義務だもの。けれど……」


 その前に、いわれのない罪で殺害されそうだなんて。ブリジット嬢がどこまで本気で私を排除したがっているかは不明だ。

 しかし、命こそ狙われなくとも、それなりの嫌がらせは覚悟しなければならないだろう。そのための布石は打ったが、果たして。


 「けれど?」

 「それ以上に問題がありそう、ってことよ」


 がっくりと肩を落とす私に、ルーファスが「コードウェル公爵令嬢か」と呟く。デビュタントが終わってすぐ、私はルーファスたちに説明をしていた。学園でも関わることになる彼らには、説明せざるをえないだろう。私の側にいれば、巻き込まれることは必然だ。


 「彼女の思考については、一先ず置いておくしかないだろう。色々と飛躍しすぎている。妄想と言われても仕方ないくらいにね」

 「……そうね」

 「実際の君を見ることで、思い直すこともあるかもしれない。そのために、君はわざわざ距離を取ろうと画策したのだろう?」


 そう。一つ布石は打ったのだ。大したことではないけれど、彼女と距離を置けるような手を。その手がきちんと機能したかは、学園に行ってみなければ分からないが。


 「とりあえず、彼女にも第一王子殿下にも近づかない。それだけは徹底するつもりよ。そうでなければ、要らぬ誤解を招くでしょう。……既に誤解されているけれど」

 「難儀な話だな。まぁ、悪い手ではないはずだ。多少の安全も確保されるだろうしね。あとはこれからの君を見て判断してもらうしかないか……」


 顎に手を当てて考え込むルーファスをよそに、私はため息を吐く。この世界にきて初めての学園。家庭教師ではなく、学び舎にいけるのだ。結構楽しみにしていただけに、余計気が重くなっている。


 「これを機に、君も早く婚約者を決めようとは思わないのかい? そうすればコードウェル公爵令嬢の懸念も晴れるかもしれないだろう?」

 「思わないわよ。私が仮に誰かと婚約したとして、それを解消する可能性があれば彼女は納得しないでしょう。

 それに、そんなことのために婚約なんてできないわ。相手に失礼だもの」


 むす、とした顔で私は断言する。いくら自分の為とは言え、無関係の誰かを巻き込みたいとは思わない。


 「貴族の婚姻など、思惑あってのものだろう。それでも?」

 「それでも、よ。結婚すれば、ずっと共に生きていく相手よ。政略結婚だろうがなんだろうが、誠実さは必要でしょう?」


 そう返す私に、ルーファスは思案顔で口を閉じた。左手を口元にあて、何かを考え込んでいるようだ。


 ティーカップの中へ視線を落とす。どこか不安げな顔をした自分が、こちらを見つめていた。カップの底に沈む欠片は、心の淀みを表すようだ。


 「お嬢様、お仕度が整いました。すぐに出発が可能です。オーウェンは馬車にて待機しております」

 「ありがとう、デイジー。では向かいましょうか」


 そう言って立ち上がろうとする私に、すっと手が差し出される。ルーファスの手だ。「お手をどうぞ」と微笑む彼に、私は頷いて手を取った。


 「余計な心配などしなくていい。君を守るために俺やオーウェン、デイジーがいるのだから。

 君は君の思うまま、やりたいようにやってくれ。その方がずっと君らしいさ」


 どこか皮肉気な笑みを浮かべる彼に、私もにっこりと微笑み返す。私には、ありがたいことに味方がいる。優秀なだけでなく、いい性格をした男までついているのだ。


 「そうね。殺しても死ななそうな従者がついているのだもの。私に危険などあるはずもないわね」

 「おや、オーウェンはあれでいて繊細なところもある男だ。君にそんなことを言われたら傷ついてしまうかもしれないよ?」

 「オーウェンならね。でもいいのよ。私は彼について言ったわけではないもの」

 「そうなると俺かい? まぁ、確かに鍛えているからね。そう簡単に殺されることはないから安心するといい」


 自信に満ちた笑みを浮かべる姿は、何と言ったらいいものか。この男の性格には、ほとほと呆れてしまう。けれど、そんな姿に安堵する自分がいるのも確かだった。


 「……それもそうね。信じているわ」

 「任せてくれ。必ず守り通してみせるさ」


 斜め前を歩く男に、視線を向ける。ミルクティーブラウンが日差しに照らされ、きらきらと輝いていた。姿形の美しさには非の打ち所がない。外見で得しているな、と心の中でぼやいた。



 春霞の空に暖かな風が吹く。春風に誘われて、花々の瑞々しい香りが鼻に届いた。

 先の見えない学園生活は、ぼんやりと霞むこの空のようだ。


 春は、すぐそこまで来ている。

 






――――――――――――――――――

こちらで一章は完結となります。ここまでお読みいただきありがとうございました。

よろしければ星や応援をお願い致します。


また、近況ノートの方にお知らせもございますので、お目通しいただければ幸いです。


今後ともよろしくお願い致します。

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